ポッリーニのブラームス
4月6日土曜日の夜。ワーグナー協会関西例会の最後の準備を二階のデスクで終えて、階下の居間に降りて来た。何気なくテレビを付けてチャンネルを回したら、若いポッリーニがいきなり現れた。我が家では、そもそもあまりテレビを観ないし、特に朝日新聞をとるのを辞めてからは、テレビ番組を確かめることもないので、こんな風に行き当たりばったりなのだ。
曲はブラームス作曲ピアノ協奏曲第1番で、第2楽章の途中。
「ああ!残念!第1楽章から聴きたかった!」
指揮はヴォルフガング・サヴァリッシュでNHK交響楽団。
あらためて聴くと、ピアノ演奏(ピアニズム)という意味では、ポッリーニのレベルはもの凄く高い。打鍵の力の入れ方と脱力とのバランスが絶妙で、ピアノが常に理想的に鳴っている。どの音もクリアで模範的だ。
しかし・・・しかしだよ・・・こんなに素晴らしい演奏をしても、僕に文句言われるポッリーニって可哀想だけど・・・やっぱりね・・・ブラームスの音ではないなあ・・・僕の頭の中で鳴っているブラームスの音は、もっと優しくて暖かくて・・・苦悩に満ちていて・・・もっと骨太で・・・まあ、弾けもしないくせに好きなこと言ってるんだけど・・・。
サヴァリッシュの指揮も、力強く推進力はあるんだけどやや素っ気ない。って、ゆーか、あんまりブラームスに思い入れがない。第2楽章なんて、オケももっと耽美的にできないのかなあ?
音楽家って大変だね。
「これ以上何をお望みですか?」
とショパン練習曲のレコードのタスキには書いてあったけれど、確かにショパン・エチュードはそう言い切ってもいいね。あれこそポッリーニのピアニズムの頂点だ。学生時代、僕は大いに感動し、夢中になって何度も聴いたよ。
一方で、ベートーヴェンのソナタも悪くないけど・・・うーん・・・決定版にはならないんだよね。って、ゆー風に、どこまでいっても悪口を言われるんだ。嫌な商売だよね。音楽家って。
ごめんね、ポッリーニ!あの世には、もうこんな風に偉そうに批評する者もいないでしょう。安らかに・・・・。
ワーグナー協会関西例会
4月7日日曜日。新幹線を新大阪で降りてJR大阪駅に行き、阪神電鉄梅田駅から、昔何度も「蝶々夫人」を指揮したなつかしい尼崎を通り過ぎて、西宮駅に降り立った。そこから徒歩で3分くらいのところに西宮文化会館がある。今日はここで日本ワーグナー協会関西例会がある。演題は、「トリスタンとイゾルデ:和声の特異性とドラマとの結びつき」。
僕は、2022年8月に愛知祝祭管弦楽団の「トリスタンとイゾルデ」全曲公演を指揮し、その年の夏に出版された日本ワーグナー協会の会報誌ワーグナーシュンポシオンには、「コードネームから読み解く《トリスタンとイゾルデ》」という記事を寄稿し、さらに、まだコロナ禍が収まっていなかったから祝祭団員向けに同じような内容の講演をYoutubeで配信していた。
だから、この例会の内容は、全く新しく組み立てる必要はなく、画像資料も含めて相当の材料が手元に揃っていた。とはいえ、内容が一般の人には簡単なものではないのが分かっていたから、協会誌やYoutubeのように一方的に配信しておしまいではなくて、参加者の皆さんの反応を見ながら、なるべく分かりやすいように噛み砕いて話そうと、準備段階から気を遣っていた。
さらに、実際に講演が始まってみると、今回はテキストの内容及び思想背景、また演奏論などには一切触れず、音楽的な話、それもやや専門的な突っ込んだ話に踏み込んだ。そのために、前半では予備段階としての「和声学への初歩的な案内」にかなり時間を割いた。
人は「トリスタンとイゾルデ」を「無調への扉を開いた作品」と簡単に言うが、かといってシェーンベルグと一緒にしてもらっては困る。トリスタンで使われる和音は全て調性音楽で使用される和声ばかりであり、その和声の連結による様々な色彩感の変化については、むしろ“調性音楽の表現力を最大限に広げた究極の姿”だと言っていい。
では、一体何をワーグナーは崩壊したのか?ということだが、それはルネッサンス後期からバロック初期に確立されたドミナント支配による調性感の確立だったのだ。
こういう難しい話をピアノを弾きながら説明したのだよ。だからチャレンジアブルだったのだが、皆さんよく付いて来てくれました。講演最後の何人かの質問も、きちんと理解していないと出すことができないレベルの質問だったし、講演が終わった後の懇親会では、
「楽しかったです!」
「簡単ではなかったですが、面白かったです!」
「今までにない講演だったです」
と言ってきてくれた。お世辞も入っていたかもしれないが、なんとか務まりました。
そういえば僕は、最近日本ワーグナー協会の評議員となりました。別に急に何が変わるわけではないのですが、ちょっと嬉しく誇らしい気持ちもある今日この頃です。
書いてはいけない
かなり前から、大手マスコミの報道姿勢には、意図的に触れることを避けている、あるいは意図的に湾曲して報道しているものが少なからずあることに気付いていた。それが確信に変わったのは、2020年のコロナ禍におけるアメリカ大統領選挙である。
まずトランプ前大統領に対する曲がった印象操作と、不正選挙の隠蔽は、コロナ禍で仕事がなくなってYoutubeなどを見るようになった僕に、最初は疑惑を与え、その疑惑をしだいに確信に変えていった。
自分でも指揮法のYoutubeを作るようになって、Youtubeは誰でもすぐ作れるものであることを知った。ということは玉石混淆でデタラメも多いと思いがちであるし、全てを鵜呑みにしてはいけないものであることは当然であるが・・・いやいや・・・吟味して観ている内に、そんなに侮れないものであることにも気付いていった。むしろ少なからぬ人達が、物事に真摯に向き合い、勇気を持って正直に告白していることに僕は気付いていく。
むしろ大手マスコミの方が結構間抜けで、ビデオも公開されていて和やかな雰囲気を誰でも観ることのできる1月6日の議会襲撃事件について、ぬけぬけとトランプ氏を非難してみたり、それに反発する人たちの意見をフェイクだと叫んだり、恥も外聞もない。もう、みんなバレてんだよ。
そんな中で、今や僕も、1日の内の(決して長くはないが)一定の時間をYoutubeを観ることに裂く習慣がついた。ある時、たまたま観た中で森永卓郎氏が登場していて、彼の著書「書いてはいけない」(三五館シンシャ)について語っていた。
それで興味を持って、ワーグナー協会関西の講演の後、新大阪駅構内で新幹線を待っている間に書店に入って探したら・・・あった!それで買って、帰りの新幹線の中であっという間に読み終わった。その後、南武線の中でも反芻しながら読んでいた。
書いてはいけない
エバハルトとフランス料理
現在来日中のエバハルト・フリードリヒとは、彼が滞在している品川駅構内のカフェで一度お茶を飲んだが、先々週の3月28日木曜日に、あらためて夕食を食べる約束をしていた。しかし僕の側に急用ができて、キャンセルしなければならなくなってしまった。その後、お互い忙しくて、なかなか日が合わなかったのだが、やっと4月5日金曜日の晩、それが叶った。
今回、僕が彼を連れて行ったのは、恵比寿駅から徒歩5分くらいのフレンチ・レストラン「エピ」。以前、次女の杏奈が通っていたメイクの学校が近くにあり、よくアルバイトしていた小さいけれど素晴らしいお店だ。つまり、ドイツ人の彼をフランス料理に招待したわけだ。
ムール貝や鴨のコンフィ、クレーム・ブリュレ、それにシャブリやメルローに舌鼓を打ちながら、僕たちのお喋りは尽きることなく続いた。
「ナディーヌ」音楽稽古とセリフ読み合わせ
先週は、4月2日火曜日、及び4日木曜日で、ミュージカル「ナディーヌ」の音楽練習と台詞(セリフ)の読み合わせを行った。基本的にはナディーヌ役の込山由貴子さんとピエール役の山本萌(はじめ)君中心であったが、2日にはニングルマーチ役の秋本健さんが加わり、4日にはオリー役の大森いちえいさんが加わって、テンションを大いに盛り上げてくれた。
彼らに影響されて、主役2人のセリフが、どんどん一皮も二皮も剥けてくるのが嬉しかったし、なんといってもベテランの迫力っていうのは違いますねえ!
雨にもマケズ~かぐらスキー場ひとり練習
さて、「ナディーヌ」練習の中日である4月3日水曜日。僕は再び“かぐらスキー場”に向かった。数日前から天気予報を気にしていたのだが、どうも雨マークが消えない。ただね、唯一の希望は、雨は午後から降るらしいのだ。前日の夜にいくつかのサイトを見たら、みんな判で押したように「かぐらスキー場・くもり・雨は13時から」と出ている。
4月2日の「ナディーヌ」の練習後、何気なく新国立劇場前のファミリーマートに寄ったら、なんとカッパが置いてある。足まで付いている本格的なものではなくて、丁度良い感じの緩さ。600円くらいだったかな。これでいざ雨が降ってきても差し当たってしのげるかな。
午前8時10分。とき303号が越後湯沢のホームに滑り込むと、僕は苗場方面のバス停に急ぎ足で向かう。下りエスカレーターをさらに早足で降りると・・・あれれ・・・一週間前と大違いで、バス停に人影はまばら。皆さん、分かりやすい人たちばかりですね。雨予報が出ている今日、どこの馬鹿が好き好んでノコノコとスキー場になんか来るかってね!悪かったね!馬鹿で・・・。
ガラーンとしたバス停
神楽ヶ峰山頂付近
新潟名物タレカツ丼