終戦記念日に向かってもう一度戦争を考える
昭和30年に生まれた僕の子供の頃は、まだ終戦後の雰囲気があちこちに残っていた。テレビでも映画でも、いわゆる「戦争もの」が盛んであったし、プラモデルが好きだった僕が作るものも、戦艦大和や長門や、後部に航空機用の甲板を持つ伊勢、日向(ひゅうが)、空母信濃、飛行機ではなんといってもゼロ戦だが、
「紫電改の方が性能は上だい!」
などといって、とにかく沢山作った。
「ゼロ戦はすごい強くて、敵をバンバンやっつけたんだぜ!」
と興奮していきまいていたのだが、母親に、
「でも日本は戦争に負けたんだよ」
と言われると、一瞬でシューンとなってしまった。
「戦争中はね、鬼畜米英などといって、戦争に反対するなんて考えを持つだけでも罰せられる感じだったけれど、負けると今度は教科書に墨を塗られてね、今までのはすべて間違っていました、戦争は悪です、これからは民主主義ですと正反対の世の中になった」
と父親も言う。
さて、今年も終戦記念日が近づいて来た。7月30日日曜日、愛知祝祭管弦楽団の練習が終わって名古屋駅に着くと、EXでとった新幹線の予約まで時間があったので、僕は三省堂に行った。何か太平洋戦争に関する本があるかなあと思ったら、井上和彦著の「歪められた真実~昭和の大戦」(WAC)があったので、あまり中をよく見ずに買って、新幹線内で読んだ。
歪められた真実
上昇し続ける愛知祝祭管弦楽団
オケ合わせが始まった
愛知祝祭管弦楽団では、いよいよ主役歌手達が加わってのオケ合わせが始まった。
7月29日土曜日は、伝令役の初鹿野剛さん、フリードリヒ・フォン・テルラムント役の青山貴さん、そしてオルトルート役の清水華澄さんの3人が加わって、まず第1幕を最初から進めていった。ハインリヒ国王役は僕が歌った。
特に青ちゃんと華澄ちゃんは、何度もコレペティ稽古をしているので、僕と彼らとの間にはギャップがないし、オケにもすでにそれらのニュアンスを生かしながら練習を付けてきたので、練習はスムースに運ぶ。
それでも、ピアノで合わせているのとフル・オケとでは、そもそもパレットのスケールが違うし、金管楽器や木管楽器の音量の違いや音色感など様々な要素が加わって、こちらサイドにも微妙なニュアンスの違いが生まれ、彼らの表現にも自然に変化が生まれる。そうした軌道修正は、むしろクリエイティヴで、ここにこそ練習の醍醐味がある。
プロって何?
プロの世界では、特にコンサート形式の場合、事前の指揮者本人によるコレペティ稽古なんてないし、たった1回のオケ合わせの後はゲネプロだったりするが、そんなことで表情豊かなオペラ公演なんて生まれようがないよね。
そんなんだったら、プロって何?って言いたくなるよね。もしプロが、
「経済的な理由によって、本番に向かう最短距離で仕上げていく」
ものだとしたら、それは本当の意味でのプロフェッショナルな仕事の仕方とはいえないと僕は思う。
その意味では、逆説的かもしれないが、ある意味でのアマチュアリズムを投入することによって、結果的に、
「どこにもないレベルと個性あるものに仕上がること」
こそ、本当のプロだ。
その意味では、酒造りとかの職人気質と共通するものがある。安価でどこにでも売ってて、
「まあまあ」
と言われるもので「よし」とする考え方も、まあプロの一種かも知れないけれど、「ほんもののプロ」への道は厳しい。少しの妥協も自分で許さない職人のみが本当の良い酒を造るのだ。
前にも言ったけれど、僕の父親は、小学校を出たらすぐに丁稚奉公に入り、大工の親方の元で、炊事洗濯お掃除から始まり、大工職人のノウハウと叩き込まれて一人前の大工となった。
その親父が、以前手抜き工事の違法建築をしていた一級建築士の事件をテレビで観ていてとても怒っていた。
「こっちは、自分の建てた家が、なるべく長くもつように一生懸命丁寧に建てているというのに、こんな奴がいるのは許せねえ!」
僕にもその血が流れているのを感じる。
本物は、手間も時間もかかるのだ。ところがね、周りを見渡してみると、特に我が国では、自分で各役の表情に関する確固たるイメージを持ちながら、コレペティ稽古を歌手達を相手にして行えるような指揮者って、ほとんどいないからね。
イメージ持っていたら、稽古しないではいられないだろうに。テンポひとつにしたって、それぞれの歌手に任せていたら、全体的に整合性のあるシーンを音楽的に構築することなど不可能でしょう。
見ているとみんな、むしろ当たり障りのないテンポで、なるべくボロが出ないように本番まで早くもっていこうとする人たちばかりだ。職人がいなさ過ぎる。このへんが、ヨーロッパとのレベル差がまだまだ埋まらない原因なんだけどね。
まあ、人は人。人を批判をする暇があったら、僕は、とにかく各主役のキャラクターを突き詰めて、表出性の高いワーグナー演奏を本番で披露するぜ!
やっと出発点に立った合唱団
その日は、午後の後半から合唱団が加わり、休憩をはさんで夜間がピアノ伴奏での合唱音楽稽古。ローエングリン・スペシャル合唱団は、モーツァルト200合唱団と、この機会のために集められた合唱団のふたつが途中までバラバラに練習していて、最近になって合体した。
僕は、ドイツ語の発音から丁寧に何度も指導はしたが、なかなか思うようにいかなくて苦労していた。そうでなくとも「ローエングリン」の合唱はことのほか難しいのだ。特に男声合唱は量も多く、時に8声に分かれて、それぞれバラバラに動いたり、難曲揃いだ。加えて、僕が手掛けた「ローエングリン」の合唱というと、バイロイト祝祭合唱団と新国立劇場合唱団だから、そもそも僕の耳に響いているイメージとのギャップが大きすぎる。
でも、その晩の練習で、やっと成果が現れてきた。
「さて、皆さん、やっとスタート台に立てたね。今日が練習初日です」
実は明日(8月1日火曜日)の晩も、合唱練習だけのために名古屋に通うし、これから本番まで何回か合唱練習をする。さて、どこまでいくか楽しみになってきた。
何度も繰り返し練習
翌日、7月30日日曜日は、ローエングリン役の谷口洋介さん、エルザ役の飯田みち代さん、ハインリヒ国王の成田眞さんが加わっての練習。またまた昨日と同じように第1幕最初から始めて、今度はテルラムント役を僕が歌った。まあ、皆さんは、国王とテルラムントを一緒にすれば、練習が1回で済むと考えるだろう。でもねえ、各歌手のスケジュールの関係もあるだろうが、オケにとっては、逆に2回通すメリットというものもあるんだよ。
現に、その日の午後の第3幕結婚行進曲後のエルザとローエングリンの二重唱の場面などは、随所を直しながら終わりまで行って、また最初に戻り、その結果、まるまる2回通したからね。すると1回目と2回目とでは、主役二人のアプローチや表情付けが明らかに違ってくる。
「今度は、こうやってみようかな」
という遊び心も含めて、アマチュアオケでは、心ゆくまで練習できるんだ。
「早く次に行こうよ」
という人は誰もいないんだ。むしろ、
「オケ練習で自分達が演奏していたものの上に、こんな風に歌が絡んでくるんだ」
と、みんな驚きながら楽しんでいる。
前日のオルトルート、テルラムントのパワフルな二人とは対照的に、ノーブルな谷口洋介さんのローエングリンと清楚な飯田みち代さんのエルザのコンビは、とても魅力的だ。一方、ハインリヒ国王の成田眞さんは、祝祭管弦楽団では「神々の黄昏」のハーゲン役以来の登場。彫りの深い輝かしいバスバリトンも、聴いていて胸がスカッとしますよ。
演出の池山奈都子さん
今回、演出を頼んだ池山奈都子(いけやま なつこ)さんとは1995年に同じ愛知県芸術劇場コンサートホールで、山田耕筰作曲、楽劇「堕ちたる天女」の公演で共演している。これは、山田耕筰研究家である後藤暢子さんの発案で行われた公演で、なんと28年前のことだ。
池山さんは、僕のオケ練習やオケ合わせに足繁く通って、譜面を見ながら、様々なアイデアを練っている最中である。
たとえば、王様の登場では4人の「王様のトランペット」と呼ばれるトランペット奏者が特別に登場するが、その位置を彼女と一緒に決めた。2階席正面のオルガンの前。そしてハインリヒ国王も、その前に基本的に立つことにした。こうして、一緒にいろいろを考えながら進められるのは嬉しい。
西聡美さんの投入
8月11日金曜日及び12日土曜日には、現在ベルリン国立歌劇場のコレペティトールをしている西聡美さんを呼んで、最後の丁寧なピアノ音楽稽古をする。西さんは、新国立劇場でも一緒に仕事している優秀なピアニストだ。僕が自分でピアノ弾きながらコレペティ稽古をすると、どうしても客観的になれないため、今回あえて彼女を呼んだ。
さあ、こんな風にだんだん煮詰まってくるぞう!僕の熱い夏は、今たけなわです!
2023.7.31