井上道義さんのマーラー「復活」

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

散歩瞑想
 今朝(11月13日月曜日)、孫の杏樹を立川のシュタイナー学校まで送迎する長女の車に便乗して、杏樹とバイバイした後、多摩川を見ながら立日橋を渡って、日野側の土手の上をノルディック・ウォーキング用のストックを突きながらやや早足で散歩していた。
ふと思った。
「僕って・・・誰?」
自分という存在がエッセンスとなっている。あれっ?瞑想していた。

 最近よく日常でも瞑想をする。祈りというより瞑想。やり馴れているので、すぐに日常的な荒く波動の低い自我を手放していくことが出来る。大きく漠然と広がっていた自分の意識からだんだん雑念が取れてきて、やがて“存在”だけの点になる。この中心点の自我が“真我”と呼ばれるもので、これは過去未来の制約から逃れてずっと同じ所に存在し続けている。
 つまりそれは、今の僕と、物心ついた時の記憶の最初にある“僕”と全く重なり合っている。それどころか、記憶は隠されているが、その前からずっと続く果てしない過去からの僕である、同時にそれは明日の僕でもあり、この先未来永劫の僕であり続けるもの。

 その真我は、いろんなことを“経験”していくわけだが、しかしながら、その過程において、真我のまわりに余計なものをため込んでいく。様々なことを思い、希望し、失望し、喜び、悲しみ、しあわせを味わい、悩み苦しむ。それらによって自信を持ったり、トラウマを持ったり、人を見下したり、先入観や恐れや身構えや、自分自身を誤魔化す術を身につけたりして、真我の周りがどんどん膨らんで限りなく肥大していく。
 この肥大したものは“偽我”と呼ばれている。もうこうなると、普通の人には偽我がイバラのように張り巡らされ、真我は見えない。つまり、普通の人は“偽我を自分だと思い込んでいる”のである。

 真我の存在そのものに気付くために、人は“禅”と呼ばれたり“瞑想”と呼ばれるものを行う。寝てしまわないで体の動きや思考を全て止める行為だ。でも、一度その方法が分かったら、僕のように、こうして散歩をしながらでも真我を感じることはできるんだ、と気が付いた。
 勿論あたりの景色は目に入っているし、足は勝手に前に進んでいる。それでも何も考えないでいる間に、偽我の皮がしだいにむけていって、真我が何気なくむき出しになったので、さっきのような言葉が自然に出たのだ。うわあ、画期的な事件だ!

 そのまま成り行きに任せて、真我だ偽我だということにこだわるわけでもなく散歩を続けた。ちょっと肌寒い秋の空気に包まれている清々しい気持ち。セルリアンブルーの多摩川は、波を立てて楽しそうに流れている。果てしなく広がる時間と空間の中のほんの一コマ。そして、これを感じているのは偽我?そこには肉体としての僕はいるけど、真我はいない?いや、それを経験しているのは真我?あはははは!どっちでもいいや。

 孫の杏樹は、ひとりで寝るのが怖いので、彼女の寝る時間(シュタイナー学校では8時就寝)に家に帰っている時には、僕が彼女を寝かせる係。本を読んでやって、それから静かに足を撫でていると安心して寝る。でも一度、
「ここにいるからひとりで寝な」
と言って彼女を放っておいて足下で瞑想したら、それが心地よかったみたいで、
「ね、瞑想して!」
と言う。どうも不思議な安心感があるみたい。昨晩もそうだった。 

井上道義さんのマーラー「復活」
 先週は、新国立劇場合唱団と、マーラー作曲交響曲第2番「復活」の合唱稽古をしていた。今回は、新国立劇場本公演の「シモン・ボッカネグラ」と重なっているため、合唱団は二手に分かれている。なので、こちら側も、若い人たちや、「復活」をやるのが初めてという団員も少なくなかったので、たっぷり稽古した。
 最初のAufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du, は、最初何度かハミングで歌わせた。そして、ピアノでも腹圧をきちんとかけること、決して痩せた響きにならないで、口の中できちんとdolceの響きを作り出すことを指導した。その数小節だけで10分かかった。それからやっと口を開けてドイツ語の子音と母音とのあり方を丁寧に教えた。

 11月10日金曜日は、井上道義さんによるマエストロ稽古。道義さんは、夏に健康状態が悪くなって入院したと聞いていたので、とても心配したが、会ってみたら意外と元気なので安心した。ただ、数年前から大きな声を出すことができなくなっているので、日常会話でも常に小型マイクと、腰には携帯用スピーカーを付けているし、練習ではそのボリュームをいっぱいに上げて合唱団員に聞こえるようにしている。

 でも、道義さんの稽古は楽しい。ソプラノの声がきれいなのだけれど、やや細すぎて幼稚に聞こえると言う。
「俺はねえ、強ーい女に抱かれたいんだよ!分かるう?」
と突然言うので一同爆笑。
 その他、随所に冗談を交えて、とても丁寧で充実した練習を進めていった。ffの個所で、大振りをしてひとしきり歌わせてから止めた直後は、ハアハア言いながら座り込み、無言で練習がしばしストップするので、大丈夫かなと思うが、すぐに回復して注意を出す。まあ、とどのつまりは元気だっていうこと。

 僕は「復活」については、尾高忠明さん、大野和士さんをはじめ、これまで合唱指揮を沢山手掛けているし、自分でも、2015年に愛知祝祭管弦楽団主要メンバーを主体としたマーラー・フェスティバルオーケストラを率いて、ウィーン楽友協会ホールで指揮している。そんな僕から見ても(上から目線だけれど)、練習中に彼が直したり、彼の言わんとするポイントは、全て理解できるもの。やっぱり井上道義という指揮者はタダ者ではない。

 練習が終わって少ししてから、疲れが取れるのを見計らって控え室に行った。すると、
「おう、三澤!いやあ、いつもの通り、しっかり準備していてくれてありがとう!」
と言って、すぐ側にいた新顔の読売交響楽団のマネージャーの若い女性に向かって、
「この人はねえ、ずっと昔から一緒に仕事してんの」
と僕のことをあらためて紹介した。
「一番最初に一緒にやったの何だっけ?」
と言うので、いろいろ思い出して、
「85年の『イリス』ですね。合唱が二期会合唱団と藤原歌劇団合唱部との合同だったんですよ」
と言うと、
「そうそう、演出が粟國淳さんのお父さんの粟國安彦さんていってね、この人、ビールを温めて飲むので有名だったんだ」
と女性マネージャーに丁寧に説明している。こういう時の道義さんは、とっても親切。女性にはサービス精神旺盛。

 話が進む内に、僕はちょっと迷ったんだけど、切り出した。
「あのう・・・石田桃子さんのこと・・・聞いてます?」
すると、首をうなだれて、
「ああ・・・なんか可哀想だったねえ・・・」
と言う。僕は言った。
「『イリス』の前に、最初に道義さんと会ったのは、石田さんに道義さんの家に連れて行ってもらった時ですよ」
「おう、そうだった!」
それからまた、女性マネージャーに丁寧に説明している。

 僕は先週、亡くなった石田桃子さんの記事を書いているときに、このことも述べようかなと思ったのだけれど、道義さんにも、そしてピンキーさんにも失礼かなと思って書くのをためらっていた。でも、道義さんがオープンで、今でもピンキーさんのことをとても大切に思っていることを感じたので、あえて書きます。

 ピンキーさんと僕が、最も深い交流を持っていたのは、僕が留学する前に資金稼ぎをしていた時期だが、ベルリン芸術大学指揮科の留学から帰って来て、指揮者としての仕事を必死で探していた僕は、ピンキーさんに、
「井上道義さんを紹介してもらうことはできませんか?」
と頼んだ。何故なら、ピンキーさんが、いろんな人に、
「あたし、昔、井上道義っていう指揮者と付き合っていたの」
と言っていたのを聞いていたからだ。
そしたら、なんと道義さんが彼の自宅に僕とピンキーさんを招待してくれて、食事をご馳走してくれるというのだ。それで僕は事前にピンキーさんと待ち合わせして、一緒に井上宅に行った。

「道義さん。僕、あの時びっくりしましたよ。外で会ってくれるだけでよかったのに、家に招待でしょう。奥様が作る料理を元カノが食べるのを横で見ながらドキドキしていましたよ」
女性マネージャーが笑っている。
「あははは、全然大丈夫だよ。ウチはそういうのオープン!」
「良くデキた奥様です」
というと、
「あのさあ、三澤。桃子さんね、肌きれいだったよ」
と言うから、
「また、そーゆーこと言って!」

 そういえば、先週の写真をあらためてみながら、ピンキーさん、本当に美人だったなと思った。それで僕は逆に、
「あんなに美人なのに、どうして僕は恋愛感情を持たなかったんだろう?」
と不思議に思っていろいろ考えた。それで、あることに気が付いた。

 恐らく僕は、基本的に年上の女性には恋愛感情を抱かないのだ。いや、抱けないのだ、と言った方が良いだろう。これまで一度も年上女性を好きになったことがないんだ。何故なら僕には2歳上と4歳上の姉がいるので、年上の女性の前に出ると、相手を姉と同一視してしまって、無意識に“弟”を演じてしまうのだ。
 また、ピンキーさんの方から僕を見る視線も、純一さんという弟を見るような“お姉さん視線”だった。ピンキーさんは、ぼくにとって、とっても頼れるきれいなお姉さんだったのだ。でも道義さんも、ピンキーさんのことを忘れたりしないで、大切に思ってくれていたことは、すごく嬉しく思っている。
Mit Flügeln, die ich mir errungen, 私が勝ち得た翼をもって
werde ich entschweben. 私は飛翔してゆくだろう
Sterben werd' ich, um zu leben! 死ぬだろう私は、しかしそれは生きるために!
Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du! 復活する そう、あなたは復活するだろう!

 マエストロ稽古から1週間経って、オケ合わせは11月17日金曜日。池袋芸術劇場での本番は18日土曜日です。とっても楽しみであると同時に、この、読売日本交響楽団による「井上道義による『復活』偉大なる魂」演奏会の本番を聴きながら、もう一度石田桃子さんの魂に思いを馳せようと思っている。

第九原稿、妻との対談、バイロイト・スピーチの準備
第九の合唱大解剖

 モーストリー・クラシックからの急ぎの原稿依頼を仕上げて送った。自分で言うのもなんだけど、結構良い記事が書けたよ。編集者も、
「素晴らしい原稿をありがとうございました。第九と向き合ってきた三澤さんならではの内容です。一気に読ませる筆力を感じます」
と書いてきてくれた。
 タイトルは「第九の合唱大解剖」。是非皆さん読んで下さいね。第九に対する考え方が変わりますよ。

妻との対談
 11月8日水曜日には四谷のドン・ボスコ社に行って、カトリック生活1月号のための対談を行った。今回の対談相手は、なんと妻である。勿論編集者の方も交えてである。信仰者同士の夫婦の生活を切り取って何かを表現したい、ということなのだろうが、出遭いとか結婚に至る過程などは、ドン・ボスコ社から出ている「ちょっとお話ししませんか」にも語っているけれど、日常生活についてはねえ・・・あんまり当たり前なので、どうなんですかねえ・・・ま、編集者がまとめてくれたものがその内送られてくるだろうから、超推薦にするか、まっ、どうぞ、くらいにするかについては・・・また書きます。

NHKバイロイト音楽祭放送
 その一方で、バイロイト音楽祭のNHKラジオのスピーチの準備は順調に進んでいる。とはいえ、最初の録音日は2週間後の11月27日月曜日に迫っているのだ。しかも、その日の内に「ラインの黄金」と「ワルキューレ」の2本をいっぺんに撮ってしまい、さらに、次の「ジークフリート」と「神々の黄昏」の収録日は、それからわずか9日後の12月5日火曜日なのだ。
 つまり最初の録音日までにその日のための演目ができていただけでは、次の録音に間に合わないということです。しかも、2回目の録音の演目は、なんとも長い楽劇ふたつだから、これから結構大変です。

 「ラインの黄金」の原稿は結構進んでいる。先方から送られてきた録音は、まるまる2回聴いたし、さらに部分的には何度も聴いて、言いたい事は決まっている。演奏の音楽的仕上がりも結構良いので、順調にいくだろうと思う。

 それに引き換え、「ワルキューレ」が難しいね。何が難しいかというと、「ワルキューレ」では、インキネンの指揮について、批評家もそうだし、僕の意見も、褒めっぱなしというわけにはいかない要素があって、何も触れないわけにはいかないし、さりとて、不特定多数を相手にする一般放送だから、言い方、持って行き方に気を付けないといけない。まあ、担当の人と何度もやり取りをする間に、しだいに解決の糸口は見つかるとは思うけど・・・。

 ということはあるけれど、全体を俯瞰してみると、今年の「ニーベルングの指環」の仕上がりはかなり良いと思います。キャスティングも確実で全体のまとまりも良く、近年の中では出色の出来だと思うので、どうか皆さん、録音して永久保存版として取っておくことを推薦します。

2023.11.13



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA