モーツァルト200合唱団演奏会無事終了

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

落合さんの“自然”という強烈な個性
 モーツァルト200合唱団演奏会第一部におけるベートーヴェン作曲ヴァイオリン協奏曲でヴァイオリン独奏を行った落合真子さんとは、7月のアッシジ演奏旅行の直前に東京藝術大学のスタジオで合わせをした時に、そのゆるぎないテクニックに心底驚いたけれど、先週の9月13日金曜日、セントラル愛知交響楽団との合わせ稽古で、さらに進化しているのに、またまた驚いた。


落合真子さん (写真提供 落合真子様)

 事前に彼女の経歴を見たら、すでにコンクールの優勝歴及び入賞歴がとても多いので、若く見えるけれどそれなりに年は行っているのかなと勘違いしていた。ところが、打ち上げでこっそり訊いてみたら、
「もうすぐ24歳になります」
と言う。今、芸大の大学院2年生だというから、普通に現役入学でここまで来たんだ。しかもプログラムの経歴には、入学の時に、宗次徳二特待学生として首席入学と書いてあるから驚いたなあ!(ちなみに宗次徳二とは、名古屋の宗次ホールのオーナーであり、僕も時々行くカレーのCoCo壱番屋の創業者です)

 モーツァルト200合唱団は、刈谷国際コンクールと提携していて、ここのところ毎回の演奏会で、第1部では、コンクール受賞者との協奏曲が演奏され、第2部で合唱団が登場して合唱曲が演奏されている。
 その刈谷国際コンクールの実行委員長の近藤富士雄さんは、東京フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターである近藤薫さんのお父さんだ。練習の合間に、いろいろ雑談している中で、落合さんの話題となった。

「落合さんは上手だよね。若いのにコンクール歴が凄いし、勿論優勝歴も多いけど、2位というのも少なくないんだよね・・・」
 近藤さんの言いたいことは良く分かる。よくコンクールで1位なしの2位とかもあるでしょう。それは何故かというと、多くの場合、1位に相応しい強烈な個性が足りないとかの理由で、あえて1位を与えないということがあるんだ。確かに彼女の場合、そう捉えられる要素は、なくはないかも知れないとは思った。
 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲には、テンポの微妙な振れ幅がある。ピアノ協奏曲のような堅固な構築性の代わりに、穏やかな叙情性が勝っていて、テンポの揺れ方によって見えてくる景色が随分違う。僕もスコアを勉強している最中で、
「ここのテンポをこう落として、次を戻すと、こうなるのか?逆に、ここをさりげなく行って、ここをこうすると・・・うーん・・・どうしよう?」
と迷う個所が多々あった。両方違うけれど、どちらも良いのだ。
 それで、無責任のようだけれど、彼女のアプローチを見ながら、オーケストラ合わせで決めようかと思って練習に臨んだ。すると、僕がそう思っているところは、彼女も思っていたようで、双方やや決めかねつつ演奏したので、次に返した時に、僕の方から別のアプローチをさりげなく試してみた。こういう事って、通常、プロのオケ合わせではあまりしない。優柔不断に思われてしまう危険性があるから。

 でもね、そのアプローチは、僕と彼女の場合、最良の方法であった。彼女は感性がとても豊かで、しかも柔軟性がある。なので、「この方法では合わない」というのはないのだけれど、セッションの過程で、二人で「これだ!」と意気投合する瞬間はあったのだ。互いにフレキシブルだからこそ見つけられた道であり、同時に、それはベートーヴェンの懐の広さゆえとも考えられる。

 たとえば、コンクール優勝者の中には、強烈な個性を持っていて、「もう自分にはこれしかないのだ!」って感じで、独特なテンポだったり、独特な解釈を押しつけてくる人って多いじゃないですか。その圧倒的な「優勝者タイプのキャラクター」が落合さんに足りない、といえばそうかも知れない。
 しかし、むしろ強烈な個性を持っている人の“個性”って、本当に正しいの?って思う事も少なくない。本当にその解釈のみあり得るの?もしかしてそう思い込んでるだけじゃないの?ちょっと強引じゃないの?逆に、その個性がないからといって1位にさせないとしたら、それこそがコンクールが“抜け落ちている部分”なのではないか?
 それに、世の中の常識から言ったら、通常のプロの演奏会の場合、協奏曲は合わせ1回のみで、それからゲネプロ及び本番というのが多い。これだと、個性を押し出していかないと、中途半端な演奏会になってしまう可能性もあるのだろう。

 その点、今回では、金曜日、土曜日と1時間ずつではあるが、2回の練習が与えられていて、少なくとも、僕と落合さんとは、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の持つ表現の多様性の中から、僕たち二人だけのかけがえのない落とし処を、落ち着いて見つけ出していくことに成功したのだ。
 当然、奇をてらった処もなく、人がアッと驚くような処もない、ごくごく自然に流れていながら、情感のある所では充分にそれが表現され、ドラマチックところでも過度になったりしない、必要なものが必要な分だけあった演奏が、しだいに紡ぎ出されていった。
 演奏会当日では、柔軟性の影に隠れた揺るぎない個性が、互いに確実にあって、それがぶつかり合い、融合した瞬間の連続であった。楽しかった。それよりも、落合さんのヴァイオリンの音がとても美しくて、指揮をしながら酔い痴れる瞬間が少なからずあった。こういうのはありそうで、なかなかない。
 具体的に言うと、第1楽章展開部の331小節目Gからのト短調の静かな部分や、第3楽章のCの後127小節から始まる、やはりト短調の部分など。いやあ、やっぱりベートーヴェンっていいね。そしてベートーヴェンを演奏出来るのって、なんて幸せで恵まれている環境だろう!

 落合さん!これがあなたの揺るぎない個性です。これを、自信を持って伸ばしていってくださいね!ふたりで作り上げたベートーヴェンは、どこまでも音楽的でありながら、すべてとても自然でした。演奏会に来てくれた知り合いに、美しくて涙が出そうでした。と言ってくれた人がいましたよ。あのね、落合さんの音の美しさは、本当にあなたの武器です。また一緒に演奏したいと思っています。

 僕も、この歳になるとね、
「三澤さんが良かった」
と言われるよりも、
「三澤さんのベートーヴェンが良かった」
と言われる方が嬉しい。
 そして落合さんのような若い感性と遭遇し、それに刺激を受けながら、この瞬間ならではの、かけがえのないベートーヴェンを互いに創造することに、いいようのない喜びを覚える「今日この頃」です。

新しいMissa pro Pace
二管編成が初めて響く

 9月13日金曜日16時15分。Finaleという譜面作成ソフトを使って、響き渡る音響を頭に描きつつ、フル編成のオーケストラ・スコアにひとつひとつ音を打ち込んでいったものが、ついに現実に、愛知県芸術劇場大リハーサル室に響き渡った。

 トランペット及びトロンボーンではCup Muteカップ・ミュートを随所で使う。ジャズのフルバンドではグレンミラー楽団などで多用されているが、クラシックではほとんど使われない。でも、金管楽器だけれど木管楽器的響きがして、上品で大好きなのだ。またCredoではHarmon Muteハーマンミュートといって、プワプワとかプワワワワ~ンとコミカルに鳴るミュートも使う。先の部分を取ってマイルス・デイビスが使っているアレだ。

 木管楽器と金管楽器は、ある時は意図的にセパレートに、ある時は微妙にブレンドしながら、弦楽器とも解け合わせていく。これらの処置は慣れているので、問題は起きないと思っていたが、たとえば、ソロ楽器のアルト・サキソフォンがアドリブのようなフレーズを吹く時に、オーケストラが厚い時に、どのくらい聞こえるのかな?などという疑問に関しては、音を出してみないことには分からなかった。

 最初の1時間のオケ練習では、バランスをいろいろ調整しなければならなかった他は、ほぼ自分の想像していた音が出ていたのでホッとした。ただ、コンガ奏者の本間修治さんだけは、譜面を読んで初めて合わせる際の「オーケストラの遅れ」にとまどっていた。さらに、次のコマからは、合唱団が入って、さらに遅れが際立ってきたので、どこに合わせてコンガを叩いたらよいか分からなくなってしまった。

 みんな無意識で遅れているのだが、特に合唱団は、これまでピアノ伴奏で歌っていたのがオーケストラになって、
「えっ?こんな音になっちゃうんだ!」
「うわあっ。オケの音って凄い!」
と驚いてしまい、歌い出すのも忘れてしまうくらい興奮している。だから、弦楽器などのようにカーンと鳴るわけにはいかないオーケストラの音を聴いて歌い出すので、どんどん遅れてきてしまう。
「あのう、みなさん。オケの音を聴いてから歌い出さないで、僕の指揮を見て音を出してください。」
ということで、注意した後は、かなりマシになったが、まあ、3日目のゲネプロくらいになって、やっとタイミングが落ち着いてきた。

 2日目になって、コンガの本間さんを最前面のピアノの横に置いてみることにした。それで、演奏会でのセッティングは、結果的に次のようになった。ピアノの水野彰子さんは、ピアノ協奏曲のように僕の真後ろ(客席側)に位置し、客席から見てその右側(ビオラの前)にコンガの本間さん、反対に左側(第1ヴァイオリン側)にアルト・サックスの佐藤温(のどか)さんが立った。

 
変更されたセッティング

 この3人は、先日初台のノアというスタジオで合わせをしたが、その時は、何の問題もなくバッチリうまくいったので、そのユニットの感覚で、水野さんのピアノのタイミングを中心に響きがしっかりまとまった。
 水野さんは、アッシジ祝祭合唱団の稽古ピアノとしてMissa pro Paceもずっと弾いていたし、そもそも新国立劇場合唱で僕の合唱音楽稽古のピアノを弾いているので、僕の指揮にはどんな時も付いて来てくれるという安心感がある。アルト・サックスの佐藤温(のどか)さんも、水野さんの打鍵のタイミングを頼りに、細かいパッセージのアドリブっぽい僕のフレーズでも揺るぎないテンポ感で立派に吹き切ることができた。

 いろいろなバランスやテンポ感やタイミングは、金曜日、土曜日の二日間の合わせと、当日のゲネプロ(総練習)までのそれぞれの練習を経る間にしだいに改善され、それに従って合唱団もオケも、周りを見る余裕がだんだん生まれてきた。
 面白いのは、慣れてくるにつれて、彼らみんな正確に演奏出来るだけでなく、曲のキャラクターや、オーケストレーションの色彩感などに気が付いてきて、だんだん楽しくなってきているのが感じられた。


ホールでのゲネプロ

信仰には喜びがないと
 別に僕は、このミサ曲をふざけて書いたわけではない。自分のことは一応真面目な信仰者だと思っているし、その信仰心をごく自然に音で表現したら、こうなってしまったのだ。Gloriaの冒頭はゴスペルソングだけれど、アメリカの黒人達だって、ごく自然に自分の信仰心を表現したら、ああなってしまったわけだろう。僕だってそうさ。

 また、Credoの最後の曲Festa di Credoは、一度Credoの最後の歌詞まで作曲した後に、あらためてCredoの全ての歌詞をもう一度重なり合うように繰り返して、サンバのリズムに乗せて演奏させた。
 これには二つ理由がある。ひとつは東京オリンピックの閉会式のアイデアだ。1964年、僕は小学校4年生だったが、各国の選手団が国毎に並んで整然と行進した開会式とは打って変わって、全ての国の人たちがバラバラにグチャグチャに、そして仲良さそうに乱入し練り歩いた閉会式の、あの衝撃が忘れられず、それをFesta di Credoで表現してみたこと。
 もうひとつは、Credoだけはミサ曲の中で唯一「祈り」ではなくて、信仰者としての自発的な「宣言」であるとこと。さらに自分の部屋でひとりで宣言するのではなく、本来は聖堂の中でみんなの前でする宣言であり、従って自分も宣言するけれど、隣の人の宣言も聞きつつ、聖堂内が宣言で満ちあふれることなのだ。
 それなので、僕としてはどうしても、一通り歌った後で、その祝祭的な雰囲気を出したかったのだ。リオデジャネイロのカーニバルは有名だけれど、それだって元は宗教的なものでしょう。だから、どうしてFesta di Credo「信仰宣言祭り」をサンバで行ってはいけないのだ?
 って、ゆーか、それよりも、僕は、キリスト教っていうと、どうしても「人間の罪とその贖罪のために神から遣わされて十字架に掛かったイエス」に焦点を当てられて、「悔い改めよ」と懺悔を強いられるような雰囲気があるでしょう。あれが好きじゃないのだ。
 信仰者というものは、ある意味すでに解き放たれていて、喜びを持っていないといけないと思う。だって信仰者が懺悔の穴蔵の中にいて、
「ほら、この穴蔵にあなたも入りなさいよ」
と言ったって、誰が喜んで入るものか。

 だから、逆に楽しさから信仰に入ったっていいじゃないかと思う。屈託のない楽しさ、喜び、至福感。その何が悪い?

悲しみと祈り
 ただ、同時に、悲しみは悲しみで必要だと思う。僕がAgnus Deiの切迫感とDona nobis Paceの一対の曲を創った時、心の中には平和に対する強い希求の想いがあった。あの頃、まだコロナ・ウィルスの感染も始まっていなければ、ロシアがウクライナに侵攻もしなければ、ハマスがイスラエルに攻撃もしなかった。
 しかし、地球上には恒久的な安定と平和と、みんなが笑顔で暮らせるような世界ばかりがあるかといえば、人類の愚かさとエゴイズムがある限り、それはとうてい達成されていないと思うしかない状態におかれている。

 セントラル愛知の団員のひとりが僕の所に来て言ってくれた。
「僕は、Dona nobis Pacemの最後の方の、途切れ途切れになりながらの音楽が好きです」それで、その部分を作っている時の自分を思い出した。白馬での深夜にモチーフが浮かんで作曲し始めたが、その最後の部分を作っていた時は、何故か東京の家に独りでいて、夜遅く作っていたのだ。
 終わりそうで終わらず、後を引くような音楽。僕は、それを作りながら、「どうしてこういう展開になるんだろうか?もしかして、これを作った後、自分は死ぬんじゃないか?」
と思ったのを記憶している。同時に、これは終わりそうで終わらないからこそ、永久に続く人類の根本的な希求なのだ、とも思っていた。

 でも、楽天的な僕は、東大コールアカデミーのOB合唱団アカデミカ・コール初演で行われたように、この曲だけでは終われないんだよな。やっぱり、今回もFesta di Credoがアンコールに必要だったというわけ。しかもモーツァルト200合唱団の人たちが、あれだけ盛り上がってくれたんだもの。


ソリスト達と僕

 人間の持ちうる感情の端から端まで連れて行くことも、このMissa pro Paceのひとつの役割かな、と一夜明けた僕は思っている。こうした演奏会の余韻は、様々な考察を伴って、きっと1週間くらい続くのだろうな。

 さて、ある意味日常生活に戻って、これからベッリーニ作曲「夢遊病の女」の立ち稽古に参加するため、新国立劇場に出掛けます。外は、はっきりしない天気だな!

2024. 9.16



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA