マエストロ・キャンプ緊急ご案内
「マエストロ・私をスキーに連れてって」2024年度キャンプの件であるが、今シーズンは、角皆優人君が、キャンプの特別ゲストとして平沢克宗氏というスキー界のレジェンドを招聘して皆様を待っている。けれどその一方で、スキー場に大量のスキー客が戻ってきたことで、宿泊所の確保がとても難しくなっている。
僕の知り合いも、
「いやあ、行きたいんですが、どこも宿がいっぱいで取れないんですよ」
と二の足を踏んでいる。そんな理由でキャンプ参加者の客足がいまひとつ伸びないとしたら残念だ。
そこで、皆さんに、角皆君の奥様の美穂さんから朗報です。宿のことは、白馬観光協会に問い合わせれば、少なくとも当日の宿は必ず確保出来るということだ。なので、キャンプに参加したい方は、とにかく申し込んで下さいとのことです。美穂さんが観光協会とまめに連絡を取り合ってなんとかしてくれると言っている。
もしかしたら、宿の決定が結構直前になってしまうかも知れないけど、「泊まれませんでした」ということだけは起きないと、彼女は断言しています。
なので、宿泊のことは心配しないで、申し込みの時に、
「宿は確保出来ていません」
と書いて、とにかく申し込んで下さい。Aキャンプはもう10日後くらいに迫っているけれど、今からでも大歓迎!待ってま~す!
年末から年始にかけての日々
お嬢様ください
前回の時には書かなかったが、昨年の年末に、我が家にとってはとても嬉しいニュースがあった。まず12月24日のクリスマスイヴは、17時からの立川カトリック教会でのミサの後、家族は妻の車で帰宅した。それから、オーブンで焼いた鶏の丸焼きを中心とした夕食の準備にかかったわけだが、19時になると、次女の杏奈が中村君を連れてやって来た。
その前に杏奈は、東京カテドラルの外部で撮った二人の写真をLINEで送ってきていたが、その写真の意味については、我が家での夕食時に、中村君が僕たち(つまり僕と妻と志保と杏樹)の前で言った。
「カテドラルで僕は杏奈さんにプロポーズしました」
うわっ!来た来た来た~~~~!
「ということで、お嬢様と結婚させて下さい」
「・・・・・」
結構じーんと来た。
杏奈は元来、長女の志保と違ってあまり社交的な方ではないので、メイクアップ・アーティストとしての仕事が軌道に乗って食える状態になるまでも時間が掛かったし、最近まで、近くに男性がいる気配もなかった。
だから親としては、杏奈にはなんとかしあわせな人生を歩んで欲しい・・・杏奈の良さを本当に分かってくれる人が現れて欲しい、といつも願っていたし、実際僕も、お祈りをする時には、必ず心の中でそれを言葉にしていた。
それが急転直下!クリスマスイヴに結婚宣言となった。僕の横で妻もウルウルとなっている。
中村君は、洋服のデザイナー。僕も長女の志保も音楽家となった一家で、杏奈が唯一ビジュアル系のメイクアップ・アーティストになったかと思ったら、さらにデザイナーという、僕なんかの理解の及ばない領域の人を連れてきたので、多少の戸惑いもあるが、彼は見るからに誠実で、真摯に人生を考えて向き合っている青年なので、反対する理由はみじんもない。
それに、話を聞いてみると、ふたりは婚姻届を1月1日に出すというこだわりぶり。市役所に1月1日に書類を持って行くと、留守番の人がいて受け取りだけはしてくれるという。それで書類に不備がなければ、市役所が公に開いてから、1月1日ということで婚姻が公に成立するそうである。知らなかった!
ということで、12月24日にカテドラルでプロポーズをし、その足で我が家に来て結婚宣言をし、1月1日に戸籍上めでたく夫婦になりました。これからは三澤杏奈は中村杏奈になります。いやあ、嬉しい!めでたい!
光と闇とのはざまで
12月26日火曜日は、府中の森芸術劇場ふるさとホールにて、“にもオーケストラ・オイリュトミー・プロジェクト”主催の公演があった。タイトルは「にもかかわらず 生きる~光と闇とのはざまで~」
その最後のプログラムとして、僕は、ドヴォルザーク作曲、交響曲第9番「新世界から」の第1楽章と第2楽章を、ピアノ連弾伴奏で指揮した。このプロジェクトは、最終的には、8月17日土曜日、パルテノン多摩と、8月24日土曜日、愛知県長久手市文化の家 森のホールにて、フル・オーケストラを使っての公演に結晶する。
26日は、舞台下手にピアノの先端だけはみ出た状態で、その袖幕の中で指揮した。この公演だけのためなら、別に僕が指揮しなくとも、ピアニスト達がテンポとか分かっていれば事足りるのだろうが、8月のオケ付きの公演を見据えた場合、僕自身にとってもオイリュトミスト達にとっても、僕が指揮することは必要不可欠なことなのである。
オイリュトミーの伴奏とはいっても、一度オーケストラが曲を演奏し始めたら、オイリュトミスト達の一挙一動に対応するわけにはいかない、というより、音楽そのものが持っている流れや勢いや色彩感などがあるので、むしろ僕はそれに沿って指揮していく必要がある。
とはいえ同時に、僕は僕で、オイリュトミスト達の“気の流れ”を感じながら・・・というより、彼らの“気”に自分の“気”を同化させながら指揮している。つまり僕も、運動そのものはオイリュトミーではなく指揮者の動きなのだが、拍を刻んでいるだけではなく、ある意味オイリュトミーをしているのだ。そして、その動きそのもので、初回のオーケストラ練習から本番まで持って行くつもりなのである。
だから、表面上では、ピアノ伴奏に合わせて指揮しているだけに見えるのだが、僕の内面では、他人からしたら想像できないような様々な事を感じながら対応していて、実にエキサイティングな瞬間の連続だったのである。
公演が終わると、僕には、明日早朝からの白馬行きの準備があるため、皆さんに別れを告げて、そそくさと東府中駅に向かった。するとたちまち満席の聴衆のホールから駅まで向かう帰りの列に紛れ込んでしまった。みんな同方向を向いているので、誰も僕だと気が付かない。
すると、あちらこちらから彼らの声が聞こえてきた。
「凄かったね!いやあ、良かった!」
えっ?あ、そうなんだ。
なるほど。手応えバツグンだった。これでオーケストラになったら、もっとやってやるぜ!8月が楽しみになってきた。
みんなでワイワイ白馬スキー
さて、恒例の年末スキーであるが、12月27日に出発して午後から滑り、3泊4日で30日3時過ぎまで滑って帰って来た。勿論、白馬五竜スキー場。まずは、妻の運転する車に、助手席には僕、後部席には長女の志保とその娘の杏樹、それから杏樹のクラスメイトのAちゃん・・・そしてキウイが乗り込んだ・・・あ、キウイというのは、11月終わりの杏樹の誕生日に、ママの志保からの誕生日プレゼントとして杏樹に与えられた小桜インコの名前である。アフリカを原産地とするやんちゃなインコ。色がキウイに似ているので、そう命名された。
キウイは、最初の内は、車の中の小さな鳥かごに入れられていたが、その内、誰ともなく、
「出しちゃえ!」
キウイと一緒のドライブ
森のおうち
今回の宿であるが、これまで定宿にしていたペンション・カーサビアンカが、先シーズンで閉めてしまったので、八方スキー場の近くのみそら野にある植物誌というコテージを予約していた。ところが12月16日、あろうことか、みそら野地区では、大雨が降って大規模な土砂災害が起こり、植物誌も被害を受けてコテージがクローズされてしまった。
さあ困った!今年は、コロナも過ぎ去ってきてスキー客がゲレンデに殺到してきているので、そもそもどこの宿も一杯なのだ。白馬地区では絶望的なので、大町あたりまで範囲を広げて宿を探したが、見つからない。
そこで、思い切って、以前2度ほど夏に泊まったことのある安曇野の絵本美術館“森のおうち”の敷地内にあるコテージを2部屋予約して泊まることにした。そこから白馬五竜スキー場まで車で1時間以上かかるが、まあ仕方がないし、“森のおうち”が快適なのは知っているので、迷いはなかった。
森のおうち
角皆君のレッスン
28日29日の2日間は、ふたりの子供は白馬五竜スキー・スクールのキッズ・クラスに午前午後と放り込んだ。五竜スキー・スクールでは初級から上級までABCDと段階があり、その先にスーパーという特別なクラスがある。
Aちゃんは、最初Bクラスに入れたが、たちまち上達してCクラスに進んだ。杏樹は、先シーズンの終わりに「次はスーパー」というところまで行ったが、シーズン初滑りなのでDから入った。そしてすぐにスーパーに進んだ。
スーパーって、杏樹の話によると結構ガチなんだ。一緒に受講している中にはジュニア1級の資格を持っている子もいて、
「自慢しているんだよ。ヤな感じ」
と杏樹は言っていたくらいだから、みんな上手なんだろう。
実際、杏樹の話によると、モーグル用のコブ斜面にもどんどん行くし、29日の午後のレッスンの終わりには、とおみゲレンデの左にそびえるチャンピオン・エキスパート・コースのコブ斜面を降りて来たという。
一方僕は、志保と杏奈と一緒に、28日の午前中だけ角皆優人君のレッスンを受けた。シーズン初めには必ず基礎的なレッスンをしてもらう。緩斜面の“いいもりゲレンデ”で自分のフォームや重心移動を確認するユルーいレッスンだが、こういうのが大事なんだ。いろいろ忘れているからね。
その日の午後になって、例の中村君も合流した。彼は、小学校の頃は両親に連れられて結構スキーに行っていたみたいだけれど、その後はほとんどやっていないというので、29日の午前中だけ、ちょっと僕が彼の滑りを見てやった。きれいなプルーク・ボーゲンだったので、ボーゲンでターンした後、真っ直ぐな斜滑降の時に板を揃えることを教えてやったら、それだけで随分上手になったように見えた。
28日の午後
小林家と合流
30日には、先日、ピアノ連弾でドヴォルザーク作曲「新世界交響曲」の公演を行った“にもオーケストラ・オイリュトミー・プロジェクト”の総合芸術監督である小林裕子さんの家族が合流して、さらにワイワイ度が増した。
裕子さんの娘さんのKちゃんは、杏樹が通っているシュタイナー学校のクラスメート。その縁もあって、僕が今年8月のオーケストラでのオイリュトミー公演を指揮することになったのだ。僕は知らなかったのだけれど、裕子さんのご主人は、なんとSAJの1級取得者で、この時期白馬に来ていると聞いて、いつもは八方スキー場で滑っているらしいけれど、
「五竜においでよ!」
と言ったら来たので、30日の最終日はますます賑やかになった。一同は、ゴンドラでアルプス平まで登り、そのまま47(フォーティーセブン)に移って、ルート8という初級コースに入っていった。
仲良し3人組のスキー
災難続きの年始
そんなこんなで、30日の夜に国立の家に着いて寝たと思ったら、もう大晦日になっていて、さらに、あっという間にお正月となった。1月1日は、午後から妻のお母さんの家(群馬)にみんなで行って2日に帰って来た。
関越自動車道を走っていて、もうすぐ着くぞという時に、妻の運転する車の車内のあちらこちらから緊急地震速報の知らせが鳴った。なんだなんだ!と思って知らせの出所である携帯電話を取りだしてみたら、能登半島のあたりがどうやら大変な事になっているようだ。
それから日を追う毎に災害の実像が露わになってきた。その事については、心からお見舞いを申し上げます。
さらに1月2日には、羽田空港でJALの旅客機が海上保安庁の航空機と接触する事件が起きた。幸いJALの乗客は、衝突炎上からわずか18分の間に全員無事脱出できたという。それについては、国内よりもむしろ外国から沢山の賛辞が寄せられていて、冷静なキャビンアテンダントと乗客の連携がもたらした日本ならではの奇跡的結果だと高く評価されている。
その一方で、海保機については、乗員6人の内、機長を除く5人全員死亡という痛ましい結果になっている。しかもこの飛行機は、今回の能登半島地震に対応して、新潟航空基地に物資を運ぶなどの任務を負っていて、事故発生24時間前から、年始で混雑する羽田空港で民間機の発着の間を縫って、すでに複数回緊急フライトを行っていたというので、ますます気の毒である。
にもかかわらず、ニュースなどを見る限り、事故の原因として、どうも海保機の機長に分が悪いように思われる。
たったひとり生き残った機長は、聴き取りに対して、
「管制官から離陸許可が出たので滑走路に入った」
と言っているが、管制官側では、滑走路の手前までは行って良いという指示は出しても、滑走路内に進入して離陸して良いとは言っていないと主張する。
ということで、現時点では、機長が誤解して滑走路に進入してしまったというのが事故原因だとされかかっているが、どうも僕には納得がいかない・・・・と思っていたら、Youtubeのあるサイトで、驚くような事を述べている人がいた!
管制官から離陸許可が出たと機長が思ってしまったのは、滑走路の手前にあるストップバーライト(停止線灯)が消えていたせいだというのである。停止線灯は、滑走路にまだ出てはいけない状態では点灯しており、それが解除になった時点で消えるという。ただその時には、“その停止線灯はメンテナンス中で運用を停止していた”というのである。
一方、Youtubeサイトの人は主張する。横から滑走路に向かった海保機は、回転して滑走路前に着いたが、その時点で、停止線灯が“消えて”いたのを確認したため、“それまで点灯していたのが消えた=Goサイン”だと思って滑走路内に進入した可能性を示唆していた。しかも管制官からは「ナンバーワン」つまり「第1番目の離陸」という指示が与えられていたので、なおさら、
「今度だ!」
と思っていたに違いない。その件については、一応、次のサイトでも触れられている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a536f914e01a5ec6778487a59198dde065f2a8d
しかしながら、これもひとつの可能性かも知れない。それより、僕のような素人が考えるに、これから離陸しようとしている滑走路に、後ろから着陸してくる飛行機があるということの方が驚きだった。そこまで過密なのかとも思った。
ともあれ、能登半島地震の全ての犠牲者、それから海保機の5名の犠牲者に心から哀悼の意を表します。
仕事始め
さて、正月の初仕事は、1月6日のアッシジ祝祭合唱団の練習だ。「3つのイタリア語の祈り」と「創造主への賛歌Cantico delle Creature」を練習したが、みんな良く集まって来て、特に女声の声が素晴らしく、それを支える男声も土台をしっかり固めていて、親の欲目なんかじゃなく、普通に考えて良い合唱団だ。次の週から、いよいよ「平和のためのミサ曲Missa pro Pace」の音取りから始まる。
みなさん、このアッシジ演奏旅行は、素晴らしいものになりますよ!興味のある方は今からでも参加してください。これからは毎週土曜日10時から13時まで練習しています。地下鉄南北線の東大前駅を降りて向かい側のエレベーターに乗って地上に出たら、すぐ左を向いて、東大YMCAの二階で練習していますから、フラッと訪れてボーッと見学もアリです。
次の1月7日日曜日も、なんとまたまた同じ東大YMCAで練習した。午後から東大アカデミカ・コールの練習と、その後は新年飲み会。来週1月14日には、現役のコール・アカデミーの定期演奏会で、1部だけOB現役合同のステージがあって、銀色夏生作詞、上田真樹作曲の男声合唱組曲「終わりのない歌」という若者向きの曲を指揮する。
曲を与えられた時、もうすぐ69歳になる僕が、こんな恋愛の歌を指揮するのか、とも思ったけど、取り組んでみたら、結構ノスタルジックな感傷が僕を包み込み、今更ながら胸キュンとなっています。
明日は雪山
さて、雪の少ないこの冬のゲレンデだが、これを書いている今頃、信州あたりの雪山は雪が降り積もっていることだろう。明日は、早朝から出掛けて、ガーラ湯沢に行ってきます。
孫の杏樹の学校が10日水曜日からなので、今回は杏樹も連れていって、彼女をジュニア・スキースクールのオオカミ・クラスに放り込んで、その間思う存分滑りまくる。それから午後は一緒に滑ろう!いやあ、もうコブなんかは抜かされているような気がする。
彼女は、今年はジュニア検定を受けて級を狙おうとしているので、応援してあげたい。何でもいいから、人生得意なものを持っていると、自信もつくし、それが人生を助け、豊かにしてくれるに違いないと思いながら、孫の成長を目を細めて見守っているジジ馬鹿の「今日この頃」です!
2024.1.8