マーラー交響曲第5番とリュッケルト歌曲集に酔う

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

兵庫県立芸文の講演会無事終了
 6月5日木曜日の兵庫県立芸術文化センターにおける「さまよえるオランダ人」レクチャーの一回目が午前中なので、僕は前の晩、すなわち6月4日水曜日に宿泊した。泊まったところは、阪神本線甲子園駅のすぐそばのホテルヒューイット。ホテルの部屋からの眺めが素晴らしい一流ホテル!


甲子園駅前ホテルからの眺め

 翌朝の早朝散歩は、甲子園球場をグルッと回って海の方に行った。9時15分にホテルにタクシーが来て、芸文に向かう。このホールは、むしろ阪急神戸線の西宮北口駅の近くにある。


朝の甲子園球場

 講演会が始まると、前もって聞いていた通り、800人収容の中ホールがいっぱいになっていた。凄いな、ここの意気込み!僕も気合いが入って、冗談も交えながら「ワーグナーの底知れぬ魅力~『さまよえるオランダ人をさまよわないための道しるべ』~」のレクチャーを進めていった。

 主催者から、午前午後で1600人近い人たちが参加すると聞いて、その中には、始めてワーグナーの音楽に接する人がいることを考えて、一部内容を変えた。その冒頭に「ワーグナーはどんな人だったか?」というのを加えた。それは、先日、日本ワーグナー協会「ワーグナーとヴェルディの合唱についての役割」講演からちょっとだけ引用して、ヴェルディの生き方とワーグナーのそれを比べることによって、ワーグナーの人物像を描き出してみた。

 劇場ありきだったヴェルディは、劇場と契約を結び、条件を決めてからでないと作品を提出しなかった。出版社とも同様であった。それ故、財政的には安定していて、晩年は、たとえばCasa di Riposo per Musicisti(音楽家のための憩いの家)を建てて、死後に自分の著作権収入で運営できるようにした。
 その一方で、ワーグナーは、借金することを何とも思わない人であった・・・などなどを初めとして、どれだけハチャメチャな人生かを描き出していった。しかし、いろいろなことを調べれば調べるほど、ワーグナーは、たとえばドレスデンの革命に加担したことで指名手配になって、ドイツ国外に逃亡した時などは、フランツ・リストにとても助けられたり、バイエルン国王のルートヴィヒⅡ世のような熱烈な賛美者が援助してくれたりと、「人に助けられる人生」であった。これも、逆の意味で「人徳」と言えるのではないか、と説明した。

 それから具体的に「さまよえるオランダ人」の説明にだんだん入って行ったわけだが、自分で言うのもナンだけど、結構皆さん喜んでくれたみたい。講演会はうまくいって、お腹が空いたので新大阪では「なにわ満載」弁当を買ってスーパードライでひとり乾杯をし、途中ぐっすりと寝て家に帰った。


なにわ満載で酒盛り


 これで夏前の4つの講演会が全部無事終了した。これらのファイルをまたあらためて整理し、いつでもワーグナー及びヴェルディなどを中心とした講演会の依頼が来たときにも対処できるようにしておこうと思っている。

マーラー交響曲第5番とリュッケルト歌曲集に酔う
第5交響曲の難しさと楽しさ

 トランペットの蛭(ひる)ちゃんが連絡係になって、練習場所と時間を携帯電話メールで伝えてきた。僕は、明日11時からの金山音楽プラザでの練習に備えて、名古屋駅に10時09分に着くことや、新幹線が遅れるようなことがあった時には伝える旨を返信したが、最後にこう書いた。
「冒頭のトランペットはドキドキしますね、とプレッシャーをかけておきます(ケケケ)!」

 6月8日日曜日。愛知MFオーケストラの最初の音は、蛭ちゃんのたったひとりのトランペットから始まった。縁起を担ぐ人ならば、このファンファーレいかんによって、この新生オケの今後の運命が決まる、などと思う人もいるかも知れない。しかし蛭ちゃんの演奏は完璧だった。プロだってここまで吹ける人は少ない。
 休憩時間になって僕は言った。
「頭のソロ、良かったじゃないか」
「ケケケ言われちゃったら、頑張らないわけにはいかないじゃないスか」

 でも、だからといって、初日の練習がとてもうまくいった、というと嘘になる。マーラーの交響曲5番をナメてはいけない。メチャメチャ難しい。でもメカニックな意味で弾けてないところは、なにも僕が言わなくっても、みんな自覚はあるので次までにある程度サラってくるだろう。
 それよりもむしろ、細かいテンポの変化やバランス、フレーズの引き継ぎやちょっとしたニュアンスなどは、自分達だけで夢中に弾いていては分からないので、丁寧に指摘していった。でも、このオケ、集中力が素晴らしいね。必死に食らいついてくる。

 昨年の夏、“にもオーケストラ・オイリュトミー・プロジェクト”での長久手公演の打ち上げで盛り上がった勢いで、
「マーラーやろうぜ!」
と僕が言い出し、
「何番ですか?」
という問いに、僕は即座に、
「5番!絶対5番!何が何でも5番!」
と答えた。

 実は、名古屋では、すでにマーラーの作品は「嘆きの歌」「大地の歌」交響曲第2番、第3番、第4番までやっていて、複数の団体ではあるが、かなり同じ顔ぶれの人たちがダブったりしているのである。
 交響曲第2番では、ウィーンまで演奏旅行に行き、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地である楽友協会大ホールで、スタンディング・オヴェイションを勝ち取っている。
 そんな実績があるから、名古屋近辺では結構有名になっているようだ。新しく生まれた愛知MFオーケストラでは、これまでにないほど多数の新しい弦楽器奏者が集まってくれた。一方、管楽器奏者達のトップは、それぞれ僕と一緒に何度も音楽を創りあげてきたメンバー達。だから響きの充実度は保証できるし、なにより、止めて注意した後の吸収度が違う。

 しかし、それでもたとえば第3楽章なんかは一筋縄ではいきませんなあ。テンポも変化に富み、振り数もコロコロ変わる。それから最終楽章は純粋にテクニック的に難しいので、フーガのところなどは、まだまだインテンポではできないし、まあ初日なので無理矢理インテンポにする必要もない・・・ということで、あの素晴らしい第4楽章アダージョは、後で時間があったらやろうと思っていたけれど、飛ばさざるを得なくて、第5楽章と取っ組み合いをしている内に時間が来てしまった。

リュッケルト歌曲集のオーケストレーション
 それで、15時に一度解散して、それから「リュッケルトの詩による5つの歌曲」の練習に入った。この歌曲集は、あらかじめ歌曲集として組まれたものではなく、マーラーが夏のバカンスを利用してバラバラに作曲された曲を集めたものである。だから出版社によって曲順が違うし、なにより曲によってオーケストレーションがかなり違う。

 Ich atmet' einen linden Duft「ほのかな香りを」では、弦楽器がヴァイオリンとヴィオラしかない。Um Mitternacht「真夜中に」は一切の弦楽器がない。つまりブラスバンドにハープがついた編成だ。
 さらに、一番最後に書かれたLiebst du um Schönheit「美しさ故に愛するならば」は、マーラー自身がピアノ譜だけ残しているのを、プットマンという人が勝手にオーケストレーションしてしまったため、妻のアルマが抗議したが無駄だったという曰く付きの編曲だ。
 それ以外の曲は、みんな響きがとても個性的で、うまく楽器ごとのバランスをとりながら演奏しないと、マーラーの意図した響きにならない。いや、このオーケストレーションひとつとっても、マーラーは天才だ。その意味では、プットマンの編曲が一番常識的な響きがする。天才ではないけれど秀才。逆に言えば、変にマーラーの真似をして陳腐な音になったりしなくてよかった。

 ということでオーケストラ合わせは16時終了。それから音楽プラザ一階のカフェテリアで、みんなでケーキなど食べながらお茶して、それから別のスタジオに向かい、三輪陽子さんの「リュッケルトの歌曲集」のコレペティ稽古を18時からした。

三輪さんの吸収力
 冒頭のBlicke mir nicht in die Lieder!「私の歌をのぞかないで!」はテンポも速く、ピアノを弾くのがとても難しい。それに歌う方も言葉さばきが大変。でも、まあ、なんとかごまかしながら弾いたし、ドイツ語のニュアンスを直したりしたら、三輪さんの吸収力って凄いね。やっぱり、タダ者ではない!
 メインとなるIch bin der Welt abhanden gekommen「私は世にすてられて」とUm Mitternacht「真夜中に」の2曲には特に時間を割いた。僕の想いも強いけれど、三輪さんもよく答えてくれた。終曲となるLiebst du um Schönheit「美しさ故に愛するならば」では、マーラーは、最後の節であるLiebst du um Liebe「愛ゆえに私を愛してくれるなら」というくだりで不思議とSteigernd-stringend(テンポアップ)のように書いてあるけれど、僕は逆に、こここそたっぷりとやりたいのだ。だって、
Liebst du um Liebe,  愛ゆえにあたしを愛してくれるなら
o ja,mich liebe!  そうです、あたしを愛してください!
Liebe mich immer,  あたしを永遠に
dich lieb ich immerdar!  あたしもあなたを永遠に愛します!
という内容だからね。
 このSteigernというドイツ語の動詞の本来の意味は、「増す」「高まる」であって、必ずしも速度を上げる意味でもないが、一方、イタリア語のstringendoの不定形stringereという動詞を辞書で引くと、最初に明記されているのは「締め付ける」であって、それから(時間が)「迫る」あるいは「切迫する」とある。
 ユニヴァーサル版をはじめとして、どのスコアにもイタリア語が併記されているが、これってマーラーが書いたのかなあ?ともあれ、僕自身は、ドイツ語の「高まる」を尊重して、気持ち的な高まりをもって、むしろテンポ的にはゆっくりやりたい。

 ということで、気が付いたら、どうやら二時間近く合わせをしていた。それで、この1回でもいいのだが、三輪さんに僕の言ったことを咀嚼してもらって、彼女ともう一度合わせをしてからオーケストラと一緒にやることにした。大好きな曲なので、丁寧に取り組みたいのだ。
 プロの場合、大抵は、1回の合わせでチャチャッとやって、次オケ合わせというのが常識なら、僕はアマチュアリズムを生きているのかもしれない。でも、良いものを作るのに妥協は許されないのだ。必要ならば何度だってやるさ。本当はそっちの方がプロ意識が高いということなのでは?
 その一方で、オケも、そして三輪さんも、僕の頭の中で、できあがった本番の具体的な姿がしだいにイメージされてくるのが感じられた。

絶対にブックオフでは売れない!
 指揮者がオケの練習に先駆けて必ずやること・・・あるいは必ず心配することがある。それは、スコアのめくりである。スコアがうまくめくれない場合、絶対に確実なのは左の親指を舐めながらめくること・・・でもさあ・・・これはやっちゃいけない・・・これをやると、必ず(特に女子に)嫌われる。
「いやあねえ・・・きたないわ!」
と思われること必至なのだ。
 しかし買ったばかりのスコアは、それぞれのページがピタッと合わさっているので、絶対にうまくめくれない。それで、初練習の何日か前に必ず、何度も何度もページをめくって跡を作る。
 勿論、これをやると、もう絶対に自分以外は使えないスコアとなる。逆に言えば、その時に初めて、自分だけが使う完全に自分用のスコアとなるのである。勿論、その上に鉛筆や赤鉛筆、青鉛筆でどんどん書き込みするので、まあ、もし僕がとっても有名になって「三澤洋史の使い古したマラ5のスコア」というのが価値が出たら別だけど・・・それ以外では、他人にとってゴミでしかないものになるねえ。アハハハハ!


絶対にブックオフでは売れない


2025. 6.9



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