志木第九の会演奏会無事終了

三澤洋史 

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志木第九の会演奏会無事終了
 志木市民会館が立て替えで取り壊してしまったため、今回の志木第九の会の演奏会は、東武東上線で志木より3駅先の鶴瀬駅で降りて、ららぽーとの向かい側の「富士見市文化会館キラリ☆ふじみ」で9月1日日曜日に行われた。
 台風が心配で、演奏会中止も危ぶまれたが、幸い雨風もそんなに強くなく、全日8月31日土曜日のホール練習から無事行うことができた。この演奏会では、僕は絶対に発信したいメッセージがあって、何があっても「やらない」という選択肢を取ることができなかったので、ただただ感謝である。

 プログラムは、大木惇夫作詩、佐藤眞作曲、混声合唱のためのカンタータ「土の歌」、休憩をはさんでフォーレ作曲「レクィエム」Op.48と続き、アンコールとして僕の自作のミサ曲から「主の祈り」が用意されていた。

 演奏会の前に、僕はスピーチを行った。それは以下の内容であるが、原稿は元々なく、いきあたりばったりでしゃべったので、若干の補充も行って文章にする。

 僕がカンタータ「土の歌」に初めて出遭った頃、第三楽章「死の灰」の「ヒロシマの、また長崎の、地の下に泣く、いけにえの霊を偲べば」の歌詞の歌を聴いて、それは二度と繰り返してはならない過去の愚行であると認識していた。しかしながら、現代、この曲に再び出遭って思う事は、その逆である。
 ロシア・ウクライナ戦争は、すでに2年半以上経っても、依然先行きが見えないし、イスラエル・ハマスの戦争も同様だ。まさに、この現代に於いて戦争及び小競り合いは休み無く続いているのだ。人類は過去の愚行に何も学習しようとしないし、互いに憎しみ合い、いがみ合っている。なんと無知で傲慢で愚かであり続けることか!

 このカンタータでは、我々にとって当然のごとく存在する「土」がテーマである。その土と日常的に接している農夫にとってみると、「楽しみのたね」であると同時に「悲しみのたね」でもある。また、この曲の中で語られることは、人類の愚行だけでもなく自然災害などにも触れている。自然災害は、戦争と違って、人類のせいではなく、自然からの一方的な災害だ。
 このことは一体どう捉えればいいのか?それについて僕は自分の意見を語った。これは、ある神父から聞いた話だ。神父になるためには神学校を出ないといけないが、その神学校には「恩寵論」という講義がある。神の「恩寵」について、じっくり考えるわけだ。僕自身、この「恩寵」という言葉が大好きだし、実は「土の歌」にはこの言葉が二度出てくる。

 まずは、第六楽章「地上の祈り」の途中でこのような文脈で出てくる。

美しい 山河を見て
美しい 花を見て
大地の意(こころ)を信じよう
恩寵を
自然に享(う)けて感謝しよう

次は、終曲である第七楽章「大地讃頌」

恩寵のゆたかな大地

 僕の言いたいことはこうである。まず天変地異に不平を言う前に、我々がこの宇宙の中で生きていられるのは、神の恩寵のたまものであることを理解しなければならないということだ。大自然の全てが均衡を見事に保っているからこそ、我々はこの地上で生を受け、命を保っていられる。それを当然と思わず、まず我々がしなければならないことは、まさに恩寵を素直な気持ちで受け取って、感謝することに尽きると思う。

 カンタータ「土の歌」では、様々なプロセスを経て、終曲の「大地讃頌」に流れ込んでいくが、この曲が始まった瞬間の感動を何と表現できよう。この曲を単体で演奏するだけでも感動的であるが、やはりこの曲はカンタータ「土の歌」全体を味わった後にやってくるからこそ価値があるのだ。

 では我々は、この先、一体どのように生きていけばいいのであろうか?何を目標に?何を頼りに人生を送っていくべきなのであろうか?その問いに対する答えを、僕はフォーレの「レクィエム」の中に見いだせるのではないかと思って選曲した。
 僕は、この曲ほど天国的で美しい音楽を知らない。こうした世界を夢見ながら、自分は生きていきたい。逆に言うと、こうしたイメージが自分の心の中から消えてしまったならば、自分の生き方がどこかで間違っているのではないか、と思っても良いのではないだろうか。
 理屈では正しく生きていると思っても、このような心象風景というものは正直なもので、むしろそれを指針に、正邪よりも慈愛と感謝を拠り所にし、「レクィエム」のIn Paradisum「楽園にて」の境地を目指して、人生を生きていくことを自分にも命じているし、みなさんにも是非薦めたい。

 そして、アンコールに用意した自分の作曲による「主の祈り」の前にもスピーチを行った。その内容にも触れてみたい。最初のくだりは、演奏会では言わなかったのだが、志木第九の会のメンバーには話している事である。

 「主の祈り」はキリスト自身が、我々に祈りの仕方を教えてくれたものだ。よく神社などに我々が行って、手を合わせてすぐに、
「商売繁盛、お金がもうかりますように」
などと祈ったり、中には、
「次の競輪のレースで当たりがでますように」
などと祈る人もいるけれど、それは実はとても危険なことなのである。

 何故なら、それで当たる人もいるからだ。いや、当たらせる存在が実際にいるのだ。つまり、欲を持ったまま祈ると、その欲に感応する邪悪な霊が来て、当たるのはいいけれど、そのことでますますのめりこみ、その結果不幸になるケースもあるのだ。

 大事な事は、どういう存在にどのような思いを持って祈り始めるかなのだ。その点、主の祈りは素晴らしい。

天におられるわたしたちの父よ
み名が聖とされますように
み国が来ますように
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように

このように、主の祈りは、まず徹底的に、高みに我々の意識を持って行かせる事に集中する。それから初めて現実的なことを祈るのである。この順番は是非とも必要なのである。

私たちの日ごとの糧を
今日もお与えください

と実質的な生活について祈るときには、すでに邪念が取れているのである。
それからとても大切な事を祈る

わたしたちの罪をおゆるしください
わたしたちも人をゆるします

自分の赦免だけでなく、そのことを祈ることによって、自分が誰かを許していないかを、自らに問わせることも忘れないのである。

わたしたちを誘惑におちいらせず
悪からお救いください

 この「お救いください」という言葉であるが、ラテン語ではliberareという動詞を使う。皆さんも知っているとおり「自由にする、解放する」という言葉である。キリスト教の最終目標は、キリストに盲目的に服従することではなく、実は「ひとりひとりの魂の自由の獲得、解放」であり、罪から解放されて自由に羽ばたけるところにある。
 イエスは「私に従って来なさい」とは言ったが、「私に盲目的に服従しなさい」とは決して言っていない。それ故、この「主の祈り」はキリストの真意を表現していて素晴らしいのである。

 このような構成の元、今回の演奏会は演奏され、その真意はきっと聴衆にも届いたのではないかと信じている。

塚田佳男さんのこと
 僕が高崎高校の合唱部に入った高校一年生のある日、先輩から、
「もうすぐ塚田さんがいらっしゃる」
と言われた。
 塚田さんは、僕の10歳ちょっと上の高崎高校卒業生で、東京藝術大学声楽科に在籍していたが、在籍中に、自分が歌手になるよりも、歌手達の伴奏をすることに生き甲斐を感じ、ピアノ伴奏者への道を志して小林道夫氏に弟子入りしていた。同時に高崎高校合唱部の指導にも足繁く通っていたのだ。

 初めて見る塚田さんの合唱の指導は、僕に強烈な印象を残した。恐らく僕は、この歳になっても、未だに塚田さんの指導の真似をしていると思う。特徴と言えば、細かく止め、発声から、呼吸の仕方、音色の統一、表現のあり方などを丁寧に指導していく。実に繊細でニュアンスに富んだ音楽がみるみる出来上がっていくのに僕はただただ驚くしかなかった。
 8月に高崎高校合唱部定期演奏会が群馬音楽センターで行われ、塚田さんの指揮で、清水脩作曲の合唱組曲「山に祈る」を、涙でぐしょぐしょになりながら歌った時に、僕はもう、自分の人生を音楽に捧げることに決めていた。
 その後も、合唱部学生指揮者になった僕は、塚田さんが来校してくれる毎に、自分のピアノ演奏を聴いてもらって意見を言ってもらったり、逆に彼を質問攻めにしたり、なるべく彼から吸収できるものは吸収しようと努めた。

 国立音楽大学を受験した際は、八王子にある塚田さんの自宅に泊めてもらい、そこから入試に通った。決して近いわけでもなかったのに、塚田さんの方から、
「うちに泊まったら?」
と言ってくれたのだ。奥様がおいしい料理を出してくれたり、小さな子が好きな僕は、まだ幼かった長女のマリちゃんと遊んだり、とても居心地が良かった。

 その後も、塚田さんが伴奏するNHK午後のリサイタルなどの録音の際、譜めくりで呼んでもらったり、いろんな経験をさせていただいた。

 彼のピアノは実に繊細。惚れ惚れするほどきれいな音で、しかも音色の変化が多様。ある時教えてもらったのだが、打鍵の際、指の先から腹まで、曲想によって微妙に変えていくという。
 シューマンの「蓮の花」を弾きながら、
「ほら、この曲はこんな風に全部の指の腹で弾くんだよ」
と弾いて見せた。ふさわしい脱力も伴って、同じピアノからあの夢幻的な「蓮の花」の音が聞こえてきた。

 彼は由紀さおりさんとそのお姉様でもある安田祥子さんと仲が良くて、紅白歌合戦にも伴奏者で出ていた。

 その塚田さんが、なんと志木第九の会の演奏会が終わった後、突然楽屋に姿を現したのだ。ええっ!どうして?理由を聞いたら、エレクトーン奏者の長谷川幹人さんとは、彼が歌って長谷川さんが伴奏して、コンサートをしたり、一緒にCDを出したりしていたそうだ。一方、長谷川さんにとっては、学校卒業したての頃からエレクトーン伴奏に使ってもらった、ある意味、この道で生きていけるようになった恩人だという。

 塚田さんは、ある時から再び歌を歌い出し、しかもそれが昔の歌謡曲だったりしてウケるが、その伴奏を長谷川さんが受け持っていたワケか。そこが初めてつながった。
「俺、もう80歳になったんだよ。台風で、関西での本番がみんなキャンセルになったので、この演奏会に来れるぞ、と思って来たんだ。来て良かったよ。とっても良い演奏会だった。アンコールの三澤の曲も良い曲だった」
と褒めてくれた。

ありがとうございます!塚田さん。いつまでもお元気で!

2024. 9.2



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