人類を裏切った男

三澤洋史 

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参議院議員選挙
 後で書く7月20日日曜日、新町文化ホールの「おにころ・ハイライト」の舞台稽古の休憩時間、おにころ役の大森いちえいさんが、
「朝いちで選挙に行ってからバイクでここに来ました」
と言うから、
「へ~え、偉いね。僕は木曜日に期日前投票を済ませたよ。石破さんには一刻も早く辞めて欲しいね・・・」
「同感です!」
「ちなみに僕は、いろいろ政策を吟味して、参政党に入れたんだ」
「あ、俺もそうです!」
「おおっ、気が合うね。ちなみに僕は個人票は『さや』に入れたよ」
「あれっ?俺もそうです!」
「おりゃりゃりゃ、気が合うね!」
ということで意気投合した。

 あれっ?もしかしてひょっとして僕のブログ読んでた?でも、僕は誘導はしていないし、全ては皆さんの自由意志だからね。

 残念なのは、やはり相変わらず自民党に票を入れる人が少なくないね。東京選挙区でも、さやさんが2位だったのは嬉しいけれど、1位は自民党の鈴木大地さんだったし、他の所でもやっぱり自民党は根強い。
 もっと残念なのは、予想されていた自民公明連合による半数割れを導いていながら、肝心の石破茂総理大臣は続投するつもりらしい。もう後がないから、どうしてもしがみつきたいらしいが、日本の将来を考えたら、この人の続投だけは避けなければならない。

まだまだこの国の迷走は止まらないのかな?

人類を裏切った男


「人類を裏切った男」

 これは驚くべき本である。表紙の文章を読むだけで、この本の内容がいかに衝撃的なものかがお分かりであろうが、さらにこのタスキの裏側に書かれた言葉はもっと過激な内容である。

新型コロナウィルス感染症のパンデミックを制御するためにアンソニー・ファウチ博士がとった戦略は、マスク着用の強制、社会的距離(ソーシャルディスタンス)、都市封鎖(ロックダウン)によるウィルス拡散抑制だった。
一方、家に帰るよう指示された新型コロナウィルス患者は一切治療を受けられず、呼吸困難に陥ってから病院に戻され、レムデシビルを静脈投与され、人工呼吸器につながれた。
感染症を抑えるためのこのアプローチには科学的裏付けがなく、予想どおりに効果がなく、アメリカは世界で最多の死者を出した。我々は新型コロナウィルスに対する薬を利用できた。しかも、安価で安全な薬だ。
しかし、ファウチ博士と製薬会社の研究者たちは、数十億ドルの利益をもたらす新しいワクチンを開発するために、既存の薬による治療を意図的に退けた。

 これだけのことが、この本で曝露されていて、さらに全米で100万部突破したことに、本当に驚いている。しかしながら、もっと驚くことがある。それは、こうした本が世間に出回っているにも関わらず、ここで話題となっているアンソニー・ファウチ博士もビル・ゲイツも、逮捕されたという話は聞かないし、未だに拘束もされずにのうのうと巷にのさばっているということだ。

 2020年の初頭から、この地球上のどれだけの人が、パンデミックで命を奪われ、あるいは緊急事態宣言やロックダウンなどで仕事を失い、大混乱の中で生きることを余儀なくされていたか!
 さらに新型コロナ・ウィルスに対する新薬を巡って、ヒドロキシクロロキンやイベルメクチンといった安全性を保証されつつ有効性が認められた薬の使用が意図的に排除され、それらの薬よりも1000倍も高価で、しかも毒性の強いレムデシビルを推奨するなど、意図的な情報操作が行われていたことが詳細に書かれている。

こうした文章がある。

アメリカ国民の大半は、このような大惨事を知らない。医師や被害者、家族から報告された有害事象の報告を主流メディアやソーシャルメディアが即座に消し去ってしまうからだ。
CNNや『ニューヨーク・タイムズ』紙のようなメディアは、津波のように押し寄せるワクチン接種後の有害事象を無視し、新型コロナウィルスのせいにできる死亡や健康被害を反射的に誇張して報道する。広範なプロパガンダの一環として、たまにワクチンを受けていない人の中に新型コロナウィルスによる死者が出ると、その事例を(おそらくは嬉々として)報道している。

 2020年から2021年にかけて、アメリカの大統領選挙とリンクするように、新型コロナウィルスの感染拡大が始まった。トランプ氏の当選を拒否するためにDSの動向がすでにバレバレになっていることさえ構わずに、投票数の改ざんなどが平気で行われ、まんまとバイデンが大統領となった。
 ウィルスによる社会的混乱、そしてこうした不正選挙。それらのことに最大限加担して、それどころか、率先して民衆をミスリードしている現代における最大の悪とは、マスコミではないだろうか。さらにマスコミの、目立たないながら最も罪が重い行為は「取り上げない」あるいは「触れない」ことにあるように僕には思われる。

 しかしながら、そうした闇の世界の中で、このような本が出回ることが未だ許されていることに、僕は最後の、そしてギリギリの救いを感じている。

カンタータの傑作182番
 東京バロックスコラーズでは、来年の復活祭のシーズンに向けて3つのカンタータを練習中である。復活祭の前の週の枝の主日のための182番、復活祭の主日のための4番、そして復活祭第3主日のための12番である。その中から19日土曜日の朝は182番を練習した。

 バッハの時代、復活祭の前の四旬節と呼ばれる40日間では、基本的にカンタータは上演しないので、その間のカンタータは残っていない。ただし、キリストが十字架にかかる聖週間に入る主日は、イエスのエルサレム入城を記念する主日であり、人々がオリーブの枝を振りながらイエスの入城を祝ったといわれているので「枝の主日」と呼ばれる。カンタータ182番は、「枝の主日」のためのカンタータである。
 
 やればやるほど傑作だなと思う。前にも書いたが、バッハという人は、どんなシチュエーションの中でも、みすみす駄作として残すようなことはしない。だが、次の主日のために、どうしてもカンタータを間に合わせないといけないことはよくあったようで、その場合にも礼拝の導入の曲は必要不可欠と考えていたので、それなりの音楽を書いた。あとはアリアでつないで・・・これも既存の曲を転用することも少なくなかった。そして、最後のコラールも必要不可欠なので・・・とはいえ大規模なコラール・ファンタジーを作曲する時間はない時は、ちょっと凝った和声付けを施したコラールのままで残した。

 ちょっと自慢話をさせてください。国立音楽大学の学生の時、声楽科にも和声学の授業があり、期末には試験もあった。声楽科の学生にとっては、
「チンプンカンプン!分かんなくて退屈!単位必須でなければ誰も取らねー!」
とみんな言っていたが、僕は楽しかったし、(竹内先生と言ったな)教官とも仲良くしていただいた。僕は、作曲については独学だったが、初めて系統立てて和声学を習ったので、自分にとってはとても新鮮だったのだ(その後、和声学の我が国の権威である島岡譲先生の所に個人レッスンに通って、和声学を完全にものにした)。

 3年生の期末試験は、コラールのような和声課題で、バス課題とソプラノ課題が一曲ずつあったように記憶している。配られた試験用紙を見ると、声楽科の生徒のためだから、僕にはとても簡単だった。与えられた時間は80分だったが、僕は5分もしない内に仕上げて、
「先生!できたので、もう提出して退場していいですか?」
と言った。他の生徒達が、
「え?もう?俺たち、まだ取りかかったばかりなのによう・・・」
と言っている間に、僕は立ち上がって、試験用紙を先生に、
「はいっ!」
と提出して教室を出た。先生の、
「出来てる!完璧だ!」
という声を背中に聞き、他の生徒達が、
「おおっ!三澤、凄い!」
とざわめきながら言ってるのが聞こえて、顔に微笑みが出た。

 何でこんな話をするかというと、自慢するためではなくて、このような簡単なコラールの和声付けは、バッハの手にかかると5分どころか3分もかからないだろうな、ということを言いたいのだ。だから、恐らく彼の簡単なカンタータは、全曲でも一日で出来たに違いないと確信するわけである。

 その一方で、バッハの創作意欲が湧き、時間的にも余裕があるときに書いたカンタータのレベルの高さは他に追従を許さないものがある。182番もそのひとつだ。3曲ある合唱曲のどれも、テーマの模倣のテクニックにおいても、「バッハ以外誰もこうは書けないだろう」と確信できる。


「BWV182」


 譜例を掲げた7番のコラール・ファンタジーでは、二分音符による本来のソプラノによるコラールのテーマを最初に出さないで、まず横入りのように、四分音符でテノールから入る。すぐにバスで5度上のニ長調で模倣される。少し展開した後に、二分音符で本来のト長調のメロディーがテーマらしく出てくると、アルトがニ長調の四分音符で模倣する。その際の男声2パートの処理が素晴らしい!これだけで、
「ははあ!参りました!」
と正座して頭を床に付けてしまう。
 そして全体のたたずまいのゆるぎない美しさ。気品に溢れた崇高美!「ロ短調ミサ曲」や受難曲だけがバッハではない。こういう傑作が何気なく隠れているのがバッハのカンタータの凄さだ。

 世の中には、仏陀やイエス・キリストや、ニュートンやアインシュタインなど、高度に進化した天才というものが存在するが、僕はその人たちの中にバッハも入れてもらいたい。音楽家の中で、人類史上最も進化した人間。それがヨハン・セバスチャン・バッハだ!

土日は「おにころ」練習
 バッハと比べると、チンピラみたいなものだけど、僕も恥ずかしながら作曲します。1991年に初演するために、80年代の終わりに作った自作ミュージカル「おにころ」のハイライト上演を7月26日土曜日に、群馬県高崎市新町文化ホールで行う。
 「おにころ」を作った頃のことを最近よく想い出す。それまで、作曲の真似事はしていたけれど、世に出すような作品は書いた事がなかった。それが、いきなり、こんな長いミュージカルを作曲したんだ。まあ、よくやったなと思う。そしてまた、「愛をとりもどせ」というサブタイトルがついているけれど、今と全く変わっていない。ずっと、ずっと考えている事は同じなのだ。

 7月19日土曜日の午後は、エレクトーンの長谷川さんとピアニスト小林直子さんとの合わせ。夜は新町歌劇団の立ち稽古。その後は町のはずれにあるホテル・ルートインコートに宿泊する。

 「おにころ」を作曲した頃は、新町の実家には父と母がいて、週末の新町歌劇団の練習後、僕が家に帰ってくるのを楽しみにしていてくれたなあ。ずっと藤岡市の施設に入っていた母が今年4月に亡くなると、それ以後、ほぼ毎週水曜日に妻の車で実家に来ては、家の中や庭や物置などの様々な荷物を出して、街外れにあるゴミ処理場に持って行くことを繰り返している。
 だからもうほとんど空っぽになっていて、今年中には業者に頼んで、家を解体し、土地も更地にして地主(ずっと借地だった)に返すつもりだ。

 そんなわけで、故郷の町に来ていながら宿泊はホテルだ。7月20日日曜日の早朝6時。僕はホテルを出て、高崎方面に向かう柳瀬橋(やなせばし)という烏川(からすがわ)に架かる橋を越えて、反対側の土手の上をずっと南下し、関越自動車道の側道を歩きながら再び烏川を戻ってホテルに戻った。

 20日日曜日の練習は、本番会場の新町文化ホールで行った。「おにころ」はハイライト上演なので、僕は指揮だけでなくナレーションもする。ステージの下の客席の中央一番前に、譜面台を置いて舞台に向かって指揮をするかと思えば、クルッと振り向いて客席側の演台の上のナレーション原稿を読み、音楽が始まるとまた舞台に向かって指揮する。結構忙しいし、指揮した直後ナレーションをする時、
「え~と・・・どこからだっけ・・・」
と戸惑ったりする。曲は暗譜しているけれど、こりゃあ、ナレーションも半分覚えていないといけないな。

ということで、朝から午後まで、たっぷりと練習した。今週末が楽しみ、楽しみ!

2025. 7.21



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