「巨匠の創作の足跡」演奏会無事終了

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

コロナ禍の中、歩み続けること
 2020年春以降、新型コロナウィルス感染拡大の影響で、練習を長い間ストップすることを余儀なくされたり、あるいは、その間に内部分裂を起こしてしまったり、潰れてしまった団体など数知れずある中で、東京バロック・スコラーズ(以下TBSと呼ぶ)は、現在に至るまで、最もアクティヴな活動を中断することなく続けた団体だ。

 振り返ってみると、僕は2020年3月3日、つまり自分の誕生日の日に、3月21日の「ヨハネ受難曲」演奏会の中止を決定しなければならなかった。4月からの最初の緊急事態宣言の時には、家を出ることさえ憚られる状態だったので、当然練習どころではなかった。新国立劇場では、練習中の「ホフマン物語」も、その後の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」も当然のように中止となった。
 ところが、そんな中で、延長された緊急事態がやっと明けた後の6月から、TBSではすぐに練習を再開し、2021年3月21日には、「巨匠の創作の足跡~バッハとパロディPart2」演奏会を行い、2022年6月5日には、「ヨハネ受難曲」を成功させ、そして、今回の「巨匠の創作の足跡~バッハとパロディPart3」演奏会を成就した。

 その陰には様々な努力があった。2020年6月の時点では、それぞれの練習場において、定員が極端に減らされ、団員が全員で練習できない状態がかなり後まで続いたため、練習映像をZoomを使ってライブ配信し、リアルに参加出来ないメンバーには、自宅でそれに合わせて独りで歌うことをお願いした。
 Zoomや録音などを担当してくれた団員の知的水準、及び熱意と心意気も尊敬に値するが、驚くべき事は、Zoom配信にメンバー達が結構真面目に対応してくれて、自宅から練習に一生懸命参加してくれた。少なくとも、
「これ、やっても仕方ないんじゃない?」
という雰囲気とはほど遠かったのだ。

 TBSのメンバーがミニ・クリオラと呼んでいる、教会でのクリスマス・オラトリオ演奏会は、当初、どこも会場を提供してくれる教会がなかったので、ビデオに撮ってYou Tube配信した。優秀な団員が、何台ものカメラを動かして撮影し、さらに、それをひとつのビデオに編集したmp4ファイルを僕に送ってきてくれた。それを受け取った僕は、画像や字幕などを入れて自分で最終編集し、Youtubeにアップした。僕がYoutubeを覚えたのも、コロナ禍のお陰である。

 2020年の、みんながまだコロナをとっても恐れていた時期に、僕が早々と練習再開したことに批判的な人たちもいた。
「三澤先生、あなたはそれぞれ団員達の家族の命を守ろうというお気持ちはないのですか?」
と言ってくる方もいた。
 それを聞いて、逆に僕は驚いた。怒ったり反発したのではない。むしろ、自分がかなり人とズレていることを実感したのだ。志村けんさんが亡くなって、日本全体にコロナに対する恐怖心が広がっていた時期の最中にも、僕は、コロナに対する恐怖というものをほとんど感じなかったのだ。
 むしろ僕は、自分がこれまでやってきた音楽との関わりや、自分の音楽を通して人々へ幸せを与えてきたという自負と生き甲斐を、全否定され、まるで人が人と音楽を通して関わること自体が“罪悪”かのように評価されることに、これまで味わったことのない驚愕と失望を覚えたのである。

 勿論、人並みに、新型コロナ・ウィルスに「できれば感染したくはない」とは思ったよ。思ったけれど、現に2021年8月、及び2022年11月と実際に2度も罹患したけれど、その時も、それも運命だなと思っただけで、死に対する恐怖とかは全くなかった。

 こんな僕だから、自分から練習を中止するという決断はしなかった。でも、東京バロック・スコラーズのように、僕自身が主催する団体はいいが、“僕を呼んでくれる団体”とは、その事で少なからぬ軋轢が生まれたことは事実だ。

 今、全てを振り返って見ると、この3年間って何だったのだろうかと思う。でも、間違いなく言えることがある。僕の関わっているふたつの団体、すなわち新国立劇場とTBSのメンバー達は、最も辛い時期に、あきらめることなく活動を継続していたことによって、パワーダウンするどころか、かえって、演奏行為に関わっていることの喜びを、よりいっそう実感し、「人生において芸術というものが、かくも必要不可欠なものなのか」ということを再確認できたのではないか。

「巨匠の創作の足跡」演奏会
 今回の演奏会で際立っていたことがあった。それは、合唱団もオーケストラ(小アンサンブル)も、パワフルであるが、同時にとても柔らかく暖かい音色で全てが包み込まれていたように感じられたことだ。
 知り合いの中の何人かが、
「あまりに気持ちが良いので、つい寝てしまいました」
と言っていたが、それを僕は(ノーテンキのせいなのかも知れないが)、この上ない褒め言葉と取っている。というのは、指揮台の僕も(寝はしないが)、実は最初から最後まで、演奏の全てに、ある親和力を感じていて、とても心地よかったのである。

 合唱団は、5月6日の集中練習での、モテットの小アンサンブル練習(つまり、各パートひとりずつで、みんなの前に出て歌わせる)などによって、団員の意識が変わったことなどで、ドイツ語の発音や、発声の方向性がかなり揃ってきた。それが、本番で自然な形で表現できたのではないだろうか。やはり積み重ねは大事だと思う。

ソリスト達
 ソリストのソプラノ國光ともこさん、高橋ちはるさん、寺田宗永さん、バスの大森いちえいさん達とも、念入りな合わせを事前に行った。
 寺田さんは、あまりバッハをこれまで歌ったことがなかったが、僕が強引にデビューさせた。彼は、新国立劇場の「ラ・ボエーム」のパルピニョール役を歌うほど良い声を持っているが、バッハを歌うことで、もうひとつ歌唱テクニックを磨けると思ったからだ。何度も稽古を付けている内に、自分の進む方向が見えてきて、今回の本番も素晴らしかったが、今後もっともっと伸びていく人材なので、期待している。

 高橋ちはるさんは、鈴木雅明さんの元でバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーとして活躍している歌手であるが、今回、彼女にひとつ課題を課した。それは、細かい音符を歌う時に、律儀に1音1音歌っているので、むしろベルカント・オペラのアジリタ唱法でのテクニックである、腹圧を高めておいて、そのパッセージ全体を俯瞰し、ルーズともいえるほどの流れるような歌い方を要求した。そうしたら、オケ合わせできちんと直してきて、見通しがとても良くなったのだ。賢い歌手だ。

 國光さんは、カンタータではソロがなく、そのままでは、せっかく彼女を呼んでも、今回の演奏会ではミサ曲のQui tollis peccata mundi(世の罪を除きたもう主よ)1曲だけになってしまうということもあり、この曲の元曲であるカンタータ179番のLiebster Gott,erbarme dich「愛する神よ、私を憐れんで下さい」をレクチャーで歌ってもらうことにした。
 彼女はこの曲を前回の演奏会ですでに歌っているのだが、抑制された表現の中に信仰への熱い想いが感じられて、素晴らしかった。「ドロの中で苦しんでいる」という歌詞に対応するように、低音系の伴奏に支えられていたこのメロディが、ミサ曲の中では、1音上げられて2本のフルートと共に、昇華された輝かしい歌となって生まれ変わった。こんな時の國光さんは、とっても輝いている。

 バスの大森いちえいさんは、確実な歌唱で、いつものように僕の期待にしっかり応えてくれた。特にバッハに慣れていない寺田さんに、2重唱の合わせの時には、細かくアドバイスを与えて、2重唱の仕上がりの良さを導いてくれた。2人のコロラトゥーラがしっかり合ったね。本当に有り難う!

写真 巨匠の創作の足跡演奏会後ソリストたちと
巨匠の創作の足跡演奏会後

オーケストラ
 オーケストラの中では、トランペット奏者の伊藤駿さんが、その音色の柔らかさで際立っていた。今回の2曲の元々の指定はホルンなのだが、現代のF管のホルンでは高音すぎてほぼ演奏不可能なので、いろいろ試行錯誤して、結局柔らかさを持つB管コルネットで演奏してもらった。これが大当たりで、確実で素晴らしい技を見せてくれた。
 低音を支えているのは不動のメンバー。すなわちチェロの西沢央子(なかこ)さん、ファゴットの鈴木一志さん、コントラバスの高山健児さん、そしてオルガンの浅井美紀さんである。この人たちのテンポ感、サウンドへのこだわり!これらはもうレジェンドといってもいいであろう。彼らはTBSには決してハズせないね。僕は全面的なリスペクトを捧げている。
 またフルートの岩佐和広さんは、東京バロック・スコラーズ立ち上げの「ロ短調ミサ曲」演奏会以来の常連であるが、オーボエも含めた4人の管楽器奏者もソロといいアンサンブルといい、文句の付けようのない名演を繰り広げてくれた。
 TBSのコンサートマスターは、近藤薫と伊藤文乃(あやの)さんが交互で務めてくれる。今回は、群馬交響楽団のコンマスでもある伊藤さんで、僕の高崎での「おにころ」でも弾いてくれた。アリアのヴァイオリン独奏の名演をはじめとして、コンマスとしても周到に全体を引っ張っていってくれて、ただただ感謝!
 とにかく、総勢わずか12人とは思えないほど充実した演奏を繰り広げてくれたし、驚くことに、合唱団の音色ともひとつに溶け合っていたのだ。

 今回、久し振りに打ち上げをやったが、その最後の方で、突然コンマスの伊藤さんが、
「あたし、今歌を習っていて、こういう合唱にちょっと参加したいのですが、どうでしょうか?」
と言ってきたので、僕は驚いて答えた。
「え?マジですか?それなら、かつてのオーボエの小林裕(ゆう)さんのように《特別団員》として扱います。裕さんは若くして亡くなっちゃったけれど、TBSのモテットのCD録音にも参加して、彼の声もCDに入っているのです。伊藤さんねえ、オーディションは免除で、当面は団費も要らないからね。」
「忙しくて来られない時もありますけど・・・」
「大丈夫!これから『マタイ受難曲』の練習を始めますから、来られる時に自由に参加して下さい」
伊藤さんて、とっても純粋な人だ。

ひとつ山を登ると・・・・
 さて、TBSの演奏会も終わった。今日はこれから新国立劇場「ラ・ボエーム」の立ち稽古に出掛ける。今日は、晩に児童合唱が加わって第2幕の練習。先日は、演出家の粟國淳(あぐに じゅん)さんが、助演達に向かって、
「あんたたちがやっているのは演技じゃない!演技のフリだけしているだろう。挨拶をするにしても、きちんと相手の目を見て“らしく”じゃなく、ホントに演じないと意味ないんだ!」
とゲキを飛ばしていた。いいねえ、この熱!僕はそういう淳さんが大好きだよ。

 アッシジ祝祭合唱団のために、役員達は、僕が送った楽譜から音取り音源など作ってくれている。僕も「イタリア語の3つの祈り」の譜面の最終見直しや、Missa pro Paceのアッシジ演奏用の再編曲など、昨日までTBSで中断していた仕事を急ピッチで仕上げなければ!
 また、夏の愛知祝祭管弦楽団の「ローエングリン」のためのコレペティ稽古を始めないといけない。って、ゆーか、その前に自分がピアノからちょっと遠ざかっているので、音階練習から始めて、青山貴さんのフリードリヒや清水華澄ちゃんのオルトルート、成田眞さんの国王ハインリヒのパートのための練習をしなければならない。勿論、ローエングリン役の谷口洋介さんの稽古も再開しないといけない。
 演奏会の前は、これさえ終わればハッピーと思っていたのだが、終わって一つの山を降りてくると、また眼前に登るべき山がそびえているんだよね。いつまでたってもキリがありません。これが僕の日常。

 僕の記事が載っているカトリック生活7月号がもう出ています。僕の記事は「至高なる音楽の極み ロ短調ミサ曲」です。

写真 カトリック生活7月号表紙
カトリック生活7月号


それから「ラジオ深夜便~夜明けのオペラ」放送は6月25日日曜日早朝の4:05~5:00NHK第一とNHK-FMということだそうです。
https://www.nhk.or.jp/shinyabin/program/2a6.html
https://www4.nhk.or.jp/shinyabin/x/2023-06-24/07/67980/3740876/

2023.6.19



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