アクセル・コーバーの「タンホイザー」

三澤洋史 

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小澤征爾氏の訃報に接して
 小澤征爾さんが亡くなった。その訃報に接して、様々な想いが胸の中を駆け巡っている。すぐに何か書こうとも思ったが、ここであわてて書いても仕方ないので、時間を掛けて自分の想いを整理し、いずれ書いてみるつもりだ。

 僕が指揮者になろうと思った頃は、斎藤秀雄氏の提唱するサイトウ・メソード全盛期の頃。第一弟子の小澤さんを筆頭に、秋山和慶さん、井上道義さんや尾高忠明さんなど、サイトウ・メソードを通らなければ指揮者にはなれないという常識が幅を利かせていた時代。そうした中で、僕はあえて真逆とも思われる山田一雄先生の門を叩き、どちらかというとアンチ・サイトウ・メソードを通してきたのだ。

 僕も一度だけ、小澤さんが指揮するヘネシー・オペラで「さまよえるオランダ人」の副指揮者として間近で働いたことがある。言いたい事はひとつだけ。サイトウ・メソードが偉大だったかどうかではなく、小澤さん個人が偉大だったからあそこまで行けたということなんだろうな。
 もうここまできたら、サイトウ・メソードがどうとか、こだわったり悩んだりしたことは、あんまり意味を成さないな。サイトウ・メソードと小澤さんとをゴッチャにして小澤さんに批判的だった自分をこの辺で整理しなければ。

 とにかく今日は、
「心から冥福を祈ります」
と気持ちを送ることで許してください。また書きます。
 

アクセル・コーバーの「タンホイザー」
 二期会「タンホイザー」の立ち稽古が進んでいる。2月7日水曜日の晩、マエストロであるアクセル・コーバー氏の合唱音楽稽古が行われた。会うなり、僕たちはduで呼び合う仲となったが、アクセルという名前を持つ人に出遭ったのは初めてなので、呼ぶ度にちょっとしたとまどいを感じる。

 アクセルの指揮は明快で、少しの曖昧さもない。「タンホイザー」という初期の作品ということもあって、キビキビとしたテンポ感が心地よい。彼は、僕が作り込んだ子音の入れ方(例えばfreudigのfrを拍より前に出してしっかり巻き舌をする)や、erなどのドイツ語の語尾の発音の仕方(例えばwiederを、時に応じてヴィーダルと巻かせたりヴィーダーと言いっぱなしにするその案配)を大いに気に入ってくれて、初日から僕たちは強い信頼関係で結ばれた。
 また、第1幕及び第3幕のふたつの巡礼の合唱では、両端のpの音色と、舞台上でのfの音色にも賛同の気持ちを示してくれたし、僕は僕で自分の音楽的意向もあるので、細かいニュアンスに至るまでこちらからアクセルに説明し、双方の合意の元に、目下の所、立ち稽古も順調に進んでいる。

 2月15日木曜日からいよいよ「通し稽古」に入り、28日の公演初日まで一気に進んで行くが、素晴らしい公演になるのは必至で、今からとても楽しみである。

レナートとの楽しい食事
 2月6日火曜日。新国立劇場で14時から「トリスタンとイゾルデ」の合唱音楽稽古を行った後、夜、「ドン・パスクワーレ」公演の指揮者として来日しているレナート・バルサドンナが泊まっている西新宿の短期契約マンションまで迎えに行った。実は、このマンションから、二期会「タンホイザー」が立ち稽古を行っている芸能花伝舎まで目と鼻の先であった。僕たちは会って互いにハグをすると、二人で新宿三井ビルまで散歩して、そこのB1にある博多華味鳥というお店に入った。

 何故そこかというと、特に理由もないし、自分もそれまで入ったことがなかったのだが、あまり高級な店に行くと、自然な日本とかけ離れてしまうのが嫌だし、かといってお客がごった返すような焼き鳥屋などだと、落ち着いて話ができないので、その中間で、水炊き&鳥料理を静かな環境でゆったり食べられそうなお店を、新宿駅から芸能花伝舎に通う道々で見ながら選んだ。
 これが大正解だった。コースで頼んだのだが、お通しから彼はその盛り付け方にびっくりして、それから寄せ豆腐、唐揚げ、鳥もも肉の炙り焼きと、次々にやって来る料理に目を輝かせ、メインの水たき鍋とその後の雑炊に至るまで、食べて食べて食べ続けた。

 勿論、食べるだけでなく、積もる話も尽きることはなかった。それに、僕は一杯目には生ビールを飲んだけれど、レナートは、
「せっかく日本にいるので、何か珍しい飲み物はないか?」
と訪ねるので、僕は、
「自分は、最近自宅では、ビールの250mlを一缶飲んだあとは焼酎に切り替える」
「サケ(酒)は?」
「お酒やワインはカロリーがあるので普段は飲まない。焼酎はウィスキーやグラッパのように蒸留酒だからね」
と言った。すると、
「よく分からないけれど、そのショーチューっていうのをもらおうか」
と言う。
「麦と芋とあるけど、どっちがいい?」
というと、
「やっぱり麦だろう」

 まあ、そうだろうな。ウィスキーにしたって麦だし、グラッパは葡萄だけど、芋からお酒という発想はないよね。というので麦焼酎ソーダ割りを頼んでやった。
「う~ん・・・悪くないけど、ちょっと苦いな」
というから、
「あのさレナート、次に瞞されたと思って芋焼酎飲んでごらんよ」
 すると芋焼酎のソーダ割りを飲んで、
「う・・・うまい!甘くてうまい・・・これは最高!」
と顔をほころばせて喜んでいる。さらに、
「これはどうかな?」
とレモン酎ハイを頼んでやったら、またまた喜んだ。
「おいヒロ、焼酎を酒屋で買って部屋で毎日飲みたいけど、どうするんだ?」
と言うから、
「そうだなあ、Shochu of Sweet Potatoと言えば買えるよ。ソーダを買って氷と混ぜればいい。レモンを搾ってもいい」
「分かった。日本にいる間、毎晩焼酎を飲むぞ!」
と言った。
 
 それからいろいろな話をした。僕のバイロイト日記によれば、1999年の練習期間中に奥さんに子供が生まれるというのでブリュッセルに帰って行ったと記されているが、その奥さんとはその後離婚して、その時生まれた息子さんは、現在イタリアでレナートの両親の元にいるそうだ。
 また、彼はバイロイトで僕と仕事した後すぐに、ブリュッセルのモネ劇場合唱指揮者から、ロンドンの(コヴェントガーデン)ロイヤルオペラの合唱指揮者に移って2016年まで務めていたが、合唱指揮者ではなく指揮者になりたくて、フリーとなって世界中を旅しているという。でも時々コヴェントガーデンから頼まれて合唱指揮者もやるそうだ。そして、そろそろどこかの劇場に音楽監督として落ち着けたらいいなあと考えていると言う。

 彼が自分のCDをくれたので、お返しに僕は10日土曜日の「ドン・パスクワーレ」公演の前に劇場に行って、自分の「ドイツ・レクィエム」とバッハ作曲「モテット集」のCDをあげた。
 レナートとの交友は、どう考えてもこれで終わりそうにない。彼は、指揮者の中ではやや内向的だが、本当に良い奴だ。
 

かぐらスキー場を満喫
 アクセル・コーバーの「タンホイザー」音楽稽古があった2月7日水曜日と、9日金曜日のマエストロが入った立ち稽古の間に1日だけ休日があったので、2月8日木曜日。僕は“かぐらスキー場”に行った。

 このスキー場は広大で、みつまたエリア、かぐらエリア、そして田代エリアの3つのスキー場が合わさってKAGURAとなっている。図 かぐらスキー場の三つのエリア全体地図バス停も“かぐら三俣”と“田代”との2個所からスキー場にアクセスする。
 というか、そもそもこれらのスキー場は、さらに奥にある“苗場スキー場”と合わせて全部がプリンスホテルの管轄で、田代スキー場からは、巨大なドラゴンドラで苗場とつながっていて、ひとつの巨大なスキー場とくくることもできる。
 とはいえ、実際にかぐらと苗場を1日で行き来きして楽しむには距離が長すぎて、あまり現実的ではないとは思う。苗場のプリンスホテルに何泊かして、広大なゲレンデを端から端まで味わい尽くす贅沢ができる人にとっては、それはそれで素敵な事だろうと思うけれど・・・。

レトロな乗り合いバス
 かぐらスキー場に新幹線でアクセスする人は、越後湯沢駅から“みつまたステーション”までバスで15分くらいかけて行く。新幹線を降りると改札を通ってバス停までみんな急ぎ足で行くので焦るし、バス停に着くと、もう長蛇の列なのでさらに焦るが、混雑具合を見ながら臨時バスを出してくれるので、乗り損なうことはない。

 しかし、この南越後観光バスはなかなかレトロで、SUICAのような交通系カードを一切受け入れてくれない。だから財布に小銭を用意しておかないといけない。シーズンが変わる度に微妙に運賃も変わるので、運行する間に前方の料金表が上がっていくのをドキドキしながら眺めるし、満員なので降り損なったら大変と心配するが、なあに、その必要はない。
 “みつまたステーション”では、みんな列を成して「カトン!カトン!」と音を立てながら両替機から落ちるコインをのんびりと拾って数えて、必要な分だけ運賃箱に入れて降りて行くので、焦る必要はない。それより、そんな感じだから、この停留所だけとっても時間が掛かるのだ。

QRコードになったけれど・・・
 今回、JRSKISKIのリフト券付き新幹線割引のシステムが変わって、携帯電話に送られてきたメールの中のQRコードでリフト券をゲットすることとなった。それに対応して、例えばガーラ湯沢では、リフト券売り場の横にQRコードを読み取る機械が何台も出来たし、リフト券そのものも電子読み取りのタイプになったので、かぐらスキー場も、いよいよモダン化が進んだのかと思ってリフト券売り場に行った。

 しかし、あたりにQRコードを読み取る機械は見当たらない。仕方なく窓口に行ってお姉さんに話しかけた。すると、
「はい!」
と明るく答えながら、僕の携帯を取り上げて、窓口の向こう側の彼女の手元にある小さい機器で読み取って、それから笑顔で、別の所から「紙に大きく2月8日と書いた」従来通りのリフト券を取り出してくれた。
「え?ちょっと待てよ。これってさあ、電子カードじゃなくって、リフトに乗る度におじさんに見せるアレだよね・・・ということは上着の中には入れられないのでホルダーが必要なんだよね。あらら・・・持ってこなかったよ・・・」
ふたたびお姉さんの方に向き直って、
「あのう・・・リフト券ホルダーってありますか?」
「はい。200円頂きます!」
って、またまた明るく言われた。


リフト券ホルダー

なかなか着かない“かぐらエリア”
 で“みつまたロープウェイ”に乗って山頂駅に着くと、そこが“みつまたエリア”で、そこからまず“みつまた第1高速リフト”に乗らないと何も始まらない。みつまたエリアにも少なくとも長いゲレンデがふたつあるが、大部分の人たちは“かぐらエリア”を目指しているので、リフトを降りると、とにかく“かぐらゴンドラ”の方向に急いで滑り降りて行く。


長~いかぐらゴンドラ

 で、この“かぐらゴンドラ”ときたら、な、なんと!乗っているだけで10分くらい掛かるから、じれったくて仕方がない。それでようやく“かぐらエリア”に到着というわけだ。ふうっ、バスを降りてからどんだけ時間が掛かっているのだ?だから、新幹線直結の“ガーラ湯沢”とかにみんな行くの分かるよなあ・・・。便利だものなあ・・・。


かぐらコースマップ(画像クリックで拡大表示)

 さて、昨年までは、僕はずっと“かぐらエリア”だけで滑っていた。特にジャイアントコースと呼ばれる非圧雪コースを降り切っては“かぐら第1高速リフト”に乗ることを果てしなく繰り返して“コソ練”に明け暮れていた。昨年のシーズン終わり際では、誰かが易しいコブを上から下まで作ってくれていたので、落ち着いて練習できたので、かなりコブが上達した。


かぐら側からの田代湖

 今回は、直前に新雪が降ったので、コブは消えていて、ただの荒れた新雪地帯になっていた。それはそれで、盛り上がったところでジャンプしたりして、楽しかった。でも午前中は、そこを1回通って状態を確認しただけで、午後にもう一度来ようと思った。何故なら、まだ行ってないところがあったから。

初めての“田代エリア”
 つまり僕は、これまで一度も“田代エリア”に入っていなかったのだ。広さで言えば、“かぐらエリア”よりもずっと大きいのに、全体になだらかなゲレンデが多くて、あまり征服欲を刺激しないのと、一度入り込んだらなかなか戻って来られなそうな気がして、ただ“かぐらエリア”だけに留まっていたのだ。
 それで、その日は“かぐら第1高速リフト”の頂上から勇気を出して、ついに“田代エリア”に飛び込んで行きました!


田代側からの田代湖

 で、結果的に言うと・・・とっても楽しかった!本当に広大で滑るところがいっぱいあって、それに、非圧雪でかなり険しいところも少なからずあって、ボードの人たちが新雪にハマってバタバタと軒並み転んでしまうのを涼しい顔で「お先にい~!」と追い越し、征服欲も満たされたよ。人も少ないし、どこからでも美しい田代湖が見えていて、午前中一杯かなり満喫した。

 唯一の難点は食事。


これで1600円

ゲレンデの途中にあるレストラン・アリエスカというところに入ったけれど、見ての通りショボい唐揚げ定食がなんと1600円!しかもマズい!おいしくないんじゃなくて積極的にマズい!ドリンクバーが500円で、昼食2100円。
 思うんだけど、ここだけじゃなくて、最近、スキー場のレストランの食事って高くない?しかも、その値段に合うクォリティならば、まだ許せるけれど・・・なんだか外国人も沢山入ってきて、足下見てるんだか何だか知らないけれど・・・いい加減にせい!って言いたくなるよね。まわりの唐揚げを食べている人たちもまずそうな顔をして食べていた。
 あのね、石打丸山スキー場の中腹にある昔ながらの店や、このかぐらスキー場でも“和田小屋”のような店は、そんなことないんだよ。ああっ!和田小屋にしておけばよかったよ。

 お昼を食べてからまた“かぐらエリア”に戻ってきたが、予想していた通り、リフトを上まで登っては左側に降りて、一本一本だんだん戻って行かないと辿り着かないんだな。その後は再びジャイアントコースでコソ練をしたが、何故かその日は“修行”とか“瞑想”とかという感じではなく、なんかのほほんとした楽しいスキーの一日でした。

今週は苗場スキー場、その後スキー熱封印
 で、田代まで行ったら、次は苗場に行きたくなってきたので、今度の2月14日水曜日のオフ日は苗場スキー場に行くことにした。越後湯沢から同じバスで“みつまたステーション”や“田代”を越して、かなり奥に行かないと着かないし、帰りのバスも午後は本数が少ないので、う~ん・・・どうしよっかな、とも思ったが、昔、スキーを再開した直後、つまり今よりずっと下手な時期に一度行った時は、“険しいスキー場”という印象だったけれども、その印象を塗り替えてみたい気もあるので、行ってきまーす!

 で、今週行ったら、二期会「タンホイザー」及び新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」が佳境に入るため、3月9日、10日の「マエストロ、私をスキーに連れてって」Bキャンプまで、スキー熱は封印しなければならないんだ。

2024.2.12



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