NHKバイロイト音楽祭の収録、無事終了

三澤洋史 

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火野正平さんのこと
 『にっぽん縦断こころ旅』をいつから観はじめたかよく覚えていない。みなさんの大方の人達もきっと僕のような感じで、なんとなくチャンネルを回してみたら目に入ってきて、とりわけ面白いというわけでもないけれど、それでもなんとなく時間になると観ていたような人が少なくないんじゃないかな。

 とりわけ僕は、自転車に乗るのが大好きなので、自転車目線で目の前の風景が移り変わっていくのが心地よかったし、坂道になって「ふうふう」というのも、とっても良く分かったし、下り坂になった時の「ざまあみろ!」的な開放感にも共感を持った。

 今年になって、また『こころ旅』が始まると聞いて、見たが、別の人が出ていてスペインなどを旅している。あれれ、どうしたんだ?と思って調べてみたら、腰を痛めて、急遽他の人に頼んで、火野さんが元気になったらまた戻ってくると聞いていたのに・・・。

 火野正平さんが亡くなったと聞いた時には、
「ええっ?」
とは思ったけれど、即座に悲しいとは思わなかった。けれど、最近になって、なんだかジワジワと無性に淋しい。
と思っていたら、Youtubeで目に入ってきた映像にジーンとなった。



 日野正平さんって、いろいろユル~い感じのおっさんで、女性に対してもユル~いんだろうな・・・でも、きっと、悪意はなくて、むしろ変なところで、とっても気が利いたりして・・・いるいる・・・そーゆー人、全然憎めないんだよな。

 でさ、
「なんちゃって・・・オレ、生きてま~す!」
って言いそうな感じ・・・う~~~ん・・・なんかサミシー!

NHKバイロイト音楽祭の収録、無事終了!
 今、12月9日月曜日21時。今日は午前11時半にNHKのスタジオ605に入り、午前中に「タンホイザー」本編のコメントを収録し、13時に中央大学経済学部教授の森岡実穂さんがいらして、対談の部分だけ収録した。
 これまで、時間の制約が厳しかったので、与えられた時間をオーバーしないように、自宅で、何度も何度もストップ・ウォッチで朗読の時間を計っては、原稿を削っていたが、今回は、何故かその制約がありません、というので、原稿を書くのも楽だし、本番でも、
「あと××秒削ってもらえますか?」
と言われることもなく、めちゃめちゃ気持ちが楽だった。
 そもそも森岡さんとの対談があるので、あまり事前にきっちり決めるわけにもいかず、かなり余裕を持ってくれていたというのがあるのだろう。ただ、油断して、何度も取り直ししたりしている内に、今度はスタジオの予約時間の16時というのが迫ってきてしまった。

 まあ、対談の部分は、台本もないし、流れで進んで行ったので、あとはもう編集を待つしかありませんなあ。とにかく、ずっと準備を進めてきていて、何度も音源を聴いたり、ドイツ語の批評も、おびただしい量を読んだし、自分の意見をまとめて文章にして・・・大変だけど充実した時間を与えてくれたNHKには、ここのところ毎年だけれど、本当に感謝しかない。でも、今日でとにかく終わったあ~~~~!

 やや暗くなりかけた渋谷の街を、ゆったりと歩いて駅まで来て京王井の頭線に乗り、明大前で乗り換えて、何も考えずにあっという間に府中まで来て、そのまま帰るのも何なので、カフェに入って、満ち足りた気持ちでしばしボーッとした。
 それからKALDIに行って、サラミと赤ワインビネガーとスリーピング・ハーブティー(わけあって今プチ禁酒をしている)を買って帰途についた。

また、放送の情報も追ってお知らせするね。
 

ウィリアム・ケントリッジの「魔笛」
 新国立劇場では12月10日火曜日から「魔笛」公演が始まる。僕にとっては、いつも通りの「魔笛」だと思っていたが、思いがけないことから、前の記事で書いたとおり、オペラの演出を研究している森岡実穂さんとNHK FMバイロイト音楽祭の収録で対談することになり、事前の打ち合わせの時に森岡さんからいただいた本の中に、ウィリアム・ケントリッジ演出「魔笛」に関する小論文が載っていたのでびっくりした。
 まず演出家のケントリッジについて、森岡さんの文章をそのまま引用しよう。以下のようである。

1955年に南アフリカ和国のヨハネスブルク生まれた彼は、この国がアパルトヘイト政権下にあった時代に生まれている。
ユダヤ系移民の子孫であり、反アパルトヘイト派の弁護士を父に持ち、1975年から地元ヨハネスブルクのジャンクション・アヴェニュー劇団で役者としての活動を開始する。

 彼は、政治に関心があり、南アフリカで起こる事件に対していろいろ思うところあったが、自分自身が直接政治活動に関わるのは好まず、自分なりに、芸術活動を通して社会に関わることを模索し始めたという。
 そんな彼が本格的にオペラの演出に関わった最初の作品が実は「魔笛」だったそうで、2005年ブリュッセルのモネ劇場で初演され、2019年に新国立劇場で再演されたのである。初演時、モネ劇場の音楽監督は大野和士さんで、その大野さんが2018年に新国立劇場芸術監督になってからすぐにこの「魔笛」を持ってきたわけだ。
 新国立劇場のホームページには、ケントリッジ氏のトークが載っていて、その質問をしているのが、なんと今回僕が対談する森岡美穂さんであった。

 森岡さんの質問の仕方が適切で、ケントリッジがどんどん調子が出てきて、いろんなことを多岐に渡ってしゃべってくれた。

 「魔笛」の第一幕でタミーのが笛を吹くシーンがあるが、そのバックの映像で、アニメーションタッチのサイが笛に魅せられて逆立ちしたりお茶目な仕草をする。ところが第二幕で、ザラストロの二つのアリアのうち、最初のアリア「おおイシス、オシリスよ」の時に、アフリカの草原にサファリジャケットを着て銃を持ったふたりの人が映し出され、二つ目のアリア「この聖なる聖堂では」の最中では、アニメではなく実写のサイが銃で撃たれてのたうち回るところが動画で映し出されて、その酷さに心が痛む。

 おそらくケントリッジとしては、ザラストロの目指す理想の姿は素晴らしいには違いないのだろうが、同時にその素晴らしい人達から切り離された存在もあって、そこには断絶が存在すると言いたいのだろう。サイとは、たとえば植民地の先住民や女性、弱い立場の者の象徴であろう。自分たちのサークルの外側の存在が、どんなに苦しんでも無関心なのだ。

 こうしたメッセージは確かに分かる。ところがどうも引っ掛かる。せっかくザラストロが理想的世界を語り、それを美しいメロディーで歌いあげてくれるので、みんな音楽と理想に酔いたいのに、どうしてよりによってこの瞬間に興ざめするようなメッセージを見せるの?もっと冷静なときにみんなで議論して考えればいいじゃない、ということ。

 まあケントリッジにしてみれば、このように理想に酔っている人(聴衆も同様)に限って、他を傷つけていることに無関心なのだ、とも言いたいのであろう。モーツァルトが魔笛を書いた頃は、まだ上に立つ人が素晴らしい人であれば、素晴らしい世の中が築けると、みんなが素直に信じていた時代だったかも知れない。貴族制さえ革命によって倒せば、理想的な民主主義の世の中が来ると本気で信じていた幸せな時代だったのかも知れない。

 しかしながら人類は、それから何度も何度も裏切られてきた。スターリンに・・・ヒットラーに・・・それを知っている現代人は、もう理想に酔うことも、今更そういう素晴らしい世の中が来ると信じることも、できないんだよな・・・チャンチャン、というのも何だか淋しいよね。

 せめてモーツァルトの音楽が響いている間だけでも、この地球全体に愛と理想の世界がいつか必ず実現するということを、子供のような無邪気な気持ちで信じたい、と思っている「今日この頃」です。

2024. 12.9



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