バイロイト音楽祭コメントの準備を始めました

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

慌ただしい今週
 今週は、日生劇場で9日土曜日「連隊の娘」の初日が開くし、アメリカでは5日に大統領選があるし、肉体的にはそうでもないのだけれど、精神的にいろいろ慌ただしい週である。
 「連隊の娘」は、もう昨日11月3日日曜日から実際に日生劇場に入り、A組の場当たり及びピアノ通し稽古が終わり、今日の午後はB組の場当たり&通し稽古。そして、明日からオーケストラ付きになる。粟國淳さん演出の、もう大成功間違いなしの素晴らしい舞台が出来つつある。

 一方、アメリカ大統領選は、このまま順調に進めば、トランプ元大統領の大勝利は間違いなしなんだけど、期日前投票ですでにあちこちで不正が起こっているようで、まだまだ安心できない。
 アメリカでは、「投票人の名前」と、カードに記載されている「数字かアルファベット」とのコンビネーションが一致さえしていれば、投票場に入って投票できるという。でも、それがもしコピーされていたら、同じ名前で何人も投票できてしまい、不正が簡単にできるという。そして現に、それが多数行われていると聞く。
 何も政策を語れないカマラ・ハリスの化けの皮が剥がれても、DSとすると、何としてもトランプに勝たせるわけにはいかないので、あらゆる手を使ってくるのだろうね。それにしても、トランプにイーロン・マスクが付き、ハリスにビル・ゲイツが付いたことによって、相反する世界が実に分かり易くなったね。ツイッターがあまりにバンされるので、イーロンはツイッターを買収してXにした。とすると、イーロンがどっちの側か一目瞭然だ。

 米国の選挙運動期間では、結構、相手候補者の悪口を言い合うのが許されているのだね。だから演説の半分以上は悪口の応酬。なんか日本人の僕から見ると醜い。トランプも、もう客観的に見たら優勢なんだから、そのまま自分の政策を淡々と語っていればいいものを、今更変な悪口や、冗談とも付かないワケ分からないことを言って、自分の首を絞めるのをやめた方がいいよね。

 さて、世界には、まだ正義というものが機能しているのだろうか?選挙は果たして正しく行われるのだろうか?この大統領選は、現代の民主主義のあり方に対するひとつの大きな目安になるだろう。注意して見張っていよう。

バイロイト音楽祭コメントの準備を始めました
女性指揮者の大活躍

 また今年も、NHKから、年末のバイロイト音楽祭の放送のコメント依頼が来た。昨年まで2年間、ヴァレンティン・シュヴァルツ演出の「ニーベルングの指環」の演目を担当していたが、今年は指環ではなく、「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」、そして新演出の「トリスタンとイゾルデ」の3本を担当することとなった。早速NHKから資料と音源を入手し、「オランダ人」と「タンホイザー」をすでに聴いて、今「トリスタン」の途中まで聴いたところ。

 今年のバイロイト音楽祭の最大の興味は、一気に3人も女性指揮者が起用されたこと。「オランダ人」のオクサーナ・リニフ、「タンホイザー」のナタリー・シュトゥッツマン、そして「ニーベルングの指環」のシモーネ・ヤングだ。その中の先の二人はもう聴いたけれど、素晴らしい結果を見せている。
 オクサーナ・リニフの引き締まった確実な音楽とバランス感覚と、元来アルト歌手だったナタリー・シュトゥッツマンの、歌に寄り添ったカンタービレとドラマチックな仕上がりなど、どっちみちバイロイト祝祭劇場のオケピット内は見えないけれど、女性がどうのこうのではなく、男性指揮者だとしても、ここまでの仕上がりはなかなか期待できない。
 実際、まだ途中ながら、「トリスタン」の指揮者セミヨン・ビシュコフのもっさりした音楽を聴くと、ガッカリする。反対に、男という状態にあぐらをかいているんじゃないの?と、変なツッコミを入れたくなる。

演出の領域に踏み込んでいくか?
 今年変わったことといえば、森岡美穂さんという方と対談をすることとなっている。調べてみると、森岡さんは、オペラにおける演出に興味を持っていて、彼女の活動のひとつの柱となっているようだ。

 一方、僕の方は、バイロイト音楽祭のコメントをするにあたって、これまで、NHK・FMはラジオだから、それぞれ担当する楽劇の音楽面に集中して話をすればいいので、演出の面に触れなくてもよかったから気持ちが楽だった。どんなに物議を醸し出した変な演出であっても、少なくともワーグナーの書いたテキストは一字一句変えられていないし、音楽も一音たりとも変えられていない。

 もし演出に踏み込んでコメントしたら、ポジティブな意見を言ってもネガティブな意見を言っても、反対側の意見を持つ人達から非難されるかも知れない。その点、傲慢を覚悟で言えば、かつて国立音大声楽科で声楽を学び、その後ベルリン芸術大学で指揮を学び、作曲も少なからずして、さらにかなり若い頃からワグネリアンの僕は、音楽面に特化して話している限り(好みの違いは置いといて)、そう人から非難されるほど間違ったコメントはしていないつもりである。歌手達の発声の状態も手に取るように分かるし、指揮者の音楽的アプローチも客観的に分かる。

 ところが、そんな安全圏に居座っていた僕に、演出に興味を持っている方との対談の話が飛び込んできたので、ドイツ語の批評を中心に、演出面の記事もじっくり読み始めてみた。すると、今、バイロイト音楽祭の演出って、とんでもないことになっていることに気が付いた。
 まあ、前からその事は知っていたよ。2010年にバイロイトに行って、合唱指揮者のエバハルト・フリードリヒからゲネプロ券を用意してもらって、ティーレマン指揮の「リング」やカタリーナ・ワーグナー演出の「マイスタージンガー」などを見せてもらったが、その時のハンス・ノイエンフェルス演出の「ローエングリン」の合唱団の衣装がネズミで笑ったりした。


Bayreuth2024批評


同じ音楽で全く別なストーリー
 ただ、どうも最近ではそれだけでは済まないみたいで、ストーリーの置き換えがハンパじゃない。
たとえば「さまよえるオランダ人」の演出について、以下のホームページではThomas Schacherトーマス・シャヒャーという批評家によって、このような「読み替え」が行われていることが書かれている。
まずタイトルは、
Erschossen statt erlöst: Der fliegende Holländer in Bayreuth
「“救済(解放)された”替わりに“撃たれた”」
となっている。

Ein Mann hat als Junge etwas Schreckliches erlebt: Seine Mutter wird im kleinen norwegischen Dorf vom Platzhirsch vergewaltigt.
Nachdem sie von der Dorfgemeinschaft verstoßen wird, erhängt sie sich vor den Augen ihres Sohnes.

  ある男が子供の時に恐ろしい体験をする。彼の母親は、ノルウェーの小さな村で首領(ダーラント)に強姦される。
それによって彼女は村の共同体から追放され、彼女の息子の前で首を吊って死んでしまう。

  Nach vielen Jahren in der Fremde reich geworden, kehrt der Mann wieder in sein Heimatdorf zurück.
Er verliebt sich in die Tochter des Platzhirschs und hofft, dass ihre bedingungslose Liebe ihn von seinem Fluch erlösen könnte.
Die Tochter willigt scheinbar ein, der Vater wittert ein gutes Geschäft.

  その男は、長年の間異国の地にいて裕福になり、故郷の村に帰ってくる。
そこで彼は首領の娘に恋をし、彼女の無条件の愛が、彼の呪いを解放してくれるのではと期待する。
彼女は表向き同意し、父親は良いビジネスの匂いをかぎつける。

Doch die Dorfbewohnter bedrohen den Mann, weil sie ihn für einen Fremden halten.
Da feuert er drei tödliche Schüsse auf sie ab.
Die Ehefrau des Platzhirschs rächt sich ihrerseits, indem sie den Mann erschießt.
Die Mörderin und ihre Tochter umarmen sich. Vorhang.

  ところが、村の住人達は彼をあくまで“よそもの”として扱い、彼を脅すので、彼は三発の銃弾を撃ち村人達を殺す。
首領の妻は復讐として男を撃つ。
彼を殺した妻と娘は互いに抱き合い、幕となる。

 さらに日本人のブログで、詳しい演出への記述がある。

  チェルニャコフの演出。ステージは瀟洒な建物がいくつか並ぶ街なのだが、その建物が場面ごとに移動して舞台が展開する。 
  幕が開くとその場所でオランダ人が、女性が首を吊った2階を見上げるシーンで始まる。つまり、その遺された子どもがオランダ人ということのようだ。

  オランダ人は街の居酒屋(NEW Wi-Fiという文字が黒板にあるので、現代の設定のようだ)で飲んだくれている客の男たちにビールをおごり、彼らが帰ったあとダーラントと話をして舵手と3人で祝杯をあげるところで第1幕部分終了。

  場面が変わり、女性たちの合唱を指導するのがマリー(ダーラントの妻)。
合唱の中に一人歌わないふてくされた不良少女がゼンタで、マリーのカバンの中からオランダ人の写真を発見。

  その後、エリックがゼンタに自分が見た夢を語るシーン。

  そして舞台転換。オランダ人はダーラントの家の食卓に招かれるが、マリーも同席していて、ゼンタはいやいや席に着く。そしてゼンタはマリーに反感を持っているようだ。結局ゼンタとオランダ人は愛の誓い。ここまでが第2幕相当。

  第3幕は屋外での宴会だが、飲んで騒ぐ街の人(ダーラントの船の水夫に相当)と、ステージ手前にいるオランダ人配下の暗く寡黙な雰囲気の男10人ぐらい(幽 霊船の船員に相当)との対比が気味悪い。やがてオランダ人配下の男と街の若者が喧嘩を始め、なんとオランダ人が街の人たちに発砲して数名が死ぬ。

  その後、ゼンタとエリックの会話となり、それを聞いたオランダ人が激高するわけだが、そこで右手にある建物が炎上。ゼンタに詰め寄るオランダ人に向けてなぜかマリーが発砲。オランダ人は倒れて死ぬ。ゼンタはマリーからライフルを取り上げ、そこで幕となる。

  ???原作から乖離した完全な読み替え演出だが、ドロドロした人間関係が苦手な自分には、演出家が想定する主人公たちの関係が理解できない。マリーはゼンタの母親なのか?オランダ人はダーラントに復讐したのか?そもそも答えはないのかもしれない。

 う~~ん・・・これだけ読んでいても、現代のバイロイト音楽祭の聴衆は、ある意味可哀想かも知れないと思ってしまう。つまり、簡単に言って、音楽も歌詞も同じはずなのに、目の前で展開しているのは、全く別の物語なのだ。救済と言っているのに救済とは全く関係ない物語が進行しているわけだな。

歌手達について
 さて、まあ、演出のことは取りあえず置いておくとして、音楽的には素晴らしい水準が保たれていると思うよ。まず、オランダ人役のミヒャエル・フォレだけれど、先ほどのトーマス・シャヒャーはこう書いている。

Michael Volle ist ein Holländer, wie ihn wohl alle Opernhäuser der Welt wünschen. Ideal verkörpert er die Rolle dieses getriebenen, unerlösten Untoten.
Sein phänomenaler Bariton vermag mühelos vom kammermusikalischen Parlando zum verzweifelten Herausschreien zu wechseln.

ミヒャエル・フォッレは世界中の全てのオペラ劇場が望んでいる(理想の)オランダ人だ。
どんなに熱望しても解放を望んでも、『死ねない』という運命を持つこの役柄を、彼は理想的に演じ切る。
彼の驚異的なバリトンの声は、室内楽的な語りから、絶望的な絶叫まで、苦もなく変化し成し遂げるのだ。

 もう大絶賛だね。この人はゼンタ役のElisabeth Teigeエリザベト・タイゲについても褒めているけれど、僕の意見は、う~~~ん・・・ちょっと違うな。僕は彼女のトレモロっぽい荒いビブラートが、はっきり言って嫌いだ。ただ、ゼンタはエキセントリックな女性だから、まあ許せる範囲だ。
 実はね、昨年の「ワルキューレ」で、彼女はジークリンデを歌っていたのだけれど、クラウス=フローリアン・フォークトのジークムントの声と全く合わなくて、NHKの番組の中でも、わざわざその部分を抜き出して、
「ほらね、合わないでしょ」
と聴かせたほどなのだ。他にフランツィスカ・シュトルツという批評家も同じ事を言っていた。
 それなのに・・・なんと、やはり今年僕がコメントを担当する「タンホイザー」でも、フォークトがタンホイザーを歌い、タイゲがエリーザベトを歌うんだぜ。考えられないと思わない。誰がキャスティングしているんだろう?名目的にはカタリナ・ワーグナーということになっているのだろうけれど・・・。
エリーザベートは、タンホイザーのような奴に惹かれてはいるけれど、ゼンタとは全く違って、清純で信仰深くて、あんな自堕落な奴のために、犠牲的精神で祈って祈って・・・祈り死ぬのだ・・・で、死因は何?・・・ま、それは置いといて・・・・少なくとも、清らかさ故の感動を聴衆に与えないといけない。
 ヴォルフラムが有名な「夕星の歌」を歌った直後のエリーザベトのアリアもね・・・もう今年の録音を聴いているのだけれど、“タンホイザーのための自己犠牲を視野に入れた清らかな祈り”という感じではないんだよね。
 ワーグナーってね、情熱的な部分と同じくらい崇高な部分が大切なんだよね。それが、ひとりの中で共存するのがワーグナーなんだ。だから声楽的にも、そしてモチベーションの構築にとっても、難しい要因だ。

 おっとっと・・・ まだNHKの準備が始まったばかりなのに、随分いろんなことを書いてしまった。って、ゆーか、こうして書きながら考えをまとめて収録に臨むのが一番能率的で・・・でさ・・・皆さんにとっても有意義なんじゃない?・・・あのね、こういう僕の前段階のまとまりのない意見を、どうもNHKの担当者も読んでいるようなのだ。だから、うっかりなことは書けません・・・と言いつつ、しっかり書いています。あははははは。

フリードリヒがバイロイトを辞めた!
 ところで、バイロイト祝祭合唱団の合唱指揮をしているエバハルト・フリードリヒが、今年で辞めるというニュースが飛び込んできた。それで慌てて、エバハルトにメールをしたら、早速本人から返事が返ってきた。本当はメールの全文を載せたいところだが、それは失礼なので要点だけ訳して知らせよう。

その通りなんだ。僕はバイロイトに(ノルベルト・バラッチのアシスタントの時代も含めて)30年以上も勤めたのに、君が知っているように今年で辞めることにした。
 
カタリーナ・ワーグナーは、2024年の音楽祭にあたって、祝祭合唱団の人数を、これまでの134人(僕が働いていた2000年頃は140人だった)から、なんと80人に減らしたいと言ってきたのだ。
何度ものやり取りの後、結局今年は115人で妥協した。
 
でも、来年以降の事を考えると、事態はもう予測できる。その話し合いを今年の音楽祭開催中にしなければならなかったが、カタリーナと喧嘩したわけではないよ。
いずれにしても、自分がこれまで求めて築き上げてきたレベルにまで持って行くことは無理なので、辞めると言っただけだ。恐らくカタリーナは僕の決断に驚いただろうね。

また、東京の春音楽祭で来日する時に、いろいろ話そう!

 ということである。いつも3月の終わりにエバハルトは来日して、僕たちはその間にお茶を飲んだり夕飯を一緒に食べたりする。まあ、彼にもいろいろたまっている事があるのだろうな。じっくり話を聞いてあげよう。

2024. 11.4



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA