お腹の休息期間

三澤洋史 

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お腹の休息期間
 先週、「今日この頃」の原稿が1日遅れて、1月23日火曜日にコンシェルジュに提出した。だから僕の更新を楽しみにしてくれていた皆さんには申し訳ないことをしたが、これには訳があった。

 「マエストロ、私をスキーに連れてって2024」Aキャンプが無事終わって東京に帰って来た晩、孫娘の杏樹が突然嘔吐し、一晩中吐き続けた。一緒に寝ていた長女の志保などは、杏樹の汚物をまともに顔で受けたりして大変だったと聞くが、その後、その志保をはじめとして、妻も僕も胃腸の具合が芳しくなく、しかもそれが何日も続いたのである。

 角皆優人(つのかい まさひと)君にメールを書いたら、彼曰く、彼のF-Style事務所でも、インストラクター達の体調が良くなかったし、そもそも白馬地域の小学校では、胃腸系のインフルエンザが大流行していて、あっちこっちで学級閉鎖に追い込まれていたというのだ。それを杏樹が白馬でもらってきたのか・・・どこから?トイレかな?レストランかな?とにかく彼女は月曜日火曜日と2日間学校を休んで寝ていた。

 僕個人のことを言えば、22日月曜日は、朝ご飯は一応ちゃんと食べて、午前中、「今日この頃」の原稿を書き始めたが、だんだん胃がムカムカし始めてきた。午後から二期会「タンホイザー」の合唱音楽稽古があるし、実はその前に、歌手のオーディションをひとりしなければならない。
 だから原稿を中断して、出るモノは出しちゃえと思って、自分で喉に手を突っ込んで、オエッ、オエッとやったが、朝ご飯はすでに消化して腸に行っちゃったのだろう。なにも出てこなかった。
 で、そのままその日は、お昼も夕飯も食べる気しなくて、つまり絶食状態、ファスティング。午後の二期会「タンホイザー」練習は、気が張っているので無事終えて家に帰って来たら、もうベッドにもぐり込んでそのまま起きられない。
「ああ、原稿・・・」
と思ったけれど、それどころではなかった。気持ちの悪いのは収まったけれど、食欲が全くないし体から力が出てこない。

 その日、杏樹は医者に行ったが、先生は別に特別な反応を示さなかったみたいで(というか、よく分かっていなかったんだろう)、熱があったので解熱剤をもらい、あとはお決まりの抗生物質と漢方のお薬をもらって帰って来た。それらの薬は効いたんだか効かなかったんだか、未だによく分からない。そういうことって世の中いっぱいあるよね。

 次の日すなわち23日火曜日は、幸運なことに一日オフだったので、とにかく寝まくった・・・・というより、起きれなかった。泥のように眠れた。なんでなんだろうな。マエストロ・キャンプで疲れたはずはない。平沢克宗さんの「楽で疲れないスキー」をやってきたのだから、いつもよりずっと楽だったのだ。
 妻も体調不良。杏樹も学校を休んでいて、午前中はみんなで布団の中でウニウニ・・・・。一体、どゆこと?
 
 勿論、日を追う毎に、少しずつ回復してきたんだけど、回復が驚くほど遅かった。妻もそう。お肉とか全然食べたくなくて、家でも消化の良いものをみんなで食べていた。二期会「タンホイザー」の合唱音楽稽古が毎日1時半からだったので、お昼はどうしても外食しないと間に合わなかったが、“やよい軒”には大変お世話になった。サバの味噌煮定食とかね。
 その前の週のお昼が、スキー・キャンプに備えて、“ペッパーランチ”なんかに入って、さらにおろしニンニクを死ぬほどかけて食べていたのとは大違いだ!

 1月27日土曜日午前中は、東京バロック・スコラーズの「マタイ受難曲」の練習。不思議と、練習に入ると元気になるんだよね。まあ、これが音楽家の習性なんだろうね。その後、入ったのが丸亀製麺。かけうどんの並。お腹が弱くなると、こうした店があることが有り難く感じられてくるね。でも、気が付いてみると、イカ天とちくわ天が皿の上に乗っている。
 ということで、本人気付いていないだけで、実は、体はいつしか元気になっていると思うんだけれど、じゃあ、ガッツリお肉行きますか?というと、全然食べたいと思わないんだ。
 きっと、
「この辺で一度体を休ませなさい」
という、神様からのお達しなのかも知れないと思って、流れには逆らわないようにした。

 昨日、すなわち1月28日日曜日は、浜松バッハ研究会の練習に行った。お昼はね、どうしても鰻を食べたくて、駅のすぐ横の“浜名湖うなぎまる浜”というお店に入った。うな重『松』が鰻1匹でちょうど良い。駅前の八百徳(やおとく)のお櫃(ひつ)鰻茶漬けも大好きだけれど、鰻そのものを味わうならば、僕は断然ここがお薦め。つまり、今風に言うと“押しのお店”です。
 うなぎは、栄養がある割にはお腹に優しいんだね。胃に負担がかからなくて、しかも午後のバッハ研究会の練習の最中にどんどん元気になってきて、
「やっぱ人生うなぎだね!」
と、あらためて確信を持った。

 画期的なことがある。実はあれからお酒を一滴も飲んでない!どうせだから、これを機会に禁酒に踏み切ろうとも考えているのだけれど・・・しかしなあ・・・お酒がなくて何の人生!・・・とも思うんだよね。とにかく、ビールの缶をプシュッと一度でも開けたら、全てが振り出しに戻り、元の木阿弥になるのは目に見えているんだ。

 ということで、お腹も治ってきて、昨日の鰻で体力もついて、さあ、今晩からまたお酒も再開かな・・・・うんにゃ!ダメダメダメ!それより、この間に健康診断に行けばいいんじゃない。とにかく、今週からは、通常運転に戻ります。今週から「タンホイザー」は立ち稽古に入るしね。

 2月1日木曜日には、またまたガーラ湯沢に行ってきます。というか、最寄り駅はガーラ湯沢だけれど、今回は共通三山コースで申し込んだから、ガーラ湯沢の他に、石打丸山スキー場と湯沢高原スキー場にも行けます。ガーラそのものも、やっと南エリアも開いたようなので、そろそろガッツリ肉なんかも食べ始めて、充分体力を蓄えてスキーに臨もうと思っている「今日この頃」です!

 と書いていたら、突然、杏樹の学校から連絡があって、熱が出て早退する児童が続出したため、杏樹のクラスが学級閉鎖になって、なるべく早く迎えに来て欲しいとのこと。少なくとも、明日の授業はお休み。いやはや・・・。

2024.1.29



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