アルブレヒトとのFace Time

三澤洋史 

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「魔笛」千穐楽の楽屋にて
 12月15日日曜日、午後2時過ぎの新国立劇場。合唱指揮者楽屋にノート・パソコンを持ち込んで書いている。今日は「魔笛」の最終日だ。モニター・スピーカーから変ホ長調の和音が聞こえてくる。どういうわけなんだろう。変ホ長調のこの和音に“高貴さ”を感じるのはどうしてなんだろうか?そう刷り込まれたから?いやいや、やっぱり感じるよ。
 「フィガロの結婚」序曲のニ長調の屈託のない明るさとは全く違う世界。まもなくアレグロに変わって第2ヴァイオリンがフーガのメロディを弾き始めると、次々にメロディが重なっていく。この序曲だけでも素晴らしい傑作だ。

「モーツァルトの全ての作品の中でどれが好き?」
と聞かれると、いろいろ迷う。第41番交響曲のジュピターも好きだし、クラリネットという翳りのある楽器を使ったクラリネット5重奏やクラリネット協奏曲も好きだし、ピアノ協奏曲第21番や27番も好きだし・・・あれれ・・・そういえば短調の曲がないね。40番ト短調交響曲は?20番ニ短調ピアノ協奏曲は?
 みんな好きだよ。でもね、ピアノ協奏曲を例に取ってみれば、20番ニ短調よりも27番変ロ長調の方が悲しい。ジュピター交響曲ハ長調は全く悲しくないけど、39番変ホ長調の方が40番ト短調よりも悲しいんだ。う~ん・・・悲しいというより、そこはかとない哀しみと言った方がいいな。

 「魔笛」はモーツァルトのオペラの中で断トツに好き。しかも本当に良く出来てる。まず調性感の設定が全て辻褄が合っている。全体は先ほども言った高貴な変ホ長調で、序曲と第二幕フィナーレの基本調となっているが、序曲の直後は平行調のハ短調で蛇に襲われたタミーノが歌う。後に出てくるタミーノのアリアも高貴な変ホ長調。
 一方、パパゲーノは基本的に“お気楽な”ト長調。最初のアリアや最後のパパゲーナを探すアリア、及び、パパパの二重唱もト長調。
 夜の女王の有名なアリアはニ短調。20番ピアノ協奏曲と同じ悲劇的な調。パミーナのアリアは40番交響曲と同じト短調。ザラストロの「この高貴な殿堂では」のホ長調の崇高でいて慈愛に溢れたアリアの美しさを何にたとえよう。アナリーゼをしたって、単純すぎて何も出てこない。どこからこの響きは生まれてくるのだろうか?天才が、大宇宙に流れる輝かしく清らかな音楽の流れから、ほんのひとしずくをすくって現世にもたらしたもの。そうとしか思えない。

 さて、何度か合唱フォローのために出入りしたり、音楽スタッフ控え室に遊びに行ったため、パソコンを付けっぱなしにしてお部屋を空けたが、舞台は第二幕フィナーレに入ってきた。九嶋香奈枝さんが演じるパミーナが剣を持って自殺しようとするのを、3人の童子が止める場面だ。
 九嶋さんは、最近までパパゲーナを歌っていたんだよ。で、前回からパミーナになった。その時はまだパミーナにしてはちょっと声が軽いかなとも思ったが、元々とても音楽的に歌える人なので心配はなかった。さらに、今回あらためて聴いて、良いリリコ・ソプラノに成長したなと嬉しくなった。
 童子達は新国立劇場合唱団のメンバーでもある前川依子さん、野田千恵子さん、花房英理子さんで、音色も音程もピッタリ合っていて、僕のご自慢だ。ザラストロのマテウス・フランサの声が深くて音圧が素晴らしい!こんな声を持つ人は日本にはいない。

 おっとっとっと・・・そろそろパソコンを閉じて着替え始めなければならない。聴衆は満員。舞台下手から走り込んでカーテンコールを受ける。千穐楽だ。ちょっと淋しいな。

(着替え終わって)「魔笛」が終わると、今年中の本番としては第九演奏会がある。今年は「魔笛」をやっているので、いつもの読売日本交響楽団とはスケジュールがダブっているためできない。それで東京フィルハーモニー交響楽団の第九を担当する。ホール毎に案内が違うのであるが、本番は20日金曜日オペラシティ21日土曜日サントリー・ホール22日日曜日オーチャードの三回。

では、舞台袖にカーテンコールを受けに行ってきまーす!(パソコンを終了する)


「魔笛」 千穐楽:カーテンコール
(出典: 新国立劇場)

アルブレヒトとのFace Time
 年が明けると4日から早々に「さまよえるオランダ人」の音楽稽古に続いて立ち稽古が始まる。その指揮者であるマルク・アルブレヒトが、事前に僕とコンタクトを取りたいと彼のマネージャーを通して言ってきた。

 最初はFace Timeでお話ししたいと言ってきた。メールではなくて、直接話しがしたいらしい。Face Timeって、家族でよく孫の杏樹なんかも交えてやったりするけど、そのままだと携帯電話の画面とかになっちゃうじゃない。僕としては、たとえば譜面を見せ合ったりしながら、パソコンの大きなディスプレイで伸び伸び話がしたいので、
「Skypeとかではどうですか?」
と投げてみた。
 しばらく経ってみたら、マネージャーから返事が来て、こう書いてあった。

vielen Dank für Ihre schnelle Rückmeldung! Würde Ihnen der 13.12. um 10 Uhr(Deutschland) bzw. 18 Uhr (Japan) passen?
すぐお返事下さってありがとうございます。それでは12月13日10時(ドイツ時間)つまり日本時間の18時でどうですか?
Jetzt müssen wir nur schauen, wie Sie am besten kommunizieren. Herr Albrecht hat Skype heruntergeladen - wie ist Ihr Benutzername dort?
あなたたちがどのようにコミュニケーションを取ったら最善なのかちょっと様子を見てみましょう。とりあえずアルブレヒト氏はスカイプをインストールしまし た。あなたのスカイプ名は何ですか?

それから当日つまり12月13日金曜日の日本時間で早朝、今度はマルク本人からメールが入っていた。
leider klappt es mit skype nicht gut. Wäre es möglich, dass wir uns auf Teams unterhalten? Ich werde Ihnen dann eine Einladung schicken.
どうも自分にSkypeはうまく扱えないみたいです。なのでTeamsで話し合うのはどうでしょうか?」
と聞いてきた。
 そのTeamsというのが、ビデオ・コンタクトのためのアプリだと知らなくて、僕はてっきりSkypeのままで、マルクに代わってマネージャーが仕切りながら、3人で“チームを組んで”コンタクトを取るのだと勘違いして、自分のskypeのIDやメルアドを彼に渡していた。

 さて、12月13日金曜日、日本時間午後6時、ドイツ時間では午前10時がやってきた。僕はドキドキしながらSkypeを開いてマネージャーからの連絡が来るのを待っていた。ところが来ない。おかしいなと思って、ちなみにメールを開いてみたら、
「ヒロへ、これを開いてみてくれ。これでTeamsに入れるんだ」
というマルクからのメールが届いていた。それで僕は初めてTeamsというのが「チームを組んで」ではなくSkypeやZoomのようなアプリの名前だと知った。急いでTeamsをブラウザ上から開いて、マルクがアプローチしてくるのを待った・・・待ってみた・・・でも、来ない。それで僕は、自分からアプローチしてみた・・・届かない・・・反応もない・・・どうしよう・・・。

 そこへちょうど長女の志保が帰宅した。志保は、僕がまだコンタクトが取れないで慌てている姿を見て、
「パパ、なにやってんの?」
と言うから、
「向こうの言う通りしているんだけど、未だに連絡が取れないんだ」
「そんじゃあさあ、最初に向こうが言ってた通りFace Timeにしたら?多分それが一番慣れているんでしょ。繋がらなかったら元も子もないしさ」
と言うなり、勝手に僕の携帯を取り上げ、Face Time上でMarc Albrechtを検索した。すると、いきなり携帯の画面にマルクが登場した。画面の向こうではマルクも同じように驚いていた。
 つまり、マルクも僕と同じくらい、こういうことに慣れていないので、よく分かっていない。Teamsも、立ち上げたはいいが、どう対処して良いか分からないでいたら、いきなり彼の携帯のFace Timeで僕からのアクセスが来て、よく分からないまま対応したら繋がったということなのだ。時計を見たら18時30分だった。
"Hallo Marc! Wie geht's dir ?"
「ハロー、マルク、元気かい?」
この間の抜けた挨拶に二人で笑った。そのまま僕が、
「やっと(endlich)繋がったね」
と言ったら、
「素晴らしい!繋がった!嬉しい!もう駄目かと思ってたよ」
と言う。
「僕も嬉しい!」
と二人のおじさんが子供のように喜び合った。僕はすぐさま彼に謝った。
「Skypeの方が良いなんて言ってごめん!本当は大きなパソコンの画面で話をしたかったからそう書いたんだけど、結局君が最初から言っていたFace Timeが一番慣れていて良かったんだね」
と僕。
「いやあ、こういうのはよく分からなくって・・・それに、使ったことないものは特にね・・・」
とマルク。
「いや、こっちもそう。ま、繋がったんだから結果オーライだね。このまま話をしよう!」
ということで、それからは“最新の機械に慣れないおじさん同士”の実になごやかな会話が始まった。

 「さまよえるオランダ人」について、彼には(事前に連絡を取りたかったくらいだから)いろいろなこだわりがあった。たとえば、雑に大きいまま歌われてしまうけれど、「ここはきちんとピアノから出て記譜通りここまでにクレッシェンドしたい」
とか、
「ここは、あえて短く切りたい」
とか、ドイツ語のニュアンスのこととか、結構細かい。
 でも、僕には彼の要求したいことは全て分かったし、僕も僕で、バイロイト音楽祭でワーグナーの生きている時から(と言われているけれど、本当かどうか分からない)ずっと行われているAlla Bayreuth(伝統的なやり方)を示したら、
「了解!そのやり方でやってみよう」
と納得してくれた。なんだかんだで40分くらい話したかな。

 通常は、事前にこうしたコンタクトを取ることはほとんどなくて、指揮者が来日してから全てが始まるものだ。でも、それだと、立ち稽古のために団員達に全て暗譜させてしまってから軌道修正することになるので、かなり時間のロスになるし、団員達も混乱してしまって大変だ。
「オランダ人」については、年内は12月25日、それから年が明けて1月4日と5日の合計3回音楽稽古が残っている。その残り3回でゆったり軌道修正できてから、6日にマエストロを迎えることができるからベストの状態だ。

 楽しくFace Timeで、
「それじゃあ東京で会おうね。バイバイ!」
と会話を終えて階下に戻ってきてみたら、志保がいたので、
「ありがとう!お陰でやっとお話ができたよ」
と言ったら、
「ありがとうじゃないよ。あたしがいなかったら一体どーするつもりだったの?」
「ホントだよね。お互いメールで『だめだったね』って書いて諦めるとか・・・ほとんど、そうなりそうだったよ・・・・よくベストタイミングで帰って来てくれたね」
「まったく、おじさん二人、ど~にもなんないね、って、ゆーか、なんかそうなりそうな予感がして気になっていたんだよ」
妻が横から、
「まあ、無事お話ができたんだから良かったじゃないの」

 この会話の前に、僕は、
「僕をHiroって呼んでね。お互いdu(君)で話そう」
というやり取りをメールでしていた。だから会話の最初からファーストネームで呼び合ったが、なんだろね。ドイツ語ってduで呼び合うだけで、とっても距離が縮まって仲良くなる気がするね。特にお互い最初からドジ踏んでたからなおさらだね。
 英語なんて、最初からyouしかなくて、Sie(あなた)に相当する単語がないんだけど、逆にSieの“互いを敬う距離感”があるからこそ、duの近さが生きるのだね。目上だからSieじゃないといけないとかいう常識はないんだ。純粋に距離を保つか保たないかの問題。それをあらためて感じた今回の会話だった。

マルクと日本で遭うのがとっても楽しみになってきた。


Marc Albrecht
(出典: marcalbrecht.website )

2024. 12.16



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