もうすぐアッシジ祝祭合唱団国内演奏会

三澤洋史 

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「新世界交響曲」初練習
6月2日日曜日

 ずっと楽しみにしていた瞬間がとうとうやってきた。名古屋市の金山音楽プラザ中リハーサル室で、9時15分という中途半端な時間に、僕のタクトが降ろされた。なんでこんなに早くから練習するかという理由は、後で書く。

 昨年の9月。新国立劇場で「修道女アンジェリカ」と「子供と魔法」の練習の合間に、僕は沼尻竜典さんに、
「ねえねえ、新世界の頭ってどう振ってる?」
と訊いたら、彼は即座に、
「8っつ!」
と答えた。
 彼の言う通りに振ると、チェロが迷わずに2拍目のシンコペーションを確実に弾いてくれた。なるほど。彼はずっと8っつのままと言ったが、3拍目4拍目は手持ち無沙汰なので、さりげなく4つ振りに戻す。でも次の小節はまた1拍目から振り分ける。

 「新世界交響曲」の冒頭は、とても変わっている。といっても、変わっているのは音楽ではなく書き方だ。こんなゆっくりなのに8分の4拍子。Adagioなのに八分音符イコール126。ホルンの冒頭からして16分音符の複付点休符と64分音符なので、考えないと正しく演奏できない。


新世界冒頭


 さて、このオーケストラは“オーケストラにも”という新しい名前を持つ団体である。東京を中心としたプロ・オイリュトミストたちが、オーケストラを使ってオイリュトミーの公演を行うという企画で、8月17日土曜日にパルテノン多摩で公演し、その後、8月24日土曜日には愛知県長久手市文化の家「森のホール」で公演をする。

 そのオーケストラを、最初は東京で集めようとしたがうまくいかなかったので、長久手でも公演があるから、いっそのこと名古屋で集めようかということになった。蓋を開けてみるとなんのことはない。コンサートマスターは例のピロシ君だし、チェロのトップはまりちゃんだし、トランペットのトップはひるちゃんだし、ここにもあそこにもよーく知っている顔がいる。
 要するに、“にもオーケストラ・オイリュトミー・プロジェクト”に属しているけれど、名古屋で集めてみたから、当然のように、毎年ワーグナーの楽劇全曲を演奏してきた例の団体の主要メンバーが各セクションにいるというわけである。そりゃあ、そうだよね。名古屋で集めて僕が指揮するんだもの。当然だよね。
 それで、彼らは逆に東京にみんな来てくれるんだ。なんて奇特な方達。もう感謝しかないわ!・・・って、なんでおねい言葉になるのよ?

 例の団体の演奏会は、今年は訳あってないのだ。いつもなら、前の演奏会が終わって、彼らはすぐに練習を開始して、僕による初練習が年末か年明け。ということで、昨年の「ローエングリン」からもう9ヶ月経っているから、練習始まる前にはまるで“同窓会”。
「うわあ、三澤先生だ!せ~んせ~い、元気ですかあ?」
僕に対してもそうだが、彼ら同士の間でも久し振りなようで、普段は別々のアマオケで活動したりしているから、
「きゃあー!おひさしぶり~~!」
と互いにハグし合ったりして、練習前からテンションがめちゃめちゃ上がっている。

 さて、練習が始まった。ワーグナーの場合、初練習ってね、結構まだグチャグチャなんだよ。でも今回は全然違った。普通のシンフォニーをごく普通にそれらしく弾いている。なんかそれがおかしい。それよりも一番おかしいのは、僕がドヴォルザークの「新世界交響曲」の練習を、彼らに付けているところかも知れない。
 とはいっても、何年か前にはマーラーの「復活」をウィーンにまで連れて行って、スタンディング・オベーションを受けたし、ベルリン芸術大学指揮科の生徒だった時には、あらゆる交響曲を勉強したもの。不思議でもなんでもない。僕だって、普通の指揮者なんだぞう!

 午前中の練習が終わってお昼休みに入ると、僕たちが一階でお昼を食べている時に、東京からなんと25名ものオイリュトミスト達が到着した。そうなのだ。今日は稽古初日なのに、もう午後からオイリュトミスト達と合わせるのである。だからその前に、荒削りでもなんでも、とにかくオケを一通り仕上げておかなければならなかったのだ。ということで練習開始を、通常の10時から9時15分に早めて、最大限時間を使ったのである。
 長い一日になるので、午前中、オーケストラ・メンバーは、リハーサル室いっぱいに広がって、のびのび練習していた。でも、お昼休み中に移動して、午後はリハ室を縦長に使い、半分をオケ、半分をオイリュトミスト達に解放した。
 彼らは、それぞれ自分の担当する楽器を踊る。それで、“にも”の代表の小林裕子さんは、午後の練習開始の前に、自分の担当する楽器奏者のところに、それぞれのオイリュトミスト達に挨拶に行かせた。
 ただね、楽器奏者達は、
「私が、あなたの楽器を踊ります」
と言われても、その時点では、まだその踊りも見てないし、第一、僕がオイリュトミスト達の動きを見ながら指揮しないといけないので、その僕の指揮を見て演奏する彼らには、演奏中、その踊りはほとんど見ることはできないんだよね。だから、ちょっとポカーンとしていた。

 さあ、午後の練習が始まった。僕は部分的に止めながら、反復練習をしてあげようかと思っていたが、オケの音が鳴ったのを聴いた時、もしかしたら裕子さんの考えが変わったのかも知れない。
「こちらが今、三澤さんに止めて、ここから返して下さいとかお願いするのではなくて、みんなにとっては、今日はオーケストラの響きを全身で受けとめる日にします。オケ全体がどんな風に鳴るのか、その中で自分の担当する楽器がどんな風に聞こえるのかを、みんなに受けとめてもらうために、三澤さんのペースで進めていてください。できるだけオケの響きを聴きたいのです」
「ああ、そうか。じゃあ、極端な話、通すだけでもいいってこと?」
「そうです」
 なあるほど。で、僕は、こちらのペースで時々止めてオケを直しながら、ゆっくり第4楽章まで練習し、その後で、一度休憩を入れて、もう一度全体を、ほぼ止めずに通すことにした。

 それに、気が付いたことは、ここでは、僕がオイリュトミスト達に遠慮したり合わせたりするよりも、やっぱりオーケストラから出るエネルギーって凄いので、結局の処、僕がイニシアチブを取らなければ何も始まらないということだ。
 休憩後の最後の通し稽古が終わってみると、オケの楽員も、朝からずっととはいえ、同じ日とは思えないほど、いろいろが上達していた。オイリュトミストがいなくて同じような練習をしていたら、午後の練習は、恐らくこんな集中力を維持できなかっただろうが、ほぼ反対側を向いてはいるものの、やはりオイリュトミスト達から発散するオーラも凄くて、これは、想像していたよりもずっとエキサイティングなものに仕上がる予感がして、嬉しくなってきた。
それにしても、148平方メートルある中リハーサル室でも、オケが集中して演奏し、オイリュトミスト達が踊ると、結構酸欠状態になっていたね。ハアハアハア・・・・。

 僕って、こんな時、ひとりになりたいんだ。だから、みんなには悪いんだけど、練習終了後はこっそり抜け出すように帰って、名古屋まで戻ってきて、いつも行く、駅からちょっと離れたあんまり込んでいない秘密のカフェに行って、ゆったりコーヒーを飲んだ。なんともいえない至福感に満たされて、心の中で、
「神様、ありがとうございます!」
と何度も感謝した。
 勿論、これで全て満足ということではない。むしろこれを出発点として、オケもどんどん磨きを掛けていかなければならないよ。でもこれ、画期的なプロジェクトだね。

 それからEXで予約を取ろうとしたら、どの新幹線もかなり満席で3列の席の真ん中のB席しか空いてないので、自由席を取って、デッキに立ってでもいいや、と思っていたが、1号車に行ったら沢山降りたので、余裕で座れて、かえって指定席のB席よりもゆったりしていて、しかも安く、こちらも感謝感謝でした。
 

もうすぐアッシジ祝祭合唱団国内演奏会
 6月3日月曜日の今日は、本来ならば午前中から更新原稿を書いているところだが、むしろ午前中は外出していた。なので、この原稿のここのところを書いている今現在、午後6時半である。というのは、目黒にあるヤマハ・エレクトーンシティで、今週末にあるアッシジ祝祭合唱団の国内演奏会のために、ピアニストである長女の志保と、エレクトーンの長谷川幹人さんとの合わせ稽古をしていたのだ。

 演奏会のプログラム自体がある程度の長さがあるので、あまり、あちらこちらほじくり返して稽古はできなかったが、それでも返すところは返して、丁寧に練習したら、ふたりのアンサンブルもどんどん良くなってきた。

 でね・・・済みません、元来ノーテンキで、こんな事言って申し訳ないんだけど・・・自分で作っているから余計そうなんだけど・・・結構良い曲です!てへへ・・・。というか、やっている内に随所で自分で感動しちゃって、特に、昨年の4月に作ったCantico delle Creatureの後半とか、フランシスコの詩が素晴らしくて、涙が出そうになりました。

 またミサ曲のDona nobis Pacemの音楽は、本当に素晴らしい!で、馬鹿みたいだけど、こんな風に自画自賛してしまうのは、これは自分などが自分の頭からひねり出したものなんかじゃないということの証明なのだ。
 前にも言ったように、夏の白馬の貸別荘で、真夜中にひとりで起きていて、電子ピアノでメロディーをあてもなく探しているときに、ふと頭の中を流れたメロディーなんだ。アーカシック・レコードというものがあるけれど、音楽にも似たような膨大な音の流れがあって、そこからのひとしずくが、僕にもたらされた、っていう感じだ。
 つまり、これは、僕の自慢なんかじゃないんだ。僕は傲慢ではなく、むしろそのことによってとっても謙虚になっている。こんな僕に、ありがたくももったいなくも与えられたんだよ。Magnificatの歌詞にもあるじゃない。

身分の低い、この主のはしために目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。

 この歌詞の本当の意味も、こうしたインスピレーションを与えられたことによって、本当に理解できたのだ。
「身分の低い、この主のはしため」
「幸いな者」
そうなのだ。自分がそれを受けるに値するからでなくて、それは本当に天から無償で与えられたものであるから、私が「凄い」んじゃなくて「幸いな者」なのだ。

 その与えられた音楽に、また今日もあらためて感動させられているのだ。願わくば、その感動が、6月8日の田園調布教会に集まったお客様の上にも注がれますように。感動を注ぐのは僕や演奏者や合唱団ではなく、上からの“流れ”なのだ。その瞬間、感動する者は、その流れとつながるのだ。

みなさん、僕の言葉を信じて下さい。
「作曲したのは僕かも知れないけれど、僕はただ、その流れのはしために過ぎないのです。と、そう言い切れる者が、良い曲を作れるのです。栄光は。その流れにありますように!」

2024. 6.3



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