「マエストロ、私をスキーに連れてって」Bキャンプ無事終了

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

伊藤貴之さんのマルケ王
 いつもだったら、「今日この頃」の原稿は、月曜日の午前中に仕上げてコンシェルジュに送って、午後からの仕事に出掛けるのが普通だが、今、この章は、3月11日の夜に書いている。
 というのは、今日の午後は、新国立劇場で「トリスタンとイゾルデ」のゲネプロ(総稽古)なので、何か新しいことがあるかなと思って送らないでおいたのだ。

伊藤貴之さんカヴァーで投入
 すると、僕の予感通り、ちょっとした異変が起きていた。劇場に着くと、マルケ王のヴィルヘルム・シュヴィングハマーの声の調子が万全でないため、代わりにカヴァーの伊藤貴之さんが歌うという知らせをもらったのだ。。
「おお!2年前に僕の指揮で歌ってくれた伊藤貴之さんが、大野和士指揮、東京都交響楽団をバックに歌うのか。楽しみだな!」
と思った。

男声合唱は1幕でおしまい
 「トリスタンとイゾルデ」の合唱は男声合唱で、しかも第1幕だけ。通常は、少なくとも前半のクルヴェナールと共に歌う合唱場面は表に出てくるのだが、デイヴィッド・マクヴィカー演出では、助演がそれを演じ、合唱団は全て裏歌なので衣装もなし。
 今日はもうゲネプロなので、第3幕終了後、返し稽古もないから、合唱団は、第1幕ラストのKornwall Heil !(コーンウォール、万歳)という歌詞の長いソの音を、6人のバンダ・トランペットを伴って歌い終わったら、もう家に帰れるのだ。前回の公演では、この合唱を、上着を着てカバンを持ったまま歌っている団員もいた(笑)。

伊藤さん歌い始める
 僕も、カーテンコールに出ないため、労働義務としては彼らと一緒に帰れる。だが今日は、伊藤さんのマルケ王を聴くために残っていた。第2幕でトリスタンとイゾルデの夜の逢い引きが、マルケ王の家臣一同の目にさらされる。イゾルデの夫となるはずであったマルケ王が静かに前に出る。

Sieh' ihn dort, 見るがいい、そこにいる彼を、
den treu'sten aller Treuen; 忠実な家臣達の中でも最も忠実だった者を、
blick' auf ihn, 彼に目を向けよ
den freundlichsten der Freunde; 友の中でも最も友情溢れた友を・・・

 伊藤さんの歌唱は、冒頭から僕の胸を強く打った。とがめるのではなく、心の内からしみじみと出てくる「何故?」という疑問。怒るのではなく、むしろあっけにとられ、いまだに信じられない想いから、歌い進む内に、自分に向けられた仕打ちに、怒りを通って落胆と絶望に沈んでいくマルケ王の赤裸々な姿を、伊藤さんは全身で表現している。

伊藤さんマルケ王の誕生秘話
 伊藤貴之さんは、藤原歌劇団出身で、ある時僕が新国立劇場で彼の声を聴いて、
「決めた!今度のマルケ王は彼以外にいない!」
と即座に思って、
「今度、名古屋でトリスタンをやるんだけど、マルケ王を歌ってくれない?」
と声を掛けたが、即座に断られた。
「あのう・・自分は、これまでイタリア・オペラばかり歌ってきて、ドイツ語は全く駄目なんです。悪いけど、他を当たってください!」
と言うのを僕は押しとどめて、
「ちょ・・・ちょっと待って下さい。伊藤さん、あなたは絶対マルケ王に向いてます。ドイツ語は最初から教えるし、何度だって稽古をつけるから、瞞されたと思って受けてくださいよ。なんなら稽古して、それでも無理だと思ったら、その時断ってくれても良いから!」
と、どこまでも食い下がって、こうなりゃ、我慢大会だい!という感じで、押しの一手で強引にうんと言わせたのだ。
 でもね、始まってみたら、元々頭の良い人で、しかもとても真面目で、ガッツリ向かい合ってくれた。何度も稽古して、ドイツ語の発音から始まって表現方法のひとつひとつを、口移しという感じで教えていったが、ある時から、彼自身から彼が感じたままの表現が出てきたのだ。
 それで愛知祝祭管弦楽団のマルケ王が素晴らしかったのは勿論だけれど、それがきっかけで、こうして新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」のカヴァーで入り、大舞台で彼の歌が聴けるとは、運命の不思議を感じると共に、ちょっと誇らしい気持ちもある。そしてさらに、今日の伊藤さんが、あれからまた進化していたのがとっても嬉しい!

 終わってから楽屋の廊下で会った。
「伊藤さん!素晴らしかったじゃないか!」
と言った後、余計かも知れないとは思ったが、ひとことだけ忠告した。
「Da kinderlosのところね、勇気出して、もっと小さく歌ってもいいよ。ほとんど聞こえなくても良いと思って・・・でもね、聴衆が集中しているから、絶対に聞こえるから・・・それを信じて・・・」
「分かりました」
 Da kinderlosのくだりは、マルケ王の独白の中で、先妻が子供なしで先立たれた時、彼はもう二度と妻をめとることはあるまいと思ったという歌詞の個所。それが、トリスタンの導きでイゾルデを知り、新たな恋心がこの老いたる王に目覚めたわけである。そんな気持ちにさせておきながら、何故お前は私の目の前でそのイゾルデを取ってみせるのか?という怒りに至る長い道のりのきっかけとなる最も沈んだ場所だ。ここで聴衆をどう惹き付けられるかが勝負なのである。

 ただね・・・この僕の忠告と伊藤さんの真剣な返事は、よく考えるとおかしいんだ。何故かというと、シュヴィングハマーの調子が戻ったら、初日以降、伊藤さんのマルケ王が聴衆の前で響くことはないんだから。
 バイロイト音楽祭の常連でもあるシュヴィングハマーの歌を聴衆に聴いてもらいたい気持ちもある一方で、伊藤さんのマルケ王を一人でも多くの人に聴いてもらいたいなあ・・・しょうがねえから、いつかもう一回名古屋でトリスタンやるかあ・・・伊藤さんのマルケ王を誰よりも僕が一番聴きたいから!
 

「マエストロ、私をスキーに連れてって」Bキャンプ無事終了

3月8日金曜日
変な天気のプレキャンプ

 一日に上り下りの一本ずつしかない、新宿から白馬までの直行の特急あずさ5号に、立川から8時24分に乗ると11時42分に白馬駅に着く。あたりにはおびただしい数の外国人が、大きなスーツケースを抱えたまま、あちこちから降りてくる。
 そこは雪国とは思えないほどポカポカと暖かく、陽ざしも明るく、まるで5月の連休近くのよう。改札を出ると、今日から2泊するペンション「あるむ」のマスターが車で迎えに出てくれた。
「変な天気ですねえ」
「2月に暖かい日があって、一度雪がみんな解けてしまいましたが、その後まとまった降雪があってなんとか持ってます。でも、これではまた解けてしまいますよね」

 今回のBキャンプの正式参加者は、大人が10名、未成年が4名。大人には若者はいなくて、シニアの占める割合が大きい。その中から二組の夫婦プラス1名がプレキャンプに参加してくれた。プレキャンプの指導は角皆優人君の奥さんの美穂さんだが、角皆君が一緒にいて、時々美穂さんにダメ出しをしているのが笑える。いやいや、美穂さん単独でも立派に指導できているのですよ。

 この日は、プルークボーゲンから始まり、本当に基礎的な練習に終始した。スキーってね、この基礎的なことが、どんな上級者でもそのまま当てはまるんだ。それに、その基礎的な要素が徹底的にマスターされていないと、上級者になってから、その抜けている要素に必ず仕返しをされることも事実だ。
 みなさん、プルークボーゲンって、パラレル・ターンに行く前の、単なる入門の過程くらいに思っていませんか?パラレル・ターンに行ったら、もう二度と戻らない一過性の滑り方にしか思っていませんか?
 全然違いますよ。毎年、僕は年末になると白馬で初滑りをしているが、その際、角皆君に個人レッスンをお願いしている。その最初は、必ずプルーク・ボーゲンだ。そこでゆっくりな速さで、姿勢、スピード・コントロールをするための様々なスタンスを確認してから、そのシーズンにおけるさらなる上達を目指して歩み出すことにしている。それにね、完璧なプルーク・ボーゲンは、それはそれで難しいのだ。

 また、ボーゲンで安定して滑っていても、パラレルになった途端、不安定になる人もいる。そういう人はたいてい、ボーゲンとパラレルを別物と考えている。つまり、ボーゲンにおいて、切り替えの時の体重移動をしっかり意識化できていないのだ。逆に、そこの意識化さえできれば、あとは板が真っ直ぐかハの字かだけの問題で、全てはつながっているのである。

 プレキャンプの途中、突然曇ってきたかと思ったら、気温が急激に下がりだし、雪がバンバン吹雪のように降ってきた。さっきまで晴天で、あんなに暖かかったのに・・・・。まあ、雨なら嫌だけど、雪だったら元々覚悟の上なのでいいのだが・・・・それにしても、お山の天気って、本当に変わり易いんだね。
 結果的に言うと、次の日も雪は降り続き、3月10日日曜日の朝までに、少なくとも50センチは新雪が降ったと思われる。白馬では、ここで一挙に例年並みに挽回したということである。これでなんとか連休までもつかな、とみんな思っただろう。

3月9日土曜日
大盛況のBキャンプ

 雪の降りしきる中、本キャンプ開始。Bキャンプは、まずまずの参加者があり、かなり盛り上がった。プレキャンプからの参加者を含んで、大人が10名、未成年者が4名。その中にはソプラノ歌手の飯田みち代さんやバリトン歌手の町英和さんもいた。
 一方、それに対応する講師陣は、角皆夫妻と、Aキャンプに引き続き、「長く滑っても疲れないスキー」をモットーに活躍されている平沢克宗氏、サブコーチとして元A級モーグル選手の松山さんの4名。そして、特に何にもしないのだけれど、一緒に滑りながらムードメーカーの役割を果たしていると自分で勝手に思っている僕が同行した。


講演会

家族到着
 その日の午後遅く、僕の家族が来た。妻の車で、次女の杏奈とご主人、そして孫の杏樹である。杏樹の母親の志保は仕事が忙しくて今回も来られない。本キャンプに今日から参加出来れば良いのだが、杏樹の通っているシュタイナー学校では、公立と違って土曜日でも午前中授業があるため、どうしても午後出発になってしまうのだ。

 今回宿泊したペンション“あるむ”は、裏庭にコテージがあり、昨晩はひとりで母屋の一人部屋に泊まったが、今晩は部屋を変えて合計5人となり、みんなでコテージ。これが素晴らしかった。
 2階建てで、最高8人泊まれる。一件借りると、基本的に何人泊まってもほぼ値段は一緒なので、人数が多いだけ割安になる。あとは食事代が人数分かかるけれど、家に入ったら、素晴らしいキッチン・セットが着いていて、グラスやお皿などの食器も完備。だから材料を買い込んでバーベキューでも鍋料理でもすれば、とてもお得に泊まれるわけだ。冬だけでなく、夏もいいなと思った。

スノーフェスティバル
 その晩は、白馬五竜スノー・フェスティバルというお祭りがゲレンデであるので、19時からのナイターが17時に繰り上がって19時半でおしまい。その代わりナイターは無料になった。杏奈夫婦や杏樹は、宿に戻った僕と入れ違いに18時からの夕飯に間に合うように、ナイター・スキーに向かって飛び出して行った。
“あるむ”のおいしい夕飯を終えると、再びみんなでゲレンデに出掛けて行った。とおみゲレンデのセンターであるエスカル・プラザ内のレストラン・ハルでは、祭り太鼓の演奏もあったが、その最後の方の松明滑走では、美穂さん、松山さん、それに平沢さんも加わっていた。僕も一緒にどう?って角皆君に誘われたが、
「まず僕は、どういうものか見てみたいな。来年は分かりませんが・・・」
と言って、やんわり断った(笑)。

 ゲレンデの灯りが消え、中空には緑色のドローンが複数飛び交う中、はるか上の方から列を作って降りてくる沢山のかがり火は、幻想的で素敵だった。それがゲレンデの下部まで降りて来て一同が離れた2列に整列し、再び灯りがつくと、その間をコミックな大龍が練り歩き、龍を持っている人たちのコスプレと共に笑いを誘った。
 そのお祭りのラストを飾ったミュージック花火は、豪華な花火が音楽と完全にシンクロしていて驚いた。杏樹と、一緒にキャンプに参加しているバリトン歌手の娘さんと、アップテンポの曲に合わせて体を大きく揺すりながら大盛り上がりであった。

キャンプ2日目
 3月10日日曜日。昨日のメンバーに、杏奈夫妻と孫の杏樹が加わって、ますますキャンプは賑やかになった。4月が来ると小学5年生になる杏樹は、昨年一緒に滑った、“もうすぐ4年生”と“もうすぐ3年生”の二人の小学生と一緒に美穂さんのキッズクラスで滑れて大喜び。


準備体操、僕の左が角皆君、その左が平沢さん

 角皆君が、キャンプの様子を自分のFacebookに挙げているので、詳しく観たい方はどうぞご覧ください。僕は、その中から自分に関係のあるところだけを抜粋してお届けします。


鐘の周りでシーハイル

他にいろいろ書きたい記事もあるのですが、キャンプ疲れもあるので、今日はこのくらいにしますね。


Bキャンプ トレインの模様


2024.3.11



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