僕の激動の時代と石田桃子さん

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

僕の激動の時代と石田桃子さん
 僕は国立音楽大学声楽科4年生の時、卒業したら今の妻と結婚しようと思い、父親に相談した。すると、父親は、
「そもそもお前は、20歳の時に親に内緒でカトリックの洗礼を受けた。その上、信者の家の娘と結婚するなんぞ、言語道断だ!」
と取り合ってくれなかったので、僕は頭にきて父親に、
「こっちは真剣なんだよ!なんで真面目に聞いてくれないんだ!」
と怒鳴りながら、よりによって親父にビンタを食らわして、
「お世話になりました!」
と言って、母親が泣いて止めるのを背中に聞きながら家を出てきてしまった。

 で、出てきてしまったのはいいが、この先一体どーするんだ?と途方に暮れた。幸い、父親がすでに4年生分の音大の授業料を払ってくれた後だったので、よもやそれを学校に「返してくれ」と要求するほど意地悪ではないだろうから、学校を追い出されたりはしないだろうとは思ったが、生活費に関しては、ただちになんとかしなければならなくなった。
 僕はジャズピアノが弾けたので、ピアノ弾きのアルバイトを必至で探した。すると、立川駅前にあるダンケというドイツ・レストランで、ディナーの時間に弾くピアニストを募集していると知って、支配人に会い、採用された。

 最初は週3回だったと記憶している。30分のステージが19時、20時、21時からの3回。最初の15分をソロで弾き、次の15分は歌手の伴奏であった。休憩時間にはまかない食が出たので、ステージのある日には食事代がかからない。それがとっても有り難かった。

 楽屋には、高橋信次氏の著書がいくつも置いてあった。
「これ、どうしたの?」
と歌手の人に訊いたら、
「ああ、これね、ピンキーさんというもうひとりのピアニストが、高橋信次さんにとっても傾倒していて、本を置きっぱなしにしているんです。彼女曰く、勝手に持って行って読んでいいし、なんなら欲しい人にはあげるから、ということです」
と言う。僕は興味を持って一冊家に持って帰って読んだ。

 面白かった!というか、書いてある内容にとても共感を持った。この高橋信次という人って何者なんだと思った。もし、仏陀のような人がこの現代に生まれていたら、きっとこんなことを言うのではないか、と思った。
 これがきっかけとなって、それ以後しばらく僕は高橋信次氏に傾倒することとなった。最初は、ダンケに行く度に本を取り替えて読んだが、すぐに読み終わり、さらにその後は自分で買って、その結果、出版してある全ての本を読破した。
 さて、本を読みながら、今度は高橋信次氏を僕に紹介してくれたピンキーさんというピアニストに興味を持った。そこで、出番でない日にお客としてダンケに行き、彼女のピアノを聴いた。すごく上手で驚いた。僕のようにジャズのテンションと呼ばれる和音は使わないし、ジャズっぽい感覚はあまりないが、彼女のピアノはポップな感覚で洗練されていて、歌手から渡される譜面にはコードネームしか書いてないのに、よくあんな風に完璧にまとめあげられるものだと感心した。
 ステージが終わるまでに食事を済ませ、勘定を払ってから、そのまま楽屋に行き、ピンキーさんと初めて対面した。超美人!しかも開放的な性格で明るく、話も面白い。高橋信次氏という共通項もあり、僕たちはたちまち意気投合した。

 ピンキーと名乗っているのは、桃子という名前だから。実は、彼女は有名な石田純一さんのお姉さんだ。年齢は、確か僕より4歳くらい上。
「弟は純一という芸名を名乗っているけれど、本当は石田太郎なのよ」
と言う。
「桃子さんが姉で、弟さんは太郎かあ。桃太郎だね」
「そう。テキトーな親でしょ」
「あはははは!」

 ある時、彼女から電話が掛かってきた。
「あたし、これから歌謡曲の作曲の仕事を探しに行くの。三澤君、あなた作曲もするって言ったわね。一緒に行かない?」
と誘われた。僕は自活するだけでなく、留学も考えていたから、仕事はいくらでもしたかったので、断る理由は何もなかった。
 ところが芸能事務所に言ってみたら、担当者がこう言う。
「当方が欲しいのは、気の利いた音楽フレーズなんです。つまり良さそうなメロディーの断片でいいから、どんどん作っていただきたい。それを有名な作曲家が自由に使って、曲に仕上げて・・・・」
「はあっ?つまり、ゴーストライターということですか?」
横を見るとピンキーさんが目をつり上げて怒っている。ヤベエ、こんな怖い顔持っているんか。担当者は答える。
「ま、そういうことです・・・」
すると彼女は、担当者に向かって事務所中に聞こえるような大きな声で、
「そういう話ならお断りします!失礼します!」
と言うなり、僕の方を向いて、
「三澤君、行きましょ!」
と言って、バッグやコートを持ち、僕を置いてどんどん出て行く。僕は仕方なく、彼女の後ろからコソコソ付いて行った。彼女は建物の外に出るなり、
「全く、冗談じゃないわよ!あったま来たわ。どこかでお茶でも飲みましょ!」
 僕は彼女に付き添い、話を合わせてヘラヘラ笑いながらも、実は、お金欲しかったから、ゴーストライターでも別にいいかな・・・なんてチラッと思った。大ヒットした曲が流れるのを聴く度に、
「あっ、これホントは俺の作ったメロディー!」
と、密かに思うのも悪くないかな・・・なんちゃって・・・んんん・・・やっぱ、そーゆーの、淋しいか・・・。
 とにかく、そんなこと考えているの知られたら、何言われるか分かったものじゃない。いやあ、それにしてもピンキーさんって潔いな!カッコいいな!

 彼女は、最終学歴は桐朋学園の作曲科だが、お父さんの仕事でアメリカに渡り、そこでピアノは最初に習ったと言っていた。だから英語はペラペラで、普通の日常会話でも何気に英語が混じる。ますますカッコいいなあ。
 
 ピンキーさんは、僕たちの結婚式にも駆けつけてくれた。両親に認められないままの、当然両親不在の結婚式。場所は六本木の聖フランシスカン・チャペルセンター。かつて、僕が洗礼を受ける前、何度も通っていた群馬県桐生市にある聖フランシスコ修道院で修道院長をしていたフレビアン神父が、後にフランシスコ会日本管区の管区長となり、チャペルセンターにいたのだ。
 僕が神父に、親が承認してくれないけれど僕たちの結婚式の司式をしてくれませんかと頼んだら、事情を理解してくれて、チャペルセンターで僕たちは結婚式を挙げることができた。そんな大事な節目にも彼女は僕たちの側にいたのだ。写真はその時のもの。

写真 三澤洋史の結婚スナップに石田桃子さんも写っている
一番右下が石田桃子さん

 ある日、何気なくネットを見ている僕の目に、そのピンキーさんの記事が飛び込んできた。
「石田純一さんの姉、石田桃子さん(72歳)が、都内マンションで『孤独死』していた」
ええっ?急いで、いくつかのサイトを見た。とってもとっても残念だ!

  僕が、指揮者になれるかどうかも分からずにもがいていた時期。それどころか、ややオーバーに言えば、生きていけるのかどうかの瀬戸際の時、人生の中で最も苦しい青春の一コマで、高橋信次さんの本を紹介してくれ、生きる希望と指針を与えてくれた大切な人。その彼女が、もうこの世の人ではない、と思うととても淋しい。
 でも、最近は、親しい人が亡くなる度に、ごくごく自然に思えるんだ。僕だってもう68歳だ。もう少しやるべきことが残されているような気がするけれど、いずれにしても、そう遠からぬ内に、僕もそっち側の人になる。やることやったら死ぬのはちっとも怖くないのだ。だから、ピンキーさんとも、その時逢えるよね。楽しみにしているよ。
合掌!

写真 若いころの石田桃子さん
石田桃子さん

近年の中でベストの「神々の黄昏」
 京都から東京に帰ってきても、引き続きバイロイト音楽祭2023年の「神々の黄昏」を聴き続け、とうとう聴き終わった。日常生活の時間を縫って楽劇「ニーベルングの指環」全曲を聴くだけでもなかなか大変だが、1回聴くだけでNHKの解説が出来ると思ったら大間違いで、今やっと全曲を俯瞰できる立場に立っただけに過ぎない。
 とはいえ、ヴォータン、ブリュンヒルデ、ジークフリート、アルベリヒ、ミーメなど、複数の楽劇にまたがって歌っている歌手達の全体的な位置付けが決まったというのはとても大切な事だ。何より、全体を取り仕切るマエストロであるピエタリ・インキネンの指揮者としての評価は、「神々の黄昏」の最後の和音が鳴り終わらないと決まらなかったからね

 では、インキネンに対して僕は一体どのような評価を下したのだろうか?答えは、素晴らしい指揮者であるという一言に尽きる。恐らく本番が始まってからの、彼の劇場空間への“慣れ”もあるのだろう。歌手とのタイミングも含めて、楽劇が進むにつれて尻上がりに良くなってきて、特に最後の楽劇である「神々の黄昏」において頂点に達した感がある。勿論、僕が聴いているのは、それぞれの演目の初日なので、頂点どころか、音楽祭が終わる頃には、さらに良くなっていたのだろうな。
 とにかく、彼がオーケストラを完全に掌握しているのが伝わってきて、テンポ感、バランス感覚など申し分ない。世の中、ただ重たいだけで内容など何もないのに、“精神性に満ちた”とか言われて有り難がられているワーグナー演奏に辟易していた僕にとってみると、ある意味理想的なサウンドがそこに見られた。すっきりとしたたたずまいのワーグナーの何が悪い!ということだ。

 しかしながら、すでに前の「今日この頃」で語ったように「長所は即欠点にもなり得る」見本のように、彼のバランス感覚がもたらす透明性や明快なテンポ感が、いくつかの個所で裏目に出ているところもあり、それは僕だけではなく、何人かの批評家も指摘している。
 特徴的なのは、その点に関しては、かなりピンポイント的に「許しがたい」くらいの手厳しい酷評がなされている。これはインキネンならではの現象ともいえる。
 マイナス評価の典型は、すでに以前の「今日この頃」でも語ったけれど、「ワルキューレ」冒頭や、「ジークフリート」第3幕の前奏曲。ここに見られるのは優等生的な几帳面さのみであって、情熱がないのだ。だから心ある人は失望するだけではなくて、怒ってしまうのだ。

 とはいえ、インキネンにとって幸運だったのは、それが最小限の個所に留まっていたという事実。元来「リング」という作品は、「トリスタンとイゾルデ」なんかとは違って、情熱の嵐というシーンはむしろ稀。大部分は、おびただしく張り巡らされたライトモチーフ(指導動機)に乗って、物語が小気味良く、時にコミックに、時に淡々と進んでいく。そうした際には、インキネンの情報処理能力が力を発揮して、これまでにないオーケストラの機能美が見られる。だから全体的評価はかなり高いわけだ。

 「神々の黄昏」では、第2幕の合唱場面の盛り上がりも申し分なかったし、終幕ブリュンヒルデのモノローグも~~これ聴きながら気が付いたんだけど~~要するに、もうここはジークリンデとジークムントの許されない愛の情熱などと違って、全てを失った者の諦念が支配しているんだよね。だからオケが淡々と流れてもいいのだ、って、ゆーか、淡々と言っても、ワーグナーの円熟した管弦楽法とfやpなどのダイナミックが付いているので、指揮者にそれ以上の過剰な熱情は必要ないので、「インキネンの長所全開!」という結果になったのだ。

 歌手達も「神々の黄昏」においては、ほぼ理想的なキャスティングだ。ジークフリートのアンドレアス・シャーガーとブリュンヒルデのキャサリン・フォスターは言うまでもなく、ヴォータンのトマシュ・コニエチュニー、ハーゲンのミカ・カーレスなど、これまでにないハイ・レベルで揃っている。
 特に三人のラインの乙女達で一番上を歌っているヴォークリンデのエヴェリン・ノヴァークの声が、ビブラートが控えめの透明感のある声なので、三人のアンサンブルが整ってきれいだったのが印象に残った。ノルンも優秀。

 ということで、音楽的な面に限って言えば、近年の中でベストのプロダクションだと思う。
 

宮沢孝幸准教授は京都大学を辞めます
 宮沢孝幸准教授は、次のような声明を発表した。
「私儀、このたび2024年5月をもちまして京都大学を退職することとなりました。つきましては、大学の取り決め通り医生物学研究所附属感染症モデル研究センター ウイルス共進化分野 宮沢研究室は、私の退職に伴い閉鎖となりますことを皆様にご報告申し上げます。・・・・研究所にはミッションがあり、職員はその研究に専念することが求められます。それに合致しないことは評価しないという大学と私ではスタンスの違いが大きいことは十分にわかります。しかしながら、国難に当たっては、正しい情報を国民に発信することは大学教員、研究者としての責務があると私は考えています」
と記述し、その後で、
「大学から最後まで理解を得ることはかないませんでした」
と無念の思いを吐露した。

やっぱりなあ・・・そうなっちゃうんだよな・・・ガッカリだよな・・・残念だよな・・・。

 じゃあ、みなさんに訊くけど、宮沢先生、いったいどんな悪いことをしたのですか?科学者としての真摯な立場で実験をしてみたら、あるエヴィデンスに辿り着いた。その結果を受けて、
「国難に当たっては、正しい情報を国民に発信することは大学教員、研究者としての責務がある」
と思った宮沢先生は、それを広く国民に知ってもらおうと、いろんな所で話した。それだけでしょう。別に「それは誰のせいだ!」とか、「どこを攻撃せよ」とか、ひとことも言っていないでしょう。
 京都大学だって、どこかからか、
「宮沢先生の態度、学校としてどう思います?放置していていいんですか?」
と咎められても、
「実験の結果、出たものは出たものです。宮沢氏が論文を提出したり学会で発表したりするのを大学として妨げる権利はありません。もしそれを妨げたら、科学者及び科学そのものに対する“大学という権威”からの“脅威”となり、世界中、中立的な立場としての実験ができない世の中になります」
という態度を貫いていればよかったのに・・・・。

 いずれにしても、宮沢先生はやっかいな存在だったんだろうな。でもね、皮肉だけれど、宮沢先生をクビにしたことで、
「宮沢先生の実験は間違っていたんだ」
と思う人は、逆にゼロになったよ。
むしろ、
「それが真実だからこそ、京都大学は宮沢先生を辞めさせるんだ」
とみんなが確信を持つようになった。
 実験が間違っていたというのだったら、それも実験によって反証するのが科学者の立場だ。それをしないでただ辞めさせるのは、京都大学にとって決して良い選択肢とはいえない。
 というか、それ以前に、世界中の科学者はみんな何しているの?宮沢先生は、
「この実験の結果は、専門家が見れば0.1秒で分かりますよ!」
って言っているんだけどね・・・。分かってるんでしょう?専門家のみなさん!

 まあ、世の中、こんなことばかりだね。本当の罪は何処にあるのか知っていますか?それはマスコミにある。ジャニーズ事件がそうだ。マスコミの罪は「言わないこと」、「触れないこと」、つまり意図的に報道しないことにある。
 ある番組が宮沢先生のことを取り上げたのは知っている。しかし、それ以外は、ほとんど無視した。つまり、宮沢先生を意図的に『孤立させて』いたのだ。

 僕にはそこまでしか分からない。しかしながらこの件に関しては、背後にもっともっと大きな闇が存在する可能性があるのかも知れない。

2023.11.6



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