楽しかったNHK収録の準備の日々
NHKバイロイト音楽祭2023の収録が無事終わった!ホッとした。前の週に体調を崩してキャンセルしてしまった事がちょっとトラウマのようになっていたので、先週の「今日この頃」を書いている時も、残っていた「ジークフリート」と「神々の黄昏」の2演目の収録が、もし万が一うまくできなかったらどうしよう?などと思っていたのだ。
「ジークフリート」の収録は12月12日火曜日。新国立劇場「こうもり」最終公演が終わって17時25分くらいに劇場を出て、徒歩でNHKに向かった。山手通りを南下して代々木八幡駅のあたりを通って・・・と思っていたら、運良く渋谷行きのバスが来たので、無事到着。
「神々の黄昏」の収録は、翌日13日水曜日午前11時から。先週の「今日この頃」でも書いたとおり、バイロイト祝祭合唱団指揮者のエバハルト・フリードリヒから有用なメールが届いたので、それをどうしても話さなくっちゃ、と思って頑張って原稿を書いたら、長くなっちゃって、現場に行ってから、あっちこっち削ることになっちゃった。それでもね、話すべきことは話せたので、後悔はありません。
NHKから、この収録の話を正式にいただいてから、この最後の収録の日まで、音源を聴くだけでも長くて、大変といえば大変には違いなかったし、
「うーん・・・これを言いたいんだけど、なんて言ったらみんなに伝わるんだろうか?」
とか、表現の仕方とかいろいろ悩んだりしたわけだけど・・・でもね・・・でもその悩みそのものも含めて・・・いやあ・・・なんと充実した、楽しい日々だったんでしょう!それはねえ・・・やっぱりなんといっても、僕が「ワーグナーが大好き!」というところから来ているのさ!
音源を聴いていたって、楽しくってしょうがない!
「インキネンったらさあ、歌手がズレたって全然寄り添ってあげないの。歌い手から見たら、すっごい感じ悪い指揮者だよな」
なんてあきれながらも、同時に、
「でも、この精緻なアンサンブルは凄い!」
と興奮している自分がいる。
ジークフリートのアンドレアス・シャーガーなんて、批評家からも「あっちこっち音が違っていた」と言われていたし、僕も聴いていて、
「ホント、こいつテキトーに歌ってんな!」
と思いながらも、彼の天真爛漫さはなんか許せちゃうんだよね。
それどころか、それが、ブリュンヒルデを一人残して旅に出ちゃう無神経さから始まって、辿り着いた先で、ハーゲン達にまんまと瞞されて、目の前のグートルーネに一目惚れし、さらにグンターに向かっては、
「なんならブリュンヒルデっていう女の子を、君のために連れてきちゃおうか」
などと言ってしまう“大馬鹿者のキャラクター”と、ここまでうまくマッチできる人って、シャーガー以外にいないんじゃないの?
その意味では、“愛すべきジークフリートのひとつの典型”として、彼がバイロイト史に刻印された、その証人になれたんだもの。実に喜ぶべきことなんじゃないだろうか。
それから、ハーゲンのミカ・カーレスが、これからどんな風に育っていくのだろうか?とかね・・・いろんな楽しみをもたらしてくれたNHKよ!本当にありがとう!
「ヒロ、今からでもいいんだぜ。バイロイトに来ないかい?」
なんてエバハルト・フリードリヒは今でも言ってくれるんだけどね・・・・心は動くんだけど・・・・夏に2ヶ月以上日本を離れることは、もう出来ないんだ。二度と戻らないあの夢のような日々・・・。
読響の第九が戻ってきた
さて、第九といったら、2019年まで僕は基本的に読売日本交響楽団の第九に新国立劇場合唱団を率いて出演していた。しかし2020年は、新型コロナ・ウィルス感染拡大の影響で、NHK交響楽団と共に40人で第九の合唱を担当した。本当は東京オペラ・シンガーズと新国立劇場合唱団の合同だったのだが、人数が極端に減ったため、オペラシンガーズの方はキャンセルされて新国立劇場合唱団だけで行った。
それが不服だと抗議されて、次の2021年の暮れは、僕にとって珍しく第九を担当しない年となって淋しかった。で、昨年すなわち2022年の第九は、引退宣言をしている井上道義さんへの義理があって、40人新国立劇場、40人オペラシンガーズの合計80人の合唱を受け持ってNHK交響楽団と共演した。
そして今年は、ようやく読響の第九に戻ってきた。読響は、僕が日本で一番好きなオケだ。上手なことは勿論のこと、なんといっても音楽をする純粋な喜びに溢れているのがいい!
12月15日金曜日、池袋東京芸術劇場が今年の第九初日であった。指揮者であるヤン=ウィレム・デ・フリーント氏はオランダ人で、コンバッティメント・コンソート・アムステルダムというピリオド奏法をモダン楽器に適応するオーケストラを創設し、世界的名声を確立した経歴を持つ。
そういう人だから、スタイルを重視するタイプかと思ったら、大柄な体をいっぱいに使って、時にはジャンプもしながらの大熱演の指揮者。それでいながら、弦楽器には時々意図的にノンビブラートで演奏させ、そのアンバランスさに結構笑える。なるほど、これもひとつの“あり方”かと、妙に納得させられる。
ソリストで突出しているのは森谷真理さん。ひとりで合唱全員のフォルテくらいのボリュームを出すが、発音、表現とも素晴らしく、全てがコントロールされている歌唱は、いっぱいいっぱいで歌っている沢山のオペラ歌手には是非見習ってもらいたいところだ。新人の山下裕賀さんの声も豊かで余裕に溢れ素晴らしい。バスの加藤宏隆さんの声は日本人には珍しく豊かでしかも独特の翳りのあるバスの声。チリ出身のアルヴァロ・サンブラーノも音楽的。
昨日、みなとみらいで二度目の本番をこなし、今日はこの原稿を書き上げてから大阪に行って、フェスティバルホールで3度目の本番。それでは行ってきまーす!
聖フランシスコの生涯を追い掛けて
僕は、自分の洗礼名が聖フランシスコであるにもかかわらず、聖フランシスコのことをどこまで知っているのか、と問われたら、はなはだ心許ない。高校生の頃に、フランコ・ゼッフィレッリ監督の「ブラザーサン・シスタームーン」を映画館に観に行って、めちゃめちゃ感動したことと、桐生市にある聖フランシスコ修道院のブラザーと仲良くなり、数日間泊めてもらって修道士達と生活を共にしたことで、勝手に自分の洗礼名を聖フランシスコに決めただけだ。
聖フランシスコが実際にどんな生涯を送ったのか、知っていたことはいくつかある。映画では描かれていなかったが重要なこととして、晩年(といっても彼は44歳くらいまでしか生きなかったが1181~1182 ?に生まれ、1226没)、イエスが十字架上で負った傷が祈っている最中に彼の体に与えられた(聖痕)、ということがある。でも、そのくらいで、実際、彼が生きていた時、どんなことがあってどんな生活をしていたのかという具体的なことを僕は何も分かってはいなかった。
聖フランシスコの映画
ヨルゲンセンの著書
フランシスコがほんとうのことを知りたがっているのを知った医者は、
「わたしの見立てでは、9月末か10月初めまで生きられます」
と、はっきり答えた。
フランシスコは一瞬黙っていたが―両手を上げて、
「では歓迎します。姉妹死よ!」
といった。
このことばが彼の心の詩の泉を掘り当てたように、彼は太陽の歌にこの最後の節を書き加えた。
Lodato sii mio Signore, | 賛美されますように 私の主よ |
per la nostra sorella morte corporale, | 姉妹である わたしたちの肉体の死によって |
dalla quale nessun essere umano può scappare, | この姉妹から 生きとし生けるものは 誰一人として逃れることはできません |
guai a quelli che moriranno mentre sono in peccato mortale, | 死に至る罪のうちに死ぬ者は なんと不幸なことでしょう |
Beati quelli che troveranno la morte mentre stanno rispettando le tue volontà. | あなたのみ旨を尊びながら 死にあずかる者は なんと幸いなことでしょう |
In questo caso la morte spirituale non procurerà loro alcun male. | その場合 スピリチュアルな死は この人々に何の危害をももたらしません |