古希の誕生日に

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

2月28日に願ったこと、捨て去ったこと
 Youtubeを観ていたら、2月28日は惑星直列でしかも新月、宇宙的に特別な時で(本当かどうか知らないけれど)地球にとっては、3次元から5次元に意識がアセンションを遂げる日であると、複数のサイトが報じていた。
 アセンションという言葉は昔から言われていたけれど、同時に、地球人はそろそろもっと大きな宇宙的真理に目覚めなければならないとは、僕もいろいろなところから感じていた。

 ダリル・アンカにチャネリングして、沢山の情報を人類にもたらしたエササニ星のバシャールは、もうチャネリングを終了する宣言を出した。何故なら、これから宇宙人と人間との直接のオープンコンタクトが始まる時期が来たので、自分の使命は終わりつつあるというのだ。
 地球上の人類の意識がある一定のレベルまで辿り着いていないのに、宇宙人が現れて隷属させながら導いたり、一方的に知識を与えようとすることは、宇宙では厳しく禁じられているそうだが、そうなると地球人のレベルも、ようやく辿り着いてきたということか。

 トランプ氏がアメリカ合衆国大統領に再び就任できたのも、アセンションには必要な事だったと言われている。彼は選挙中の公約の中でも、当選したらUFOの情報を公開すると言っていた。米国はNASAを中心に、すでに様々な宇宙人の情報を掴んでいることは明白だ。

 さて、アセンションに際して、2月28日、僕はある決意をして、それを紙に書き、祈りながらその紙を燃やした。あることに意識を向けていく決意と、反対にあることを捨て去る決意だ。
 実際にはかなり具体的にひとつひとつを書いたが、かいつまんでギリギリ言うと、自分の全てのこれからの活動が、愛と融和の為にフォーカスして行われ、自分の人生における真の使命を全うすることであり、そのために起こり得るネガティブな事柄に対する恐れや不安を全て捨て去ることである。
 それらの事を書いた紙を、僕は家の庭先で燃やした。驚くほど良く燃え、あっという間に炎に包まれ、跡形もなく消えてしまった。それだけでも願いが叶ったように信じられ、あれから経済的な事も含むほぼ全ての不安が心から消えてしまった。

 勿論、「次の朝目覚めたら、全く違った世界が展開し始めた」というわけでもなく、見かけ、淡々と同じ三次元空間での日常生活は続いている。死んじゃったわけではないから、肉体的には依然と三次元で生活しているのさ。
 でも、五次元は内面の問題。実際、何かが違っている気がする。自分はすでに三次元を超えた価値観で思い、判断し、生きている、という実感だ。残りの人生は、この感じで生きていける、という確信が胸の中にある。

その気持ちを抱きながら、僕は3月3日の誕生日を迎えた。

70代に突入しました
白熊ちゃん人形

 その前に昨日の話をしよう。3月2日日曜日。僕は浜松バッハ研究会の練習場にいた。1月に浜松アクトシティ中ホールでヘンデル作曲「メサイア」全曲演奏会が終わったばかりだが、もうバッハ作曲「ヨハネ受難曲」の練習に取り組んでいて、差し当たってコラールに焦点を絞って練習を行っていたというので、英語の「メサイア」の後の久々のドイツ語でもあるし、特に歌唱のドイツ語のあり方を中心に、半ば講義のように稽古を進めていった。

 休憩時間の後、団員があるものを持ってきた。見ると可愛い熊ちゃん人形の足の裏にに何か書いてある。
「三澤先生、お誕生日おめでとうございます!」
とみんなに言われた。照れくさかった。


バッハ研誕生日プレゼント1

バッハ研誕生日プレゼント2

お坊さんの話と70代の決意
 今この原稿を書いている今日は、まさに3月3日。70歳の誕生日。そうねえ・・・70歳ともなると、誕生日だからって特別嬉しいとかおめでたいとかないねえ。ただ、先日同級生の角皆君も言っていたけれど、70代に入ったことには、何か感慨深さというか、一種の重みのようなものを感じるね。
 若い頃に外側からイメージしていた70代と、今の自分の意識との間には随分ギャップもあるしね。一番感じるのは、想像していたよりもずっと元気だということ。これはもちろん、70歳を待たずに亡くなった方も少なくないし、個人差はあるけどね。

 先ほどの2月28日の記事にも関連するけれど、僕はまだ自分の使命を本当にはやり切っていないという想いは、確信に変わり、紙を焼いた日以来、どんどん強くなっている。もしかしたら前にも書いたかも知れないけど、実は、お袋が子供の頃から僕に何度か話してくれた、あるエピソードがあって、それが益々自分の内面で大きな割合を占めてきている。お袋の話は、どうみても作り事や嘘には思えないのだ。

 昭和30年。僕が生まれてから数日経ったある日、家にひとりのお坊さんが訪ねて来たという。母が玄関に行ってみると、
「この家に男の子が生まれましたね」
と言う。母は(なんで知っているんだろうなあ)と思いながら、
「はい、3月3日に生まれました。そこに寝ています」
と答えると、お坊さんは、
「心して大切に育てなさい。この子には特別な使命があります」
と言い残して帰って行ったというのだ。

 さらに数日経ってから、また別のお坊さんが家に訊ねて来て、同じように、
「この家に男の子がいますね」
と言い、同じように大事に育てるよう言い残して去って行ったというのだ。

 それを初めて母親から聞いた時、正直言って、
「それほどでも・・・・」
と自惚れていたが、最近その事をよく想い出すんだ。
そして、別に焦っているわけではないが、妙に、
「自分には、まだ成就していない使命がある。これを成し遂げないでは自分は死ねない」
という想いが自分の心の奥から沸き起こってくるのだ。

 一方で、二十数年勤めた新国立劇場では、現在公演中の「カルメン」が3月8日土曜日に千穐楽を迎えると、任期は3月いっぱいだが、新国立劇場首席合唱指揮者としての実際の職務はその日をもって終わる。
 それが、これまでの僕の収入の大部分を支えていたので、今後、生活的に苦しくなるのは事実だし、内容に関しても、プライドを持って従事してきたので、淋しくないと言えば嘘になるかもしれないけれど、僕の同級生で、社長さんになっている人は別として、普通に働いている人はもう誰もいないから、仕方ないよね。
 今後は、優秀な冨平恭平(とみひら きょうへい)君が僕に代わって務めるので、皆さん期待し応援してください。

「痴情のもつれから相手を刺し殺す」
というような内容のオペラも、やっているとドラマチックで楽しいんだけど、先ほどから書いているように、僕はもっと自分の悟りや精神性をもってしか到達出来ない事柄に関わる使命がある。
 その道が、はっきり自分の前に開けて欲しいと、この誕生日の日にあらためて祈っている。

新しいメガネで新しい世界を
 午後には、都心に出て次女杏奈と遭う。一緒に渋谷のパリミキに行って、我が家で唯一、メイクアップ・アーチストというビジュアル系の仕事に就いている杏奈の見立てで、新しいメガネを家族からのプレゼントとして買ってくれるそうだ。僕がZoffで安いメガネばかり買うので、家族みんな呆れているのだ。
 僕は、そういうことにはなんにもこだわりがないので、別にどうでもいいんだけど、まあ、そのメガネを掛けて、あらためて“新たな世界”を観ていこうと思っている、僕の70歳になったばかりの“今日この頃”です。

スキーでの気づき、変容する空間
満員・・・快晴

 2月25日火曜日、大宮発8時01分発「たにがわ号」ガーラ湯沢行きの自由席車両は超満員で、座ることはおろか、通路の中も立っている人たちで溢れていた。大抵はスノーボーダー達で、しかもボード持参なので足の踏み場もないほど。
 周りの人たちの話を聞いていると、どうやら週末のガーラ湯沢は豪雪のためにクローズしていたらしい。しかも、その間に必死で除雪作業していたという話だ。だから、ウィークデイでもこんなに混んでいるのか。



 先日、神立スノーリゾートの時に自由席でも余裕で座れたので、油断していたというのもあるのだけれど・・・上越新幹線越後湯沢駅にはどの特急でも止まるが、その越後湯沢から新潟方面に行かずに、ひと駅だけポツンとはずれた終点ガーラ湯沢駅には「たにがわ号」でしか行けないのだ。だから混んでるというのもある。
 こんなじいさんが立ってたりして・・・むしろグリーン車で行くくらいが相応しいのではと皆さん思うでしょう。うんにゃ!いいんだ。勝手にワクワクしてるんだから!

 上越線は、在来線では(僕の記憶によると)水上くらいまでトンネルには入らないけれど、新幹線では、高崎を出るとすぐにトンネルに入る。途中2度ほど出るが、それから先週も書いたように再び長いトンネルに入って、しばらくして突然抜けると、もうほとんど越後湯沢駅の手前なのだ。川端康成の言う「国境の長いトンネル」は在来線だから、本当は僕が先週書いたトンネルとは違う。
 まあ、そんなことはどうでもいい。僕の今日のトンネルを抜けた具合はどうかな?
「国境の長いトンネルを抜けると、そこは快晴だったぜ、ざまあ見ろ!」
あはははは!先日と全然違う越後湯沢の景色だい!その越後湯沢駅から上越線の本線を逸れて数分でガーラ湯沢到着!またまた今年の冬もガーラ湯沢に来ましたよ!
 快晴!下部スキーセンターのカワバンガからゴンドラで上部のゲレンデまで登って行く間も、ワクワクドキドキが止まらない!たったひとりのゴンドラ内で、
「うふふふ~~~おほほほ~~~」
と踊っちゃたりして、実に怪しいおじさん・・・いや、おじいちゃん!
しかもゲレンデに出てみたら、空は真っ青・・・というよりむしろ群青色!雪質最高!
「うわっはっはっは!」

ガーラ~石打丸山
 今日はガーラ湯沢だけでなく、両隣の湯沢高原スキー場と石打丸山スキー場の三山共通リフト券を持っているんだ。だけどね、湯沢高原スキー場と連絡しているガーラ湯沢南エリアは、相変わらず大雪のためクローズしているので、実際には石打丸山との連絡のみ可能だ。まあ、いい。石打丸山は長大なゲレンデを持っているので、こことガーラだけの往復でも充分満足なのだ。


ガーラ湯沢と石打丸山


 気が付いたけれど、雪って、そりゃあ、少ないよりは多い方が良いけれど、多過ぎても問題だね。上部センターのチアーズからリフトまでのわずかの間なんだけど、降り積もった雪を片付けるところがなくて、小山のように盛り上がっている。最初スキーを履いたが、再び外して小山を登る。う・・・しんどい。逆に、雪の山からリフトまでは結構急な下り坂になっていて、初心者はリフト付近で前の人にぶつかったりして、まだ何も滑っていないのに転んだり、いろいろ大変。

 最初は中央エリアでウォーミングアップ。それから北エリアに渡って、いつもコブを練習している非圧雪地帯のスーパースワンに一度だけ入って様子を見る。豪雪の影響で状態は悪く、ただの荒れた新雪地帯。コブどころではない。でも午後までには誰かがコブを作ってくれるかも知れない。後でもう一度来てみよう。
 石打丸山スキー場への連絡は北エリアからできる。でも連絡路から入ると、山頂ゲレンデの途中に横入りするので、山頂リフトの乗り場まで行って、まずはあらためて山頂を目指した。

 
石打丸山頂上

 石打丸山スキー場の山頂からの眺めは圧巻だ!大きく息を吸って、南魚沼平野の大パノラマの上空に飛び込んでいく感じで滑り出す。風を切ってほぼノーブレーキで大回りカーヴィング・ターンをしたり、ショートターンを繰り返したり・・・。
 それから、そのままノンストップで一気にお山全体を滑り降りた。そして麓からゴンドラやリフトを乗り継いでまたまた一番てっぺんまで行って、またまた降りる。うわあ、楽しい!やっぱ人生スキーに限るね!
 石打丸山でも、普段だと、ゲレンデの脇のあちらこちらに、丁度相応しいコブが出来ているもんだけど、やっぱり豪雪の影響で、圧雪してあるかズブズブの新雪のまんまのどちらか。残念!今日はガーラでもここでも、コブの練習は期待できないな。

気付きとエクササイズ
 でも、その代わり、今日は整地でいろいろなエクササイズができたのは、別な意味での収穫だった。先日の「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプの角皆優人(つのかい まさひと)君のサジェスチョンがここにきて効力を発揮している。
 キャンプの間に、角皆君は、意識的あるいは無意識的に、様々な細かいコメントをしている。でも、恐らくその全てを理解できる人は、ほとんどいないと思われる。僕もまあ、そうかも知れないけれど・・・・でもね、時々引っ掛かるものがあるのだ。そのひとつが、今回、僕に新しいものをもたらしてくれた。自分でキャンプを主催していながら、一番得しているのは、もしかしたら僕自身かも知れない。

 ターン終了時にはスキー板はゲレンデに対して真横を向いている。だから切り替え時には、ストックを突いてはっきり意識して「谷側の足」から「山側の足」に重心移動できるわけだが、その瞬間まで山側の板は小指側にエッジを立てているだろう。
 これまでの僕は、その切り替えの瞬間から、結構早く、新しく重心が乗った山側の板を、小指側から親指側のエッジに切り替えて、外足によるターンの軌道を作ろうとしていた。
 それが、角皆君はレッスン中に、新しい外足になった時には、まだ板の山側のエッジに乗ったままでいいと何気なく言った。むしろ切り替え後も慌てないで、ターンの間にだんだん山側エッジからベタの底面を通って、いわゆる内エッジに乗り換えれば良いというのだ。
 一方、ではどうやって新しいターン弧への方向転換を導き出すのかと訊いたら、彼は、むしろ重心の乗っていない新しい内足の小指側のエッジを傾けると言う。ふ~~ん・・・でも、やってみたら、内足を傾けるだけで案外それが簡単にできる事に気が付いた。
 一方、最初は不安定に見える外足には、いずれにしても、ターンが進むにつれて、遠心力も効いてきて、しだいに親指側に強い圧が掛かってきて、ターンは仕上げに向かう。

 なあるほど!そうするとターン弧がよりなめらかになるのだ。ちょっとしたことだし、逆に初心者にはそれを理解する余裕がないから、こういうレッスンこそ有意義なんだよね。

 また、カーヴィング・スキーの発達で、一時期、「両足に均等に乗りなさい」なんてスキー雑誌などで言われていたが、僕はやはりスキーの王道は外足加重にあると思う。その外足を傾けてエッジを使ってカーヴィングするにしてもだ。
 それで、体重の乗っていない方の内足はどうするかというと、重心を乗せないまま、角度だけ外スキーに合わせてピタッと添えるようにしておく。こうするとシルエットが美しいのだ。
 勿論、現在のレーシングのように、両板を肩幅開き、外足を突っ張って伸ばし、内足を曲げてたたみ込むのもアリだし楽しいけど、今日は興味ないのでやらなかった。やっぱり両足が揃っている方が上品でいいな。ま、両方やるけどね。

ベストの姿勢を研究
 それから、先日、キャンプのビデオで孫の杏樹が滑っている姿と一緒に、自分の滑りを妻と一緒に観ていたら、僕の姿勢が必要以上に前傾していて、いわゆる“へっぴり腰”という状態になっているのを妻が「かっこ悪いわよ」と笑った。ほっといてよ!と思ったけれど。後でもう一度こっそり観た。
 自分的には、これで間違いなくバッチリ安定していると自信があったが、安定はしているが、いわゆる「過剰防衛」だったね。もっと上体を起こしても安定度は変わらないことに気が付いた。

 それなので、今日は、どのくらい上半身を立てても大丈夫かな?といろいろ試してみた。上体を立て過ぎたら、つられてスネの角度も立ってしまい、さらに反ったら後傾になってしまうので勿論NGだが、そうやってスタンスを変えて、どうしてこれがダメなのか?、どの角度が一番良いのか?それは何故なのか?分かりきったことかも知れないけれど、わざといろいろやってみた。
 そんな“ひとりスキーの時間”こそ、良いレッスンを受けた後には必要なんだ。今日は天気が良いから、ひとつひとつの実験が確かな結果を導き出してくる。

 さて、そうこうしている内にお昼になった。僕は、一度ガーラ湯沢の北エリアに戻って、そこから全長2.5kmの下山コースのファルコンを全速力で降りる。石打丸山での結果をファルコンで出してみようと思い、ちょっと緊張しながら頂上から滑り始める。
心掛けること。
1・自分を信じること。
2・ターンの初動から仕上げまでを安定して行い、フォームを常に安定させながら次のターンに入って行くこと。
3・常に冷静でいること。異変があったら、即座に対応すること。
4・美しく滑ること。
5・なるべくブレーキをかけないで一気に滑り降りること。

変容する空間
 あの細い急斜面で、生涯の最速が出た。それでいて安定度を一度も失わず、下まで滑り降りることができた。すると何が起こったかというと、キャンプの時の講演会で言ったことがまたまた起こった!

これをきちんと話すと長くなるのだが、要点のみを話そう。

  僕がスキーを始めてから、自転車に乗った最高速度を越えたとき(笑わないでね)、本能的な恐怖感が自分の全身を包んだ。つまり、
「今転んだら死ぬかもしれない」
という恐怖だ。
しかしながら同時に、これまでに味わったことのない陶酔感が僕の全身を包んだことも事実だ。
オーバーに聞こえるかもしれないけれど、僕を包む“空間が変容”したのだ。
  このエクスタシーの感覚は、実は音楽を聴いていたり奏でている時にも起きる。特にマーラの音楽を指揮しているときなど、これまでに何度も起きた。
それがスキーでも起こるのだ。
ただの空間から、より密度の高い、より高次な空間となる。

 僕が最近よく本で読んだりYoutubeで観たりする、宇宙存在のバシャールは、具体的にこう語っている。

覚えておいてください。すべては波動です。
音楽は、ひとつの現実から違う現実、違う次元に移っていくということを非常に簡単にやっています。
物理的な実際の音を使った波動は、ひとつの現実を破って、次の現実に入る手助けになります。
同じような新しい波動が、新たな現実をすぐに創りあげることが可能なわけです。
自分に一番強く響く和音が、あなたを一番簡単に変えてくれる和音になります。

 この「音楽に関わる」のと全く同じ感覚が、自分の許容量を超えるスピードと、それが引き起こす恐怖とのギリギリの関係の刹那に、自分の魂に“空間の変容”という感覚として引き起こされるのである。だから僕はスキーがやめられないのであり、これが単なるスポーツの歓びや快感を超えて、ひとつの精神的行為となっているのだ。

 さてファルコンを下まで降りて、ただちにゴンドラで再び上部に戻り、チアーズの2階で新潟名物タレカツ丼を食べ、午後はもっぱら北エリアのスーパースワンで不整地と格闘した。
 午前中に偵察したように、数日前からの豪雪の影響で、単なる荒らされた新雪の残骸という感じ。とはいえ、自分でコブを作ったり、やることはないわけではないので、まあまあそれなりに楽しんだわけよ。滑ってはリフトに乗り、また滑っては・・・を何度も繰り返した。
 
 そうこうしている内に時間がだんだん迫ってきたので、再び下山コースのファルコンに行き、またまた、人生最高スピード値で滑り降りて、本日の滑走を終えた。もう足パンパン!

あさってはかぐらスキー場へ
 この原稿は3月3日に見直ししながら仕上げているが、またまた懲りずに、3月5日水曜日には、今度はかぐらスキー場に行く。天気予報によると、明後日はまた雪らしい。晴天に越したことはないが、埋まるような豪雪でなければいいや。
 かぐらスキー場では、ファルコンのような、空間が変容するような長い急斜面はないが、できたらむしろコブの実質的な練習をしたい。良いコブができててくれたら嬉しいな。

2025. 3.3



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