罪作りな特急あずさ号
特急あずさ号は、1日に上下1本ずつだけ、新宿から白馬まで直通の電車がある。僕は4月16日火曜日、8時25分立川発のあずさ5号に乗って白馬に向かった。八王子や高尾で人がどんどん乗り、ほぼ満席になったが、塩尻や松本でほとんど降りて、松本を過ぎるとガラガラになった。白馬には11時42分に着いた。
このあずさ号であるが、自由席車両というものがなく、基本的に全席指定車のみである。でも、自由席特急券の代わりに座席未指定券というものがある。この特急の座席の上部ランプは優れていて、予約された指定席区間では緑のランプが付き、そうでない席は赤ランプが付いている。そしてもうすぐ誰かが乗ってくる時には、赤が黄色ランプに変わる。
車内放送は、停車駅に近づく度に、
「自由席ご利用の方は、ランプが黄色になりましたら、他の席にご移動ください」
とアナウンスが入るし、
「指定席のお客様が席をご移動になりますと、車掌が切符を拝見いたしますのでご注意下さい」
と言う。
つまり、誰かが勝手に赤ランプの所に座っていると、必ずチェックが入るということで、思いつきで乗っちゃった人なんかは、座席未指定券の分を強制的に払わされるわけだ。
さらに、
「車内で特急券をお求めになりますと、駅よりも××円高くなります」
と脅すことも忘れない。実際、松本までの間では、席を追い出されてデッキで立っている人を毎回何人も見かける。
新幹線などでは、自由席だって、一度座れさえすれば、その後どこまでも自分の席の権利を主張できるので、指定席より安い分だけお得感があるくらいだが、あずさ号では、
「自由席の客は常に落ち着かない思いをしているんだろうなあ。可哀想だなあ」
と同情すると共に、僕なんかのように人間ができてない者は、放送を聞く度に何故か“優越感”のようなものを感じさせられてしまう。
全く、罪作りな特急だよ!
角皆君のレッスン
エイブル白馬五竜スキー場の下部のとおみゲレンデにはもう雪はないので、親友の角皆優人君とは上部のアルプス平に登るゴンドラ前で待ち合わせした。実は、待ち合わせには僕の他にもうひとりいた。
春のとおみゲレンデ
4月16日Tさんと
コースガイド(©株式会社五竜)
またまた角皆君のレッスン~お代は要らない
さて次の日。午前中僕は自由に滑って帰るつもりでいた。でも、角皆君は、ずっとレッスンが続いていたので、今朝はゲレンデに出て、あらためて自分の練習をするんだと言って一緒にゴンドラでアルプス平に登ってグランプリ・コースに出た。
彼が練習するロングターンが惚れ惚れするほど美しいので、遠くから真似して滑っていたら、結構スピードは出るんだけど安定して滑れる。見よう見真似というのは、何よりも効果的な練習方法だね。
一方彼は、第3リフトの所まで行って振り返ったら、僕が結構そばまで来ているのでびっくりして、
「三澤君!凄くスピード値が上がったね。まだまだだと思って振り返ったら、もうそこにいるじゃないか。先日捻挫したというのも、スピードが出ると、同じ事をやっても転んだり怪我したりする可能性が大きくなるから気を付けた方がいいよ」
と言ってくれた。
なるほど、そういうことなのかも知れない。なにせ、捻挫したときには、転ぶ直前に、これまであんなに高く飛んだことがないほど大空を飛翔していた。それを気持ち良いと思うんだもの、やっぱり僕は異常かも知れない・・・・。
そうしたら、彼は自分の練習をしながらも、僕の所に来て、またまたレッスンをしてくれた。それも凄く良いレッスン。しかもお代は要らない・・・・いや、申し訳ないねえ・・・親友のよしみということでしょうか。
途中で、あまりに申し訳ないので、
「角皆君、もういいよ。ありがとう!でもこれ以上レッスンをしてもらったら練習の邪魔になるから・・・僕ねえ47(フォーティー・セブン・スキー場)の方に行くので、もう勝手に滑ってね」
と言って別れた。
そういえば、美穂さんが何日も前からずっと個人レッスンをしているSさんという女性は、僕のホームページの3月18日の記事「手遅れからはじめよう」を読んで、とても勇気づけられたと言ってくれた。
彼女は、その朝も、1時間半のレッスンを、休み時間を取りながら2コマ。つまり合計3時間レッスンしていた。リフトの上から時々見ていたけれど、美穂さんの指導の下、コブをきちんと滑っていたよ。
皆さんも、いつからでも「手遅れ」ということはないんです。今からでも新しく何かを始めてください。欲張らないで、エンジョイすることだけ考えてね。
4月17日Sさんと
シーズン最後の自由滑走~さらば雪山
それから、シーズン最後に相応しいほど、自由に、伸び伸びと、47を滑りまくって、お昼近くになったらまたまたグランプリ・コースや、コブのあるところに入って、滑った。
グランプリ・コース
春の白馬連峰
またまた忙しい週末
最高の「マタイ」を目指して
4月20日土曜日。またまた忙しい週末でした。午前中は東京バロック・スコラーズの練習。バッハの「マタイ受難曲」第1部終わりの数曲を練習したが、そのことよりも、そもそも、当団の発声のあり方を根本から作っていくためにはどうしたら良いか悩んだ。
確かなのは、団員達の発声に関する理解と、僕との間には少なからぬギャップがあること。彼らひとりひとりにかなり個人差があること。それに加えて、「マタイ」をやると聞いて、オーディションを通して、声の出る新団員が続々と入ってきたが、それだけに、発声法の個人的なバラツキが広がった面もあること。しかし、それを言い出したらきりがないし、そもそもネガティブに考えても仕方がない。
大切な事は、すべてを受け入れながら、いかにして統一の取れた発声法と音色、表現法を、本番に向けて構築していくかということであり、道は多難である一方で、眼前には可能性も無限に広がっている。
2025年3月30日の本番には、僕のこれまでの生涯を賭けて、あるいは我が国における現代のバッハ演奏のひとつの典型を構築しつつ、最高の「マタイ受難曲」の演奏を実現したい。そのために最高の人材を集めた。
ソリスト群では、福音史家の畑儀文(はた よしふみ)、イエスの加藤宏隆、ソプラノの國光ともこ、アルトの加納悦子、テノールの谷口洋介、バスの萩原潤。そしてオーケストラのコンサートマスターには近藤薫、チェロに西沢央子、オルガンの浅井美紀、チェンバロの山縣万里など・・・全員の名前を挙げたいくらい素晴らしいメンバーが名を連ねている。
というわけで、あとは合唱団がどこまでイエスの受難劇の神髄を表現できるかにかかっている。ということで、毎回、危機感を持ちながら練習に臨んでいきます!
「ナディーヌ」がだんだん煮詰まってきました
午後は高崎に向かった。その日は新町歌劇団の「ナディーヌ」の練習が19時から21時まであり、次の朝、名古屋に行かなければならないため、高崎に泊まることにした。午後4時頃、高崎駅前のアパホテルにチェックインして、お部屋でその晩の新町歌劇団の立ち稽古及びステージングのイメージ・トレーニングを行う。
夜は、合唱団の出番を順に追い、次の出番までに何が起こって、それぞれの団員がどこから出て、どのように舞台上で振る舞うかなどを整理した。次の4月29日月曜日休日には、ニングルマーチ役の秋本健さんや子供のこびとが来て放送局のシーンをやるし、5月4日になると、メインキャスト達が全員集合して、荒通し稽古を行わないといけない。もうそろそろ皆さん、お尻に火が付いてきてくれないと困るのだ。
ソリストに関しては、遡ること4月18日木曜日、JR国立駅近くのスタジオ・マグノリアで立ち稽古。ピエール役の山本萌君とナディーヌ役の込山由貴子さんとで、ふたりの別れのシーンの立ち稽古をしているところに、ドクター・タンタン役の初谷敬史さん、オリー役の大森いちえいさんが加わってきたので、一時中断して、「放送局へ行こう」という、ピエール、オリー、タンタンの音楽稽古及び振り付け稽古をした。実に楽しい!
また、終幕の10年後のモンマルトルの丘のシーンでのピエールとオリーの会話と、オリーの「忘れられたら」の、語りの要素の多いモノローグをやった。
6月には、3つの本番がある。6月8日土曜日には、カトリック田園調布教会にてアッシジ祝祭合唱団の国内演奏会。6月16日日曜日には、東京六大学OB合唱連盟演奏会で、東大アカデミカコールを指揮して「水のいのち」男声合唱版。そして6月22日土曜日と23日日曜日に、群馬県高崎市新町文化ホールで「ナディーヌ」公演だ。
こんなふうに立て込んでいるため、それぞれが早い内にできることをやっておかないと、まず僕自身が本番近辺でパニックになってしまうし、それぞれの公演のラストスパートが効かないのだ。
名古屋へ~Missa pro Paceフルオケ版の練習
4月21日日曜日、早朝6時過ぎ。捻挫が長引いていて、白馬に行くためにずっと足を庇っていたので、しばらくお散歩も中断していたが、久し振りに再開してみた。高崎駅前のホテルを出て、駅前通りにどどーんとそびえる高層ビルの市役所に向かって歩いた。
甲子園で健大高崎野球部が優勝を果たしたため、あちらこちらに「健大優勝おめでとう!」という旗や看板やのぼりが立っている。健大は正式名称が高崎健康福祉大学高崎高校で、最後に高崎高校の名前が来るため、東京の少なからぬ人たちから、
「三澤さんの母校ですか?」
と聞かれるのだが、僕の出身校はシンプルに群馬県立高崎高等学校だ。僕の在学中にはなかったので、調べてみると、健大は最初は女子校で、平成13年(2001年)に男女共学になって今日に至っているという。
お堀に突き当たると左側に折れ、市役所を右に見ながらお堀に沿って右折すると、高崎公園が見えてきた。年配の人たちを中心にラジオ体操をしていたが、驚くことに、公園いっぱいに大きく広がった大勢の人たちが元気に体操していた。前に立って模範を示している数人のおじさんおばさんのテンションがハンパでないのが超ウケた。きっと同年代。
ここは、高校時代に付き合っていた彼女と、よくデートした場所だった(もう50年以上も前!)。あのラジオ体操をしている人たちも、その頃は青春を謳歌していたんだろうなあ、と思って微笑ましい気持ちになった。
烏川の河川敷に出ると、思いがけなく景色が「わあーっ!」と広がって、胸がスカッとした。観音山の頂上には観音様が純白に輝いているし、その右側では榛名山が雄大な姿を誇っている。
「ああ、ふるさとの風景だ!」
と、胸いっぱいに感動が広がった。
高崎から新幹線に乗って東京駅まで来て、さらに東海道新幹線に乗り継いで名古屋まで来た。今日は、モーツァルト200合唱団でMissa pro Paceの練習。考えてみると、Missa pro Paceには、オリジナルの男声合唱版、モーツァルト200のために混声合唱用に編曲した2管編成フル・オーケストラ版、そしてアッシジ祝祭合唱団用の特別バージョンと、3つの異なったバージョンが存在する。
このモーツァルト200用バージョンは、2020年9月に上演予定であったが、新型コロナ・ウィルス感染拡大のため、あっけなく中止の憂き目を見た。その後、僕は本当はすぐにこのミサ曲をやって欲しかったが、同時に合唱団側にもいろいろな事情が生まれた。
まずコロナ禍において、従来の練習場が使えなくなって、毎回、練習場の確保が極端に困難になった現実が生まれた。僕のミサ曲は難しいので、やるとしたらガッツリ練習をしないと無理なのだ。
それで、合唱団の方としては、2022年には無理をしないで、本来ミサ曲の後に計画していた「モーツァルト・レクィエム」演奏会を先にやり、昨年(2023年)には、愛知祝祭管弦楽団「ローエングリン」公演の合唱に全力投球してくれて、そして・・・そしてとうとう4年後の今年(2004年)に上演できることになった。一緒に演奏するのがベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲なので、
「ヴァイオリン協奏曲と同じような編成だったら対応できます」
と主催者から言われたので、基本的に二管編成で作ったが、どうしてもトロンボーン2本は外せないので、加えていただく。
その間に、アッシジ祝祭合唱団による演奏旅行の話が持ち上がり、7月にアッシジ・バージョンでの上演が行われてしまうため、“混声合唱バージョン初演”とはならなくなってしまったのはちょっと残念である。
さて、そんなわけで正規の練習場を持たなくなってしまったモーツァルト200の今日の練習場は港区役所。名古屋港のすぐ近くだということである。僕の音楽は、ノリノリなんだけど、音とかリズムとかかなり難しいのを、よくみんな頑張って練習してくれている。
面白いのは、自作になると僕は、どうしても謙虚になってしまって、
「僕の曲にこんなに一生懸命取り組んでくれてありがとう!」
という気持ちが先に立つので、優しくなっているのが自分でも分かる。
いやあ、もう感謝しかありませんな!
2024.4.22