人類史上最大の傑作にまた向かい合う

三澤洋史 

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本番一週間前
昨日の3月23日日曜日。3月30日に演奏会を予定している、東京バロック・スコラーズ「マタイ受難曲」のオーケストラ付き合わせ練習が、王子駅の近くの北とぴあ13階の飛鳥ホールで行われた。

「マタイ受難曲」は、オーケストラが二群あり、チェンバロとオルガンを伴う大規模なものなので、そもそもオケの配置からして、いつも悩ましい。第2オケは、第1オケとシンメトリーになるため、第1ヴァイオリンがそもそも向かって右側に来て、コントラバス同士が中央に来る。第2オケの人たち、弾きにくいというか、合わせにくいだろうなあ。

 コンサート・マスターは、いつも東京フィルハーモニーのコンマスである近藤薫さんにお願いしていて、彼が忙しい時には、群馬交響楽団コンマスの伊藤文乃さんに頼んでいた。でも、今回は近藤さんが第1オケで伊藤さんが第2オケという夢の共演が実現した。伊藤さんは、高崎で僕の「おにころ」も2度も弾いてくれたからね。

 昨日は忙しかった。まず13時から、チェロ、コントラバス及びチェンバロ、オルガンを伴って、福音史家の畑儀文(はた よしふみ)さんのレシタティーヴォを中心の練習。そこに、ペテロ、ユダ、ピラト、大祭司などで絡んでもらう萩原潤さんが加わった。
 畑さんとは、すでに一緒に「マタイ受難曲」は共演しているし、音楽もドイツ語も、素晴らしく表情豊かなので、僕は指揮者だけれど、ほとんど何も言うことがなく、驚くほどスムースに練習が進んで行った。こういう人材は、我が国にはほとんどいない。

 それから、一度畑さんは夜まで解放となり、各ソリスト達のアリアの練習となった。先週まで、一人一人のソリストとは、僕がピアノを弾きながらのマンツーマンの合わせ稽古が済んでいる。
 この合わせ稽古の時間というのが貴重で、ここでお互いの音楽観をさらけ出して、テンポ、フレージングなど、とことん突き詰めてお互い納得してこの場に及んでいる。だから、合わせでも問題はないが、それでもね、実際のオケ伴奏になると、ちょっとしたことが出てきて、アリア合わせの時間はやや延びてしまった。

 午後の練習が終わると、アリアのソリスト達は解放。本当はたっぷり1時間の大休憩を取りたいところだったが、夜の時間帯の合唱オケ合わせも、曲がいっぱいあって終わらないと困るので、休憩は50分にしてもらった。

 夜は、合唱団が参加し、そこに再び福音史家の畑さんと、今度はイエス役の加藤宏隆さんが加わり、レシタティーヴォと合唱の流れを最初から追っていった。アリアがない分、時間が短いはずだが、どうしてどうして、やることが沢山あり、途中、今晩中には終わらないのではないかと心配した。

 前回、東京バロック・スコラーズで「マタイ受難曲」をやったのが2012年なので、もう13年前になる。あの頃も、最高のものを作るんだというギリギリの気持ちで取り組んだし、いつもは超辛口の酷評が常識の、故礒山雅(いそやまただし)さんが演奏会に来てくれて、珍しく手放しで絶賛してくれた。
「もうこれ以上のマタイは聴けないかも知れない」
とまで言ってくれたのだ。
でも、それを超えたい、と思うし、このまま頑張ったら超えられるという予感はある。

 時間との勝負であったが、なんとか、やることはやったし、時間内にも収まった。この曲って、チェロとチェンバロだけの福音史家の伴奏から、第1オケだけとか、第2オケだけとか、編成がバラバラ過ぎて、練習の間いつも誰かが待ってしまうことになるが、次の29日土曜日からは、もう恨みっこなしの曲順になるので、ちょっと気が楽だ。
 ただ最初は、29日はランスルー(通し稽古)をして、本番の日30日のゲネプロの時間には、むしろ抜き稽古をしようと思っていたけれど、次回は、曲順にやるにしてもノン・ストップのランスルーは無理だな。勿論、本番の日の朝に、こんな長い曲を全曲したら疲れてしまうので、本番当日は抜き稽古になるのだが、上手に組まないといけない。

見込み違い?
 最近よく思う。キリストは人類の罪を背負って十字架の死を甘んじて受け、そのお陰で我々の罪が赦されているというのが、キリスト教の教えの根幹を成しているが、本当かな?それはむしろ結果論であって、最初から十字架に掛かって死のうと思ってこの世にやって来たわけではないと(キリスト教徒としては不謹慎だというそしりを覚悟してでも)、僕は思っている。
 “当時のユダヤ”という厳しい所をあえて選んで出てきたことは事実であろうが、少なくとも、マタイ福音書によるガリラヤの山上での、
「心の貧しい人々は、さいわいである。天の国はその人たちのものである」
という説教を開始した頃は、この教えをみんなが聞いて従ってくれたら、世の中を変えることができて、この世をもっと楽園にできるのでは、という希望を持っていたのではないか。

 それが、罪なくして不当に捕縛され、死刑を申告され、十字架上で亡くなるという、最悪の展開になってしまったわけで、そうなったら今度は“最後の手段”として、
「人類の罪のために十字架に掛かったキリストを信じることによって、あなたの罪も許される」
という教義にするしか方法がなかったのではないか。
 と、思わざるを得ないほど、「マタイ受難曲」で展開する人間の側の物語は、みんな愚かで、狡猾で、卑劣で、弱く、イエスに対しても傍若無人で傲慢で、最も恥ずべき場面の連続である。だから、神の計画は、そもそも見込み違いだったのでは?といいたくもなる。

 とはいっても、イエスは、人類を買いかぶって地上に来たということでもないだろう。むしろ人類がそんな状態だからこそ、百も承知で、あえてこの地上に出てきたということも事実だと思う。

イエスの静寂
 それよりも、僕が「マタイ受難曲」で表現したいことは、全然別のことだ。それは、まさに、これでもかというほどの人類の罪深さの表現の真っ只中にあって、イエスのあたりだけに漂う、まるでエアポケットのような清冽な「静寂」を、僕はなんとかして聴衆みんなに伝えたいと思っている。それは聖書の中のどこにも書いてないが、僕は随所に感じるのだ。そして、もうひとつ言ってしまうと、バッハもそれを感じていたに違いないと思う瞬間が曲の中の随所にあるのだ。

 たとえば、最後の晩餐でイエスがパンとワインを弟子たちに与える時のアリオーソの中で。あるいはゲツセマネの祈りの最中、
「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」
と「みこころのままに」と念を押す瞬間。
あるいは、
「お前は神の子、メシアなのか」
と問う大祭司たちの前で、
「あなたたちはやがて、
人の子が全能の神の右に座り、
天の雲に乗ってくるのを見る。」
と涼しい顔で答える瞬間など・・・・。

 勿論、イエスは常に静寂の中にいたとも思っていない。以前にも語ったように、十字架上で息を引き取る直前、
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
と大声で叫んだといわれている。それは、逆に言えば、イエスが彼の生涯において、特に伝導生活の間は、神との交信を一瞬たりとも絶やさなかった証であり、彼が十字架上で息を引き取る直前だけの束の間、神との断絶があったのだ。それが、どれほどの驚愕と絶望感を彼に与えたのか、ということが、逆の意味で、神と絶えずつながろうとすることがどれほど大切な事なのか、ということの証明なのであろう。

 つまり、その瞬間だけは例外として、イエスの父なる神への絶対なる信頼が、彼の周りに漂う静寂となって現れているということである。その静寂を今回の「マタイ受難曲」で、僕はどうしても、自分が表現するにとどまらず、聴衆のひとりひとりに感じ取ってもらいたい。

それが今回の僕の一番の挑戦!

またまた神立スノーリゾートにフラれました
 3月19日水曜日。早朝6時前に家を出て、妻の車で府中本町まで送ってもらう。その時には何も気が付かなかったのだけれど、大宮から新幹線に乗って、ふと窓の外を見たら、家々の屋根が真っ白になっていた。後から話を聞いたら、我が家でも、僕が出掛けてから雪が降り出したらしい。
 平地でもそんなくらいだから、湯沢あたりは、またまた大雪だった。その日に限って・・・・。先日、神立スノーリゾートで豪雪のため大変な目にあったから、今日こそリベンジという気持ちで再び神立に来たというのに、また大雪かよ。
 勿論、スキーに行くのだから雪は覚悟の上・・・とはいっても、リフトで山頂まで上がってみたら、真っ白な靄がかかっていて3メートル先も見えないって、どーよ!

 雪そのものは、先日の腰まで埋まる豪雪ほどでないとはいえ、やはりたっぷりの新雪には違いなくて、しかも問題は、そもそも、圧雪後の新雪だか、非圧雪の新雪だか境界線が曖昧なこと。それによって、飛び込んでいく時の板の角度を変えないと、またズボッて潜っちゃうじゃないの。ひとつだけ苦情を言うと、このスキー場はね、ゲレンデの整備が結構テキトー。
 山の上の方は、基本的に視界最悪だし、伸び伸びとスピードを出す状態とはほど遠い。また、例によってコブは全部つぶれているので、練習にならない。あーあ・・・とはいえ、相手は自然なので、文句言っても仕方ないんだよね。それがスキーの宿命か!

 ただ先日より良かったのは、山頂に上がるDリフトの他に、下のメイン・ゲレンデであるボルックスのためのBリフトが動いていたこと。Bリフトそのものには乗らなかったけれど、下のゲレンデの視界は悪くなかったので、上から降りて来て、ボルックスでいろんな練習ができた。特にショートターンの練習では、ひとつだけ大きな収穫があった。

 その収穫を説明しよう。ここは圧雪した後に新雪が降り、そこに沢山の人達がランダムに滑っているから、結構ボコボコに荒れている。そこでかなり細かいショートターンをすると、半ばジャンプのようになって、降り立った瞬間のゲレンデの状態を確認する時間もないので、最初、ちょっと恐かったのだが、とにかく降りた瞬間に前傾して外足の板の前方に体重を乗せ、足のすねがブーツのベロに当たるようにすれば、どんな雪の状態のところに入り込んでもバランスを崩すことはない。
 一方で、体重が乗っていない新しい内足であるが、ボーッとしていると取り残されて、回り込んでくる外足によってハの字にさせられてしまうから、むしろ外足よりも早く回り込んでおく。その時にね、回り込むだけでなく、前に角皆君がキャンプの時に言っていたように、板の外側のエッジをちょっと立てておくと・・・それが案外方向転換を助けてくれて、ショートターンをより細かくできるのだ!おおっ!これが新しい発見!
 と思っている内に、またまた新しい重心移動になり、すぐ直前の内足が、新しい外足になって体重が乗ると、反対側の新しい内足の板を回り込ませ、エッジを立てながら方向転換完了。この繰り返し。
 一方、ストックは、たとえば右側を突いたらもう左側を前方45度に出してすぐに突ける状態にしておく。これで、より細かいコブに対応できるハズ・・・と理屈ではそうなんだけど、残念ながらまだ実際のコブでは試していないんだ。

 今週は・・・スキーに行けるオフ日がないわけではないのだけれど・・・「マタイ受難曲」が控えているから、おとなしく勉強の日々を送ろう。あわてなくても、雪山にはまだまだたっぷり雪があるからね。

フリードリヒと会います
 バイロイト音楽祭の合唱指揮者だったエバハルト・フリードリヒが、ここのところ毎年、東京・春・音楽祭の合唱指揮者として来日しているが、今年ももう日本にいて、「パルジファル」とベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の合唱指揮を行う。昨年は単身で来たが、今年は奥さんのキャロリンも一緒で、明日3月25日火曜日に3人で合う予定。。

 「バイロイト音楽祭の合唱指揮者だった」と過去形で書いた通り、エバハルトは、昨年の夏を最後にバイロイト音楽祭を引退した。なんとなく淋しいな。これからバイロイト音楽祭に行っても、もうほとんど知り合いはいない。これまでは、行けばエバハルトがゲネプロ券を手配してくれたりした。いや、ゲネプロ券のために淋しいわけではないよ。
 まあ、辞める前のカタリーナ・ワーグナーとのいきさつも、なんとなく知っている。昨年来日した時にすでに、
「バイロイトねえ・・・どうしようかと思ってるんだ」
なんてぼやいていたからね。
 とにかく、音楽祭合唱指揮者になってから25年。ノルベルト・バラッチのアシスタント時代から含めると、30年くらい務めたバイロイトだからね。いろいろ積もる話もあるだろう。明日はじっくり話を聞いてあげよう。

 バイロイトだけではなく、彼は、ハンブルグ歌劇場合唱指揮者も定年で辞めて、もうハンブルグの家は引き払って、ベルリンに戻ったとメールで書いてきた。
 エバハルトのドイツ語は早口で、一度、留学経験のある指揮者小山祥太郎君を連れて行ってエバハルトに遭わせたが、目を丸くしていて、
「あの機関銃のようなドイツ語、よく分かりますね」
と言っていたが、なんと奥さんのキャロリンはもっと早口だ。エバハルトは、ふたりだけだと彼なりに気を遣ってくれるんだけど、キャロリンが一緒だと同じペースになってしまう。
 そうなると、単語をひとつひとつ分かろうとか、ましてや日本語に訳してなんて思ったら全くダメで、頭の中を空っぽにして全身で受けとめるに限る。キャロリンって、喋らなければ、かなり美人なのに・・・・あははは、この文章、ドイツ人だから読まれる心配はないわな。

ということで明日会ってきます!

2025. 3.24



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