コレペティ稽古から本番への道のり

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

ああカラヤン!
 昨日(7月23日日曜日)、名古屋(詳細はこの後ゆっくり読んでね)から帰ってきてお風呂に入り、ちょっとだけパソコンでメールチェックして居間に戻って、まずビールを飲み始めながら遅い夕飯となった。

 いつも日曜日って、EテレでやっているN響の演奏などを途中で気が付いて観るんだけど、最初から観たためしがない。で、例に漏れず、気紛れに何かやってるかな?と思ってテレビを付けたら、いつものN響ではない。ワイセンベルクとか言っていて、どうやらラフマニノフの協奏曲を終わったばかりだ。

 次のアナウンスを聞いて驚いた。なんとカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のチャイコフスキー第5番交響曲だって!ウッソーッ!ヤッターッ!聴く前から一気に酔いが回ってきた。クラリネット2本の冒頭のメロディーが始まった。
 今の僕にはカラヤンの動きの一挙一動が100パーセント分かる。まあ、不思議はない。僕は若い頃、来日したカラヤンの演奏会に出掛けて感動し、“カラヤンのいる”ベルリンへの留学を決め、カラヤン&ベルリンフィルの演奏会には欠かさず行き、カラヤン・コンクールでファイナリストの8人まで入り、他でもないチャイコフスキーの交響曲第5番を指揮してベルリン芸術大学指揮科を1番の成績で卒業したのだ。しかも、その時のこの交響曲の指揮こそ、3年間に渡った僕のカラヤン研究の成果だったのだから。
 この卒業試験の1番という成績は、何人いる中での1番とかの順位ではなくて、絶対的評価で、1番がいない年も少なくない。ラーベンシュタイン教授は、僕の1番の理由について、
「第2楽章の叙情性が決め手になった」
と言ってくれた。

僕の前には、もうビールがとっくに飲み終わって、黒霧島のソーダ割りに変わっている。

 第2楽章。ホルンのメロディーとそれを支える弦楽器の響きを操るカラヤン。うわあ、あの時の僕にそっくり!いや、勿論僕の方が真似したんだけど・・・てへへ・・・それにしても、ベルリン・フィルのカラヤンへのリアクションがハンパなく凄い!
 今、僕がチャイコフスキーの5番を振ったとしたら、間違いなくカラヤンのように振り始めるだろうが、オケによっては路線変更を余儀なくされるかも知れない。つまりね、この振り方を許して、しかもカラヤンの思い通りの音を出すのって、オケの側にも、テクニックというより、もの凄くハイレベルな音楽的理解力が必要なんだけれど、指揮者、オーケストラ双方が、驚くべきレベルで理解し合って、このサウンドを作り出しているのだ。

 その凄さをあらためて感じて、かつての僕が、まるで「最強の巨人に丸腰のチビッコが、威勢だけは良く突っ込んでいった」ような恥ずかしさを覚えた。けれど同時に、何も分からないままだけど、カラヤンの凄さだけは分かって彼を求めていった自分の軌跡は間違いなかったと確信した。

僕の人生はこれで良かったのだ。
 

コレペティ稽古から本番への道のり
国立音大~学食~泉体育館
 欧米では、ひとつのオペラ劇場に何人ものコレペティトールKorrepetitorと呼ばれる人がいて、自分でピアノを弾きながら、専属歌手達の音取りから始まり、音楽的な指導及び暗譜の手助けまで、手取り足取り面倒見ている。コレペティトールが行う練習はコレペティ稽古と呼ばれる。
 僕が先週まで毎日のように行っていたのが、まさにコレペティ稽古だ。カラヤンのような大指揮者も、出発はウルム歌劇場などのような小さい劇場のコレペティトールからだった。

 「7月18日の火曜日なんだけど、レッスンの補講の最中、10時40分から12時10分だけポッカリと空いてるのよ。そこに来てくれたら嬉しい!」
とオルトルート役の清水華澄ちゃんが言う。そこで、その時間にフリードリヒ・フォン・テルラムント役の青山貴君も呼んで、ローエングリンとエルザを陥れようとする悪者コンビの合わせのために、またまた国立音楽大学へ行った。

 例によって、新1号館2階の正門方面から入って左側にズラリと並んでいる教官室を進んでいくと、奥の華澄ちゃんの部屋の前に、何人かの“ガラの悪そうな男性たち”がたむろしている。誰だと思って近づきながらよく見ると、なんと、黒田博さん、福井敬さん、それに望月哲也君がニヤニヤ笑いながら僕を出迎えているではないか。
「いやあ、三澤さんが当学校に来るというので、みんなで行ってみようぜって出迎えに上がったわけなんです」
「華澄ちゃんと青山君のコンビのコレペティ稽古なんて、なかなか見れないからね」
なんて言ってる。
 この人たち、実際にコレペティ稽古が始まった後も、時々ドアの向こうで耳を澄まして聴いていたらしい。

 稽古が始まると、僕もしつこいから、自分のイメージ通りになるまで、何度も何度も繰り返し練習して、最後には華澄ちゃんに、
「先生済みません。もう時間いっぱいいっぱい。生徒が来ちゃう!」
と言われて追い出されるまで、しつこくやった。でも、そのお陰で、素晴らしい悪役の様々な表情が出てきたよ。それを見るだけでも、皆さん、楽しみです。

 その後、新しい建物の学食に行って、定食480円を食べてみた。おお!レベル高い!カツがとても美味しかった。僕が学生の頃は、1号館地下食堂は「貧民食堂」と呼ばれ、安くてまずかったし、5号館地下は割高だけどまあまあだ・・・なんて思っていたけれど、こんなレベルでは到底なかった。今の学生は恵まれているよ。

写真 国立音楽大学学食のカツ定食
国立音大定食480円


 それからモノレールに乗り、泉体育館駅で降りて、泉体育館プールで泳いでから立川駅経由で帰って来た。本当は柴崎体育館で泳ぎたかったのだけれど、柴崎体育館は第3月曜が休館日で昨日が「海の日」で休日だったので、振り替えで休みなのだ。泉体育館は古くて狭くて水もちょっと濁っている。でもまあ、いいや。

 次の19日水曜日は、ローエングリン役の谷口洋介さんとハインリヒ国王の成田眞さんのコレペティ稽古。稽古を何度もやると、歌手達も馴染んでくるけれど、僕自身、歌のパートの音も歌詞も、自然に体に入ってくるよね。
 それにこちらも、解釈を一方的に押しつけるのではなくて、彼らの呼吸や表情を感じながら、共に作り上げている共同作業にワクワクする。逆に言うと、こういうプロセスを経ないで、どうして良いオペラが出来ようか?という気がするね。

週末の名古屋
 さて、週末は名古屋。今年は、年が明けてからあまり愛知祝祭管弦楽団の練習に通えていなくて、その代わり、これから本番の8月20日まで毎週末練習に通い、本番に向かって一気に追い上げていく予定である。
 7月22日土曜日は、13時30分から16時30分まで弦楽器の分奏。あらかじめピックアップしてポストイットをいっぱい張っている個所を次々と指定していく。そのピックアップの段階で発見したことがあった。それは、「ローエングリン」って、とても管楽器の活躍する個所の割合が多くて、しかも管楽器が色彩感に富んでいること。
 だから、弦分奏だけじゃなくて、本当は管分奏もやっても良かったな、とも思ったのだが、まあ、そんなこと言っていたら体がいくつあっても足りない。彼らは同じ日の午前中に自主的に管分奏をやっていたというので、少しホッとした。

進化する稀有なる歌手、飯田みち代
 その晩は、場所を移動して、いよいよエルザ役の飯田みち代さんのコレペティ稽古。名古屋在住だから、なかなか機会が持てなくて、一番最後になってしまった。ところが稽古を始めて驚いた。飯田さんの声が進化している!
 彼女のことだから、エルザ役のキャラクター設定などは自分で考えてくるのだろうなと楽しみにしていた。それはそれで作り上げてきたのだが、そうではなくて“声”そのものが、しなやかで陰影に富み、いろんな意味でバランス良く変わってきていることに驚いたのである。
「ねえ、声が進化しているよ」
と言ったら、
「分かります?」
と言う。
「いろいろやって、ちょっと掴んだんです。スキーのキャンプでもヒントもらったし・・・」
 へえ、あの「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプも、そんなところで役に立っているのか・・・ま、嬉しい。

 飯田さんとのセッションはとても楽しかった。あまり多くを語らなくても、ちょっとしたひとことで、聡明な彼女は僕が言わんとすることを理解し、それを即座に歌に反映してくれる。
 彼女が最初に出してくるものに対して、事前にはちょっと違う表情をイメージしていた個所もあったが、差し出した表現に説得力がある時は、僕も躊躇せず、何も言わずに採用した。
 要するに、出来上がったものに整合性があり、表現として成り立てば、それが僕から発信したものであろうとなかろうと構わないのだ。声でもなく、歌でもなく、オペラは劇場表現が全てだ!
 だから稽古はスムーズに進み、二人で共通なエルザ像を確認し合うことができた。やはり飯田みち代という歌手はタダ者ではない。

 飯田さんが、叙情的でスッキリしたフレージングを構築してくれたお陰で、パワフルな華澄ちゃんとの声の棲み分けがきちんと出来て、女性ふたりは、双方とも互いを生かし合いながら、素晴らしいドラマを構築できるという確信が生まれた。

Bandaや合唱が加わっての管弦楽練習
 7月23日日曜日は、愛知祝祭管弦楽団の練習。午前中はいろんな処をピックアップしたが、昨日の弦分奏が効いて、弦楽器に確実性が出てきたため、管楽器とのバランスも良くなってきた。

 午後からトランペットの12名のBanda(舞台上の奏者)が練習参加して、まず第3幕第3景の間奏曲の練習をやった。左右の異なった4つの場所にそれぞれ2名ずつ位置する、計8名のBandaのメンバーはかなり優秀であり、何度かやる内にタイミングもしっかり揃ってきた。それにプラスして王様のトランペット4名が参加すると、まあなんて壮麗な響きであろう!
 その後、第2幕では、3名ずつ両サイドに分かれる6名のBandaトランペットに、プラス王様のトランペットの4名、すなわち計10名の練習をやり、最後に第1幕の各場に点在している王様のトランペット4名を加えたオケ練習をやった。

 休憩時間、演出家の池上奈都子さんと相談して、第3幕Bandaは、芸術文化センター・コンサートホールの舞台後ろ2階及び3階の両サイドにそれぞれ立たせ、王様のトランペットは本番会場のステージ後ろ2階席の正面、つまりオルガンの前に位置させようと決めた。コンサートホールがトランペットの音色で満たされるぞ!

 最後のコマでは合唱団も加わっての第2幕「エルザの入堂」や有名な「結婚行進曲」などの練習をやったら、もうクタクタですな。でも「ローエングリン」って、いろいろサービス精神旺盛で、お客にとっては、とっても楽しいだろうなあ、と思う。

今週の過ごし方
 さて、今日7月24日月曜日から始まる今週は、次に名古屋に出掛ける週末まで、野暮用はあっても仕事はないので、次のシーズンの演目の勉強など、普段出来ないことをいろいろやって過ごそうと思っている。
 その中でも特に実行したいのは、毎日泳ぎに行くこと。オーケストラの指揮で使う腕のしなやかさには、水泳は確実にプラスに作用する。加えて、これからいろいろ体力及び持久力を使うので、毎日柴崎体育館に通うつもり。昨年は、今頃蕁麻疹(じんましん)が出ていたので、あまり泳ごうという気も起きなかった。でも、今年は出ていないので、アンチエイジングの意味もあって、体力を付けるだけでなく、蓄えてもおこうと思っているし、水泳そのものも、実際問題もう少しうまくなりたい。
 
 そして、週末の7月29日土曜日及び30日日曜日は、いよいよ歌手達が加わってのオケ合わせだ。29日の夜間には合唱音楽稽古もある。これまでのピアノによるコレペティ稽古が、オケ付きになって、彼らがどんな風に自分を表現してくれるのかとっても楽しみだ。

西聡美さんの投入
 先の話をしておくと、今後、毎週彼らを呼んでオケ合わせをするのだが、8月の11日金曜日(山の日)と12日土曜日午前中は、オケではなく、現在ベルリン国立歌劇場でコレペティトールをしている西聡美さんが、夏休みで帰省しているので、関西から呼んで、僕の指揮でピアノ付き稽古をする予定である。
 僕も、自分でピアノを弾いてしまうことで、冷静に聴けないところがあるし、オケ合わせになったらなったらで、彼ら歌手達の表現が“大味”になってしまう危険性もあるし、特に「ローエングリン」では、ソリストの声楽アンサンブルの個所が多いので、音程やバランスなど、冷静になって聴いて、最後の綿密なチェックを行いたい。その上で、いよいよ本番に臨んでいこうと思っているのだ。

 今年の熱い夏は、確実なステップを踏んで、どこにもない「ローエングリン」を創り上げること。
それが68歳の僕に与えられた使命である。

2023.7.24



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