暖かくやさしさに包まれたメサイア

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

しつこい音声障害
 ずっと音声障害が続いている。実は、年末の12月28日に孫娘の杏樹が39度の熱を出した。その日は浜松バッハ研究会の年末集中稽古で東京を離れていたのだが、30日から家族で白馬に行って歳を越しながらスキー三昧の日々を送る予定だったので、どうしようかと思った。
 杏樹は病院で検査をしたが、コロナでもインフルエンザでもないという診断を受けた。そして次の日には熱は37度まで下がってしまった。何だこれは?もしかしたら知恵熱か?まあ、いずれにしても白馬までは行って、スキーはしないで、もともとスキーをする予定のない妻とペンションでおとなしくしていようね、と言っていたが、子供って凄いね。熱が下がったらもう滑る気満々でいる。

 幸い、30日は、のんびり行ったので2時間くらいしか滑る時間がなかったから、杏樹も当然の感じでゲレンデに出て、一日目の予行演習滑走は終わった。続く31日は、杏樹は1日キッズ・レッスンを何の問題もなく元気でこなした。なので、杏樹の熱は何だったのだろう?という感じで年を越した。

 ただし、正月に入って2日に妻の実家に行った頃から、妻の体調がややすぐれず、3日に東京に帰って来てから熱が出て音声障害となった。杏樹のが移ったことは間違いなかった。少し遅れて僕の声がややガラガラとなった。杏樹の風邪の潜在的パワーは凄いな。でも僕の場合、熱は今日に至るまで一度も上がっていない。

 1月4日土曜日は、午後から新国立劇場で「さまよえるオランダ人」の合唱音楽稽古、その後、夜は東京大学コールアカデミーOB合唱団のアカデミカ・コールの練習に行った。今日は清水脩作曲「アイヌのウポポ」。2月11日火曜日建国記念日に行われる現役の演奏会の中で、OBと現役の合同ステージの演目だ。
 この午後と夜の練習で声を酷使し過ぎたためであろう。翌5日日曜日の朝起きたら、ほとんど声が出ない状態になっていた。声を使う職業なので、ただちに薬局でトローチだの風邪薬だの求めたが、あいかわらず熱も出なくて、障害はピンポイントで声だけに集中している。体は元気だし、先ほども書いたけれど熱も全然出ない。
 その後、再び別の薬局で響声破笛丸という漢方の顆粒薬を求めた。これは、2023年の11月に新型コロナ・ウィルスに感染して音声障害が起きた時に、人から紹介されて初めて買った薬だ。NHKバイロイト音楽祭解説の収録が迫っていたので焦っていたのだが、飲んだら一発で治ったので驚いた。素晴らしい薬だ。しかしながら、今回の音声障害はガンコで、響声破笛丸さえ、もうほとんどひと箱が空になりそうなのに効かない!これが駄目だと、もう為す術がない!

 蜂蜜とレモンのお湯を飲んだり、効きそうなハーブのお湯を飲んだりして床につき、明日は良くなるかなというかすかな希望を抱きながら寝るが、朝起きても変わらない!失望の内に一日を始める、という生活を先週はずっと繰り返している内に、浜松バッハ研究会の演奏会がどんどん近づいて来た。

暖かくやさしさに包まれた「メサイア」
声が治らない!

 そんな中で11日土曜日の「メサイア」通し練習の日がやって来てしまった。
「みなさん、こんにちは!」
の僕の声に、みんなびっくりしている。
 体は元気なので心配しないでね、という気持ちなのであるが、内容が「メサイア」全曲なので、
「大丈夫かな?明日無事に本番できるかな?」
という顔を団員達がしているのも無理もないだろう。
 ただ、午後4時から始まる通し稽古もなんなくこなしたので、みんなもホッとしたのではないかな。
 暮れの12月29日に、ピアノ稽古と午後の通し稽古ですでに合わせているソリスト達は、さらに自分なりにいろいろ煮詰めてきて、自由な表現が見られる。飯田みち代さん、三輪陽子さん、畑儀文さん、加藤宏隆さんの4人は、おそらく僕が現在我が国で考えられる「メサイア」の独唱メンバーとしては最高の人材であろう。

 練習終了後、いつもだったら迷わずマイン・シュロースに行って、ヴァイツェン・ビールのジョッキーを片手に、ブラート・ヴルストを頬張るところだが、今回は、明日のことを考えて、駅前の八百徳で、ラストオーダーギリギリでお櫃鰻茶漬けを食べた。ビールも飲むわけにいかないからね。でも税込み4730円って、随分値上がりしたね。こんな時じゃないと食べられないね。


八百徳のお櫃鰻茶漬け

 翌朝。ウナギ・パワーに期待したが、目が覚めて一声出したけれど、声は変わらない。おい、畜生!ウナギめ!効かないじゃないか!4730円返せ!

 10時から返し稽古。とはいいながら、かなりたっぷりやった。ソリスト達とはアリアのカデンツの確認を行い、合唱は時々飛ばしながらダイナミックなどの確認を行い、トランペットの位置の確認などを行っていたら、通し稽古と同じくらいかかった。

そしていよいよ本番
 なんだろう?浜松の聴衆の質がそれを感じさせるのかな?もちろん「メサイア」という曲の性質もある。それから、団員やオーケストラの雰囲気、そしてなんといってもソリスト達の持つ余裕と暖かさ・・・それらが総合して、なんともいえない「やさしさ」が、あたりを支配していた。
 演奏している最中の指揮者の心境っていうのは、みなさん神秘的なものに感じるかも知れないけれど・・・夢を壊して悪いんだけれど・・・たとえてみれば、宇宙飛行士ないしは管制塔の職員の心境に近い。
「序曲・・・よし、ダイナミック及びバランス良好・・・ディミヌエンドして・・・OK!それからアレグロに入る、よし、思ったテンポと表情で入ってきたぞ!」
という感じで、ひとつひとつ指示を出しながら自分で点検していく。

 曲は、ほとんど覚えているので、譜面を置かなくてもいい。「メサイア」もこれまで何度も譜面を置かずに暗譜で振っていたけれど、ある時期から僕は、この曲に限らず、暗譜で本番を振ることをやめた。その理由は、
「僕は暗譜で振っているんだ」
という自己満足の中で、本当にやらなければならないことを怠っている可能性に気付いたことだ。また、アインザッツを各パートに出すことに専念するあまり、そこと関係ないパートへの注意がおろそかになる危険性も感じていたから。
 とはいえ、今回の「メサイア」本番では、曲が始まってしまえばテンポも変わらず、むしろ、
「譜面をめくるのが面倒くさいなあ」
と思っている自分がいた。それに、習性でしょうなあ。そんなにアインザッツを出さなくてもみんな入れるっていうのに、細かくアインザッツを出している自分に笑った。ただね、それでいて、
「オレって、カッコいいだろう?」
という自己顕示欲がないのは、大きな収穫だ。
 「譜面を見ている」というのが負い目なんかではなく、むしろ「いざとなったら譜面がある」という安心感から、むしろ落ち着いて「メサイア」の様々な良さを演奏中に味わうという余裕が自分に与えられ、さらにそれが演奏している人達に伝播していくのを感じていた。
「ほら、こことっても良い音楽だよね」
とか、
「この優しさは、ヘンデル特有のものだよね」
とか演奏中に感じることが、自然に他の演奏者達に伝わっていくのを感じるのだ。

 ヘンデルって、以前も書いたように、時代の真っ只中で様々な軋轢や攻撃に晒されながら、決して自分を見失うことなく創作活動を続けていた人だ。彼が勝利者だとすると、それは、彼が自分の創作の中に“やさしさ”を盛り込むことを決して忘れなかったことだと思う。

 昔は、自分が演奏活動をすることが音楽界にどう評価されるか?などと考えていたこともあったが、今は、そんなこともまるで気にしなくなった。それよりも、今、この演奏会を通して、何を、演奏者及び聴衆と共有し合うか?そこしか考えていない。
 すると、演奏している最中に、えも言われぬ“暖かさ”や“やさしさ”があたりに充満するのを感じて、恐らくこの瞬間、自分だけでなく、意識的、無意識的なことはあるものの、この会場全体の全ての人達と、それを共有しているのだ、という実感と確信が僕を包み込んだ。

携帯電話着信音と終曲
 終曲に入ろうとした瞬間。会場の前列にいた人の携帯電話が鳴った。僕は、鳴り続けるまま終曲に入るのはいやだったので、鳴り終わるまで待った。しかし呼び出し音は鳴り続けた。これを後で録音で聴いた場合、終曲に呼び出し音が混じるのは好まなかったので、僕は待った。なかなか鳴り止まなかった。
「電源を切ればいいのに」
とも思った。呼び出し音は鳴り続けながらしだいに小さくなっていった。恐らく電話を持っていた人は会場を出て行ったのだろう。可哀想だな。みんなの批判の視線を浴びながら・・・。

 静かになったのを待って、僕は終曲のアインザッツを振り始めた。Amenになって4人のソリスト達も加わって、崇高なる雰囲気になおいっそうのパワーが加わった。でも、ヘンデルのAmenは、天上の手の届かない崇高さよりも、人類に寄り添った暖かさ、気高さが僕を包んだ。
 罪深いかも知れない、愚かさの中にいるかも知れないが、そんな人類を赦し愛する神の視点から奏でられるAmen。最後の小節のフェルマータを切らなければならないのが辛かったほど、僕はこのAmenに共感していた。

そうして浜松バッハ研究会の「メサイア」演奏会は終わった。

 楽屋に、ある人が訪ねてきた。ある程度年齢の行った方であった。
「申し訳ありません。私が携帯音を鳴らしてしまった者です。終曲に入るのをあんなに遅らせてしまって、申し訳なくて謝りの言葉もありません」
僕は答えた。
「いえいえ、全然怒っていませんよ。ただ、曲が始まってしまうと、録音に携帯音が混じるのは好まなかったので、待っていただけです。気にしないで下さい」

ヘンデルのおおらかさが伝播
 こういうこともありますね。打ち上げには、出るには出たが、声もそのままなので、早々に引き上げて新幹線に乗った。新幹線の中で、
「これがバッハだったら、あの携帯の方に対して少しは怒っていたかな?バッハの音楽を汚すな!なんて思って・・・。やっぱりヘンデルのおおらかさが、今回の演奏会を支配していたのだろう。ありがとうございます!ヘンデルさん!」
と思って、またまたウナギ弁当を口に放り込みながら感謝をした。打ち上げで、おいしそうな料理が沢山あったが、ほとんど食べないで失礼したからね。

2025. 1.13



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA