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三澤洋史 

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かぐらスキー場での稀有なる体験
強風のため「みつまたエリア」で

 3月5日水曜日早朝。僕は「かぐらスキー場」を目指して家を出たが、途中で携帯電話からネットで確認したところ、なんと「かぐらスキー場」は強風のため閉鎖だという。しかしながら、このスキー場は、手前の「みつまたエリア」と奥の「かぐらエリア」で成り立っているのだが、そのうち少なくとも「みつまたエリア」だけはオープンしているという。
 ちょっとだけ迷ったけれど、中止して家に戻るという選択肢はなかった。何故なら、僕が持っているチケットは、JR東日本ダイナミックレールパックといって、新幹線とリフト券のコンビによる割引セットなので、今更キャンセルしても、おそらく全額返還される可能性はほぼないし、スキー場も(返還を要求されない作戦上)完全クローズではないので、なおさらお金は戻ってこないだろう。


「みつまたエリア」
(事務局注 出典:ResortSearch


 「みつまたエリア」は、これまで「かぐらエリア」行くために通り過ぎるくらいにしか考えていなかった。それでもゲレンデは3つあって、僕はその内のファミリーコースと呼ばれるメインゲレンデと、大会バーンと呼ばれるやや急なゲレンデで、よくウォーミングアップしてから、「かぐらエリア」に向かうロープウエイに乗る。そのロープウエイ乗り場に向かって降りていくのが3つめのゲレンデであるゴンドララインコースだ。ここは結構急で、途中斜面によくコブができている。
 でも、コブだったら断然「かぐら」の方が規模も大きく雪質も良いので、「行き」は、そんなところで寄り道なんかしている暇はなくて、一刻も早く「かぐら」に行きたい一心で通り過ぎるだけだったし、帰りはだいたいクタクタで、ここでコブと格闘する余裕は、残っていなかった。
 でも今日は頭の中で、
「あのコブでも、もし充分練習できれば、『みつまたエリア』だけでも欲求不満にはならないかもしれないな・・・・」
と思って、自分を慰めた。

 さて、今日は途中のことをくどくど書いても仕方ないので飛ばすが、ゲレンデがあちこち閉鎖されていると見えて、新幹線はとても空いていた。スノー・ボーダー達の話によれば、少なくともガーラ湯沢は1日完全閉鎖らしい。越後湯沢駅では、彼らの乗る神立スノーリゾート行きの無料送迎バスと、僕の乗る苗場方面の乗り合いバスの停留場には列ができていて、僕はまたまたバスの中でギュウギュウ揉まれた。

板を盗まれた!
 今日は不思議な体験をした。バスで無事みつまた停留場に着いた僕は、QRコードでリフト券のカードをゲットし、みつまたステーションで着替えて、ブーツを履き、残りの荷物をロッカーに入れて鍵を受け取り、
「さあ滑りに行くぞう!」
と、外に置いてある板を取ってゴンドラに向かおうとした。

 ところが!ところが・・・である! ない・・・ないのだ!うっそーっ!スキー板を立てかけたところに・・・その板がないのである!忽然と消え去っているのである。とっさに思った。
「誰かが間違って持って行った?」
 いや、あり得ない!何故なら僕の板はK2のChargerというもので、普通の人が持っているSalomonとかRossignolとかOgasakaなどとは全然違って、恐らくこのスキー場でK2の板を履いてる人といったら、僕くらいではないかな。見かけも全然違うし、うっかり誰かが間違って持って行くなどということはあり得ない。
 持って行くとすれば、むしろ珍しいので意図的に・・・つまり・・・それは・・・盗難!う~~~ん・・・それ以外には考えられない。

 とにかく、しばらく僕は呆然としてそこに立ち尽くしているしかなかった。
「盗まれた・・・・誰かが僕の板を持って行って、今頃滑っているというのか!ようし、それならゲレンデに出て“僕の板で滑っている奴”を探してやろう・・・でもさあ・・・自分の板もなくて、一体どうやって探すんだ・・・あっ、そっか!そうだよね・・・」
 チケット売り場の横にはレンタル・スキーの店があった。僕はとりあえずそこに入っていった。
「あのう・・・」
「はい、なんですか?」
「実は、前に置いてあったスキー板がないんですが、誰かが持ってきたりしませんよね」「はい、そういうことは・・・・」
なんて間抜けなことを訊くんだ、と自分で思った。
「盗まれたかも知れないんですが、その時はどうしたらいいですか?」
「この建物の裏に事務所があるので、とりあえず盗難届を出しておいた方がいいですよ」「盗難届か・・・そうくるか・・・って、ゆーか、そうくるしか方法がないってことだよね・・・って、ゆーか、そんなもの届けたくらいで出てきたら、世話ないよね・・・」
と思ったが、他になんにも方法がないんだよね。
そこで届けに行って書類を書いた。
「どう考えても、こんなもの書いたって出てくるはずないよな」
確信のようなものが自分を包み込む。
書き終わって係の人に渡して、元のところに戻った。相変わらず、ない・・・。

 力が抜けて、みつまたセンターに入ってソファーにどっぷり腰掛ける。まず僕が思ったことは、
「これって一体どういう意味があるというのだろう?神様は僕に一体このことで何を告げたいのだろうか?」
ということ。
「このまま、板が出てこなかったとしたら、自分の今日一日には、僕にとってどんな意味を持つことになるのだろうか?そのことによって僕は一体、なにを反省し、何を学ぶべきなんだろう?」
それから目をつむって祈った。
「神様、この板を取っていった人が、これ以上悪事をすることのないように・・・取り返しのつかないことになる前に、この行為について思い直し、元に戻してくれるように・・・そうなった場合、あるいは、そうならない場合でも、僕は決してその人のことを恨んだり憎んだりすることのないように・・・その人の魂について祈ります」
 不思議だな。祈ったら、ちょっとすっきりしてきた。って、ゆーか、自分自身が恨み心に傾いたりしないで良かったと思った。「お人好し」で「間抜け」だけれど、でも良い人のまんなでいられて、なんだか嬉しくさえなってきた。

 さ、帰ろうか・・・あはははは雪国に遊びに来たのさ・・・それだけさ・・・そういえば・・・帰りのバスは何時かな?・・・ええと・・・9時59分だって。次は11時04分だから、いつまでここに居ても仕方がないので、9時59分に乗ろう・・・もうあまり時間がないな。
 ロッカーから荷物を出して着替え直すのか。このロッカー、500円無駄になっちゃたね。スキーブーツ脱いで、ズボンもジーパンに再び履き替えて、普通の靴を履いて・・・そういえばさあ、板のケースと往復便のための透明ケースも不要になっちゃった、もちろん持って帰るけどさあ・・・。

出てきた!
 時計を見たら、もう9時55分くらい。リュックを担ぎブーツ入れを持って、ちょっと急いでバス停に向かおうとして外に出た。すると・・・・。
「あれっ?」
何気なく・・・めっちゃ何気なく・・・そこに僕のスキー板とストックの1セットが立てかけてあった。はじめに置いた所とはちょっと違うが、自分が置いた時よりもきちんと揃えてあった。
「え?どゆこと?」
あたりには誰もいない。
「板が戻ってきた・・・・ということは、帰らなくていいんだ・・・ということは・・・今日これからスキーができるんだ!バンザーイ!自分はなんてラッキーな人間なんだろう!ヤッホー!神様、ありがとう!」

 思わず走って行って、板を持ち、愛おしそうに撫でた。戻した人のことを想った。
「よかったね。取り返しのつかないことをしたりしないで。戻してくれた・・・ということは、良心の咎めがあったんだね。おめでとう! 罪のない人はこの世の中いないからね」
それから神様に祈った。
「ありがとうございます!ありがとうございます!今日もスキーができるということを、いつもの100倍も感謝します。」
 それで、またみつまたステーションに戻って、またまたスキーブーツを履き、荷物を入れるためにロッカーに行く。もう100円玉がいくつもないので、千円札を両替して100円玉五つに崩してロッカーを閉めて鍵をゲットした。

 それから事務所に行って、
「すみません!スキー板、戻ってきました。誰かが持って行って戻したようです。なので盗難届は破棄していただいていいです」
と告げて、そのままスキー場直結の「みつまたロープウエー」に乗り込んだ。


「みつまたロープウエー」

コブと格闘した実りある一日
 さて、結果的に言うと、僕は例のゴンドララインコースのコブで一日戯れることができた。上級者達は、もうここに来るしかないため、みんなで代わりばんこにコブを滑っている感じで、最初ひとつだけだった浅いコブは、しだいに2つになり、それらが見る見る深くなり、さらにその手前の所にも3つめのコブが出来始めた。

 これが自分にとってはかえってとても良い練習になった。深いコブはコブ初心者にとっては誰でも苦手だろうが、同じコブを浅い状態から滑って、だんだん深くなっていくことで慣れも手伝って、いつの間にか、かなり深くなっても、様々なアプローチができるようになった。

 大事な事は、板が真横を向いても、上体は常にフォールラインを向いていること。僕のスキー・キャンプでは、講演会の最後に、参加者にサンバ・ステップを踊ってもらうが、その際、上半身を前に固定したまま、胴体をギューッとキツイくらいにひねってもらう。これをコブで行うのである。上体が真下を向いている限り、板の先がどこを向いていようが、落ち着いて板をズラすことができるのだ。
 その方法でズラしながら手前の壁を滑り落ちたり、反対に向かい側の壁を降りたりすれば、深いコブでもスピードオーバーにならずに落ち着いて滑れる。いちいち溝から飛び出して極端なバンクターンをしてみたり、一番やっかいな「溝に沿って滑る」のさえ、深いところで全身を伸ばし、切り替えのところでは体を屈めるだけでスピードコントロールができるようになった。

 こうやって目的意識さえ持ってすれば、ゲレンデって特に広い必要はないんだよね。一体僕はこの日だけで何度「みつまた第3ロマンスリフト」に乗って、何度ゴンドララインコースを滑ったことだろう。最後は本当にクタクタに疲れ果てたが、お陰様で、深いコブが恐くなくなったぜ。かぐらエリアが開いていたら、逆に興味がいろいろに分散されてしまっただろうから、今日は最近の中でも最も実りある1日だったことは間違いない。

明らかな啓示
 それにしても・・・また考えはそこに行ってしまうが・・・僕は、今日こうした練習ができたことは、神様によってすでに決まっていたことだと思う。神様にとっては、僕が失意の内に板を失ったまま東京に帰るという選択肢は、そもそもなかったと今では信じている。
 気が付いてハッとしたことがひとつある。それは、あの時間のタイミングで、もし僕が自分の板を再び発見しなかったら・・・そしてもし僕が、そのまま9時59分のバスに乗ってしまったとしたら・・・・仮にその1分後に板が戻ったとしても・・・・僕は二度と自分の板を取り戻すことはできなかったのだ。

 それに気が付いて、体がブルッと震えた。皆さんはどう思うか分からないけれど、僕はスピリチュアルな人間なので、これが偶然だとは決して思わないのだ。

 恐らく天は僕にこう告げているのだ。
「この先、いろいろ心配なことが起きるかも知れないが、何が起きてもあなたは大丈夫です。あなたは天に愛されています。あなたは守られています。必要な時に必要な助けが必ず与えられます。それを信じなさい。
どんな時にもナーバスになってはいけません。常に人にも優しくしなさい。あなたが、板を盗んだ人を恨まなかったように、人を許しなさい。その一方で、決してあなたに注がれる天からの許しと愛を疑ってはいけません」

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「カルメン」無事終了

 3月8日土曜日。新国立劇場オペラパレスで「カルメン」の千穐楽公演が終わった。僕の新国立劇場合唱団首席指揮者の肩書きは3月いっぱいまで続くが、実質的な僕の合唱指揮者としての職務はこの日で終了した。
 合唱担当の事務局員達は高価な赤ワインのバローロをくれたり、合唱団員達はそれぞれに挨拶をしてくれたり、ちょっとした贈り物をくれたりしたが、不思議と僕の中には、24年あまり務めた割には、悲しみとか感慨深さとかは特になかった。
 新国立劇場は一時離れるが、これで仕事を辞めてしまうわけでもないし、来年早々の「こうもり」と2月の「リゴレット」公演の合唱指揮を担当することはすでに決まっているからね。

そういえば、僕と同じように3月いっぱいで、楽屋係のOさんと、ライブラリアンのAさんも定年退職するという。でも彼らの年齢を聞いたら65歳なんだね。Oさんに、
「65歳なんてまだ若いですよね」
と言ってみたら、彼なんて、
「いや、もう充分働きましたから、これからは好きなことをして暮らします」
などと言うんだ。
 僕なんか、そんなこと考えたこともないな。第一、国民年金なんかじゃ、好きなことをするどころか、まだまだ働かないと、全然食っていけないしね。

 僕の家族は、「カルメン」千穐楽公演を観に来てくれて、その晩はみんなで家の近くの焼き肉屋さんで「お疲れ会」を行った。

スケジュール管理の大変さ
 僕自身は、自分で言うのもなんだけど、70歳の割には元気だし、まだまだ自分も(音楽的にも体力的にも)若い者には負けないという自負もある。ただね、いろいろな団体に、「新国立劇場専属を辞めるので、お仕事くださいね」
と言っているので、予想した以上にお仕事の依頼は来ているのだが、当然ながら、それぞれがランダムに来るため、スケジュール管理が、これまでと比べ物にならないくらい大変だ、ということに気が付いた。
 先日も、一度OKしたものを、他の団体と重なってしまっているため、お断りしようとしたら、
「いえいえ、今更困ります!なんとかしてください!」
と言われてしまい、再びジグソーパズル状態で、組み替え組み替えで苦労した。

 ただ、これからは、こうした状態がずっと続くのが宿命で、自分で断り切れなくて無理してみんな受けてしまって、体を壊す危険性だってあるし、逆に仕事がなくて生活の心配をする可能性もある。全て自分次第だ。早く慣れなければ。

 先ほど書いたスキー板の一件は、そうした今後の事で、神様から「過度に心配したりナーバスになったりしないで、全て天を信頼してポジティブに過ごしなさい」という忠告なのではないかな、と思っている。

 いずれにしても、僕の生活は今後ガラッと変わっていくことだろう。

「椿姫」と僕の忘れていた可能性
 そうした中で、高崎の「椿姫」の稽古に参加している。この原稿を書いている昨日(3月9日)は、高崎で合唱稽古をしてきたが、その他にソリストのアンサンブル稽古にも参加している。
 ソリスト稽古には、これまで2回ほど行ったが、僕は、指揮者の山島達夫さんの領域を侵さないように配慮しながら、自分でないとできないサジェスチョンを行っている。つまり、テンポとか強弱とかは指揮者に任せつつ、そういう音楽解釈ではなく、もっとベーシックなところでも、直すところはいくらでもあるのだ。

 たとえば第3幕で、ほとんど瀕死の状態のヴィオレッタに対して医師のグランヴィルは、

Coraggio adunque... la convalescenza さあ、元気を出しなさい 回復は
Non è lontana.. 遠くはないですよ

と言っておきながら、帰り際にアンニーナにはこっそりと、

La tisi non le accorda che poche ore. 結核は彼女に何時間かしか許しません(あと数時間の命です)

と言う。このトーンの違いをグランヴィルは表現しなければならない。
その一方で、最初のグランヴィルのセリフの直後で、ヴィオレッタは、

Oh, la bugia pietosa   おお、慈悲深い嘘なら
A'medici è concessa    お医者様には許されているわけね

と、彼の嘘を見破って言う。このセリフには、しかしながら咎める色があってはならない。むしろ笑い顔でサラリと言った方が良いかも知れない。

また、合唱でも、たとえば第1幕冒頭での男声合唱では、こういうやり取りが聞かれる。

Dell'invito trascorsa è già l'ora... 招待の時間は過ぎてますよ
Voi tardaste... 遅刻ですよ
Giocammo da Flora. いやあ、フローラの家で遊んでいてねえ
E giocando quell'ore volar. 遊んでいる内に時が飛ぶように過ぎちゃったんでね

 すでに夜会にいるお客達が、遅れてきた人達を咎めているので、tardaste(遅刻してますよ)に咎める色がないといけないし、逆に、遅れてきた人達は、全く悪びれた風も見せないで、いけしゃあしゃあと、
「まあ、いいじゃん。硬いこと言わないでさあ」
という感じで、微笑みさえ浮かべて答えたらいいのではないか?
 こういう表情というのは、音楽的解釈のレベルではなく、普通にイタリア人的表情のリアリティがないといけないのだ。


高崎「椿姫」のスタッフ&キャスト

 僕は、新国立劇場から合唱指揮者として呼ばれる前に、たとえば愛知県立芸術大学や東京藝術大学オペラ科で、こうしたアンサンブルや学生合唱の練習を付けていたが、その時の記憶が甦ってきた。
 久し振りに練習を付けてみると、なつかしく、また楽しい。これからは、合唱指揮者にこだわらないで、独唱者の練習もつけていきたい。
 実際、12月の二期会「ファウストの劫罰」公演では、合唱指揮者と兼ねて、副指揮者としてアンサンブル稽古も依頼されている。この歳になったからって、アシスタントなんて嫌だなんて、言うつもりは全くない。それよりもフレキシブルになって、自分に出来ることは、枠にこだわらないで、いろいろ幅を広げていこうと思っている「今日この頃」です。

2025. 3.10



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