僕の日曜日

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

神社で始まる一日
 10月27日日曜日。朝6時起床。ここのところ朝起きてお散歩に行こうと思ってカーテンと窓を開けると、いつも小雨が降っていて断念せざるを得なかったが、その朝は珍しく晴れていたので、お散歩用のストックを突いて出掛けた。

 お散歩は一時間ちょっとのコースなのだが、途中、分倍河原の手前にある分梅通り沿いの天王宮八雲神社に寄ってお参りする。鈴をならしてお賽銭を入れ、手を合わせて二拝二拍手一拝し、
「祓い給え、浄め給え、神(かむ)ながら守り給え、幸(さきわ)え給え」
と唱える。普通はこれで終わりなのだが、僕の場合は、
「今日も、お散歩とお祈りで一日を始めることができることを感謝します。この健康を心から感謝します。この健康をもって今日一日、内なる光に満たされて、自分の成すべき事が滞りなく行われますように」
のようなことを祈る。
 それから、家族のことをひとりひとり祈る。そして、自分の周りの人達が幸せであるように祈る。機会によっては、特定の友人のことを祈るときもある。最後は、全世界の平和を祈って、また一礼して社から離れる。

カトリック教会にも行くの?
 その日は、帰って来たら妻が僕の部屋にあるキーボードでオルガンの練習をしていて、「8時のミサでオルガンを弾く日なんだけど、ちょっとあたしの弾くオルガンを聴いてくれない?」
「なんで?」
「最近、ちょっと弾き方を変えたりしているので・・・」
「分かった。車に乗せてもらえる?」
「いえ、ミサの後、ちょっと用事があるので、一緒に帰れない」
「あ、そ。こっちはその後投票に行くから、自転車で行くわ」
ということで、カトリック立川教会のミサに出ることになった。

 ミサが始まった。さっきまで神社にいたのだけれど、こういうのって、純粋なカトリック信者から見たらどうなんだろうな?でも、自分にしてみれば、神社にいる自分と教会に居る自分との間に何の矛盾もない。神社では、家族一人一人のことを声に出して祈れるし、その一方で、ここでは清らかな聖堂の中で、より自分自身に集中し、瞑想的になれる。
 特にこの立川教会は、コロナ禍以来、僕にとっては最も親しみやすい聖堂となっている。何故なら、コロナ禍で仕事がなくなった時、僕は毎日立川柴崎体育館のプールに行き、その帰りにカトリック立川教会の聖堂で瞑想するのが日課となって、今でも休日や、夜だけの仕事の日に習慣として続いている。ある意味、自分の祈りのホームグランドなのである。先週も平日に3回来た。

 むしろ問題があるとすれば神社の方だ。たいていの場合、神社の方が住んでいる神様の霊格が低い。僕にはなんとなく分かるのだ。本当にキツネなどの動物がいる場合もある。そんな神社の神様に自分の欲のままにお願いなんかしたら、危険に決まっている。
 でも、気にしなくていい。大事なのは自分であって、どこにいても純粋な想いを持って、“感謝から始める祈り”をすれば、低級霊は寄って来れないから、大丈夫なのだ。気持ちの純粋さと祈りの内容によって、それにふさわしい霊が感応してくるのだ。逆に言えば、たとえ教会の中にいたって、本人の心の持ちようで悪霊のようなものが寄ってくることもあるので、気を付けた方がいい。

 ミサの話に戻る。ミサってさあ、プログラムがかっちり決まっているので、進行して行くにつれて、立たされたり座らせられたり歌わせられたりで落ち着かない。だからといって周りを無視して、ひとりで座ったまま瞑想に耽っていたりしたら、変な人になってしまうから、それもできない。
 献金の入れ物も回ってくるし、平和の挨拶もしなければいけない・・・・オルガンも鳴るし・・・おっとっと・・・そうだオルガンを心して聴かないといけないんだった。

 妻のオルガンは、演奏に関しては何の問題もないけど、今、若い人達と交替しながらやっているので、他の人がいろんな音色で弾くのが気になっているらしい。彼女も従来の音色よりも、むしろ近代の(たとえばフランス風の)音色を使ったりして工夫している。それがうまく曲想に合っている時もあるし、合っていない時もある。
 そういえば、典礼聖歌の中心人物である髙田三郎氏は、元々フランス和声で作曲する人なので、近代フランス風の音色でもいいのかも知れないが・・・う~~ん・・・どうなんだろうなあ。僕が古いかもしれないけれど、典礼聖歌となったら、やっぱり基本的には従来のより重厚な音色が、個人的には好きかもな。
 そんなもろもろの感想を妻に言った。僕の意見がどれだけ役に立ったか分からないけど、でも、
「閉祭の曲に関して言えば、重ねた1オクターブはちょっと耳障りで要らなかったかもね」
と言ったら、それだけは、
「ああ、やっぱりそう?」
と素直に納得してくれた。こうしたオクターブ重ねは、マリー=クレール・アランなんかもよくやっているね。フランス風というわけか。

選挙と投票結果
 その後、自転車を走らせて投票場に行き、投票を済ませて帰って来た。個人候補については言わないでおくが、比例代表には参政党に入れた。いろいろな政策を比べたりして、参政党の言っていることが、一番しっくりしたからだ。残念なのは、僕の家の地区には参政党の候補者が誰もいなかったこと。
今日になって調べたら、参政党で受かったのは全国合わせて3人か。まあいい。自民党と公明党が過半数を割ったので、ひとつの目標は達成したか・・・。でも、自民党は変わらないのだろうなあ・・・高市早苗さんが総理大臣になったら話は別かも知れないが・・・・。

通し稽古に入ってます
 お昼を食べてからは、桜新町のスタディオ・アマデウスでBキャストの荒通し稽古。通し稽古になって見えてくるものがあるね。その日のマリー役の熊木夕茉さんと父親代わりのシュルピス役の町英和さんのコンビにちょっと涙腺が緩んだ。前にも言ったけど、町さんのマリーを見る優しさがたまらない。ベルケンフィールド侯爵夫人役の鳥木弥生さんの存在感も素晴らしい。侯爵夫人の決定で、全てがひっくり返り、突然ハッピーエンドになるのだから、重要な役。

ベッカライ・ブロートハイムもあとわずか
 いやあ、それにしても粟國淳さんの演出が冴えている!冒頭から理屈抜きで楽しい!全体がスムーズに進行したので、荒通し稽古が終わったのが5時半くらい。
「あ、18時に閉まるドイツパン屋に間に合うぞ!」
と急いでスタディオ・アマデウスを出てパン屋に向かう。しかし、残念ながら、目当ての黒パンはおろか、棚はほとんど空になっている。売れ残っているのはひとつだけ。
「これは何ですか?」
と訊ねると、
「ああ、これは日曜限定の・・・・というパンです。いろんなものが入ってます。」
と店員が言うので、
「とりあえずブロックのままハーフでください」
と、ちょっと高めだったけれど買ってきて、今朝食べた。
 ん!うまい!!黒パン生地に何種類かのナッツやドライフルーツなどがぎっしり詰まっている。

 今日28日月曜日と明日29日火曜日の2日間の通し稽古が終わると、もう桜新町通いはおしまい。後は黒川の読売日本交響楽団練習場でのオーケストラ合わせに行って、それから本番会場の日生劇場での練習になるので、このベッカライ・ブロートハイムBäckerei Brotheimのドイツパンもしばらく食べられなくなる。かなり悲しい!

戦後史の正体
 今、面白い本を読んでいる。いや、“面白い”という言葉は違うな。というか、面白いどころか、読んでて全然楽しくもないし、むしろ先に進むのに結構根気が必要で、時には、
「ええと・・・これは、さっき何処に出てきたっけな?」
と、前に出てきた文章を探すのに手間取ったりするが、それをきちんと頭に入れておかないと、次の内容が理解できない。
 では、どうしてそんな本をわざわざ読んでいるかというと、読み始めてすぐに、
「これは自分が今、どうしても読んでおかなければいけない本だ」
と思ったし、実際、この中には驚くべき内容が書かれているにも関わらず、大部分の日本人が何も知らないのだ。


「戦後史の正体」


 まず、我々は8月15日のことを「終戦記念日」と呼んでいるが、そこにすでにごまかしがある。1945年8月15日正午、昭和天皇の肉声が初めてNHKのラジオで流れて、天皇は、ポツダム宣言を受諾する決意を述べた。
 ところが戦争というものは、天皇が「やめようと思います」と国民に言ったからといって「戦争が終わった」というものではないのだ。戦っている双方が「これで戦争を終えましょう」と確認しあう必要があるのが当然だ。実は戦争が終わった日というのは、9月2日に米国戦艦ミズーリ号で、日本が降伏文書に署名した日なのだ。
 だが、その日にしてしまうと、日本が「無条件降伏をして負けた」ことが強調されてしまうので、むしろ「敗戦記念日」になってしまう。それで、戦争に負けた現実から目をつぶり、「終戦」という言葉を使い、8月15日を記念日にして、今日に至っているわけである。

 我が国は、当時、三国同盟を結んでいた独裁政権のドイツ、イタリアと共に(悪の)枢軸国と呼ばれ、それに対する26カ国の連合国の内、米国、英国、中華民国、ソ連の4カ国が提示したポツダム宣言を受理することで戦争を終結した。

 では、その降伏文書には何が書かれていたかというと、以下の事である。

「日本政府は、連合国最高司令官からの要求にすべて従うこと」

 連合国最高司令官総司令部すなわちGHQは、ポツダム宣言の履行のために設置された日本占領政策の実施機関である。連合国を名乗っているが、実際には米国の機関で、日本には勿論政府があり首相もいたが、実際にはGHQに完全に従属することを強いられていたのだ。

さらに、最初の布告書にはこう書いてあった。

日本を米軍の軍事管理のもとにおき、公用語を英語とする。
米軍に対する違反は軍事裁判で処分する。
通貨を米軍の軍票(米軍が印刷した紙幣)とする

 こうなると、もう日本としての形を成さない。それに対して、ポツダム宣言の署名に直接携わった内のひとり外務大臣重光葵(しげみつ まもる)は、
「ポツダム宣言は、あきらかに日本政府の存在を前提としており、日本政府の代わりに米軍が軍政をしくというようなことを想定していません」
という論理から交渉を始めたというが、彼はこの交渉に向かうにあたって、“生きて帰らぬ覚悟”で臨んだという。
結果的には、英語が公用語にもならず、通貨も日本円のままで収まったのだが、そこに至るまで、どれだけ大変であったか、我々は何も知らされてないのである。特に、日本占領の最高責任者であったトルーマン大統領は、
「占領を、その条項の駆け引きから始めるわけにいかない。われわれは勝利者であり、日本は敗北者である。彼らは、無条件降伏は交渉をするものではないことを知らねばならない」(トルーマン回顧録より)
という考えを持っていた。

 そもそも三国同盟を結んでいた日本、ドイツ、イタリアは、連合国から見ると独裁的な(悪の)枢軸国以外の何ものでもなく、降伏してからは何の価値もない国のような目で見られていたのだ。それにしても、問答無用という感じで軍が日本を支配するって凄いことだな。

 そうした中で、日本の中でも、いろいろ混乱が続いた。戦後の日本外交における「自主路線」のシンボルであった勇気ある重光葵のような存在が、「対米追従」路線のシンボル吉田茂のような人間によって、あっけなく追放されるような不条理なことも、しばしば起こっているのである。

 米国の占領政策も、当初は戦争犯罪人を処罰し、旧日本軍の解体を行い、経済的にも押さえ込んでおきながら、その一方で、占領経費が高くつくので、日本にもある程度の経済的自立を与えた方が良い、とかいろいろブレまくり、ついには、米国にとってソビエト連邦の脅威が増してくると、今度は日本をソ連からの防波堤として使うことを考え始め、軍備の拡張すら始める。なんと身勝手な方針転換!

 とまあ、本当にいろいろなことが事細かに書いてあり、読み出したら止まらない。この本は、戦後すぐの事にとどまらず、たとえばこういう文章がある。

米国が政治的に葬った政治家といえば田中角栄首相です
中曽根元首相も田中角栄は米国に葬られたと判断しています


その理由として、「田中角栄は石油で独自外交を展開したから米国にやられた」というのが定説になっているというが、この作者は、それには疑問を持っている。そしてこう書いてある。

田中前首相を有罪にするために、三木首相は過去に採用されたことのない異常な追訴手法を採用します

ここから筆者の説明が始まるけれど、まさに政治の世界の魑魅魍魎(ちみもうりょう)な実体が展開される。

その後、田中首相を政治的に抹殺したロッキード事件は、どこが問題なのでしょうか

とか、

なぜアメリカは田中角栄首相を政治的に葬りたかったのでしょうか
私は日中国交回復が米国を怒らせたのだと思っています


とか、とても沢山説明してくれて、詳しくて良いのだけれど、この筆者の欠点がひとつあるとすれば、いろいろなことを説明し過ぎて、かえって分からなくなることだ。だって、一度こう結論づけておきながら、再度、

米国が田中角栄首相を政治的に葬った理由は石油だという説があります
私はこの説には疑問をもっています


 いやいや、日中国交回復が原因だと筆者が思えば、もうそれでいいじゃないの。こんな風に、話が行ったり来たりするので、読みやすい本ではありません。でもね、我慢して読んでいれば、情報は沢山あって、菅直人民主党政権まで至っている。2012年に出た本なので、巷に出回っているか分からないけれど、日本の本当の戦後史を知りたい方にはお薦めの本です。

2024. 10.28



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