打ち上げから我が家へ
3月30日の夜。「マタイ受難曲」の打ち上げが終わり、三鷹駅から中央線に乗った。国立駅で降りる直前に携帯でバスの時刻表を見たら、ほとんど聖蹟桜ヶ丘行きの出発時刻だったので、ダメかも知れないと思いながら、階段を一段抜かしして、改札を通っても走り続け、バスに飛び乗るやいなや、運転手はまるで僕の乗り込みを待っていたかのように、後ろで扉が閉まって走り出した。もう抜けかかっていた酔いが再び戻ってきて、頭がボーッとした。そして午後10時半前に家に着いてみたら、妻がひとりでいた。
終演後、妻は車に、僕、長女志保とその娘杏樹を乗せて、武蔵野市民文化会館を出て、まず僕を打ち上げ会場で降ろした。帰宅した時には当然三人がいると思っていたが、長女の志保と孫の杏樹はまだ着いていなかった。
「今頃、二人はそのあたりを歩いているわ」
と妻が言う。
ガチャッと扉が開いて、杏樹が飛び込んできた。
「ありゃ、ジージもう帰ってる!」
志保は、あの長い「マタイ受難曲」を終わりまで聴いた杏樹に、ご褒美として何か彼女の好きな物を三鷹の街で買い与え、それから国立駅まで電車で来て、駅前のサイゼリアで二人でゆったり食事をして、その後、ちょうど良いバスがなかったので、大学通りの夜道を散歩しながら家に帰って来たという。
「バスに飛び乗ったから、きっとその辺で追い抜かしたんだね。居るなんて思っても見なかったから外を見もしなかったよ」
志保がカバンからスパークリング・ワインを取り出した。ヤベエ、そろそろ酔いが醒める頃かと思っていたが、飲み直しかあ・・・ま、本番の日だからいっか。それから家族で呑みながら「マタイ」の感想を語り合う。志保も、いろいろ現場を知っているから、なかなか的を得た感想を言う。
粒の揃ったソリスト達
感想の筆頭は、畑儀文さんの福音史家が、まさに名人芸の域にあること。彼は僕と同じ歳で、現在70歳。自分で、
「だんだん声が衰えてきたのを分かっているけれど、もうあまり使ってもらえないかも知れない・・・」
とか言っているから、僕は打ち上げであえて彼に言ったんだ。
「別にイタリアオペラのアリアを歌うわけじゃないのに、盛り上がった高音域で張ったりして勝負しようと思うからいけない。ミックスヴォイスを上手に使ってきめ細かく歌ってくれるなら、僕は百歳までお願いするからね」
また志保は萩原潤さんの事を最大限に評価していたな。アリアも勿論音楽的で素晴らしいけど、ペテロ、ピラト、ユダなどの人物像の描き分けが素晴らしかったと言っていた。僕は、
「頭の良い人なんだよ」
と言った、さらに、
「加納悦子さんもそうだよね」
志保は、国立音楽大学のオペラ科にピアノを弾きに行っていて、加納さんは教授なので、とても交流があるらしい。
加藤宏隆さんについては、実は僕との合わせの前に、何度も志保が(内緒で?)コレペティ稽古をしてあげたことを聞いて驚いた。彼は本当に、真摯に向かい合う人なんだね。僕もイエスに関しては、それぞれの場面での表情にこだわりがあるから、合わせ稽古でいろいろ自分の想いを伝えたが、それを彼が咀嚼して素晴らしい表現として仕上がったことは、本番での結果が証明している。
國光ともこさんは、実は声の調子が万全ではなかったので、ゲネプロまでほとんど声を出させなかった。彼女が器用な人でないのを知っていた僕は、事前に合わせを他の人たちより多くやっていたので、僕の解釈ですでに歌い込み、喉に覚え込ませていた彼女を信じていた。彼女をよく知る人は、声の出始めがちょっと遅れたり、ブレスがいつもよりちょっとだけ短いことに気付いたかも知れないが、音楽的にはきちんと仕上がっていたので、破綻はなかった。う~~ん・・・それにしても、声楽家というのは、いわゆる生ものですね。
演奏面では、近藤薫さんが、素晴らしいコンサート・マスターに成長したことを特に挙げておきたい。勿論、東京フィルハーモニーのコンマスとして、すでにキャリアを積んでいるので、今更「成長」という言葉は当てはまらない、と思う人はいるだろうが、僕はあえて言いたい。
朝のホールでの練習時に、彼は一度持ち場を離れて会場で聴いて、その後楽員達に与えたサジェスチョンが素晴らしかったようだ。その詳細を僕自身が聞いたわけではないが、結果として、オケのクオリティが段違いに上がったことに僕は気付いたし、楽員達も、打ち上げで口々に彼に対する尊敬の念を込めて語っていた。
一方、第二オケのコンマスは伊藤文乃(あやの)さん。群馬交響楽団のコンサート・ミストレスとして、僕の作ったミュージカル「おにころ」を二度も弾いてくれた人。彼女の弾く42番バス・アリアのヴァイオリンソロの素晴らしさが光っていた。
これまで、コンサートマスターは、まず第一に近藤さんに依頼し、彼が無理な時に伊藤さんにお願いしていたけれど、二つのオーケストラで成り立っている「マタイ」だからこそ、今回初めて近藤・伊藤の「コンマス同士の夢の共演」が実現して、僕とするととても嬉しい。
最も大切な、通奏低音を受け持つ人たち。すなわちチェロの西沢央子(なかこ)さん、チェンバロの山縣万里さん、オルガンの浅井美紀さん達の安定した音楽性は、バロック音楽の要なのだが、そのポジションが揺るぎないことが、オーケストラ全てを支えている。
そこに加えて、僕があえて挙げておきたいのは、ファゴットの鈴木一志さんだ。管楽器がソロを取るアリアを中心に、僕はあえてチェロをはずして、ファゴットとコントラバスで低音を演奏させたが、鈴木さんの刻んでいくビート感がなんとも小気味良いのだ。長いレシタティーヴォで緊張しっぱなしの西沢さんも、その間休めるので一石二鳥。
いろいろ書くときりがないが、東京バロック・スコラーズは、本番、本当に良くやってくれた。練習の時に、
「やり過ぎくらいに子音を立てて!お客が笑ったり怒ったりしたら、僕が責任を取るから」
と言ったが、本番は丁度良かった。日本人がドイツ語の曲を歌うって、そのくらい難しいものなんだよ。
「マタイ受難曲」演奏会無事終了
杏樹、ジュニア1級取得
僕が、杏樹に自信を持たせてあげようと、2月の「マエストロ・キャンプ」の時に、杏樹にスキー検定試験を受けさせて2月8日にジュニア2級を取得させたことは2月10日の「今日この頃」に書いた。
そのしらせを僕から聞いていち早く反応し、
「それなら1級の検定も受けさせてみよう」
と母親の志保がいきなり盛り上がって決心した。
それで、杏樹が春休みに入るのを待って、3月26日水曜日の朝、志保は我が家の車に杏樹を乗せて、白馬に旅立って行った。実は、その間に杏樹は一度もスキーをしたことがなかったので、僕としたら「どうかなあ?」という心配もないではなかった。
1級の試験は、公には、それぞれのスキー場で決まった検定日が設置されているが、その他に、SAJ(全日本スキー連盟)の資格を持ったインストラクターが個人レッスンで、講習内検定を行うことが出来る。
前にも言ったように、1級を取得するためには最低2級の資格を持っていることが不可欠であるが、2月に2級の資格をくれた吉井先生という講師に、今回も頼んで講習内検定をしてもらうことになった。とても良い先生で、杏樹が楽しそうに滑るのを快く思いながら、杏樹にとっては最良の指導をしていると、レッスンを見ていた志保が語っていた。
本当は、僕も一緒に行きたかったのだけれど、やっぱり「マタイ受難曲」の週で、そこに賭けていたため、断念した。26日、二人はいつもの五竜スキー場で、次の日のウォーミングアップのため滑ろうと思っていたが、強風のため五竜も八方も閉鎖。
「どうしよう?」
って志保が言ってきたので、いろいろネットでしらべて、
「岩岳も強風でダメ。でも栂池(つがいけ)や乗鞍温泉スキー場はやっているよ。コルチナも、止まっているリフトもあるけれど、開いてはいる」
と書いたら、温泉という言葉に惹かれたのか、
「乗鞍に行ってみようかな・・・でもこれ何て読むの?」
と書いてきたので、
「のりくら」
と返事した。それでふたりは乗鞍で滑ることにした。そういえば、僕はこんなに白馬に滑りに行っていながら、ほとんどが五竜及び47ばかりで、他の乗鞍も栂池も行ったことがないんだ。今年の暮れには行ってみようかな。
翌日3月27日木曜日。杏樹はエイブル五竜スキー場でジュニア1級の講習内検定を受けた。1級ともなると、同じに滑っていても審査は厳しくなるので、どうかなあと思っていたが、証明書の写真と共に、
「1級受かった!」
というLINEが飛び込んできた。
「え?マジ?やったね!」
と即返事した。
ジュニア1級合格証