講演会と高崎「椿姫」

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

京都ヴェルディ協会の講演会
快適な旅とお弁当でシアワセ

 4月19日土曜日。新横浜から10時の新幹線で京都に向かう。EXでかなり前に予約した時、窓側は、2席がけのEはすでに×。3席がけがほんの少ししか空いていなかったので、なんだかんだで満員に近くなるのかと想像していたが、あたりを見ると、どこも窓側だけ人がいて通路側には誰もいない。だから見かけガラガラで、トイレに行くのにも誰にも遠慮しなくていいし、気持ち的にゆったりとした旅だった。これだけで得した気分。

 11時57分に着くので、昼食を京都に着いてから食べようかとも思ったけれど、13時30分からの講演会なので、前もって講演会場に着いて、機器の接続の確認などをすることを考えたら、やはり新幹線の中で食べておくのが賢明だと思い、新横浜駅構内で崎陽軒のシウマイ弁当を買って、米原を過ぎたあたりで食べた。
 おいしい!大好き!シウマイもおいしいけれど、まず細かくサイコロ状に切った筍の味付けが最高!鶏肉唐揚げも、ショウガをまぶした昆布の煮付けも、そして・・・いつも思う謎のアンズも・・・アンズは横川の「峠の釜めし」にも入っているけれど・・・いつ食べたらいいのか?というのが謎なのだ。
 中途半端に甘いのでデザート扱い?誰かが「箸休め」と言っていたが、箸休めってなあに?ちょうど中間あたりで食べるってこと?・・・今回も不思議に思いながら卵焼きと蒲鉾の間に食べた・・・良かったのかな?邪道かな???誰か教えて!


崎陽軒シウマイ弁当

外国人で溢れる京都
 講演会場へ行くには、JR京都駅から地下鉄烏丸線に乗り、烏丸御池で東西線に乗り換えて京都市役所前で降りる。市役所を右に見ながら寺町通りを北上すると、京都御苑のすぐ近くに旭堂楽器店がある。そこの2階のサンホール。
 僕くらいの年齢だったら、京都からタクシーで行ってもよさそうであるが、僕は京都の街を感じたいのだ。それよりも、今回とても驚いたのは、京都駅を出てコンコースに降りた途端、そこが外国人旅行者で溢れていたことだ。真っ直ぐ前にも進めないくらい。地下鉄の中もいっぱい。凄いな!この現象!最近は東京を通り越してダイレクトに京都に行くのだろうか。

ヴェルディの合唱を語る
 今日の演題は「ヴェルディにおける合唱の魅力」。昨年8月に東京の日本ヴェルディ協会で行った講演と基本的には同じ内容であるが、京都ヴェルディ協会の方が時間をたっぷり取ってくれたので、いくつかの項目を付け足して、みなさんに充分、合唱の魅力を理解していただけるよう配慮した。内容を簡単に説明しよう。

 京都での講演ということもあり、講演の最初に僕は、以前、新国立劇場合唱団が京都市交響楽団を伴って行った演奏会の録音を聴かせた。京都コンサートホールで、僕が指揮したもので、曲はVa,pensiero, sull'ali dorate「想いよ、金色の翼に乗って、飛んでいけ」。
 「ナブッコ」という、ヴェルディ初期の傑作オペラからの合唱曲だが、この曲は、イタリアの第二の国歌と言われている。どうしてこの曲がそんなに有名になったのか?という理由を、メロディーの自然さなどの説明をしながら、解き明かしていった。

 合唱の扱い方については、ヴェルディの作曲家としてのスタンスの説明と共に語った。つまり、彼がオペラを作曲し初演する場合、常に歌劇場、あるいはリコルディなどの出版社との契約ありきであったことを忘れてはならない。彼はワーグナーよりはるかに現実的で、報酬の見込みがない仕事には基本的に手を出さない人なのだ。
 歌劇場には必ず合唱団がいるので、合唱曲の作曲は、オペラの初演が成功するか否かを左右する大事な要素である。特に第2幕あたりで、コンチェルタートと呼ばれる、独唱者達のアンサンブルと合唱を伴った見せ場の作曲に、ヴェルディは常に最大限の労力を捧げた。
 典型的な例が「アイーダ」の大行進曲の場面で、新国立劇場でも馬が二頭走り抜けたりするし、ヴェローナの野外劇場でも象が登場するなど、派手で絢爛豪華な場面が特徴である。しかしながらヴェルディは、大げさなだけのコンチェルタートには飽き足らず、彼の題材の選び方も手伝って、次第に独創的なものとなっていく。
 「運命の力」においては、ラタプランという、小太鼓を伴っただけのほぼ無伴奏の軍歌でコンチェルタートを終えるし、「ドン・カルロ」では、なんと火刑台前広場という陰鬱な場でのアンサンブルが聴かれ、最後には天上界からの声が聞こえる。伝統を継承しながら、そこに独創性を表現していくヴェルディならではのアプローチである。

ドラマと音楽との関係
 ところで今回僕は、ある新しい事柄を皆さんの前で語ってみた。実は、その事に関しては、正直に言うと僕の推測でしかない。ヴェルディ自身は勿論のこと、その事については、僕の知る限り、学者達も誰も語っていない。しかし、僕なりにいろいろ調べ尽くした結果、それ以外には考えられない、という結論に僕は達したのである。もし反論があったら、誰か僕に教えて下さい。

 先の「ナブッコ」において、Va,pensieroに続いて、僕は第3幕フィナーレで、祭司ザッカリアがバビロニアで捕囚となっている民衆達を力付けるシーンを聴かせながら、初期のヴェルディのシンプルな音楽構造について語った。
 簡単な和音だけの管弦楽を伴ったレシタティーヴォ(朗唱)をザッカリアに歌わせ、それからあらためて伴奏が始まる。それに乗ってザッカリアは美しいメロディーを歌い、民衆がそれに答える。これはロッシーニをはじめ、ベッリーニやドニゼッティなど、ベルカント・オペラの作曲家が普通に行っているやり方だ。

 ところが、その作風は「リゴレット」になると一変する。まず管弦楽が、そのシーン全体の基調を成す音楽を始める。その管弦楽のメロディーと一見全く関係ないタイミングで、歌の声部が(語られるように)歌われるのだ。
 このやり方は、それ以前の、ロッシーニやベッリーニ、ドニゼッティなどの、どの作曲家のオペラでも聴かれなかったもので、ヴェルディにおいても「リゴレット」以前には聴かれなかった。たったひとりを除いて・・・。

そのたったひとりとは誰か?

 それはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトその人だ!そこで僕はヴェルディについての話を一時中断して、モーツァルトの「フィガロの結婚」からふたつの場面を、譜面を提示しながら聴かせた。
 まず第1幕第1場冒頭。管弦楽がしばらくまとまった音楽を奏でる。すると、通常ならばそのメロディーを歌手が繰り返して歌うのが普通なのに、部屋の寸法を測っているフィガロは、管弦楽のメロディーとは無関係に5(cinque)と、歌うというよりはぶっきらぼうに叫ぶ。さらに彼は計り続け、次のタイミングで10(dieci) と言う。


Figaro1 (出典:Bärenreiter)
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 次に聴かせたのは第2幕で、ケルビーノが隠れているはずの納戸から、なんと密かに入れ替わったスザンナが現れる場面。怒り狂っていた伯爵は、あっけにとられ、3拍子の優雅な音楽に乗って、スザンナが、
「伯爵様、何をそんなに驚いていますか?」
と、しゃあしゃあと答えるシーン。


Figaro2 (出典:Bärenreiter)
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こうして聴かせると、
「あ、ワーグナーの作り方に似ている!」
と即座に思う読者もいるだろう。
 そうなのだ。オペラにおいて(レシタティーヴォではなく)、物語の自然な進行と共に管弦楽も進んでいくやり方の「最初の一歩」を踏み出したのは、他ならぬモーツァルトなのである。
 ただ、それをもってすぐにワーグナーを想起するのは(当然の流れではあるが)早計である。モーツアルトとワーグナーの間には、もうひとつ大きな断層が横たわっている。モーツァルトにおいては、管弦楽は、ただそのシーンのざっくりとした雰囲気を描き出すにとどめ、その雰囲気の中で、会話のリアルな間やスピードに従って歌唱が勝手に割り込むのであって、管弦楽の側から会話の内容に向かって(ライトモチーフのようには)関わっていかない。

 とはいえ、それだけでも、オペラの作曲にとっては充分革命的なのは間違いないけれど・・・問題は、モーツァルト後、その方法が全く受け継がれなかった事だ。ロッシーニ以降のベルカント・オペラの作曲家達は、再び音楽を簡素化することで、聴衆の意識を歌手の声の方に集中させた。
 昨年11月に日生劇場での「連隊の娘」に合唱指揮者として関わったけれど、ドニゼッティは、高音を披露するアリアなど以外は、なんと音楽を止めてセリフで語らせているからね。

 さて、そんなわけで、ヴェルディはこの方法を意識的に「リゴレット」から取り入れた。それが「椿姫」になると、もっと進化する。たとえば第1幕の「乾杯の歌」の前あたりの背後で流れている管弦楽の自然さと、それに乗って絡んでくる人物達の会話のタイミングが絶妙である。会話の旋律そのものは、ドドドと同じ音ばっかりで面白くないが、だからこそ、そこに自然な言葉のニュアンスを入れられるのだ。


Rigoletto (出典:Ricordi)
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オペラにフーガ!
 などなど・・・いろんな事を語った。その全部をここに (出典:Bärenreiter)書いても仕方がない。そんなにヴェルディに興味ない人も読んでいるに違いないから。でも、最後にひとつだけ強調しておきたいことがある。
 それは、ヴェルディが、彼の最後のオペラである「ファルスタッフ」を、なんとオペラとは最も遠いジャンルの「フーガ」という音楽で締めくくったこと。そして、そこに至るまでに、彼の人生でいくつかの伏線があるということ。

 1868年、ロッシーニが亡くなった際、ヴェルディはあることを提案した。時期でいうと「ドン・カルロ」の初演(1867年)を終わって「アイーダ」までの間だ。その提案とは、イタリアの作曲家達が互いに曲を提供し合って、偉大なロッシーニを追悼するレクィエムを創り上げ、没後一年にボローニャで上演するという計画であった。
 中心となったヴェルディは、終曲のLibera meを作曲した。他の作曲家達も思ったより熱心に協力してくれて、曲は集まってきたのだが、中心となってくれるはずだったボローニャ歌劇場のオケや合唱の事務局が、次のシーズンの準備を優先して協力的でなかったり、その他、様々な要因で結局実現しなかった。
 というより本当の原因は、僕が思うに、純粋なヴェルディは「手弁当で」(つまり無報酬ボランティアで)とみんなに要求したのが、気持ちは分かりつつ、現実的には善意のみで人は動かなかったということのようである。

 ということでLibera meが宙に浮いてしまった。そこへ、ヴェルディがかねてからとても尊敬していた作家のマンゾーニが亡くなった知らせを受けて、ヴェルディは、今度はひとりでレクィエム全曲を作曲しようと決心し、Libera meに多少の変更を施して、新しいレクィエムの終曲に据えた。
 Libera me の音楽は、素晴らしいフーガが中心になっているが、この新しいレクィエムの中には、その他にも、KyrieにもSanctusにもフーガがある。また、ヴェルディは、「アイーダ」と「オテッロ」との間の15年にも渡る創作活動の中断の時期に、パレストリーナなどの先人の対位法音楽の研究をしたとも言われている。

 それが彼を、最後のオペラである「ファルスタッフ」の終幕をフーガにするという発想に導いたようである。それも彼自身が先導して!ヴェルディは「ファルスタッフ」の台本が届くのが待ちきれなかったようで、台本作家のボーイトを急かして、手始めに勝手にフーガを作曲したようだ。
 彼はボーイトに手紙を送っている。
「フーガを作って遊んでいます!
ええ、フーガです・・・。
それもファルスタッフに似つかわしそうな滑稽なフーガですよ」

 ということで、オペラ史上あり得ないような、厳格な音楽であるフーガで、ヴェルディは彼の最後の大傑作のオペラを締めくくっているのである。意外に感じられるけれど、ヴェルディって結構アカデミックなところに回帰しているんだよね。

 一方、ワーグナーは、彼の最後の作品である「パルジファル」において、どこから合唱が入って来たのか分からないくらい、全てが渾然一体となった管弦楽の響きの中に合唱を溶け込ませたサウンドで作品を終了させている。

 双方、大天才だけれど、そのアプローチの仕方は、まさに真逆と言ってもいいであろう。

 京都ヴェルディ協会の講演会後は、僕が宿泊した「からすま京都ホテル」でレセプションが行われた。ここでは何度も講演をしているし、そもそも主催者達と知り合ったのは、もう25年も前のバイロイト音楽祭であって、ヴェルディ協会の中には、実はワグネリアンが多いのだ。なので、気心の知れた人たちと美味しい料理とで、すっかり満足し、酔っ払いもした。

高崎の椿姫
寝坊の朝

 ということで、すっかり酔って良い気持ちになってしまった僕は、次の朝起きたらもう6時45分だった。別に遅くはないと皆さんは思うでしょう。ところが僕は、できたら6時前に起きて、西本願寺に行って、念仏に参加しようと思っていたのだ。いっけねえ・・・法要は7時には終わってしまうのだ。
 もうひとつ言うと、実は今日はカトリック教会では復活祭なのだ。聖木曜日の晩には妻と立川教会のミサに出たのだけれど、今日は高崎まで行かなくてはならないので、京都の教会に行くのは最初からあきらめていた。その代わり、もっと早い西本願寺に行きたかったのに・・・・。

 皆さんの中には批判的な人はいるだろうね。カトリック信者で西本願寺とはけしからん!ってね。でも、僕は思うんだけど、そもそも親鸞の浄土真宗の教えはカトリック教会の教えととても共通点があるんだ。。
 人間は、どうしても弱いものである。行いたい善はなかなか行えない一方で、罪や悪を避けることはできない。行為にださなくとも、想いまで掘り下げてみるならば何人も胸を張って私は正しいと言える人は皆無だ。だから仏の慈悲の前に自らを委ねるしか残されていないのだ。

 この「委ねる」という点において、いったい何処が違うのだ?と僕は思うのだ。それよりも、特に西本願寺では、お坊さんのお説教が素晴らしいのだ。大部分のカトリックの神父の説教は、西本願寺のお坊さんの説教に負けていまっせ!
と誉め称えている自分が、結局今日は行けなかったんだから仕方がない。

 さて、そんなわけで、その朝、新幹線で東京に向かい、さらに乗り換えて高崎まで行った。今日は、高崎「椿姫」の合唱立ち稽古がある。
 

生き生きとしている合唱立ち稽古
 高崎のスタジオに着いたら、特に女声合唱団員達が、届いた舞踏会の衣装を着て寸法を直したりしていたが、それだけでみんなのテンションが異常に盛り上がっている。素人っぽい、と言ってしまったらそれまでだが、新国立劇場とかのプロの現場では見られない興奮に満ちた光景が、僕には実に新鮮だった。

 立ち稽古が始まった。面白いもので、歌と一緒に演技している瞬間は、実に生き生きしているのだけれど、歌が終わって後奏になって退場になると、合唱団のメンバー全員が途端に肩を落として「お葬式状態」になってしまう。

 もろもろの事をいちいち直していかなければならないが、そうしたことも含めて、できていないのをガッカリしたりすることはなくて、彼らが、
「あ、そうか!」
と分かった瞬間を見るのはとても嬉しいし、時には直した後の豹変ぶりに驚いたり、
「プロの厳しい眼から見ても、なかなかいいんじゃない!」
と、あらためてみんなを見直したりすることが、いちいち楽しい。

ソリストに稽古を付けながら思う事
 一方、東京では、平行してソリストの稽古も進んでいる。京都の講演会に先立つ4月18日金曜日は、午後からアルフレードとヴィオレッタのシーン。それから医師やアンニーナなど他のソリスト達も加わっての終幕を中心としたシーンをやった。
 僕は、合唱指揮者としてだけではなく、ここではむしろアドヴァイザーとして参加している。テンポや解釈などいった指揮者の領域には立ち入らず、それ以前にも直すところは沢山あるのだ。

 たとえばfiglioやvoglioのようなglは、フィーリオやヴォーリオではなく、舌を上の歯の裏につけてlの準備をしながらやや圧力をかけて、フィーッリオやヴォーッリオのように発音するべきなのだ。それはイタリア語のイロハなのに、案外分かっていない人が多い。
 またcielのような二重母音も、気を付けないとチェルになってしまう。意識してチを言ってからあらためてエも同等の強さでチエルと発音するべきなのだ。これはほんの一例に過ぎない。その他、ある言葉を発する時は、イタリア語的表現として、こんな言い方をするべき、というイタリア語の決まり事みたいなことも少なからずある。
 イタリアに留学した人は分かっているだろうが、日本だけにいる人、特に学生などが知らなければならない事が沢山あるのに、教える人がそもそもいないのだという事にあらためて気が付いた。

 僕は、90年代、東京藝術大学オペラ科の講師として、学部生や大学院生のオペラ・アンサンブルの指導をしていた。その後新国立劇場合唱団指揮者となったので、学校の仕事は全てやめて合唱指揮に専念するようになった。
 それから2011年に文化庁在外研修生としてミラノに渡り、スカラ座における3ヶ月の研修を行ったが、同時に語学学校に毎日通って、イタリア語を徹底的に勉強した。それ以降、今でもイタリア人の先生の所に週1回レッスンに通っているし、イタリア語の勉強は怠ることなく続けている。

 芸大に通っていた時は、残念ながらイタリア語に対する知識は充分でなかったし、ミラノ研修以後に得た知識と経験は、反対に合唱以外に生かせる場を持たなかった。今、こうしてソリスト達に、発音やイタリア語的表現を指導してみると、実は、今こそ僕の見識は、もっと広く人々の役に立てるのではないかと思うのだ。
 勿論、70歳になった僕は、公立の機関ではとっくに定年だろうから、定期的な場を持つことは不可能だ。でもね、自分がこの歳になってみるとね、年寄りはみんな老いぼれてしまうとは限らないし、むしろ年寄りの知恵を生かす機会があってもいいと思うよ。

 う~~ん・・・塾でも開こうか・・・ま、それはともかく、ソリストの練習も楽しくやっている今日この頃です。

2025. 4.21



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