夜明けのオペラ

三澤洋史 

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夜明けのオペラ
 6月25日日曜日、午前4時05分からの「夜明けのオペラ」は、僕自身が4時に起きることができなくて、生放送は聴けなかった。でも、朝起きてから「聴き逃し放送」で放送を聴き、waveファイルに録音したので結果は一緒か。
 オペラの話だけするのかと思ったら、インタビューをした遠藤ふき子さんが、事前の打ち合わせの時にすでに僕の本を読んでいたりして、僕がバッハが好きなことやクリスチャンであることなどに興味を持たれていたのが分かった。それで、前半は予想外にバッハの話をすることになっていた。
 それから、オペラでは、プッチーニの「蝶々夫人」を取り上げ、音楽とドラマが、具体的にどのように関係づけられ、表現されているのかを語ってみた。最後はヴェルディの「ファルスタッフ」の最終フーガを挙げて、「この世はみな道化」と言い切ったヴェルディの世の中を観る眼の鋭さなどについて語ってみた。

どうかみなさん、聞いて下さい!

 NHKラジオ深夜便6月25日午前4時5分
  らじる★らじる「夜明けのオペラ」 (7月2日午前5時配信終了)
 

急展開のロシア情勢
 民間軍事会社「ワグネル」という名前を聞く度に、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」が頭の中に流れ、かつてヒットラーがドイツ人の戦意を高揚させるためにワーグナーの音楽を悪用していたことを連想していた。ワーグナー=ナチズム=戦争という連想は、ワーグナーを愛する僕の中では、本来最もしりぞけたいものである。
 
 そのワグネルの創業者であるエフゲニー・プリゴジン氏の動きが最近目立っていた。最前線に立って指揮に当たっている彼にとって、さしたる作戦もなしに、ただ人界戦術だけで戦場に送り込まれ、無駄に命を落としていくおびただしいロシア兵を眼の前にして、耐えられなかったのであろう。なんと、セルゲイ・ショイグ国防相を名指しで非難したり、武器弾薬を激しい口調で要求したり、あげくの果てには、ウクライナ軍の戦い方を称賛したりしていたので、その様子を見ていた僕は、
「あれえ、この人は、一体どっちの味方なのか?」
と思っていた。

 そのプリゴジン氏が、数日前、驚くべき声明を出した。
「ウクライナ軍が8年に渡り、ドンバス人民を虐殺してきたとか、ウクライナ軍がNATOと共にロシアに大攻勢をかけようとしているといった話は、全部国防省の嘘だ。
この戦争は、軍事的功績を欲したショイグ一味と、ウクライナの利権を狙う一部オリガルヒが起こしたもので、大統領とロシア社会は瞞されたのだ」
 プーチン大統領が何度も言っていた特別軍事作戦の大義が嘘であることは我々も知っていたけれど、ロシア内部からこのようにはっきり言う者が出るなんて考えられなかったから、むしろ僕などは驚いて、
「プリゴジン、本当の事言っている!でも、大丈夫なのかな?ここまで言ったら、ただじゃ済まないだろう」
と心配したほどだ。

 6月24日土曜日は、一日中興奮していて落ち着かない日だった。先ほどの声明を出したプリゴジン氏が、なんと、ただちにワグネルの軍を率いて反乱を起こし、首都モスクワに向かっているというのだ。プーチン大統領は当然のことのように、緊急演説をし、
「我々は裏切りに直面している。我々からの答えは厳しいものになるだろう」
と述べている。
 これは面白いことになってきたぞ。1年半も続いているこの戦争が、これを機会に一気に終息する可能性も出てきた。でも、モスクワで市街戦となったら、住民が気の毒だ・・・などなど思いながら床についた。

 ところが、ところが・・・次の朝、目覚めてみたら・・・なんとプリゴジン氏はモスクワ進行をあっさり諦めて、ワグネルの兵士達を引き連れて来た道を引き返している、というではないか!
「はあっ?どゆこと?」
いろいろ調べてみた。
 ベラルーシのルカシェンコ大統領が仲裁に入って、プリゴジン氏はベラルーシに出国し、プリゴジン氏の罪も、反乱に参加したワグネル戦闘員達の罪も一切問わないということになったのだ。

 なにかキツネに化かされたような気分だ。明らかなことは、あれだけ厳しい言葉でプリゴジン氏の行動を責めたプーチン大統領が、あっさりとプリゴジン氏の行為を不問にすることで、かなり権威の失墜を招いているということだ。
 今、この記事を書いている時点では、まだまだ水面下で何が動いているか分からないし、この先、また驚くような事態が生まれるかも知れない。とにかく僕は、一刻も早く、ロシア、ウクライナ双方に平和な日々が戻ってくることを祈るのみだ。

・・・・・と、ここまで書いて新国立劇場に向かい、「ラ・ボエーム」のBOの休憩時間に、気になってYoutubeを開いたら・・・な、なんと、ベラルーシに行くと言っていたプリゴジン氏の消息が不明になっていて、一説によると・・・プーチン大統領がプリゴジン氏の暗殺指令を出しているというではないか!う~ん・・・どうもルカシェンコ大統領が間に入った、という時点で、キツネとタヌキの化かし合いが始まる予感もしていたが・・・ベラルーシにまんまと入国した時点でプリゴジンの首を奪うつもりだったのか?それに気付いたプリゴジンがしばらく身を潜めるつもりなのか・・・まあ、全てが現在進行形なので、今26日の夕方家に帰って来たところだけど、この辺で記事にしておかないと、きりがありませんので、お互い、成り行きをこのまま見守っていきましょう!  

「ラ・ボエーム」初日間近
 新国立劇場では、昨日から大野和士氏の指揮で粟國淳氏演出の「ラ・ボエーム」オケ付き舞台稽古BO(Bühnen Orchester Probe)に入っていて、今日が2日目だ。再演演出なので、実質的に今日がゲネプロGeneral Probe(総練習)となる。何故ゲネプロと言わないかというと、BOでは、まだ必要に応じて演奏を止めたり、終わってから返し稽古をすることが可能だから。そして明日はオフとなり、6月28日水曜日、新国立劇場の「ラ・ボエーム」初日の幕が開く。

 初日には、僕はひとつ仕事がある。それは、ブルームバーグという会社の鑑賞会&ディナーが開幕前にあって、そこで「ラ・ボエーム」というオペラに関する簡単な説明や紹介をしなければならない。

 それで今、何を喋ろうかなあと準備を進めている最中だけど、ついでだから、ここに文章を書きながら、その時に話すことをいろいろ整理してみようと思う。

 「ラ・ボエーム」は、絵に描いたような青春オペラだ。主人公のロドルフォは詩人、マルチェッロは画家、ショナールは音楽家、コッリーネは哲学者・・・とはいっても、みんなまだ花開いていない卵といっていい。彼らは、貧乏生活をしながら、パリの屋根裏部屋で共同生活を営んでいる。
 私事だけれど、僕はベルリンに留学して、初めてドイツ歌劇場で「ラ・ボエーム」を観た時、途中で涙がボロボロこぼれて止まらなかった思い出がある。なぜなら、僕はずっとベルリン芸術大学指揮科への留学を夢見て、国立音楽大学を卒業した後、2年間、ホテルのラウンジなどでピアノ弾きのアルバイトをしていたのだ。勿論、ロドルフォ達のように、寒い冬に薪を買うお金もないほど貧乏ではなかったけれど、憧れのドイツに留学して、やっと夢が叶った時に、彼らの一種の下積み生活の様子に激しく共感したわけだ。

「ラ・ボエーム」の優れたところは、青春の素晴らしさだけではなく、青春の持つ危うさも克明に描き出す。たとえば、クリスマス・イブの街角にやって来たミミとロドルフォであるが、ミミとすれ違った見知らぬ男性が彼女に挨拶し、それに答えようとするミミをロドルフォは軽く咎める。

Chi guardi ? 誰を見ているんだい? 
Sei geloso ? あら、焼き餅焼いているの? 
All'uomo felice sta il sospetto accanto. しあわせな男には疑いが寄り添っているのさ

この何気ない会話が、後で二人が一度別れてしまう原因となる。

 第2幕後半ではムゼッタが登場する。彼女は、男から男に渡り歩く蓮っ葉な女性のように最初は描かれているが、実はマルチェッロを深く愛していて、ムゼッタに対してパパ活をしようとしているアルチンドロに、
「靴がきつくて合わないの。買ってきて!」
と言って追い出して、マルチェッロと熱い抱擁をする。なんだか知らないけれど、ここもちょっと感動するんだよね。
またこのシーンの粟國淳さんの演出が実にコミカルで楽しい。

第3幕では、ロドルフォはマルチェッロににこう言う。

Mimì è una civetta, ミミは浮気女だ

 civettaはフクロウの意味だが、転じて「誰にでも媚びを売る女」という意味となる。しかし、ロドルフォがミミと別れようと思っているのは、それだけの理由ではない。実は、ミミは肺病で、どんどん衰弱していくのをロドルフォは見ているが、貧乏な彼にはどうすることもできない。そこでロドルフォは言うのだ。
「僕の部屋は穴蔵で、火もないのだ。ミミは温室の花で、貧しさが彼女を萎れさせてしまった。」
さらにロドルフォは続ける。

per richiamarla in vita 彼女を生き返らせるためには
non basta amor ! 愛だけでは不充分なのだ!

 つまり、ここにロドルフォの優しさがあるのだ。ミミが自分の所で命を縮めることにロドルフォは絶えられないわけで、自分が彼女を独占するよりも、もっと暖かくて食べ物もきちんとしたものを与えてくれる人のところに行って、元気になって欲しいと思っているわけである。
 実際、ミミは、ロドルフォと別れた後、子爵の息子に囲われることとなる。この辺が、日本人にはちょっと抵抗のあるところかも知れないけれど、でもムゼッタの采配で、ミミは最後にロドルフォの処に戻ってくる。
 ムゼッタはマルチェッロに、自分のイヤリングを売って、そのお金で、医者を呼び薬を買ってと頼む。コッリーネは自分の外套を質入れしようと決心し、有名な「外套の歌」を歌う。このシーンでの周りの人たちの優しさには、いつもジーンとくるんだよな。

 ミミが亡くなる時に、空から雪が降ってくるんだけれど、粟國淳さんの演出は、こうした細やかな配慮が行き届いている。舞台での雪自体は珍しくないけれど、この場面で見ると、なんか泣けるんだよな。

 う~ん・・・まだまだいろいろ喋りたい事があるんだが・・・とても20分では話し切れない・・・と、悩んでいる今日この頃です!

2023.6.26



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