新世界交響曲をオイリュトミーで

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

当たり前のようだけど稀有な演出「修道女アンジェリカ」
 新国立劇場では「修道女アンジェリカ」の立ち稽古が進んでいる。いつも通りではあるが、演出家の粟國淳(あぐに じゅん)さんが冴えている。彼は、ストーリーを読み替えたり、奇をてらったことを試みたりはしない。ほとんどネイティブ・イタリア人といってもいいほど、幼い頃からイタリアで育ち、イタリア語に取り巻かれていた彼は、テキストを素直に読み、そこから導き出される主人公達の心理や反応に従ってそのまま演技を施していくだけだ。
 しかし、これはできそうでなかなかできない。現にイタリア人の保守的演出家たちの多くは、ただ表面をなめているだけの“予定調和”のステージングに終始してしまう傾向がある。その意味では(逆説的に言うと)、まだ、聴衆からの反発や攻撃のリスクを負っている“読み替え演出家”の方が深くストーリーを読み込んでいるともいえる。

 粟國さん(これから淳ちゃんと呼ぶ)の話に戻るが、たとえば、食べ物を外に買い出しに行ったシスター2人が帰ってくる直前に、突然ミステリアスな音楽が響く。何か起こるわけでもないし、すぐその後で買い出し係が、
「ただ今!」
と言うと、みんなが彼女たちを「わーい!」と取り巻くだけだ。
 僕は不思議に思って、
「この音楽、怪しいよね。何だろうね?」
と他の音楽スタッフに話しかけていたら、すぐ前にいた淳ちゃんが振り向いて、
「あ、これ、ロバの鳴き声ですよ」
と言った。
 確かにそう言われれば、そんな気がしないわけではない。少なくとも、それまでの雰囲気から逸脱した唐突な音楽の理由は、これで解決する。ト書きでは、買い出し係のシスター二人がロバに食材を積んで帰ってくることになっている。
 淳ちゃんの演出では、具体的にロバが舞台に登場するわけではないので、彼がそのことを分かっていようがいまいが、聴衆はおろか、僕たちスタッフや歌手達も気付かない。僕が言ったから彼が何気なく答えただけだ。

 でも、それって凄いことだと思わないかい?そこまで分かっている彼が、ひとつひとつのシーンを作っていくのだ。そして、ひとつひとつのイタリア語のセリフに込められた想いを、理解する前に肌で感じ、さり気ないリアクションや、動きに結びつけてシーンを構築する。変な舞台などできようがないね。ごくごく自然に、分かりやすくしかも彫りの深い舞台が出来つつあるよ。

 世の中によくある、“奇をてらった演出”というものは、1回目はいいよ。
「ほほう・・・なかなか考えたね」
となるかも知れない。でも、皆さん、それを2度目にまた観たいと思う?
 手品は種明かしをしてしまったら、もう観たいと思わないんだよ。でも、こういう内容を深く掘り下げて作品の本質に迫ろうとする演出ならば、何度観てもいいよね。キャストが変わったらまたそれなりに楽しめる。こういう長続きするものが本物なんだ。

 さて、こんな楽しい毎日です。そして、こうした積み重ねの先には“成功”しかないことを僕は知っています。それがどう本番に結集するのか?そこには“楽しみ”しかないんだよ。
また報告しますね。

写真 「修道女アンジェリカ」のチラシ裏面のスタッフ・キャスト
「修道女アンジェリカ」スタッフ・キャスト

「新世界交響曲」をオイリュトミーで
 僕にとってはとても珍しいことであるが、ここのところドヴォルザーク作曲「新世界交響曲」のスコアを勉強している。オペラや宗教曲などに明け暮れている僕が、(第九は別として)シンフォニーに取り組むのは久し振りだ。

 実は、本番はまだまだ先の話なのだが、「にもプロジェクト」というものが作られて進行している。これはドイツの神秘学者ルドルフ・シュタイナーが考案したオイリュトミーという舞踏芸術を踊る集団で、来年の8月に東京と名古屋でオイリュトミー公演を行う予定である。その指揮者を依頼された。

 とてもかいつまんで話すが、霊能者であるシュタイナーには、人が言葉を話したり音楽を奏でたりする時に、それに合わせてその人のオーラが躍動するのが見えるという。それを舞踏で視覚化して表現するのがオイリュトミーである。というとバレエやダンスを想像するだろうが、主として音楽のビートやリズムに合わせて技を披露するバレエやダンスとは目的が全然違う。
 具体的には、絹で出来た足首まで長いフワッとしたドレスKleidを着て、やはり絹のベールSchleierをまとい、言語や音楽の霊的本質を表現する身体表現で、実際に人が舞った直後のKleidやSchleierの動きを合わせて見ると、
「なるほど、昔の日本人が“気”の流れとか言っていたものは、こうしたオーラの流れなんだな」
と良く理解できる。

 僕がオイリュトミーに深く関わったのは90年代。音楽オイリュトミーのレッスンではピアノを弾き、言語オイリュトミーは踊った。ピアノを弾くときには、踊る人たちの呼吸やオーラの動きを感じながら合わせるのが楽しかったし、言語オイリュトミーを踊るときには、人間が言葉をしゃべるときに、こんなエネルギーが出ているのか、と驚いた。
 それらはみな、歌曲の伴奏をしたり、オペラにおいて歌手から放出されるオーラを感じながらオーケストラの指揮するのにどれだけ役に立ったことか。先日の愛知祝祭管弦楽団の「ローエングリン」の指揮だって、僕的には指揮というよりオイリュトミーなんだ。飯田みち代さんや青山貴君や清水華澄ちゃんなどのオーラに僕のオーラを溶け込ませ、それをオーケストラに伝えていたというわけだ。

 さて、この原稿を書いている昨日、すなわち9月10日日曜日、僕は初めて「にもプロジェクト」の練習を見に行った。練習は午前中からやっていたが、僕は午後の第1楽章の練習を見学し、その後打ち合わせを行った。
 どんな人たちが踊っているのかな、と興味津々であったが、たとえば僕たちがかつてレッスンで習っていた“生徒”と呼ばれるレベルなんかでは全然なくて、オイリュトミーがもっと世界に普及していたならば、プロとして食べていけるハイレベルな人たちばかりだ。

 練習を見学しながら、あらためて発見したことがある。オイリュトミーの動きは、ダンスの動きとは違い、音楽のビートにドンピシャリと合ってはいない。むしろ、それよりわずか前に次の音楽のエネルギーが身体から出る。
「あれ?これって、指揮者の心の動きと一緒だ!」
と思った。
 演奏者は、そのビートの頭でフォルテで弾き始めればいい。ところが指揮者はそれを演奏者に「弾かせせないといけない」。だから少なくとも1拍前から次の音楽にふさわしいオーラを出さないといけないんだ・・・ううん、まてよ・・・そうでもないぞ・・・よく考えてみたら、それは演奏者だって同じなんだ。エネルギーを内的に感じるからこそ、その様々な表情がオンタイムで出るのだ。そう考えると、やはりシュタイナーって凄いな。だからオイリュトミーの動きは、どこまでも内面的で、霊的衝動の視覚化ってわけだ。

 練習の途中で感想を求められたので、勿論素晴らしいと言った後で、
「オーケストラのfでトゥッティって、もっともっと大きなエネルギーが出ます。それが、たとえば木管楽器1本のソロの後で突然来る時のメリハリは、もっと欲しいかも知れません」
と、初めて来たのに図々しく言ったら、みんな納得してくれた。

 ドヴォルザークの譜面は整然としていて、たとえばワーグナーの「ローエングリン」のスコアを見た後だとなおさら、
「あれっ、めっちゃ簡単!」
と思うほどだが、ところどころ実に独創的なところがある。
 まず冒頭。こんなに遅い序奏の部分なんだから4分の4拍子とかもっと大きな音符で書けばいいのに、16分音符126のAdagioなんだ。それが36分音符や64分音符なんかまで出てきて読みづらいったりゃありゃしない。
 さらに休符が沢山あって、それを冒頭の指定のように16分音符なんかで振っていたら、間が延び過ぎて退屈になってしまう。それなので、多くの指揮者が時に16分音符で振ったり8分音符で振ったり、休符のところを少し前にはしょったり、いろいろ工夫している。

写真 新世界の楽譜
新世界-1
写真 新世界の楽譜(続き)
新世界-2

 僕は、新国立劇場の「修道女アンジェリカ」の立ち稽古中に、このダブルビルのマエストロであり、僕よりずっとこの交響曲を知っているに違いない沼尻竜典さんに聞いてみた。
「ねえねえ、アンジェリカと全く関係ないんだけど、新世界の冒頭って、どう振ってる?」
彼はびっくりしたが、すぐに、
「最初は8つ振り」
ときっぱりと言った。
「ずっと8つで振る人もいれば、チェロが動く2拍目だけ振り分ける人もいるじゃない。また無理矢理4つ振りで通す人もいるよね」
「弦楽器がフォルテで出るまで、僕は8つで振るよ」
と詳しく教えてくれた。
 沼尻さんはね、僕の後輩なんだ。僕は1981年から84年までベルリン芸術大学指揮科でハンス・マルティン・ラーベンシュタイン教授に指揮法を習ったんだけど、かれは僕よりずっと遅く90年代になってからラーベンシュタイン先生に習ったそうだ。
 だから彼との初対面の時にもう、
「ラーベンシュタイン先生がよく三澤さんのことを話題にだしていましたよ」
と言ってきて、それからお互いに親近感を感じている。

 「にもプロジェクト」は、今後、丁寧に丁寧に練習を積み、
まず12月26日府中の森「ふるさとホール」で、小さい公演として、ピアノ2台で行うという。そこで僕は指揮をさせてもらうことを、こちらからお願いした。

本番は、
東京公演:2024年8月17日土曜日19時より
於:パルテノン多摩

名古屋公演:2024年8月24年土曜日19時より
於:長久手市文化の家森のホール


 名古屋公演の方は、アマチュアの有志を募ってオーケストラを結成するが、すでに愛知祝祭管弦楽団の主要メンバー達が喜んで参加する意向を示してくれているので、レベルは保証できそうだ。

 アッシジ祝祭合唱団といい、このオイリュトミー公演といい、僕が、僕であることの証し、というか、僕のワクワクが引き寄せる僕のワールドが、人生の中でいろいろ実を結んでくるのを感じる「今日この頃」である。


2023.9.11



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