まだ一週間続く「トリスタン」への旅

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

杏樹とかぐら
 スキー・シーズンも、もう終わりに近づいてきた。今シーズン最後の滑りはもう決めている。4月16日火曜日から1泊で白馬五竜スキー場に行ってくる。16日の午後に角皆優人君の個人レッスンを入れて、その晩一緒に夕食を食べ、次の午前中は最後の“ひとり滑り”をして、自分からシーズンの幕引きをしようと思う。

 先週は、孫の杏樹を連れて「かぐらスキー場」に行ってきた。越後湯沢の改札を出ると、「杏樹、急ぐぞ!」
と言って、ほとんど駆け足に近い速さでバス停本面に向かう。杏樹は楽しくなってきて笑いながら付いて来る。エスカレーターを駆け降りると、もう停留所前から20メートルくらい(20人じゃないよ)並んでいる。すぐに苗場方面のバスが来た。
「これ乗れるの?」
「乗れなかったら、追加のバスが来ると思うよ」
「杏樹思うんだけど、このバスには絶対に乗れないよね」
「う~~ん・・・・どうかな・・・・」

 しかし案外詰めると人って入るもんだね。僕たちはほとんど詰め込める最後の数人の中に入って、入り口近くで人を背中で押しのけながら入ったが、なんとかなった。後ろを見ると、入りきれなかった人たちがまだ10人以上並んでいた。
「この中途半端な人たち・・・追加のバスに乗れるのかなあ?そしたら逆にガラガラで楽ちんだけれど・・・乗れなかったら次の時間のバスかなあ・・・」

 杏樹は“着いてすぐゲレンデ”のガーラ湯沢などに慣れているので、かぐらスキー場のレトロぶりにいちいち驚いていた。僕がすでに書いていた通り、バスも降車時に少なからぬ人が、
「え?スイカ使えないんですか?」
と愕然として、それからあらためて財布を出して両替機でカトンカトンと音を出しながら両替して、硬貨を数えて払っていたのを眺めていた。特に“かぐら三俣”停留所では大勢の人がそうしていたので、僕は慣れているけれど、杏樹にとっては果てしない時間降りるの待ってたような気がしただろうね。
 いよいよみつまたステーションに着くと、リフト券も電子じゃない。でもね、良い所はこのエリアのプリンス系スキー場は、小学生以下がタダであること。一応タダのリフト券をもらって係員には見せる。着替え所が狭いし、その建物には食べたり飲んだりするところはない。
 また、ゲレンデできちんと滑れるまでが果てしなく長い。麓にはゲレンデがないので、まず“みつまたロープウェイ”に乗って頂上駅に行き、そこからみつまた第一高速リフトに乗る。やっと滑れると思ったら、みつまたゲレンデのゴンドラライン・コースをたちまち滑り降りて、かぐらエリアに向かう“かぐらゴンドラ”に乗らないといけない。これが、たっぷり10分はかかるのだ。杏樹がとうとう笑い出した。
「一体、いつになったらちゃんと滑れるの?」
「さあ・・・あはははは!」
 やっとかぐらエリアに着いた。それから“かぐら第一高速リフト”に乗って頂上まで行って、初めて、かぐらメインゲレンデを降りることができるのだ。


「かぐらスキー場」コースマップ

 そんな思いをして滑り始めたのだが、その日は、杏樹にとっては、なかなか難しいゲレンデ条件だった。圧雪地はいいのだけれど、杏樹が本来得意なはずの非圧雪地の雪が、ちょっと前の新雪が固まった状態だったので、何度も足を取られて転んでしまった。それで大分モチベーションが落ちてしまって、いつもの調子がなかなか出ませんでした。

 僕の方は、その雪の状態は、先日の神立スノーリゾートで僕が最初にめげた状態とそっくりだったので、神立での“コソ練”が役に立って、むしろそこでショートターンの練習をしながら、杏樹が立ち上がるのを待って、ゆっくりゆっくり行った。
 そんなわけでかぐらエリアではらちがあかないので、僕たちは次に田代エリアに入って行った。ここは、かぐらエリアよりもなだらかで、しかも広大でさまざまなゲレンデがある。子供連れなら、そもそも”田代ステーション”でバスを降りて同じく田代ロープウェイに乗ってスキー場に入る方が良いかも知れない。目の前には田代湖も広がり、気持ち的にもゆったりと滑れる。


田代湖を望む

 しかしながら、田代エリアは横に長いので、いろんなゲレンデを味わう度にどんどん遠ざかっていく。お昼近くになったので、僕たちは再びかぐらエリアに戻ろうと思ったが、帰るためには最低3本のリフトを乗り継いでだんだん戻っていかないといけない。それでやっとかぐらエリアに戻ってきたけれど、そのままではレストランなどのあるゲレンデよりも下部に到着するため、かぐら第一高速リフトでもう一度てっぺんまで行かないといけない。

 さて、お昼だ!杏樹は最初フードコートの“レストラン・かぐら”に行きたかったけれど、僕は絶対に和田小屋と決めていたので、彼女はしぶしぶと従った。けれども・・・結果的には大満足!


けんちんうどんとモツ煮定食

 僕はモツ煮定食、杏樹はけんちんうどんで、彼女は一口頬張るなり、
「おいしいっ!めっちゃ、おいしい!」
を連発しながら、結構な量にもかかわらず、あっという間に食べてしまった。スキー場の高いばかりで投げやりな味なんかじゃないよ。きちんと誠意がこもっている。
 また、ここがいいのは、食後だらだらといつまでいてもいいし、寝っ転がったりも好きにできること。午前中の疲れもあって、杏樹は早々とお昼寝モードに入った。


ユルい和田小屋

 さて、飯も食ったし昼寝もしたので、それでは午後の部行くぞう!と言ったら、杏樹はあり得ない反応をした。
「もう今日は充分滑ったから帰りたい」
「へっ?」
「あのゴンドラで来た道をずっと降りて行くんだよね。もうそれで充分」
「ありゃりゃ・・・」
確かに、彼女にしてみると、午前中はノンストップでガッツリ滑ったもんね。ま、いっか。

 ということで、なだらかで長~いゴンドラコースをゆっくり走り始めたら、突然、彼女はまるで水を得た魚のように、そのコースを最高速で駆け抜けていく。
「お、いよいよ調子が出てきたな。よーし、それならジージも負けないぞ!」
それでふたりは競争。ところが、午前中の急斜面でバランス感覚を養ったのかどうか分からないのだが、なんと杏樹の方が速い!ホントにさあ、子供ってよく分かんねー!

 で、予想に反して早い新幹線に乗って帰って来た。彼女にしてみると、一番最後の競争が一番楽しかったみたい。

 さて、僕は今週水曜日、気を取り直してもう一度かぐらスキー場に行く。今度はひとりスキーだ。スキーっていろんな楽しみ方ができるよね。杏樹と一緒のスキーは、それで楽しかったけれど・・・同時にやっぱり不整地が滑り足りなくてね。杏樹に内緒で・・・でもないけど・・・先日の神立スノーリゾートでやっと自己ベストを更新した滑りのテクニックを、もう一歩前に進めるんだ。
 どうも天気がいまいちかも知れないけれど、うんにゃ!雨だろうと嵐だろうと、カッパ着てでも何でも俺は行くのだ!孤高の老人・・・楊子くわえて何処へ行く・・・「あっしには関係のねえことでごわす」なにワケの分かんねえこと言ってんだ。あははははは!

まだ一週間続く「トリスタン」への旅
 日本ワーグナー協会関西例会が一週間後に迫っていて、先週はその準備に追われていた。題材は「トリスタンとイゾルデ」で、講演のタイトルは『「トリスタンとイゾルデ」の和声の特異性とドラマとの結びつき』。

 すでにレジメは協会の方に送ってあり、そのレジメの流れに沿って先週はパワーポイントのファイルを作っていた。そのために沢山の譜例などをヴォーカル・スコアからスキャナーで読み取ってJPG(図形)ファイルにして貼り付けたり、和音の説明などはFinale(譜面作成ソフト)で作成して、やはりパワーポイント・ファイルに貼り付けた。
 で、最後に残った今週の仕事は、そのパワーポイント・ファイルの流れに沿って、演奏の音源を切り刻んで並べ、最終的にCD-Rに焼いて講演に持って行くことだ。


トリスタン和音

 さてそこで、ひとつ大きな問題が生まれた。ワーグナー協会って、オタッキーな人が多いじゃないですか。たとえば、19○○年のバイロイト音楽祭の「トリスタン」の指揮者は誰で、演奏はかくかくしかじか・・・という風にね。
 そういう方は、
「第2幕の2重唱の決定版はこの演奏だから、流すならばその演奏を聴かせて欲しかった」
なんて言いかねないじゃないですか。で、そんなこと考えていたら何も進まないので、今のところ、とりあえずカルロス・クライバーのCDをパソコンに入れて、切り貼りの準備をしている。
 近くにはカラヤン指揮のものが、1952年バイロイト音楽祭の版とベルリンフィルの版のふたつあり、フルトヴェングラーとカール・ベームのものもあるが、場面毎に選んでベターなもの、とか考え出したら、とても今週末まで間に合わない。

 先週も書いたけれど、今回の講演では、基本的には音楽的な面のみに焦点を合わせている。しかも、かなり突っ込んだ和声の話や調性感などの話になるため、受講者の中には、最初から最後まで何言ってんのかチンプンカンプンだった、という方が続出する恐れがある。
 その一方で、今までモヤモヤしていたけど、ワーグナーのこの作品の何が画期的でどこが素晴らしいのか100パーセント分かりました、という人も必ず出てくると信じている。とりあえずこれは賭けだね。
 でも、僕は、どこまでも丁寧に話して、全員がよーく理解してくれることを目指す。これは、もしかしたら今年の全ての仕事の中で、最も過酷でしかも価値あるチャレンジであるような気がする。でも、この賭けに絶対に勝ってみせる!

 3月29日金曜日。新国立劇場「トリスタンとイゾルデ」千穐楽。僕は第1幕から客席にいた。僕の右となりは、新国立劇場のもうひとりの合唱指揮者である冨平恭平(とみひら きょうへい)君。左隣は長女の志保。
 これは、とっても珍しいことで、自分が合唱指揮者として担当している演目を、このようにのんびりと客席から聴くことなんてあり得ない。通常は、男声合唱が活躍する第1幕は、舞台袖で彼らを指揮しているし、それ以外の幕でも、大抵は楽屋エリアにいる。
 特に「トリスタンとイゾルデ」では、男声合唱は第1幕だけだし、カーテンコールもないため、僕も含む合唱団員達の勤務義務は第1幕終わりまでなのだ。彼らは、そもそも私服なので、第1幕が終わるやいなやとっとと帰っていく。

 でも今回は、特に関西での講演を控えていたので、一度きちんと聴衆目線で最初から最後まで観て、あらためて「トリスタンとイゾルデ」全体像を掴んでおこうと思った。その結果は・・・・いやあ、今更だけれど、この作品は本当に歴史に残る大傑作だね!

 もちろん、ワーグナーの作品はみんなそうだけれど、この作品ひとつだけとっても、まずストーリーとの音楽の構成力があまりにも見事だ。際だった特徴として、どの幕もオフステージの音楽から始まる。第1幕の水夫の裏歌、第2幕の狩りのホルン、ブランゲーネの裏歌(新国立劇場では藤村実穂子さんが舞台上で歌っているけれど)、第3幕では哀愁を帯びたイングリッシュ・ホルンとイゾルデ到着を告げるホルツ・トランペット。その独特の効果をワーグナーは熟知している。現実がイリュージョンに代わるきっかけを作っているのだ。

 また、たとえば、トリスタンとイゾルデが逢い引きをして捕まるだけの第2幕を、一体どうやったら、あれだけ引き延ばすことができて、しかも充実した内容で満たすことができるのだろう。そうした中で、マルケ王の嘆きのように、彼らの非現実的な愛が、現実世界で引き起こす悲劇にも焦点を当てる。幾重にも立体的に構成されているのだ。

 さらに、ラストの「イゾルデの愛の死」に辿り着いたときの、あの解脱感を何にたとえよう。これは、すでに関西の講演でも話そうと思っていることであるが、「トリスタンとイゾルデ」は調号なしのイ短調で始まるが、途中どの調性を通って、各幕がどの調性で始まって終わろうがワーグナーにとっては構わなかったと思う。しかしながら、最後のロ長調H-Durとそこに掛かるトリスタン旋律Gis-A-Ais-Bだけは、あらかじめ計画済みだったのだ、という僕の推理は、今回聴きながらあらためて自分的に実証されている気がした。
 これは、一種の“涅槃”の世界なのだ。愛欲の最中に涅槃という言葉は矛盾するように見えるが、やはりワーグナーは至高なる世界とつながっているのだ。

 さてそんなわけで、新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」は終わったけれど、僕の「トリスタン」への内面的な旅は、まだまだ・・・少なくともあと一週間は続く。かぐらスキー場で滑りながらでも、きっと頭の中では鳴り響いているのだろうな。

なんてしあわせな人生だろう!

2024.4.1



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