エバハルト夫婦との飲み会
4月1日火曜日。冷たい雨の降りしきる晩、上野の下町界隈のお店を物色する。とても寒い上に雨なので、客足の伸びは悪い。いろいろ歩いた結果、磯丸水産海鮮浜焼というベタな居酒屋に決めた。今の時点で空席もある。予約するには及ばないだろう。
これを読んでいる読者達は、
「うわあっ!そんなところじゃなくて、もっときちんとした日本料理屋を予約したら?」
と思うだろうが、逆なのだ。外国人達は、本当はこういうお店に入りたいのだ。生け簀とかあって、高級というより庶民的で、それなりに広くてみんながくつろいでいるようなお店が・・・でもね・・・自分たちだけでは恐くて入れないのだ。英語のメニューなんてなさそうだし、言葉も通じなければ、そもそも何をどういう頼み方をしたらいいかも分からないから。
昨年は恵比寿のエピというフレンチに連れて行った。とても喜んでくれたし、良いワインなども頼んだので値段もそれなりに張ったけれど、どうも本音は日本料理の方が良かったように感じた。
さて、めぼしい店を見つけた僕は、すぐそばのドトールでちょっとだけ時間をつぶし、19時40分過ぎ、東京文化会館に向かう坂道を傘を差してのんびり上がって行った。
今年も、エバハルト・フリードリヒEberhard Friedrichが来日した。いつものように東京・春・音楽祭で東京オペラ・シンガーズの合唱指揮をするためだ。今年の演目は「パルジファル」とベートーヴェン作曲「ミサ・ソレムニス」。
3月25日火曜日に品川駅近くで珈琲を飲んだときも、
「ミサ・ソレムニス、ヤバいよな」
と言っていたエバハルトだが、本当に大変な曲である。
う~~ん・・・・僕にとっても、とても扱いにくい曲であることは明らかだ・・・って、ゆーか・・・これって、本当に傑作なのかなあ?良いところが沢山あるのは認める・・・その一方で、歌いにくいばかりで、ほとんど美をいうものを見いだせない箇所もあるのだ。
午後8時に終わって一緒に食べに行くのって、遅いよね。でも、なかなか合う日がなくて、ここしかお互い空いてなかったので、エバハルトは僕に気を遣って、
「とにかく休み時間にメールする。で、何時頃終わりそうか知らせるからね」
と言ってたんだけど、何日か前に、
「ダメだ。ミサ・ソレムニスはやってもやっても終わらない。絶対8時までかかるから早く終わるの期待しないでくれる?休み時間にもメールはしないからね」
と書いてきた。
でも、ひょっとしたら、もう終わって逆に僕を待ってるかも知れないとも思って、近くまで来た時には少し足を速めたが、心配というか期待するには及ばなかった。文化会館楽屋口の前は閑散としている。
予定通り、午後8時過ぎ、次々と東京オペラ・シンガーズのメンバーが出てきて、
「あれっ、三澤さん!」
と口々に言う。
「フリードリヒと呑みに行くんだ!」
知り合いばかりだから何度も答えなければならない・・・という間に、向こうから奥さんのキャロリンCarolynと共にエバハルトが現れた。
磯丸水産は大正解であった。しかもQRコードを携帯で読み込んでの注文なので、もしかしたら英語のメニューもあるのかも知れないけれど、それでも外国人だけだったら、何をどう頼んでいいか分からないだろうから、まさにお手上げだったろう。
最初、僕は彼等の要求も聞かず、勝手に魚や貝や様々なツマミを頼んだ。その前に、
「何飲む?」
と訊くと、ふたりとも僕が言い終わらないうちに、
「ビヤ-!」
と答えた。予想していたけど笑えた。
ということで、三人で生ビールで乾杯!瓶ビールという選択肢はない。でもその生ビールなんだけど・・・正直言うと、ドイツ人には冷たすぎるんだよね。
「こんなに冷たいと風味がなくなってしまう」
と毎回ちょっとだけ文句を言うんだけど、同時に、
「味わいよりもキレの方が立っているので、これはこれでアリかなあ」
とも言う。
とかなんとか言いながら、キャロリンは終わりまで生ビールのみ飲んでいたが、一体何杯飲んだのだろう。凄いな、女性だから控えめに・・・とかはないんだ。エバハルトには、試しに清酒ではなく濁り酒を与えてみた。清酒にはない感触と味わいがかなり気に入ったようで、僕たちは後半は濁り酒に終始した。
途中、貝の盛り合わせがなかなか来ないので、店員を呼んで、
「来ないんですけど」
と言ったら、新たな注文と勘違いされて、あとから二皿来た。
「ヤベえ!」
と思ったが、
「いいよいいよ、大丈夫だよ!」
彼等は言いいながら、ペロッとたいらげた。刺身、焼き魚、エビもカニもあっという間。いくらでもいける。あまり動物性のものばかりだと心配になったので揚げなすとか卵焼きとか頼んだのだけれど、どうもひたすら魚介類のみで良いらしい。終わり近くになって、
「何か、ご飯とか惣菜とか・・・」
とか、おずおずたずねても、
「要らない!ひたすらお魚!」
ドイツ人って、どんなお腹してるんだ!
「お魚は食べるけれど、こんな新鮮でおいしいのは日本でしか食べれない!だから食べ貯めしておく!」
さて、話題をバイロイト祝祭劇場やハンブルグ歌劇場のことに振ったが、エバハルトの中では、もういろいろが吹っ切れているようで、未練のかけらもなく、さっぱりしている。
「カタリーナ・ワーグナーが祝祭合唱団80人に減らしたので、やってられるか!ということで辞めた」
というのがエバハルトのスタンスであるが、全ての批判をカタリーナに押しつけて、「惜しまれつつ去った」という形になったのは、彼にとって最良の引き際だね。
彼は、元来は、ベルリンで定年を迎えるべく家を持っていたが、ベルリン国立歌劇場合唱団と何故かうまくいかず、彼自身ベルリンを一度離れてハンブルク歌劇場合唱指揮者になった。しかしながら、キャロリンと娘達はベルリンの家に残ったので、エバハルトは、ハンブルクには部屋を借りて一人暮らしをし、週末にベルリンに帰るという二重生活をしていた。
そのハンブルク歌劇場とは関係良好で、65歳の定年を迎えたが、後継者がうまく見つからないので残ってくれ、と言われて2年延長して、67歳になった今、晴れてハンブルクを離れてベルリンに戻ってきたのだ。
「ベルリンの家はリニューアルして、お客様用の空間が広がったんだ。ヒロも家族全員を連れてきて何泊してもいいぞ。いつでもおいでよ」
それもうらやましいけれど、それよりドイツの年金の話をして、衝撃を受けるほどうらやましくなった。もう一年中何もしなくても、充分過ぎるほど保証されていて、気が乗らない仕事はやらなくても一向に差し支えない、なんて抜かしやがる。
楽しい語らいの時間は瞬く間に過ぎていった。気が付くと「夜中」という時間が迫ってきたのに、まだ都心にいる。僕たちは一緒に山手線に乗り、電車の中で交互にハグして別れた。
「また来年!それより夏に本当に遊びに来いよ!」
「う~~ん・・・今年は無理・・でも、その内・・・」
「バイバイ!」
良い奴。そのまんまで裏表ない。僕たちの友情はこれからも続く。
四つの講演
今、毎日結構忙しい。何をしているかといういと、実は夏までに四つの講演会を抱えていて、その準備をしているのだ。一番近い4月19日土曜日は、京都ヴェルディ協会講演会「ヴェルディにおける合唱の魅力」。5月18日日曜日は、日本ワーグナー協会講演会「ワーグナーとヴェルディにおける合唱の役割」。5月20日火曜日は、かわさき市民アカデミーで昭和音大と提携した「続・ワーグナーに親しむ」シリーズで、「『指輪』と演出=バイロイト初期から現代へ」。そして6月5日木曜日は、兵庫県立芸術文化センター主催「さまよえるオランダ人=ワンコイン・プレ・レクチャー」なのである。
日本ワーグナー協会の演題は、先方からの決まった要請がなく、逆に「何か要望がありますか?」と訊いてきたので、ちょうど京都ヴェルディ協会で行う「ヴェルディにおける合唱の魅力」の材料を借りて、ワーグナーと対照させようと思ったのだ・・・というか、その京都の講演そのものの内容は、昨年8月に東京のヴェルディ協会で行われた同じ演題の講演会の焼き直しである。ただし、東京では、質疑応答を合わせて1時間半だったが、京都の方がずっと長い時間やらせてくれるというので、もう少したっぷりした内容になる。
さらに、その準備をしている内に、いろいろがあまりにワーグナーと対照的なので、それを比べる内容の講演をしてみたいと思っているところに、運良く日本ワーグナー協会が、
「そちらで演題を決めてください」
と言ってきたので、まんまと乗っかって、両作曲家の対比を行うことにしたのである。
このふたりの作曲家は、両方とも合唱を大切に思うことでは同じであるものの、アプローチの方法は、笑ってしまうくらい対照的だ。ヴェルディは、合唱のないオペラを書いたこともなければ、恐らくオペラで合唱がないなんて考えられなかったに違いない。特に、主として第二幕に設置される、「コンチェルタート」と呼ばれる、ソリスト達のアンサンブルと合唱による大規模な楽曲をずっと大切にしていた。
「アイーダ」の大行進曲の場面などはその典型的な例であるが、一方で、「運命の力」ではラタプランというほぼ無伴奏の軍歌で終わるとか、「ドン・カルロ」では、華やかなはずのコンチェルタートに、なんと「異端者達の火刑台」を持ち込むとか、実に個性的なコンチェルタートを生み出している。
その一方で、ワーグナーの合唱使用の方法は、ヴェルディとは全く対照的だ。初期の「さまよえるオランダ人」から「タンホイザー」を通って「ローエングリン」までは、“既成の劇場”のための上演を想定して書いているので、劇場付きの合唱団を対象に、まとまった量の合唱曲を書いているが、後期になるに従って、ある意味、我が儘な合唱の扱いが目立ってくる。かといって合唱を軽んじているかといえば、むしろ逆だ。どこもかしこも用いたりしない一方で、合唱が出てくるところは、本当に必要でしかも最も効果的な箇所に限定しているのである。
例えば「トリスタンとイゾルデ」では第一幕のみ、しかも男声合唱だけの使用。「ニーベルングの指輪」四部作に至っては、最後の「神々の黄昏」のみ合唱を用い、しかも女声合唱などは、ほんの少ししかないというわがままな使い方。
最も際立った対照は、それぞれの最後の作品である「ファルスタッフ」と「パルジファル」に顕著に表れる。ヴェルディは「世の中みな道化」と、伝統的なフーガという形式で徹底的に笑い飛ばすかと思えば、「パルジファル」の最後は、渾然一体となった響きの中で、もはや合唱だか管弦楽だか見分けがつかない状態で、崇高美の極致で終わる。
この二人の作曲家の“合唱の扱い”の違いに触れることは、双方の、そもそもの創作態度の本質的な相違を掘り下げることであり、実に有意義な講演になると信じている。
また、かわさき市民アカデミーの講演は、元、二期会事務局長から、新国立劇場制作部長を経て、昭和音楽大学に行かれた岸田生郎氏が、僕を呼んでくれた。ちょうど僕が新国立劇場に入った頃は、合唱指揮者としてだけではなく、いわゆる「トーキョー・リング」なる、キース・ウォーナー演出の「ニーベルングの指環」で、准・メルクルのアシスタント・コンダクターもやっていて、すくなくとも「トーキョー・リング」の成立過程を近くからつぶさに見ていたのである。
ただ、僕の専門は演出ではないので、バイロイト初期から現代までの演出の流れを、どの程度系統的に語れるか、正直言って最初は自信がなかった。ところが、参考までにと、日本ワーグナー協会から毎年発行される会員向けの年刊誌「ワーグナー・フォーラム」を棚から引っ張り出してペラペラめくっていく内に、2006年の山崎太郎氏の「ワーグナー演出の地層4〈ニーベルングの指環1〉の記事に魅せられ、さらにその記事の参考文献となっている「ワーグナーの上演空間」バリー・ミリントン/スチュワート・スペンサー編、三宅幸夫監訳、音楽之友社」という本を、立川のブックオフで偶然見つけ、ただ今絶賛爆読中なのである!
何が面白かったかというと、だいたい「ニーベルングの指環」って、ラインの乙女達が水中に潜って欲情を掻き立てるアルベリヒをからかったり、また、天を飛び交う馬に乗って、亡くなった英雄を天の城ワルハラに運ぶ8人ワルキューレ達など、舞台空間でそれを具現化しようとすると、陳腐で笑ってしまうではないですか。
特に「神々の黄昏」終幕!世界の終焉!大洪水が起こり、世の全てが水の中に飲み込まれ、天上ではワルハラ城が燃えている。大スペクタクルは分かりますよ。でも、それを映画でもなく、一体どうやって上演するんですか?
ところがね、ワーグナーは、初演時、大真面目でそれらの具体化を試み、当然のごとく毎回大きな失望感を味わって落胆していたというのだ。そりゃあそうだよ。そもそも発想そのものがぶっ飛び過ぎているの。で・・・それらが、時代を経て、どうなっていったか?実に興味深いところだ。
こんな風に、いろいろ資料を集め、どのようなお話しにまとめようか、考えるだけで楽しくて、それぞれの講演の日が待ち遠しくてワクワクしている今日この頃です!
お袋のこと
今、この原稿を仕上げているのは4月7日月曜日21時になるところ。いつもならば、早ければ午前中に見直しまで終えてコンシエルジュに添付書類で送り、コンシエルジュが夜暇だったならば、今頃はもう「今日この頃」にアップされている頃だが、今日は違う。
幸い、4月5日土曜日と6日日曜日の2日間、高崎に行っていて、「椿姫」のソリスト及び合唱団の立ち稽古に立ち会い、特に6日は午後から合唱立ち稽古のみだったので、エバハルト夫婦と呑んだ記事、あるいは講演会の記事は、ほぼほぼ高崎の午前中にラフで仕上がってはいた。
それから、今朝は、結構盛り上がっていて本番が楽しみになってきた「高崎の『椿姫』の記事」について、後で大いに書こうと思いながら、6時に起きて早朝散歩に出た。僕は、カトリック教会に籍を持っていながら、散歩の途中に必ず神社に寄り、お賽銭を入れて、お祈りをする。
はらえたまえ、きよめたまえ
かむながら まもりたまえ さきわいたまえ
と二回唱え、それから両手でパンパンと柏手(かしわで)を打ち、今日一日を散歩とお祈りで始められる健康に感謝し、実りある一日でありますように、と祈る。それから、妻から始まる、家族一人一人のためのお祈りをする。
そのひとりに「お袋のための祈り」も当然のことのように入る。最後は、自分を取り巻く全ての人の幸せを祈願し、全世界の平和を深く祈る。
こんな長い祈りだから、時々、後から来て、お賽銭だけ入れて柏手だけ打って帰る人がしびれを切らしていたりするが、知ったことではない。近くには別の神社もあるから、お急ぎの方はそちらにどうぞ!
ということで、今朝も良い気持ちで家に帰って来た。すると、いきなり妻が言った。
「お母さん、亡くなった」
「え・・・・?」
「6時半頃、(施設の)お部屋に職員が入ったら、もう息をしていなかったという。でも、その前に一度人が入った時は、まだ生きていたので、前の晩とかではないようだわ」
あららら・・・僕がお袋のことをお祈りしていた頃じゃないの。
妻は、実は、5日土曜日にお袋に会ったばかりだったのだ。彼女のお母さんがちょっと具合悪くなったので、4月4日金曜日に1泊で群馬に帰っていて、翌日帰るそのついでに、藤岡市の介護付き老人施設にお袋を訪ねて会ってきたばかりだったのだ。
「流動食だけど、きちんと口を開けて自分から食べていたわ」
仕方ない。原稿はおあずけで、朝食を取った後、妻の車で群馬に向かってお袋に会ってきた。享年97歳。安らかな死に顔。大往生。すぐに一番上の姉とその夫が到着。二番目の姉は一昨年に亡くなっている。それから葬儀屋を決め、遺体と共に介護付き老人施設を離れて、葬儀屋の会社に行って遺体をそこに安置し、様々な打ち合わせをして、帰って来た。別にたいしたことはしていないんだけど、結構疲れているね。
葬儀は、ひっそりと家族葬で行います。会場も広くないので、お祈りだけお願いします。
ということで、途中までの原稿を、この時間にこうして仕上げている。
高崎の「椿姫」のことも、もっと書きたかったが、来週に回すね。ではまた!
2025. 4.7