落合さんの“自然”という強烈な個性
モーツァルト200合唱団演奏会第一部におけるベートーヴェン作曲ヴァイオリン協奏曲でヴァイオリン独奏を行った落合真子さんとは、7月のアッシジ演奏旅行の直前に東京藝術大学のスタジオで合わせをした時に、そのゆるぎないテクニックに心底驚いたけれど、先週の9月13日金曜日、セントラル愛知交響楽団との合わせ稽古で、さらに進化しているのに、またまた驚いた。
落合真子さん (写真提供 落合真子様)
新しいMissa pro Pace
二管編成が初めて響く
9月13日金曜日16時15分。Finaleという譜面作成ソフトを使って、響き渡る音響を頭に描きつつ、フル編成のオーケストラ・スコアにひとつひとつ音を打ち込んでいったものが、ついに現実に、愛知県芸術劇場大リハーサル室に響き渡った。
トランペット及びトロンボーンではCup Muteカップ・ミュートを随所で使う。ジャズのフルバンドではグレンミラー楽団などで多用されているが、クラシックではほとんど使われない。でも、金管楽器だけれど木管楽器的響きがして、上品で大好きなのだ。またCredoではHarmon Muteハーマンミュートといって、プワプワとかプワワワワ~ンとコミカルに鳴るミュートも使う。先の部分を取ってマイルス・デイビスが使っているアレだ。
木管楽器と金管楽器は、ある時は意図的にセパレートに、ある時は微妙にブレンドしながら、弦楽器とも解け合わせていく。これらの処置は慣れているので、問題は起きないと思っていたが、たとえば、ソロ楽器のアルト・サキソフォンがアドリブのようなフレーズを吹く時に、オーケストラが厚い時に、どのくらい聞こえるのかな?などという疑問に関しては、音を出してみないことには分からなかった。
最初の1時間のオケ練習では、バランスをいろいろ調整しなければならなかった他は、ほぼ自分の想像していた音が出ていたのでホッとした。ただ、コンガ奏者の本間修治さんだけは、譜面を読んで初めて合わせる際の「オーケストラの遅れ」にとまどっていた。さらに、次のコマからは、合唱団が入って、さらに遅れが際立ってきたので、どこに合わせてコンガを叩いたらよいか分からなくなってしまった。
みんな無意識で遅れているのだが、特に合唱団は、これまでピアノ伴奏で歌っていたのがオーケストラになって、
「えっ?こんな音になっちゃうんだ!」
「うわあっ。オケの音って凄い!」
と驚いてしまい、歌い出すのも忘れてしまうくらい興奮している。だから、弦楽器などのようにカーンと鳴るわけにはいかないオーケストラの音を聴いて歌い出すので、どんどん遅れてきてしまう。
「あのう、みなさん。オケの音を聴いてから歌い出さないで、僕の指揮を見て音を出してください。」
ということで、注意した後は、かなりマシになったが、まあ、3日目のゲネプロくらいになって、やっとタイミングが落ち着いてきた。
2日目になって、コンガの本間さんを最前面のピアノの横に置いてみることにした。それで、演奏会でのセッティングは、結果的に次のようになった。ピアノの水野彰子さんは、ピアノ協奏曲のように僕の真後ろ(客席側)に位置し、客席から見てその右側(ビオラの前)にコンガの本間さん、反対に左側(第1ヴァイオリン側)にアルト・サックスの佐藤温(のどか)さんが立った。
変更されたセッティング
ホールでのゲネプロ
信仰には喜びがないと
別に僕は、このミサ曲をふざけて書いたわけではない。自分のことは一応真面目な信仰者だと思っているし、その信仰心をごく自然に音で表現したら、こうなってしまったのだ。Gloriaの冒頭はゴスペルソングだけれど、アメリカの黒人達だって、ごく自然に自分の信仰心を表現したら、ああなってしまったわけだろう。僕だってそうさ。
また、Credoの最後の曲Festa di Credoは、一度Credoの最後の歌詞まで作曲した後に、あらためてCredoの全ての歌詞をもう一度重なり合うように繰り返して、サンバのリズムに乗せて演奏させた。
これには二つ理由がある。ひとつは東京オリンピックの閉会式のアイデアだ。1964年、僕は小学校4年生だったが、各国の選手団が国毎に並んで整然と行進した開会式とは打って変わって、全ての国の人たちがバラバラにグチャグチャに、そして仲良さそうに乱入し練り歩いた閉会式の、あの衝撃が忘れられず、それをFesta di Credoで表現してみたこと。
もうひとつは、Credoだけはミサ曲の中で唯一「祈り」ではなくて、信仰者としての自発的な「宣言」であるとこと。さらに自分の部屋でひとりで宣言するのではなく、本来は聖堂の中でみんなの前でする宣言であり、従って自分も宣言するけれど、隣の人の宣言も聞きつつ、聖堂内が宣言で満ちあふれることなのだ。
それなので、僕としてはどうしても、一通り歌った後で、その祝祭的な雰囲気を出したかったのだ。リオデジャネイロのカーニバルは有名だけれど、それだって元は宗教的なものでしょう。だから、どうしてFesta di Credo「信仰宣言祭り」をサンバで行ってはいけないのだ?
って、ゆーか、それよりも、僕は、キリスト教っていうと、どうしても「人間の罪とその贖罪のために神から遣わされて十字架に掛かったイエス」に焦点を当てられて、「悔い改めよ」と懺悔を強いられるような雰囲気があるでしょう。あれが好きじゃないのだ。
信仰者というものは、ある意味すでに解き放たれていて、喜びを持っていないといけないと思う。だって信仰者が懺悔の穴蔵の中にいて、
「ほら、この穴蔵にあなたも入りなさいよ」
と言ったって、誰が喜んで入るものか。
だから、逆に楽しさから信仰に入ったっていいじゃないかと思う。屈託のない楽しさ、喜び、至福感。その何が悪い?
悲しみと祈り
ただ、同時に、悲しみは悲しみで必要だと思う。僕がAgnus Deiの切迫感とDona nobis Paceの一対の曲を創った時、心の中には平和に対する強い希求の想いがあった。あの頃、まだコロナ・ウィルスの感染も始まっていなければ、ロシアがウクライナに侵攻もしなければ、ハマスがイスラエルに攻撃もしなかった。
しかし、地球上には恒久的な安定と平和と、みんなが笑顔で暮らせるような世界ばかりがあるかといえば、人類の愚かさとエゴイズムがある限り、それはとうてい達成されていないと思うしかない状態におかれている。
セントラル愛知の団員のひとりが僕の所に来て言ってくれた。
「僕は、Dona nobis Pacemの最後の方の、途切れ途切れになりながらの音楽が好きです」それで、その部分を作っている時の自分を思い出した。白馬での深夜にモチーフが浮かんで作曲し始めたが、その最後の部分を作っていた時は、何故か東京の家に独りでいて、夜遅く作っていたのだ。
終わりそうで終わらず、後を引くような音楽。僕は、それを作りながら、「どうしてこういう展開になるんだろうか?もしかして、これを作った後、自分は死ぬんじゃないか?」
と思ったのを記憶している。同時に、これは終わりそうで終わらないからこそ、永久に続く人類の根本的な希求なのだ、とも思っていた。
でも、楽天的な僕は、東大コールアカデミーのOB合唱団アカデミカ・コール初演で行われたように、この曲だけでは終われないんだよな。やっぱり、今回もFesta di Credoがアンコールに必要だったというわけ。しかもモーツァルト200合唱団の人たちが、あれだけ盛り上がってくれたんだもの。
ソリスト達と僕