オーケストレーションについて
アッシジの聖フランシスコが、彼自身の死の前に作った最大傑作の詩Cantico delle Creature(被造物の賛歌)を、僕は昨年のアッシジ聖フランシスコ聖堂の演奏会のために作曲したが、今度は、名古屋のモーツァルト200合唱団が9月のコンサートで取り上げてくれることになっている。
そのためにフル編成の管弦楽の編曲をしている最中である。本当は最中でもなく、編曲そのものは、もうほとんど終わっている。しかし、見直しも含めてなんだかグズグズしている。編曲そのものは悪くはないと思うし、バランスも良く、弾きにくくもない。今のままで誰も文句を言う人はいないだろうが、その分、優等生的で、なんだかなあ・・・もうひとつ何かが足りないのだ。
その原因を作っているのが、なんとグスタフ・マーラーの「5つのリュッケルト歌曲集」なのだ。以前にも書いたが、10月13日の「愛知MFオーケストラ第1回定期演奏会」で演奏されるこの曲集のオーケストレーションが素晴らしくて、僕はマーラーの天才に圧倒され続けている。
例えば、Ich atmet' einen linden Duft(ほのかな香りを私はかいだ)ひとつとっても、弦楽器はヴァイオリンとヴィオラしかなくて、しかも最初の2小節はヴィオラの高いフラジオレットと共に、チェレスタ及びハープのアルペジオがクラリネットのメロディーを彩り、4小節目からの伴奏は、ヴァイオリンとファゴットだけという風に、極端に切り詰めながら、それでいて充分な効果を醸し出している。
そうしたマーラー以外の誰も考えつかないような独創的な管弦楽法の中に、一曲だけ、普通に僕でも考えつきそうなのが、最後に演奏するLiebst du um Schönheit(美しさのために愛するのなら)のサウンドだ。実は、この管弦楽法だけマーラー自身のものではない。
マーラーは、夏の休暇の間に、バラバラにこれらの6つのリュッケルトの歌曲をピアノ伴奏用に書いて、後に管弦楽用に編曲したが、最後のこの曲だけはピアノ譜のまま残して死んでしまった。
そこで、プットマンという作曲家が勝手に管弦楽に直したのである。未亡人のアルマ・マーラーは、プットマンに抗議したが、人々がオーケストレーションされたこの曲の上演を望んだので、アルマは引き下がるしか方法がなかったと記録されている。
このスコアに関しては、僕は、ざっと見ただけで音が頭に浮かぶ。って、ゆーか、恐らく僕が何も考えずにピアノ譜からスコアに起こしたならば、かなりプットマンに近い書き方をすると思う。彼はマーラーのような天才ではなかったが、確実な職人である。だから、プットマンと同程度でも凄いじゃない、といわれれば、その通りかも知れないけれど・・・それでもねえ・・・マーラーの天才を知ってしまった後では・・・う~ん・・・自分もプットマンを越えて、もうひとつ独創的な管弦楽法でCantico delle Creatureを響かせたい!
ということで、グズグズしてる・・・。
僕とて、管弦楽法は、ちゃんと勉強したから、ある程度精通している。だから、トランペットにワウワウミュートを使ったり、ホルンをGestopftで吹かせたり・・・弦楽器にフラジオレットで演奏させたり・・・楽しいサウンドを散りばめてみた・・・あのね・・・そーゆーことではなくて・・・ただのオチャラケだからやめた方が良いよ。あ~あ・・・マーラーの天才性の足下にも及ばない・・・まあ、相手がマーラーだからね。仕方ないさ。
そろそろセントラル愛知交響楽団も心配し始めているだろうから、あと数日で仕上げて提出すると思う。あのね、変わったことをするのと独創的というのとは全然違うので、最終的には、収まるところに落ち着くとは思います。あ~あ・・・凄いな・・・マーラー・・・。
やっぱりなんにも起きなかった7月5日
今日は7月7日。七夕(たなばた)のお祭りでーす・・・と呑気に書いていられるということは、要するに例の7月5日を無事乗り切ったということである。バンザーイ!って、ゆーよりも、なあんだ・・・・。
あれれ・・・?ということは、三澤さんは、やっぱりアレを本当に信じていたんですか?というより、本当はめっちゃ恐がっていたりして・・・ウフフ!
ではないよ!別に恐がっていたわけではない!ただね。僕たちの命は明日をも知らないものだ。我々誰ひとりとして永遠に生きる者はいない。いつかは必ず死ぬ。そして、それは明日かも知れないし、10日後かも知れない。恐がっても仕方のないことだ。ただそれが、規定された7月5日であったとしたなら、ちょっとは覚悟もできるかも知れないじゃないか。その日に何かが起きて、もし自分が死ぬのだったら、カッコいいじゃないか。
ノストラダムスの時にも思った。世界の終焉に立ち会うことを許されるとしたら、「この人生」に、ある特別な意味が加わるじゃないか。まあ、今回はノストラダムスほど大規模じゃないとしても、
「あの時僕は、まさに日本に生まれていて、有名な2025年7月5日に70歳で死んだのさ」
と、天上界でも次の人生でもちょっと胸を張れるじゃないか。
その7月5日土曜日の5時前。目覚まし時計を掛けていたわけではないけれど、ふと目が覚めた。トイレに行って、
「ん?何時かな?」
と居間の時計を見ると、あれっ?4時48分は過ぎて53分あたり。
テレビを付けた。何らかの緊迫した映像が目に飛び込んでくるかなと期待したが、どこのチャンネルを回しても、夜明け前のゆったりと間延びした番組が、淡々と流れているだけ。
「なあんだ・・・」
と思ってまた寝た。
その日は、午前中から東京バロック・スコラーズの練習があったので、6時からの早朝散歩はやめて、いつもよりゆっくり起きた。土曜日は、孫娘の杏樹の学校も休みなので、朝はよけいに家の中に平和な空気が流れている。テレビをつけた。何も変わった様子はない。
「なあんだ・・・」
そういえば、もしフィリピン沖に巨大隕石が落ちたりしたら、そもそも日本の本土のことを心配する以前に、すぐ近くのフィリピンや台湾や沖縄の各島の事を最初に心配した方が良かったではないか。
それなのに、「関東平野さえ、かなり水没します」みたいな、日本に焦点を合わせた煽り方って、不自然ではないか?その前に沖縄本島は完全に水没し、全員死亡となったでしょうに・・・。
女性の活躍
参議院選挙の告示が始まり、家の前の選挙ポスター用の掲示板に、次々と候補者の写真入りポスターが貼られていく。その中に参政党から立候補した「さや」さんのポスターがあったので、
「あ、この人に入れてみようかな」
と思った。
2020年、新型コロナ・ウィルス感染拡大で、仕事がまるでなくなった時、暇に任せていろんなYouTubeを見ていたが、その中にSAYAさんの清楚な歌が混じるようになった。
ところが最近では、同じYouTubeでも、彼女を政治的なサイトで見かけることが多くなったのだ。で、とうとう参議院議員の候補者となったわけである。
https://aidanoai.net/sanseitou_saya_prof-2861
僕は、経済評論家の三橋貴明氏のサイトをよく見るが、そこに彼女が同席していることが多い。三橋貴明さんの言っていることは良く分かるし、そのことで逆に自民党の石破茂氏の言っていることの嘘もよく分かる。
石破氏は2万円の国民への給付金を強調するが、誰も喜んでいる人はいない。その一方で消費税の減税を頑なに否定している。まあ、それ以前に、自由民主党員達による金権政治、ハニートラップなどの疑いには、僕だけでなく皆さんも愛想を尽かしているのではないでしょうか。石破氏は、そもそも総理大臣の器ではなかったので、一刻も早く辞めて欲しい。
年配の方で、情報をテレビからしか得ていない人には分からないかもしれないけれど、テレビは大事なところで、もっともらしい顔をして大嘘をつくからね。それを信じ込んでいる人たちから見ると、インターネットやYouTubeなどから情報を得ることへの不信感はまだ根強いのかも知れない。
そうした世の中の風潮の中で、僕は勇気ある女性の活躍に、ちょっと皆さんの注意を向けてみたい。とりあえず、試しに二人の女性のYouTubeを紹介しておきます。この人たちがくれる情報は貴重ですよ。あとは皆さんがご自分で感じて判断して下さい。
東京都議会議員さとうさおり