NHKの続報とモーストリー・クラシックの依頼

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

NHK収録は続く
 ここのところ毎週書いているが、先週、11月26日火曜日は一回目の収録だった。「さまよえるオランダ人」と「トリスタンとイゾルデ」を無事録音し終わって、あとは今から一週間先の12月9日月曜日に「タンホイザー」を録音するだけなので、かなり気が楽になった。
 NHK FM 「バイロイト音楽祭2024」の解説トーク収録までの準備は毎年大変で、目がショボショボになるほどだけれど、逆に言うと、その間の僕の精神状態はとても充実している。逆に、来週の収録が終わってしまったら、その後、どうやって生きていこう?と思うほどだ。

 これも先週書いたが、その「タンホイザー」収録時に、中央大学准教授で、英文学及びオペラ演出批評を専門分野としている森岡実穂さんという方と対談をすることになっていて、先日、対談のための打ち合わせをした。
 収録では、「タンホイザー」のトビアス・クラッツァー演出をきっかけに、ワーグナーの演出について話を進めていくことになる。NHKからは、すでに「トリスタンとイゾルデ」のブルーレイが送られて観ているし、先週の「今日この頃」で、僕が、「タンホイザー」の映像をYoutubeで見つけて見始めたのだけれど、階下から妻が夕飯に呼んだので、一度パソコンを消し、食後再びYoutubeを開いたら、二度とその映像に辿り着けなかった、という記事を書いたのを、録音担当者が読んでいて、26日の収録の時に、笑いながら「タンホイザー」2019年初演時のブルーレイをくれた。

 初演時にはタンホイザーをステファン・グールドが演じ、ヴェーヌスには、新国立劇場にも何度も登場した美人のエレナ・ツィトコワが演じていた。そのグールドも今は亡き人だ。対談で、別に僕は“アンチ読み替え演出”の立場から語るわけではないけれど、とても面白く、かつバイロイトで、これほどポジティヴに受け入れられた“読み替え演出”もないだろうと断言できるこの素晴らしい「タンホイザー」プロジェクトに、あえてケチをつけるとすると、こうだ。
 バイロイト祝祭劇場での歌合戦に出場しているタンホイザーを追って、小人症のオスカー、ニグロのガトーショコラと共にバイロイト祝祭劇場に不法侵入したヴェーヌスは、出演間近の4人の小姓のひとりを縛り付け、コスチュームを奪って舞台に出ていく。
 いろいろ挙動不審で抱腹絶倒なのだが、しかしながら、ヴェーヌスがここまで現実的でコミカルになってしまうのは、もっと大きなテーマ、すなわちタンホイザーの魂の救済劇としてはどうなのかな?という疑問を、僕は当然持ってしまうわけよ。
 ワーグナーの原作では、第3幕後半で、ローマまで巡礼の旅をして教皇に謁見したのに赦されなかったタンホイザーは、やけっぱちになってヴェーヌスを再び呼び出す。その間に清らかなエリーザベトは、タンホイザーのために祈って祈って祈り死ぬ(なんで?)。その自己犠牲の甲斐あって、枯れた杖に緑が芽吹き、タンホイザーの罪は赦されるのだ。
 ここにおいては、エリーザベトもヴェーヌスもワーグナーの頭の中で生まれた観念的存在なのだ。すなわち、人間の中にある“聖なるものに近づき贖われたい”象徴と、“情熱や情欲に身を沈めたい”象徴だ。
 それなのに、ヴェーヌスが、ただのひとりの女として舞台でコミカルな演技をすることによって、「タンホイザー」という作品に内在する“霊的な広がり”という要素がなくなって、ただこっちの女かあっちの女か、という小さい話に落ちてしまう。こんなに上手に作り変えられ、歌詞も音楽もひとつも替えられていないのに、これだけのサイドストーリーを構築できたクラッツァーの才能が凄いのは納得出来るのだが、やっぱり“救済”とか“解脱”とかいう霊的要素を創作の原点とするワーグナーの作品を相手にするのは難しいよね。

 収録の12月9日は月曜日。午前中から「タンホイザー」を録り、午後に対談の収録なので、「今日この頃」の記事を書くわけにはいかないのだけれど、日曜日に書いておくか、一日遅れるか、どちらかになります。日曜日に書いた場合、収録の記事は書けないけれど、まあ、みなさんにとってはどっちでもいいやね。

クリスマス・オラトリオについての記事
 NHK収録の11月26日。ホッとして夕方帰宅したら、月刊モーストリー・クラシックからメールが届いていた。次の号で「年末から年始にかけての音楽」の特集を組むので、是非三澤さんには「クリスマス・オラトリオ」についての記事を書いてもらいたい、という内容だった。しかも締め切りは12月6日でお願いしたいという話である。
 これって、12月15日とかに発売する号の記事なんでしょう。12月6日締め切ってギリギリ!そういえば、先月号の第九の歌詞に関する記事もギリギリに頼んできた。編集長のFさんったら、誰か頼んだ人の記事がボツになったかなんかで、穴埋めに僕に頼んでない?

 ただね、丁度収録が無事済んで、気持ちが油断しているところだったので、まだ12月9日の二度目の収録が残っているというのに、すぐに返事を書いてしまった。以下が僕のメールの内容。ほぼ本文に近い。

いつも、ありがとうございます!というか、いつもギリギリのベストタイミングでお話しを下さるのに驚いています。
というのは、もし昨日までにメールが来たならば、断っていたかも知れないのです。
実は、毎年なんですが、NHK・FMの年末の『バイロイト音楽祭』全曲放送の解説をやっていて、まさに今日の11月26日が、3つ頼まれている演目の内、「さまよえるオランダ人」と「トリスタンとイゾルデ」のスピーチの収録の日で、NHKに行って録音してきたところです。

そして残りの「タンホイザー」のスピーチと、ある方との対談が残っていて、その収録が12月9日にあります。
今日の収録に関してスピーチ原稿の直しが昨日まで来ていて、全然余裕がなくて、その先の「タンホイザー」は、録音は聴いて演奏の感想などのメモは取り、同時にドイツ語の批評など資料を集めて読んでいるものの、まだ原稿自体は白紙の状態です。
「まずは先のふたつの作品の収録が無事終わらないと・・・先は何も見えない!」と、今朝まで思っていました。

ところが、今日の収録が無事終わってみたら、根が楽観主義者なのか、急に心に余裕ができて、
「あとタンホイザーだけだ」
と思えてきたので、
「クリスマス・オラトリオ」のお話しのメールに気が付いた時には、
「うわっ!このタイミングで入ってきたか!」
と驚きましたけど、
「やっぱりギリギリには違いないけれど、大好きな作品なので、何か書けるかも知れない」
と思っています。

とはいえ、今週中にまず「タンホイザー」のスピーチ原稿を書き始めないと不安で仕方ないのも事実です。なので、今週末になって初めて「クリスマス・オラトリオ」原稿には着手し、同時進行しながらも、そちらもギリギリで間に合うと思います。

我が国では、12月25日が終わってしまうと、もう樅の木は片付けてしまって、
代わりにお正月の松飾りの用意を始めてしまいますが、私が留学していたドイツでは、クリスマス期間は12月24日のイブに始まり、翌年の1月6日の公現節まで続きますから、まさに「クリスマスから新年の音楽」という特集にピッタリですね。
「ジングルベル」と大騒ぎする日本と、しっとりと家族水いらずで味わうヨーロッパのクリスマスの文化の違い、また、逆に、大晦日の花火や爆竹などを使った大騒ぎが、除夜の鐘の日本とは真逆な文化であることにも少し触れながら、1月6日用の第6カンタータまで続く「クリスマス・オラトリオ」についての分かり易い記事を書いてみます。
ということで、是非やらせてください!

 おいおい、また背負い込んでしまったよ。本当に貧乏性!その後のやり取りで、
「締め切り、いつも結構ギリギリですね」
と書いたら、
「筆の速い三澤さんですから・・・」
とおだててきた。う、その手には乗るか!

 ただね、そもそもクリスマス・オラトリオに関しては、いろいろ書きたいことがあるんだ。それで、「タンホイザー」の準備と平行してもう書き始めたが、1600字という制約があるのに、タッタッタッと筆が進んで、気が付いたらもう2000字を越えている。それなのに本当に書きたいことはまだ書いていない。あははは・・・ダメだこりゃあ!
 それで、このページでは、書きたいことを書きたいだけ書いてみる。そして気が済んだ後で、再びまっさらな原稿に向かい、今度は1600字を睨みながら、モーストリークラシック用の記事を一気に仕上げるつもり。部分的に重なる個所もあるかも知れないけれど、たぶん全然異なった文章になる気がするので、みなさん、モーストリー・クラシックも買って下さいね。

 ドイツの冬は暗くて寒い。僕がベルリン芸術大学に入学した1981年の冬は、零下20度以下の日が続き、9時の指揮法の授業に間に合うために、8時半近くに家のバス停で立っていると、それだけで体の芯まで冷えてくる。緯度が高いため白夜の反対で、あたりはまだ真っ暗だ。
 イヴの夕方には驚かされた。あの大都会の大通りから車という車が全て消え、あたりが静寂に包まれたのだ。外に出てみると窓辺から賛美歌が聞こえてきた。午前0時。深夜なのに街中の教会の鐘が鳴り響き、極寒の夜空の下、みんなゾロゾロと教会に出掛けて行く。 その晩を初めとして、ドイツのクリスマス期間は、年を越して1月6日の公現節まで続いた。“馬小屋”と呼ばれる聖家族の像や、家庭での樅の木も、当然その日まで飾られていた。
 6つの独立したカンタータの集合であるバッハの「クリスマス・オラトリオ」も、そんなドイツの教会暦に従って作曲された。初演の日程を見ると、カンタータ第1番から第3番までは、12月25日から27日までの3日間で演奏された。第4番は1月1日。第5番は新年後最初の日曜日で、その年は1月2日。第6番が顕現節の1月6日であった。
 ところが日本にはそのような風習がないので、全6曲を生演奏で聴く機会がとても少ない。さらに我が国では、12月25日が過ぎると、樅の木などはさっさと片付けられ、門松やしめ縄などでお正月ムード一色になってしまうので、新年の上演を想定した第4カンタータ以降の居場所がないということもある。

 1996年の暮れ。僕は名古屋バッハ・アンサンブルコールを率いて、シュツットガルト、ベルリンのマテウス教会、マリエン教会でクリスマス・オラトリオの演奏会を開いた。一晩で全曲演奏したのだが、それを聞いてどの教会でも、
「6曲一度に一晩で演奏するなんて非常識よ。頭おかしい」
と言われた。でも、演奏会が始まったら、僕が全曲暗譜で指揮したということもあって、各地でスタンディング・オベイションで受け入れてもらえた。
「今年のベルリンで、この曲何回演奏されるか知ってますか?60回ですよ」
 それを聞いて僕は思った。その60回といういのは、全曲が60回ではなくて、それぞれのカンタータを合わせて60回なんだろうな。
「演奏会場での上演はありますか?」
と聞いたら、
「勿論ありません。全部教会です」
まあ、そうだろうなあ。

 いいなあ、そもそも教会での上演なので、ホール借用料が要らないし、各教会ではお抱えの演奏家がいるので、1カンタータずつ初演時のような日程で行われるのだろう。この上演方法が、そもそも日本では不可能なわけだ。
 恐らくそれぞれの教会での演奏レベルというのは、そんなに高くないのかも知れない。だから、僕たちの演奏にスタンディング・オベイションしてくれたのだろうけど・・・でも、そういうことではなくて・・・たとえば日本の山車で叩いている太鼓や笛や踊りのレベルって、コンクールするほど高くないかも知れないけれど、各地域であれだけの山車があるんだもの、全国合わせて、どれだけの人達が祭りになると狩り出されるのか?そういうことこそ、文化というものだろう。クリスマス・オラトリオが、それほど人々の生活に溶け込んでいるということなのだ。それだもの、日本人が逆立ちしたって、到底太刀打ちできないと思った。

 「クリスマス・オラトリオ」が初演されたのは、1734年から35年にかけてのクリスマス期間。バッハ49歳の時。すでに1727年に「マタイ受難曲」を、1733年に「ロ短調ミサ曲」のキリエ及びグローリアを作曲しており、まさに最も脂の乗り切った時期である。だから、みんなにもっともっと知って欲しいよね。

(この後、おそらく原稿では、具体的な曲の紹介と説明が続くと思われる)

 グローリアの歌詞の元となった「いと高きところには栄光、神にあれ」Gloria in excelsis Deoは、多くの場合3拍子で作曲されることが多いが、第2カンタータではEhre sei Gott in der Höheというゴツゴツしたドイツ語に対応しているからか、4拍子で堅実に書かれている。
 さらに「地には御心に適う人に平和あれ」という部分は、通常静かな音楽で通して作曲されるのだが、バッハはそれを「地上には平和」und Friede auf Erdenという静かな部分と「人には善意」und den Menschen ein Wohlgefallenという活発な部分とに分けて作曲している。要するに「天、地、人」である。
 ラテン語のEt in terra pax hominibus bonae voluntatisでは、どちらともとれる文章なのだが、ドイツ語訳では、間にund「そして」が入ってしまうため、このように3つの部分に分けて作曲されているのが不思議だ。

 実は「クリスマス・オラトリオ」でひとつだけ気になることがある。第1部で初めて登場するコラール「いかにしてあなたを迎えたらいいか」に、バッハはなんとマタイ受難曲で頻繁に出てくる受難コラールのメロディーを付けているのだ。
 そしてさらにダメ押しのように、第6カンタータの終曲、すなわち全曲の終曲も3本のトランペットとティンパニで賑々しく始まる音楽に乗って、合唱が歌うのはまさにその受難コラールなのである。つまり、キリストは降誕の時に、すでに“人類の罪の購いのための十字架上の死”を運命づけられていたという解釈である。

 僕個人はその考えは嫌いだ。だって、それではあまりにもイエスが可哀想ではないか。イエスだって、自分の宣教がうまくいって、目の前で沢山の人の魂が救われることを望んで生まれてきたに違いない。そうでなければ、イエスの初期の山上の説教などの熱心な伝道活動も無意味で、むしろイエスは、そんなまだるっこしいことなどしないで、
「これから私はみなさん人類のために、十字架に掛かることで罪の購いをしますから、それを拝んでくれれば、罪は赦されます」
とだけ言って歩けば良かったではないか・・・とまあ、そんな反発をも感じながらクリスマス・オラトリオに親しんでいただきたいと思っている「今日この頃」です。

2024. 12.2



Cafe MDR HOME

© HIROFUMI MISAWA