道義さんの「復活」本番

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

杏樹のひとり寝
 孫の杏樹を寝かしつける時には、毎回本を読んでやり、その後で電気を消して、足を優しくさすっていると安心して眠入っていたが、最近になってから、
「じーじ、足下で瞑想していて」
と言うようになったので、結跏趺坐(けっかふざ)を組んで瞑想している内に寝入るようになった。

 すると、昨晩は、
「今日、杏樹ひとりで寝てみる」
と言うではないか。
 なるほど・・・小学校4年生の杏樹は、クラスメートの中にひとり寝をする子が出始めてきたので、そろそろ自分もひとりで寝たいと思いはじめてきたんだね。けれども急に部屋に独りぼっちに取り残されては恐いので、そばで瞑想する僕を叩き台にしていたわけね。
「でも、じーじ。隣の部屋にいてね。で、壁を叩いたらすぐ来て!」

 杏樹と母親である長女の志保が寝ている部屋の隣が僕の仕事部屋で、大きなテーブルの上に自作したデスクトップがあり、背もたれのないピアノ椅子をクルッと後ろ向きに座ると、背後には電子ピアノがあって、僕は家にいる時の大半をそこで過ごしている。杏樹を寝かしつけた後も、そこに僕が必ずいるのを知っている彼女は、それを頼りに、ひとりで寝ることを試みた。

 そして・・・。昨晩は1回で、結構すぐに寝入ることに成功したのだ!バンザーイ!お姉さんになったね。もうすぐ10歳のお誕生日が来るからね。

 でも・・・杏樹が眠り込むまで足をさすっていた日々はもう戻ってこないのか、と思うと、ちょっと淋しいな。淋しいけど、その少しずつの成長は嬉しい。嬉しいけど淋しい・・・思い返してみると、長女の志保や次女の杏奈に対しても、かつてそんな思いをしたっけ。嬉しいけど淋しい・・・けれど喜んであげなければ!

といって、ちょっとだけセンチメンタルな68歳のじーじです。
 

「マエストロ」キャンプの再度ご案内
 グループで申し込む方のために、3月のBキャンプはペンション「あるむ」のコテージを2棟優先的に予約しているが、これまでの申し込み者はみんな個人で宿を取っているため、コテージはそのまま空いています。
 今後誰も申し込み者がない場合、結構人気ペンションである「あるむ」も宙ぶらりんで困ってしまうだろうから、早めに返してしまいます。キャンプ代も、年末までは早割(1割引き)が効くこともあるので、特にコテージをお使いになることを考えている方は、お早めに申し込んで下さいね。

 スキーというスポーツは、ウェアーや用具など、買うにしてもレンタルにしても、何かとお金が掛かるものだ。その上に、レッスン代も払うとなると大変という意見もあるだろうし、自分が楽しむのだから、下手でも別に良いさ、という意見もあるのは分かっている。でも皆さん!瞞されたと思って、1回レッスンを受けてみて欲しいです。全く恐い思いをすることなく、こんなに短期間で、こんなに上達するのか、と驚くと思う。

 僕はね、この歳になると、何をするにも余計な時間と労力を使うのが嫌なので、なるべく早く、ある程度のレベルに達して、それからエンジョイすることを考る人間だ。このキャンプのインストラクターのレベルは、その辺のスキー場とは全然違うので、
「いつの間にか、あれ、こんなにうまくなったんだ!楽しい!」
となること請け合いだ。
 その上に「マエストロ」キャンプは、音楽に関するヒントも沢山もらえるからね。名古屋のプリマドンナである飯田みち代さんも、毎回、
「音楽をするための大きな気付きをもらいました」
と言って帰って行き、昨年8月に僕が指揮した「ローエングリン」のエルザ役の素晴らしい歌唱にも生かしていたんだよ。

ではみなさん。申し込みを待ってます!特に3月の団体申し込みはお早めに!

モーストリー・クラシック
 今、モーストリー・クラシック1月号が出ていて、僕の記事が載っているので、皆さん読んでください!1月号のタイトルは「合唱付き歓喜の歌と名曲の数々」で、僕の記事だけでなく、第九を中心にした合唱の特集で、とても充実しています。
 他に「下野竜也の語る第九」や井上道義さんのインタビュー記事も乗っているし、僕の「第九の合唱大解剖」の前のページには、僕と一緒に新国立劇場で合唱指揮をしている冨平恭平君の記事も載っている。是非読んで下さいね!

写真 モーストリー・クラシック 1月号の表紙
モーストリー・クラシック1月号

道義さんの「復活」本番
 オーケストラの最強音にオルガンのフルストップ、そして鐘の音が東京芸術劇場コンサートホールを満たした。井上道義さんの最後のタクトが降ろされ、金管楽器及び弦楽器そしてティンパニーが1拍目の八分音符で、木管楽器とホルンのタイでつながれていた変ホ長調の和音をぶった切ると、その瞬間割れるような拍手が来るかと身構えていたら、一瞬沈黙。
 今まで起こっていたことの凄さに、みんな呆気にとらわれていたのだろう。それから、むしろバラバラと始まる拍手を後ろに聞きながら、僕は一階最後部の椅子を離れ、後ろの扉から出て、舞台袖に向かった。

 道義さんの指揮するマーラ作曲交響曲第2番「復活」は、感動的なんて生やさしい言葉で表現できるようなものではなかった。すでに前の日のオーケストラ合わせの後、家に帰って妻に、
「いやあ、道義さん凄いわ!オレ、今まで他の指揮者に対してあらためてこう思ったことなかったけど、もう負けました・・・全面的降参です・・・って感じ。解釈もね、バランスもね、変なとこいっぱいあるんだよ。でもね、あの勇気・・・あの大胆さ・・・絶対かなわない・・・凄い!」
すると妻が、
「あなたがそういうの珍しいわね」
と言った。

 人を手放しで褒めるのが珍しいのは、別に自信過剰ということではないよ。でもね、指揮者って、そう思っていないと生きていけないところあるんじゃない。大勢のプレイヤーたちのほとんどは、自分と違う解釈や愛着を持っていたりするのに、それを指揮者は無視して強引に従わせるんだからね。よほどの信念がないとやっていけない。
 さらに、僕も2015年に、愛知祝祭管弦楽団が中心になって結成した「マーラー・フェスティバル・オーケストラ・ジャパンを率いて、ウィーン楽友協会ホールで「復活」を指揮して、一応ウィーンの聴衆からスタンディング・オベイションを受けているんだ。「復活」に関しては一家言あるんだ。その僕をここまで思わせるんだから、みなさん、本当に井上道義とは二度と出てこない指揮者だと断言します!

 前日のオケ合わせは、すでに芸術劇場で行い、当日は1時間だけの練習。道義さんは僕のことを信頼してくれていて、合唱団が歌い終わった後の最後のオーケストラの最強音のバランスを心配している。
「三澤!どう思う?」
と指揮台から大声で怒鳴るので、
「チューブラベルが小さいと思います」
と叫んだら、
「分かった。俺もそう思ってた!」
と素直に言うことを聞いてくれる。
 当日も、終楽章の裏のトランペットや大太鼓などのバンダとのバランスを心配して訊いてきた。僕は、大太鼓が少し大きいかなと思ったけど、それも道義さんの趣味かなと思って、
「良いんじゃないでしょうか」
と言うと、
「ホントか?俺のところでは太鼓ばっかり聞こえる気がするけど・・・」
というので、あ、やっぱり、と思って、
「確かに大太鼓、大きいでーす!」
と叫んだ。すると、
「ほらね」
といいたげな満足そうな顔をしてバランスを直していた。
 元々変なバランス感覚だから、どこまで踏み込んでいいか分かんないよ。しかも、僕、今回は合唱指揮で乗っているんだけどな・・・追加料金いただきます・・・なんちゃって。ま、役に立っていれば別に全然良いんだけど・・・。

 本番が始まった。「復活」全曲を指揮してから8年経つけれど、僕は意外と、合唱の入らない第1楽章から第4楽章までもほとんど覚えていることに気が付いた。だから、
「次にこう来るんだよね。管楽器と弦のバランスって・・・」
と予想できるのだが、驚いたことにそれがことごとくハズれる。
 金管楽器なんか、
「えっ?こんなに大きく吹かせて、弦楽器消えちゃうでしょ!」
と思うのだが、読売交響楽団の金管ってびっくりするくらい上手で(また上から目線)、惚れ惚れするくらいしなやかな良い音で弦楽器を消さないし、弦楽器も弦楽器で、pの個所でも量感がなくならないのだ。

 このように常にギリギリの綱渡りなのだが、綱から落ちることは決してないのだ。これはアマチュアを相手にしていたら決して出来ない業だなあ。プロの技術を信頼して初めて成し得ること。一流のオーケストラと長年やってきているからこそ出来ること・・・こういうところが道義さんにかなわない原因だ。
 もっと凄いのは・・・逆に・・・こんなことやってたら、プロのオケからは絶対に嫌われるに決まっている・・・でも、そんなことを物ともしないで道義さんはこれまで進んできたんだ。相手がプロ・オケだと、多くの指揮者は、嫌われたくないからゴマすろうとしたり、少なくとも楽員から「変だよ」とか言われたくないじゃない。
 それを僕もいろんな指揮者の元で見てきた。今だから内緒で言うけど、昨年末のNHK交響楽団なんか、何カ所か、道義さんの言うことに楽員が露骨に嫌な顔をしていた。でも、特に「引退宣言」をした後の道義さんは、まるで糸の切れた凧のよう・・・と言うと言葉が悪いな・・・ええと・・・水を得た魚のよう・・・あ、これだ!この言葉だ!自由奔放、傍若無人に振る舞っている!あははははは!

 悔しいことに(いや、悔しがるお前こそヘンでしょう)、この誰もやらないようなテンポの動かし方やバランスや間などが、道義さんの中では全てつながっていて完結しているので、めちゃめちゃ説得力があるのだ。マーラーが本当は言いたくても言い切れなかったところ・・・痒い所に手が届くどころか、
「ほら、ホントは、ここも痒かったんでしょう!」
と掻いてあげて、マーラーが、
「おっと、気が付かなかったけど、まさにその通りだ!」
と答えるような、気の利きよう!

 僕さあ・・・この演奏会について、批評家達がどんな意見を書くのか楽しみなんだよね。「井上道義の解釈は変である」
と書くのは簡単なんだよね。あるいは反対に、
「素晴らしい演奏会だった」
とだけ書くのも簡単なんだよね。みんなどんな風に書くのかな?僕のように「ヘンだけどここが良い」なんて書く人はひとりでもいるのかな?
お手並み拝見!うふふふふ!

 さて合唱だ。出だしのAufersteh'nを僕は合唱練習で自分としてはわざと大きめに作っておいた。しっかり横隔膜を降ろして腹圧をかけて、丁寧にプロらしいSotto Voceを作り上げた。当日のゲネプロではまろやかできれいな響きでホールを包み込んでいた。しかし、それを確認してから、ゲネプロ後のダメ出しで僕は合唱団のみんなに言った。
「皆さん、僕を信じて下さい!本番では、今の腹圧と響きを維持したまま、半分の音量で歌い始めてください。えっ?こんなんでいいの?と思いながら歌い出して下さい。お客様にとっては、えっ?歌ってんの?今、何が起こってんの?と思われるだろうけど、僕が責任を持ちますから、僕を信じてそうしてください!」
みんなも恐らく半信半疑だっただろう。

 そして本番。直前の神秘的な裏のバンダと表のフルートなどのやりとりが終了して、一瞬の沈黙の後、Aufersteh'n「復活するのだ」と合唱団が最最弱音で入ってきた瞬間、僕の全身に鳥肌が立った。僕は心の中でこう叫んだ。
「よし、これでいい。みんな、ありがとう!」
ちょうど良い大きさだった。これ以上大きいと、
「ああ、きれいな合唱だ」
で終わってしまうのだ。普通の曲ならそれでいいんだけど、「復活」では、それでは駄目なんだ。これは稀有なる瞬間でなければならないし、聴衆にとって「人生でこれまでにない初めての体験」とならなければならないのだ。「復活」とはそういう曲なのだ。この個所については、次女の杏奈を含む何人もの人たちが、
「鳥肌が立ちました」
「震えがとまりませんでした」
「涙が溢れてきました」
と答えてくれた。

 曲が終わり、僕は客席の後ろの扉を開け、舞台袖に急いだ。道義さんが袖に入ってくるかと思ったら、舞台上にいたままオーケストラのメンバーを1人1人ねぎらっている。なんだ、急ぐ必要なかった。
 それから道義さんは中央に戻り、こちらを向いて来いというい合図をしている。いけない、事前の打ち合わせをしていなかった!そこでソリストの二人は出て行ったが、僕はあえて出て行かずに袖に残っていた。道義さんは即座にその意味を悟った。
 それからソリストと3人で袖に戻るなり、
「三澤、行け!」
と僕をひとり送り出した。僕は中央に出て合唱団を腕で示し、挨拶した。それから道義さんの方を見ると、中央に進み出ないでバイオリンの真ん中くらいのところにいて、自分の方に来いという合図をしている。近づいていくと唇を動かしている。
「ハグ、ハグ!」
と言っているようなので、そばにいくと大きく手を広げてハグしてきた。道義さんは大きいので、僕は彼の中にスッポリはまり込んだ。
 その時彼は僕に何て言ったと思う?
「ピンキーちゃんも喜んでいるよ!」
だって!これまで彼からピンキーという言葉が出たことなかったので、ああ、きっと僕の「今日この頃」を読んでくれたんだ、と思った。

「俺はきっぱり引退する。来年の12月30日が最後の演奏会だと決めているんだけど、曲目まだ決めてない」
と言うから、僕は、
「合唱使ってくれたら喜んで行きますよ」
と答えた。来年彼は、ショスタコーヴィチの交響曲を中心にプログラムを組んでいて、僕との共演の予定はない。
「合唱団は、第九とかで忙しいだろう」
「いえいえ、もうそんな年末はどこも第九はやってませんよ。東響が一番遅くて29日くらいまでなんだけど、東響コーラスだろうし、読響なんて24日か25日くらいで終わりですよ」
「そうか。考えとくわ」

 僕も、あらためて思った。そうか、下手するともう道義さんとこうして共演する機会が二度とないということなんだ。それは残念で仕方がない。
なんとかもう一回共演したい!

2023.11.20



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