「あんぱん」と戦争
NHK朝ドラ「あんぱん」を楽しく観ている。でも、ここのところ戦争の場面が多く、観ていて辛い瞬間も少なくない。軍隊に入ったばかりの柳井嵩(やないたかし)は、何だかんだと理由を付けては上官に殴られていたし、少し階級が上になると、今度は周りの態度がガラリと変わる。そうして先週は、日本を離れて中国福建省に送られてしまった。
そのような展開に抵抗を感じるのは、僕だけではないようで、視聴者からマイナスの評価が多数寄せられていると聞くが、実際にやなせたかし氏が戦争に行ったのは事実だし、軍隊で上官が部下を殴ったりすることはあっただろうから、観ていて不快だったとしても、シーンそのものに文句を付けたりするつもりはない。
それよりも、このドラマを観ていて、あらためて考えさせられたことが少なからずある。それは、日本が大東亜共栄圏という大義名分の元に、中国をはじめとする大陸に進出していったことは、大いなる思い上がりであり、勘違いであったということ。また真珠湾の奇襲攻撃によってアメリカと戦争を始めたことが、どれだけ愚かなことであったかということだ。
確かに当時、ヨーロッパ列強国によるアジアの植民地政策はあった。しかしそこから朝鮮半島の国や中国を守るという善意による派兵であったならば、まずそうした大義を、政府は下々の兵士に至るまで徹底的に教育すべきであった。一方的占領の元、優越意識や差別意識を持って上から目線で現地の人たちと接したならば、反発を受けることは当たり前であった。そんな中途半端な状態で、大陸などに渡るべきではなかったのだ。
現実に、朝鮮半島や中国の人たちにとっては、当初から侵略以外のなにものにも映らなかったし、現代に至っても、日本への恨みが消えていないではないか。大義名分がどうであれ、取り返しの付かないことをしたことは結果が証明しているのである。
また、真珠湾への奇襲作戦も決して行うべきではなかった。よく考えてみよう。日本は、なんとまあ、あのアメリカと戦争したんだよ。アメリカ合衆国って、あんなデカい国だよ。その巨大な国と戦争して勝つってどーゆーことよ?
まさか、日本の軍隊が大量にアメリカ大陸に進出して行って、ニューヨークやワシントンを乗っ取り、占領して、そこに日本政府を置いて統治する、などという状態まで考えていたわけじゃないかもしれないけれど、勝つということはそういうことです!それ以外に、一国が他国に完全勝利したと言い切ることはできないのです!
それなのに、アメリカ大陸本土でもない、ただの入り口の小さな島に内緒でコッソリ出掛けて行って、そこの軍艦を沈めて、奇襲作戦大成功などと喜んでいたとしたら、愚かとしか言いようがない。
「卑怯なことやりやがったな!」
ということで、相手に容赦ない反撃のモチベーションを与えてしまっただけである。
案の定、その後日本はどんどん追い詰められてきた。ただアメリカと日本との間には、あの巨大な太平洋が横たわっている。アメリカも南方のグァムを占領するまでは、日本に直接B-29などで都市攻撃することはできなかった。先ほどの反対で、「日本に大量の兵士を投入し東京を占領して・・・」ということは、地の利から言ってアメリカもできなかったわけだ。
この戦争が二発の原子爆弾で終わりを告げた、という皮肉な結果は、そのような事情から生まれた。核兵器使用の是否を問う前に、放っておいたら「最後のひとり」まで戦いそうな日本人を、どうやったら降伏にまで追い込むか?ということに米国人は頭を悩ませていたのは事実である。
その意味では、昭和天皇が「自分はどうなってもいいから」という決意の元、ポツダム宣言を受け入れたのは立派な選択だったとは思うが、その一方で、8月15日を未だに終戦記念日と言っているのは“言葉の誤魔化し”以外のなにものでもないと思う。
まず終戦ではない。敗戦である。そしてその記念日は8月15日ではなく9月2日にすべきである。8月15日は、昭和天皇が「戦争をやめることにしました」とラジオで日本国民に告げた日に過ぎず、実際には、9月2日に戦艦ミズーリ号において降伏文書に調印することで日本は降伏したのであり、本当は9月2日を敗戦記念日にすべきなのである。
と、一気に書いてしまった。問題の本質を突っ込んで考えずに、誤魔化し続けている日本人の狡さが、特に太平洋戦争に関しては、いろいろあり過ぎて許せないんだよな。ええと・・・この原稿は、6月15日日曜日の晩に書き始めたのだが、今朝(16日月曜日)の「あんぱん」では、中国人達の反発を招いていた紙芝居を嵩が書くことになって、少し明るい展開が見えてきた。
NHKの朝ドラでは太平洋戦争を扱っているストーリー展開が多いけれど、「辛い時代を生き抜いてきた」だけではなく、せっかくだから、あの戦争は何だったんだろう?という根本的疑問に立ち還って考えることは、それぞれの日本人にとって必要なのだと思う。
白百合学園での指揮法レッスン
6月9日月曜日は、先週の「今日この頃」更新原稿を午前中に書いた後、家を出て白百合学園に行ってきた。昨年は校内合唱コンクールの審査員として出席していたが、その際、僕が発言した、
「生徒達の優劣を競う前に、そもそも学生指揮者たちの指揮の仕方に根本的問題があります。ここを改善したら全体の水準が画期的に上がりますよ」
という言葉に、学校側が答えてくれて、今年は審査員としてではなくて、むしろコンクールに先だって、各クラスの学生指揮者を集めての「指揮の講習」を依頼されたのだ。
白百合学園中学高等学校は、母体がシャルトル聖パウロ修道女会なので、女子校である。中学も高校も、それぞれ学年毎に4クラスあり、指揮者もそれぞれメインとサブがいたりして、なんだかんだで受講者は30名以上いた。
だからひとりずつの指導なんてとてもできないので、まずは僕がホールのステージ上から、基本図形や、曲の開始、終了、テンポやダイナミックの変化などの見本を示し、客席にいる生徒達が立ち上がって一斉に僕の動きを模倣することから始めた。
でも、これだけでもかなり違う。昨年のコンクールでは、アインザッツさえまともにできなかったから、歌うみんなも指揮を宛てにしていなかったし、当の学生指揮者も、自分の世界に入っているだけで、どうやったら合わせさせることができるか分からなかった。そもそもコンタクトが成立していないので、全てがただの「行き当たりばったり」であった。それが、見る見る加速及び減速を伴う放物線を描けるようになってきた。ここまで来ればしめたものだ。
それから学年毎に壇上に呼んで、ひとりずつ課題を与えて指揮させた。課題をこなす方も学べるが、僕がどう指摘するのか?それによってどう変わるのか?を見ている人たちも、同じように学べたと思う。
ひととおりレッスンを終えて控え室に戻ってきたら、その入り口に生徒達が殺到した。我先に僕のところに来て、
「ここのところ、どういう風に振り始めたらいいんですか?」
「ここのテンポの変化は?途中で振り数変えますか?」
「フェルマータで止まった後、次どうやりますか?1回切って始める時はどうやりますか?切らないでそのまま行く時は?」
次から次へと止まらない。僕はワンポイントで簡潔に答え、
「はい!次の方!」
とさばいていくが、先生があわてて、
「もう退館時間ですから、はい、帰って帰って!」
と彼女たちを追い出した後で、
「すみませんね、キリがないので・・・・」
と謝ってきたが、僕の方はむしろ時間があったので、彼女たちの全ての悩みに答えてあげたかった。
でも、思ったね。指揮法って、見よう見真似でできるようにみんな思っているけれど、指揮法こそ、きちんと物理的法則にのっとって体系的に習わないといけないんだ。たった一日だけのレッスンだったけれど、彼女たちがここから学んでくれて、次のコンクールに生かしてくれたらと、心から願っている。
日本ワーグナー協会理事会
6月14日土曜日は、日本ワーグナー協会理事評議員会があった。議題は通常の理事会と同じように三宅泰子さんによる会計報告に始まり、例会報告etc.であったが、昨年の理事会の時には、僕の場合次の日が忙しかったため、その後の打ち上げは失礼してしまった。
今年は時間に余裕もあるので参加した。理事及び評議員の皆さんは、むしろ打ち上げの方がメインのように思っているらしく、池袋の自由学園明日館から、ほぼ全員が当たり前のように駅前のライオンに向かって列を作って歩き、店に入ると当然のように奥の個室に向かった。
僕の左横は舩木篤也さんで、真ん前が東条碵夫さん。普段なかなか話せない話題に華を咲かせ、その他の人達とも交流を持った。みんな(当たり前だけれど)ワーグナー・オタクばっかりで、いやあ、いろんなことをよく知っているね。それにみんなよく飲む。僕も最初は普通の生ビールだったけれど、しだいにヴァイツェンから黒ビールへと進み、ワグネリアンでなければ通じない様々な情報交換をして、とても楽しかった!
2025. 6.16
![]()