僕が僕である証の本番
今年は、いろんな“自分ならではの催し物”がそれぞれ上手くいき、とても充実したひとときの連続であった。ともかく、自分がいなくては始まらないし、僕が僕である証というのかな、僕ならではの公演というのが特に目立った、実に幸運な1年であった。神様に感謝!
6月16日日曜日。東京六大学OB合唱連盟演奏会で、東京大学コールアカデミーOB合唱団のアカデミカコール(男声合唱団)が、髙野喜久雄作詞、髙田三郎作曲「水のいのち」を演奏。歌詞の意味を丁寧に指導し、まとまった響きと団員達の集中力とで、とても良い演奏ができたと思っている。それにしても、こうした“人生に真摯に向かい合う作品”って、最近はあんまりないので、それだけでも貴重な気がする。
6月22日土曜日及び23日日曜日。新町文化ホールで自作ミュージカル「ナディーヌ」上演。この作品は、物語から自分で考え、台本、作曲、演出、指揮を自分で手掛けた、特に思い入れのある作品。
それを、込山由貴子さんのナディーヌと山本萌(はじめ)君のピエールという若いフレッシュな二人が見事に演じ切り、さらに、オリーを演じる大森いちえいさん、ニングルマーチの秋本健さん、及びドクター・タンタンの初谷敬史さんなどのベテラン陣が支えて、みんなで一丸となって、とても感動的な上演ができました。会場中がけっこう泣いてくれて、本当に嬉しかった!僕もコンガを叩きながら指揮できて楽しかった!
7月20日土曜日。アッシジの聖フランシスコ聖堂にて、自作の宗教曲のみで演奏会を開いた。思えば、このためのアッシジ祝祭合唱団を公募して、一年前の9月2日土曜日に第1回目の練習を行って発足した。それから練習を重ねて、6月8日にはカトリック田園調布教会で国内演奏会を行い、そしていよいよアッシジに乗り込んだ。
僕もイタリア語は習っていたけれど、イタリア語でイタリア人の演奏家を相手に練習をつけるのは初めての体験だった。7月20日の当日は、予想していた通り、あるいは予想以上に、《夢のような場所で、夢のような演奏会》を行うことができた。皆さんも集中して素晴らしい成果をあげた。
特筆すべきは、それぞれ準備の段階から本番まで、適材適所で素晴らしい活躍をしてくれたスタッフの、特に、SAさん(音楽面で) N さん(録画など)そしてSeさん(ホームページ管理及びプログラム、チラシなど)で、どんなに感謝してもし過ぎることはない。本当に、みなさん、ありがとう!
9月1日日曜日。志木第九の会演奏会。団員も少なく、団自体の存続すら危ぶまれた上でのコンサートであったが、東京バロック・スコラーズのメンバーなどの無償でのエキストラが参加してくれて、カンタータ「土の歌」もフォーレの「レクィエム」も、結構感動的な演奏会になった。
演奏会が終わったら、僕の高崎高校の大先輩でピアノ伴奏者の塚田佳男さんが聴きに来てくれて楽屋を訪れてくれたのでびっくりした。エレクトーン伴奏者の長谷川幹人さんといつも共演していて、そこから僕の演奏会を知ったらしい。
台風が来ていて、演奏会の開催が危ぶまれていたが、その台風のお陰で、塚田さんの関西の演奏会がNGとなったから来れたということで、あらま、台風様々でした。
9月15日日曜日。モーツァルト200演奏会。そこではベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲も自分にとっては新鮮で嬉しかったが、なんといっても、アッシジでも演奏した自作のミサ曲であるMissa pro Paceのフル編成管弦楽バージョン初演が楽しかった。アッシジのメンバーもエキストラで乗ってくれて、共に分かち合うことができた。
来年をどんな年にするのか?
ウクライナとロシアは依然戦闘を継続している。それどころか、北朝鮮の兵士が大量にロシア側からこの戦闘に加わって、話をややこしくしている。
シリアではアサド政権があっけなく崩壊し、アサド氏はロシアに逃げ込んでいる。しかしながらイスラエルのネタニヤフ首相の動きが怪しい。イスラエルは、この混乱を機に、国土を拡張しようとしているのかもしれない。中国では習近平を軍が抑えたまま、どうなっているのか分からない。世界は永遠の混迷から抜け出せないように見える。
ここから先は、僕のこと頭おかしいと思ってくれて結構だけれど、聞く耳のある人は聞いて下さい。
2024年がもうすぐ終わり、2025年がやって来ると、トランプ氏が大統領に返り咲いて、いよいよ1月20日から第2次トランプ政権となる。トランプ氏は、いろいろなことをすでに知っている。そして、もし自分が大統領になったなら、
「UFOの情報を明かす」
と言っているし、
「エプスタイン島に訪れた人のリストを公表する」
とも言っているし、
「ケネディ大統領暗殺の真実を明かす」
とも言っている。
つまり、これまで我々はいかに愚かな人達によって操られていたか、いかに様々な大事な情報を隠蔽されてきていたか、そして、これから我々人類は、何を目指してどう生きるべきか、しだいに明らかになるのである。
その中でも、UFOのことについては、もうすぐにでもオープンにする時期が来たと思う。バシャールも、もう自分の使命は終わりつつあると言っているし、人類がさらなる進歩を遂げるためには、もう地球上の救世主だけでは、ただ宗教戦争を起こすだけなので、限界なのである。
宇宙人が現れたら人類が攻撃されるのではないか?と心配する人がいるだろうが、それだったらもうとっくに人類は占領されている。限りなく遠い宇宙から地球に来られるような文明を持つ宇宙人は、我々が考えているような低級な倫理観なんかとっくに卒業していて、むしろ我々の低さにあきれながらも、どうやって慈愛をもって我々を導いていこうかと思っているのだ。
僕のいうことを今信じなくていいです。でも、そのうち分かります。それより、そうやって我々の意識は変革し、アセンションを遂げていくか・・・・さもなければ滅んでいくか・・・・その瀬戸際に立たされているのだということは、最低限分かっているべきだと思います。
さて、2025年が、どんな年になるか?それは我々一人一人のあり方に関わってきているのです。
マーラーに浸り始める
新しいオーケストラ
わけあって愛知祝祭管弦楽団はひとまず中断して、名古屋に新しいオーケストラを作った。このオーケストラは、コンサートマスターには例のピロシ君などはいるけれども、愛知祝祭管弦楽団とは何の関係もない、縁もゆかりもない全く新しいオーケストラである。言っとくけど、本当に別の管弦楽団です。
強いて言えば今年の夏に、“にもオーケストラ・オイリュトミー・プロジェクト”で新たに寄せ集めして、地元の愛知県長久手市だけでなく、わざわざ東京まで嵐の中出掛けて行って演奏したメンバーの残党が、長久手の打ち上げで、
「このまんまでは収まりが付かないね。そんじゃあ、マーラーでもやろっか!三澤先生、マーラーだったら何やりたい?」
「やるなら絶対、交響曲第5番!2番から4番まではやったことあるんだ。1番はねえ、今更『青春の痛み』って心境でもないし、反対に9番は、まだその心境まで行ってない。5番をやらない内は6番はやりたくない。だから絶対5番!今こそ5番!」
「OK、是非マラ5をみんなでやりましょう!」
一同賛同。歓呼の叫び!
ということで、そのオーケストラで、マーラー作曲交響曲第5番をメインにした演奏会を2025年10月13日月曜日スポーツの日(休日)に愛知県芸術文化センターで行うことになった。でも“にもプロジェクト”は終わっちゃったし、何か名前を付けないといけないので、とりあえず“愛知MFオーケストラ”と命名した。MFの意味は、ミサワ・フロイデだったかな?
さて、メイン・プログラムは決まったが、前曲を決めないといけない。僕とすると歌の入った曲がいいなあと思っていたら、楽団員達がみんな揃ってイチオシの三輪陽子さんをソリストにしたいと言ってきたので、いろいろ模索した結果、「リュッケルトの詩による5つの歌曲」に決めた。三輪さんも快く承諾してくれて、話がトントンと決まった。やったあ!大好きなマーラーが指揮できる!
凄く早くから準備開始
僕の大好きな作曲家を3人挙げるとすると、迷いなくバッハ、ワーグナー、マーラーを挙げる。5人挙げるとすると、その3人にベートーヴェンとモーツァルトが続く。そんな大切な作曲家の作品に初めて取り組む場合には、僕の場合、もの凄く早くから最初の準備を開始する。集中して暗譜直前にまで早々と持って行くと思えば、逆に、それから途中で寝かせる期間を取ったりもするが、とにかく、本番は10月でまだ年も明けてないのに、最初はリュッケルトの歌曲集から。それに続いて交響曲第5番のスコアを読み始めた。
どう勉強するのかというと、曲そのものは昔から知っているので、まずピアノでスコア・リーディングをする。ゆっくりと細部を顕微鏡で見るようにえぐり出して、このパートとこのパートだけ組み合わせて弾いてみたり・・・そうかと思うと、スコアを遠くから見る感じでザックリとメロディーとハーモニーだけで弾いてみたり、一度CDでサーッと聴いてみて・・・また、チマチマと細部をマニアックにピアノをつま弾きながらアナリーゼ・・・こんなことやってると、いくら時間があっても足りねえ・・・指揮をしたら一瞬で過ぎ去ってしまうので、こんな勉強は要らないと思う指揮者もいるだろうね。でも、これが僕のやり方。これが楽しいんです。たったひとりで誰も知らないだろうけど、逆に誰にも邪魔されない僕だけの「作品と戯れるかけがえのない時間」。
曲の成立過程
そうしたスコア・リーディングの時間を通して、音楽のアナリーゼは自然に行えるが、それとは別に、これらの曲の成立過程など周辺の情報も、ゆったりと時間を取って調べてみる。
たとえばリュッケルトの歌曲集であるが、このひとつひとつの歌曲は、マーラーの全くプライベートな環境から生まれており、というか、みんな彼のオペラ劇場での公務から離れた夏のバカンスの間に作られている。次の表を見れば分かるが、2曲目からの3曲は同じ1901年の(恐らく4曲目も)夏のバカンスの間にマイエルニッヒのヴェルター湖畔の別荘で書かれたものであるが、とはいえ、両端の曲も含めて、一連の連作歌曲にしようなどという意図は全くなくて、自由にランダムに作られている。しかも原作はピアノ伴奏で、後にオーケストレーションが施されている。実際に演奏会で演奏する曲順は、以下の成立順とは全然関係ない。
Um Mitternacht「真夜中に」 | |||||||||
1899年あるいは1900年 | ケルステンかプスタ―タール | ||||||||
Blicke mir nicht in der Lieder「私の歌をのぞかないで下さい」 | |||||||||
1901年6月 | マイエルニッヒ、ヴェルター湖畔の別荘 | ||||||||
Ich atmet' einen linden Duft「ほのかなかおりを私はかいだ」 | |||||||||
1901年夏のいつか | マイエルニッヒ、ヴェルター湖畔の別荘 | ||||||||
Ich bin der Welt abhanden gekommen「私はこの世に忘れられた」 | |||||||||
1901年8月16日 | 場所未定(最初のスケッチの記載) | ||||||||
Liebst du um Schönheit 「美しさのゆえに愛するなら」 | |||||||||
1902年あるいは1903年 | マイエルニッヒ、ヴェルター湖畔の別荘 |
リュッケルト~5番~アルマとの出遭い
一方、交響曲第5番に関しても、リュッケルト歌曲集にかなり接近した時期に作曲されている。すなわち、マーラー第5番に関する最初の知らせとして、第3楽章スケルツォのところに記載されたのが1901年8月4日及び5日という日付である。その前のいつに最初の構想を練り、スケッチを始めたのかは定かではないが、少なくともこの頃には作曲はしていたわけだ。
さて、このリュッケルト歌曲集の5曲中3曲を創り上げ、第5番を創作している最中に、マーラー個人に大きな転機が訪れる。それは、すなわちアルマ・シントラーとの出遭いである。
マーラーは、それまでナターリエ・バウアー=レヒナーという女性と20年にも渡る交友を重ねていたが、1901年11月にアルマ・シントラーと出遭い、そのまま恋に陥って、1902年3月にはもう結婚してしまう。それまで、誰よりもマーラーの近くにいて、彼の理解者であったレヒナーは、そのことを知ると、ひっそりとマーラーの元を去ったという。
そして、第5番交響曲が完成された時期についてであるが、1902年8月23日にグイド・アドラーとニーナ・シュピーグラーに宛てたハガキによると、マーラが次のように書いてある
Endlich bin ich fertig ! | とうとう完成したぞ! | |||||||||
V ist also auch da! | 第5番はそういうわけでここにある! |
- Wie ich dich liebe, Du meine Sonne
- 君をどのように愛そうか、君、僕の太陽よ
- ich kann mit Worten Dir's nicht sagen
- 言葉では君にとても伝えられない
- Nur meine Sehnsucht kann ich Dir klagen
- ただ僕のあこがれが君に嘆くことができるのみだ。
- Und meine Liebe Meine Wonne!
- 僕の愛、僕の歓びよ!
マーラー日本語資料
追伸:
来週の「今日この頃」は、まだ年内の30日ですがお休みします。
28日土曜日29日日曜日には、浜松バッハ研究会の練習に行き、一度東京に帰って来ますが、30日から家族で白馬に行って年を越し、1月2日木曜日まで滞在。
その後群馬の妻の実家に行って3日金曜日に帰京。4日土曜日から新国立劇場で「さまよえるオランダ人」の合唱音楽練習で仕事始めです。
皆様におかれましては、どうぞ良いお年を!
また来年もよろしくお願いします!
2024. 12.23