キリストはいつ生まれたか?
8月23日土曜日の朝。東京バロック・スコラーズの練習に行く。来年の4月26日の演奏会のためのモテットやカンタータなどの練習をこれまで行ってきたのだが、それを一度中断して、今日から、我々が“ミニクリオラ”と呼んでいる「教会で行うクリスマス・オラトリオ演奏会」の練習開始なのだ。ちなみに、ミニクリオラの本番は11月22日土曜日。
この季節からクリスマスの曲の練習では、どうも気が乗らない、という団員のために、僕は練習冒頭にお話をした。
「こんな真夏なのにクリスマスかよ、という皆さんの気持ちは分かりますが、そもそもイエス・キリストが生まれたのが真冬であるという認識が全くの勘違い、ということを皆さんは知っていますか?」
団員達は、互いに顔を見合わせている。
「キリストが誕生したのがいつか?というのは、実は全く分かっていないのです。聖書学者の佐藤研先生によると、キリストに関しての資料としては、十字架上で亡くなった時期(過越の祭の直後)が最も正確で、それからさかのぼるにつれていろいろが曖昧になってくるのです。
それでも誕生日が分からないままでは具合が悪いので、ある時、教会が決めたわけですが、その根拠として、古代ローマ時代の太陽神を祀るミトラス教の、「一年の内、最も日が短いが、むしろこの日を境に太陽の勢いがだんだん増してくる冬至の日」というアイデアを採用したわけです。
それで、“12月24日から25日にかけての真夜中”が決まりましたが、今度は、それを元にいろんな日を決めました。降誕祭から9ヶ月前の春分の日を「マリアの受胎告知の日」と決め、さらに天使ガブリエルが、マリアの受胎告知を行った際、同時に、こうも言いました。
『あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている』(ルカによる福音書第1章第26節から)
それを受けて、エリサベトの懐妊の日を受胎告知の六ヶ月前の秋分の日に決め、さらにそこから九ヶ月後の夏至の日を、洗礼者ヨハネの日と決めたのです。こんな風に、何の根拠もない日を中心に、バタバタと4つのキリスト教の祝日は決まったわけですなあ・・・。
『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の第二幕冒頭で、徒弟達が、Johannis Tag! Johannis Tag!「ヨハネ祭!ヨハネ祭!」と歌うように、夏至の日に洗礼者ヨハネが生まれた、というのも、イエスの誕生日同様、何の根拠もないわけですなあ・・・・あはははは!」
だから、幼子イエスとホワイト・クリスマスは、本来何の関係もないわけで、従って、馬小屋で飼い葉桶の中に寝かせられていたイエスも、野宿して夜通し羊の群れの晩をしていた羊飼いたちも、東方の三人の博士達も、「寒空の中で・・・」と勝手にイメージしない方がいい。真冬だったら寒いので、
「馬小屋だったら空いているよ!」
と宿屋の主人は言わなかっただろうし、両親もイエスを飼い葉桶の中に寝かせなかっただろうし、、羊飼いたちも、野宿していたとしても、寒かったらテントとかの中にいて、天使に気が付かなかったかもしれない・・・と説得して、こんな真夏に僕はクリスマス・オラトリオの練習を無理矢理始めたというわけである。
でも、やってみると、クリスマス・オラトリオは本当に楽しいね。バッハの中でも、ここまでポジティブな作品って珍しい。第1曲目のJauchzet,
frohlocket, auf, preiset die Tage(歓声を上げよ、歓べ、立ち上がれ、この日を称えよ!)のひとつひとつの言葉に対応する音楽の素晴らしさ!いきなりJauchzenという雄叫びのような動詞の命令形が来るんだぜ。
さあ、これからしばらく、この喜びに満ちた作品と向き合えるかと思うと、僕の心は楽しくて仕方がない。
マーラー第5番とリュッケルト歌曲集
東京バロック・スコラーズの練習後、一度家に帰って来て、夕方あらためて名古屋に向かう。金山のホテルに1泊して、次の日は10時から、愛知MFオーケストラによるマーラー作曲交響曲第5番と5つのリュッケルトによる歌曲集の練習。こんな風に、大好きなバッハとマーラーに連日携わる事を許される僕は本当に幸せだ。
しかし、マーラー第5番は難曲そのもの。午前中まず第3楽章をやったが、音符をさばくだけで大変なところに、テンポもニュアンスもどんどん変わって、なかなか進まない。マーラーは、第2番の「復活」から第4番まで、ずっと声楽を入れて、むしろその歌詞からインスピレーションを受ける形で、器楽の部分も作曲していったが、第5番は、その意味では、絶対音楽として、今こそベートーヴェンなどに真っ向から立ち向かうんだぞ!といった確固とした決心が僕には感じられる。
この後、第6番、第7番と、器楽曲としてそれぞれ全然別のワールドを展開していくが、その中でも第5番は、絶対的ポジティブ精神を持っている意味で、さきほど述べていたバッハのクリスマス・オラトリオとも共通する。
とにかくマーラーから放出するエネルギーが凄い!特に第2楽章、第3楽章、そして第5楽章は、これでもかというほど、
「俺は生きてるんだ!戦っているんだ!やり遂げるんだ!」
という濁流に流されてしまうほどだ。
同時に、テーマの展開の仕方や、曲の進め方も独創的で、通常の展開というには当てはまらない個所に満ち充ちていて、展開ではなく、むしろぶっ壊し、中断して、無理矢理方向転換したりしても、全体としてみるとギリギリ成立しているという感じで、マーラーでなかったら、ただの支離滅裂になってしまうだろう。
とっても独創的な和声の一例として、第3楽章43小節からのクラリネット3本などは、機能和声法が持つ進行や展開などを無視して音が重なり合い、もう無調的と言っても良いのだけれど (譜例は実音で書いてあります)、これがギリギリのところでカッコ良いんだよね。