地味な毎日
ここのところ、僕の内面はとてもエキサイティングなのだが、「今日この頃」で書くような内容としては、結構地味で、読んでいる皆さんからの大きな興味や共感は得にくいだろうな。
現在の状況としては、アッシジ祝祭合唱団の聖フランシスコ聖堂における演奏会用スコアとパート譜がやっと完成し、FinaleファイルからPDFファイルに変換して、旅行社に送った。その際に、初めてDropboxなるものをインストールして、旅行社とファイルを共有することに成功した。今頃はすでにイタリアに送られていて、いずれ向こうでプリントアウトされて奏者達の手に渡るのだろう。
それで今は、自作曲関係の最後の仕事であるMissa pro Paceの二管編成バージョンのオーケストレーションに入っている。9月15日日曜日に刈谷市総合文化センター・アイリスのコンサートホールで、モーツァルト200合唱団&セントラル愛知交響楽団によって行われる演奏会用である。
ソリストは、オリジナルの通り、アルト・サキソフォンを演奏する佐藤温(さとう のどか)さんと、コンガを叩く本間修治さんが担当してくれるが、ピアノ独奏もかなり活躍するし、配置もピアノ協奏曲のようにオケ前に配置するので、モーツァルト200合唱団で伴奏している岡戸弘美さんにも是非期待してください。
これまで、国内演奏会のためのエレクトーン&ピアノバージョン、アッシジ演奏会バージョンと編曲が続いていたため、目が慣れているので予想したより仕事ははかどっているとはいえ、なにせ楽器の数が多いので、スコアの仕上げにも時間かかるし、まだ手を付けてはいないがパート譜のレイアウトにも時間がかかるのだろうな。
締め切りの6月末日は、もしかしたらギリギリかも知れない。そんな地味な作業が、春先からずっと続いていて、まだしばらく続く。
モーツァルト200合唱団の練習
日曜日が夏までいっぱいなので、モーツァルト200合唱団の練習は、合唱団通常練習日である火曜日に通っている。5月14日火曜日には午後から出掛け、名古屋市内の芸術創造センターで18時30分から21時まで練習し、日付が変わる直前に帰宅した。
この合唱団の練習場は、以前は幅下幼稚園と決まっていたが、コロナ・ウィルス感染拡大の際、“園児以外の外部の人間は入れない”という方針になって、それ以来、毎回練習場を探さなければならない“根無し草”となった。大変だね。コロナ禍の影響は、こんなところにも現れている。
その日はMissa pro PaceのAgnus DeiとDona nobis Pacemを練習した。自画自賛みたいで申し訳ないが、Dona nobis Pacemは稀有な曲だ。特に後半の途切れ途切れなメロディーと、消え入るような終わり方は、ミサ曲とするとかなり独創的で・・・って、ゆーか、誰もミサ曲でこんな表現は使わないよな。全然意図したわけではないんだけれど、作っていたらこうなっちゃた。いや、こうなるしかなかった。ミサ曲全体の作曲が、この曲から始まった。
次に作ったのが、その前のAgnus Dei。終曲のDona nobis Pacemがはかない曲想なので、コントラストとして激情的表現が必要だと思い、切羽詰まった曲想に仕上がった。
それからSanctusを練習した。これも難しい曲だね。冒頭の女声の4度和声からして音が取りにくいし、8分の12拍子が、付点四分音符4つだけでなく、4分音符6つのシンコペーションと交互に歌われるのが大変そうだ。僕は、コンガ奏者として舞台にも上がったくらいリズムに敏感なので、こうしたリズム遊びが、必ず自分の作品にも反映されている。
練習後、名古屋駅まで僕を送ってくれた指導者の山本光栄君の車の中でMissa pro Paceがかかっていた。東大アカデミカ・コールによる初演の演奏だ。男声合唱。
「毎朝、家から出勤中にこれをかけてます。とっても元気が出るんです」
彼は、この演奏会の時にもわざわざ来てくれた。こんな奇特な人がアシストしてくれるんだ。僕はとても幸運な人間だと感謝した。彼にも、そして神様にも。
名古屋駅の売店で味噌カツ弁当とビールの500ml缶を買った。新幹線は21時22分発のぞみ。新幹線の中では、のんびりビールを飲みながら、カロリーが上がらないよう御飯はなるべく食べないようにしたんだけど、そうすると味噌カツってかなり味が濃いんだよね。
その後、新横浜駅から東急新横浜線の地下深いホームまで走ったら、アプリの“駅スパート”より一本早い電車に間に合った。やったぜ!と心の中でガッツポーズをしたのはいいが、グラッと一気に酔いが回った。それにしても、新横浜から菊名を通らないで武蔵小杉に直結するようになったのは、毎回有り難いと思う。
武蔵小杉でも予定より一本早い電車に乗れて、最寄りの西府駅には23時40分くらいに着いた。
「椿姫」絶賛公演中
先週も書いたが、予想通り「椿姫」は、かなりハイレベルな公演に結集した。中村恵理さんは、どこまで進化するのだろうかと思うほど、歌唱も演技も的確だ。他のキャスト達ひとりひとりも、この名作のドラマを深く掘り下げていくので、勿論声そのものも素晴らしいのは言うまでもないが、ただの声の饗宴からなんと遠く隔たっていることだろう。
「椿姫」という作品は、「ああ、そはかの人か~花から花へ」や「プロバンスの海と陸」など有名なアリアばかり語られているが、むしろ2幕1場のヴィオレッタとジェルモンの対話や、2幕2場の怒り狂ったアルフレードがヴィオレッタを侮辱する場面とか、音楽とドラマとの融合が素晴らしく、その点をキャスト達や指揮者のフランチェスコ・ランツィロッタが丁寧に克明に描いているところを皆さんに味わってもらいたい。
客席は、かなり満席に近いけれど、もし可能ならば、瞞されたと思って是非ご覧になっていただきたい。僕がここまで言い切ることも珍しいと思わないかい?
「椿姫」絶賛公演中
ピンポイントで忙しい土曜日
アッシジ祝祭合唱団の練習~長谷川さんを交えて
最近、平日は空いている日もあって、譜面作りに専念しているのだが、反対に、土曜日に練習が集中することが少なくない。5月18日土曜日は、午前中にアッシジ祝祭合唱団の練習、午後にアカデミカ・コール、そして夜は新町歌劇団の練習だった。
アッシジ祝祭合唱団の練習には、エレクトーン奏者の長谷川幹人さんが楽器持参で来てくれて、本番の通りの“ピアノとエレクトーン伴奏”で練習をすることができた。ただし本番ピアニストの長女志保は他の仕事でどうしても駄目なため、本来、志木第九の会のピアニストで、この演奏旅行にも合唱団員として参加する矢内直子さんが、代役で、この編成のためにアレンジしたピアノ譜を弾いてくれた。
とりあえず演奏会プログラム全曲を無理矢理通した。第一部の「プレリュード」「3つのイタリア語の祈り」「被造物への祈り」で約30分。第二部のMissa pro Paceとアンコールで約1時間の長いプログラムだ。
僕がエレクトーン譜を長谷川さんに送ったのがごく最近なので、長谷川さんは、
「まだ弾けていませんが、すみません。今日で感じをつかんで本番までになんとかします」
と謙虚に言っているが、どうしてどうして、エレクトーンの音色の豊富さに合唱団一同圧倒されたようで、やはり長谷川さんに頼んで本当に良かったと思った。
というか、そのままだったら、カトリック田園調布教会での演奏会は、ピアノ一台だけの伴奏になってしまうところだったのを、エレクトーンを加えて本当に良かった。それにしても、エレクトーンも日進月歩で、こんなに軽量で、こんなに音色も進化しているんだね。
合唱団と一緒の練習は本番の日までないが、志保と長谷川さんと僕との合わせはあるので、伴奏に関しては、ピアノ共々、もっと落ち着いてきめ細かく仕上げていこうと思っている。
アカデミカコールの練習~髙野?高野?
午後は、場所を変えて、初台のスタジオ・リリカでアカデミカ・コールの練習。以前にも書いたが、組曲「水のいのち」男声合唱版。こちらは、みんなすでに歌い込んでいて、結構仕上がっている。
プログラム担当者とのやり取りで、彼が僕に訊いてきたことがある。僕が以前から持っていた緑色の表紙の混声合唱版では、作詞の髙野喜久雄も作曲の髙田三郎も、両方とも昔の髙が使われていたが。新しい白地に緑の入った表紙では、高野喜久雄だけ新しい高が使われている。それを僕が原稿で両方とも昔の髙を使用していたので、どうしましょうか?ということだった。
新国立劇場合唱団の団員で、今度の「ナディーヌ」でもオリーの役をやってもらう大森いちえいさんの奥さんが髙田三郎氏の孫娘で、これはその大森さんから聞いた話だ。髙田三郎氏は名前にこだわりがあり、というか、本当は「たかた」なのにみんなから安易に「たかだ」と呼ばれてしまうのを嫌っていて、さらに新しい字の高田と書かれてしまうことも本意ではないという。僕も三澤の澤をこだわっているので気持ちはとても分かる。
一方、これは僕の想像だが、出版社としてはむしろ新しい字を使いたいのではないだろうか。でも、こだわりがあるのを知っているので髙田は昔のままにして、高野の方は新しい字を使ったのだろう。
それで僕はプログラム担当者に答えた。
「両方とも戸籍上では明らかに髙だろうし、昔の楽譜では髙野だったわけで、本人の強い希望で高野にしたわけではないだろうから、両方とも髙でいいんじゃないですか?」
どうでもいいことかも知れないが、新しい楽譜の表紙にあえて髙と高が並記されているのをあらためてみると奇異な感じがする。僕も、もし勝手に三沢と書かれたら嫌だよ。
さて、アカデミカコールの練習を5時に終えると、僕はスタジオ・リリカを飛び出し、初台からひと駅乗って、新宿まで行き、駅構内の成城石井でおにぎりを買って、SUICAに指定席情報をインストールして、高崎線に乗り込んだ。指定席車両はほぼ満席だったが、新宿駅で降りた人の席がたまたま空いたので、ラッキーだった。デッキには上尾駅くらいまで立ちっぱなしの人が溢れていたんだ。
新町歌劇団の練習~盛り上がってきたよ
19時からミュージカル「ナディーヌ」の練習。一日の内ふたつの練習が自作なんて、何て僕は恵まれているのだろう。練習は「永遠なる愛」の音楽稽古から行われた。
永遠なる愛
ピエール | 遠い、遠い、昔の日、あるいは夢の中か 僕は知っている、こんなひととき どこまでも澄み切った大気 木や花達も、雲も空も微笑んでいる |
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ナディーヌ | それは、今この街が愛の息吹に包まれているから | ||
ピエール | 僕達の愛も、もっと大きな愛に包まれていたのか | ||
ナディーヌ | 魂は孤独なんかじゃないんだわ 全ての命は愛の中でつながっているのね |
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ピエール | どうして今まで気が付かなかったんだろう どうして敵と味方があるとか、奪い合おうとか、人は思うのだろう |
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二人 | 愛とは無限に溢れ出てくるもの この愛の中で初めて 生きとし生ける全てのいのちの尊さを知る ああ! |
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合唱 | そして大いなる時、今、世に訪れぬ 愛は世界を変える 愛は世界を浄化する 愛こそは世界の力 いのちのみなもと |
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ピエール | もう僕はピエールではない! | ||
ナディーヌ | もうあたしはナディーヌではない! | ||
ピエール | そう、君はナディーヌではない! | ||
ナディーヌ | そう、あなたはピエールではない! | ||
合唱 | 二人はひとつ かけがえのない愛 今、世に刻まれた |
階段一段抜かしのおじいちゃん
新町歌劇団の練習の後はちょっと大変なんだ。僕は21時15分高崎線新町駅発の電車に乗る。そして浦和には22時31分に着く。そこは高いホームで、列車のドアが開くと、僕は長い階段を一段抜かしで走り降りて、反対側の京浜東北線に向かう。何故なら浦和発22時33分に乗りたいから。
この22時33分の京浜東北線に乗り遅れると、次の南浦和から出る武蔵野線の22時44分発に間に合わなくて、その後の22時59分は、終点の府中本町まで行かずに、途中の東所沢止まりになってしまうのだ。
その次の府中本町行きは23時06分。つまり22分も遅れてしまうのだ。だから、わずか2分間隔しかない京浜東北線への乗り換えは外せないのだ。
でもね、高崎線って本当に優秀で、事故で一度電車が大幅に遅れた時は仕方なかったが、それ以外は完全にオンタイムで走行してくれるので、一度も京浜東北を逃したことがない。とはいっても、もう69歳のじーさんなので、いつ階段から転げ落ちるかも分からないから、時計を見て31分に着いたと分かったら、なにも一段抜かししなくても間に合うと思うんだけどね・・・ま、でもそれも楽しいんだよね。ちょうど階段のすぐ側に着くドアで待っていて、ドアが開くやいなや、
「それっ!」
ってね。
「あのじーさん何やってんの?」
と思われているかも知れないけど、知るか、そんなこと。
で、武蔵野線西国分寺には23時12分に着き、23時15分の中央線に乗って23時17分に国立に着く。そこから一橋大学脇の歩道の駐輪場まで歩いて自転車に乗り、23時30分くらいに自宅に着く。なんだかんだで興奮しているので、すぐには眠れず、ビールと焼酎で無理矢理わけわかんなくさせて無理矢理寝ます。
ふうっ、先週は火曜日も名古屋に行ったから、2度も深夜帰宅した。こんな毎日って、暇なんだか忙しいんだか、よく分かんね~~!
2024. 5.20