秋です・・・が・・・暑い!

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

トランプVSディープステート、そして石破茂とマスコミ
 8月31日、首相官邸前で、少なくとも数千人、あるいは一万人超えともいわれている大規模な「石破やめろデモ」が行われたというのに、大手メディアは、ほとんどまともに報道しなかったとSNSで大きな話題となっている。



 かつてはテレビなどの報道よりSNSの方が怪しいと一般の人たちに思われていた。確かにYoutubeでも何でも、誰でも簡単に投稿できるから、嘘やインチキの記事もあるかも知れない。
 ところが、見る方の側に正しい見識さえあれば、最近では、僕が観ていても感心するようなサイトが少なくない一方で、むしろ一番大事なことに意図的に触れない大手メディアの報道姿勢に疑問を感じることも少なくない。積極的に嘘を言うのならば、逆にバレやすいが、メディアには「あえて触れない」という、姑息ではあるが攻撃されにくく安全なやり方がある。

 トランプ大統領が使うようになって、一般の人たちも口にするようになった「ディープステート」というものは、別に大きな組織だけを指すものではない。利害でつながると思えば手を組むし、そうでないと思えば、簡単に離れる。だから捉えにくい。そしてメディアが完全にディープステートの側についていると主張している人が多い。

 たとえば、石破総理大臣が突然ビル・ゲイツに会って30分会談した後、アフリカなどの発展途上国の子ども達への予防接種を推進する「Gaviワクチンアライアンス」に今後5年間で5.5億ドル(約810億円)を出す約束をしたという。そうした記事が、いろんな報道に紛れて、スルッと出てしまう。消費税を下げるための財源がないと主張するくせに、そんな財源はどこから出るのだろう?

 そもそもビル・ゲイツってねえ、僕は2010年代後半に、こういう風に訴えていた記事を読んだ。
「世界の人口は増加の一途を辿っていて、このままでは地球上では人口が多すぎて様々な問題が噴出してしまう。なんとか今のうちに人口減少を考えなければ、ということを強く提案する」
 ところが、新型コロナウィルスが蔓延してから、そういった記事は消されて一切出なくなった。そしてさらに、コロナに対するワクチンが出たけれど、そのワクチンが怪しい・・・むしろそれで亡くなってしまう人が出ている・・・という記事が出るようになった。
また、
「新型コロナ・ウイルスは、世界から人口を削減するために意図的に作られたものであるけれど、予想外だったのは、人間の免疫力というのが思ったより強かったので、予想したほどの人口削減にはつながらなかった」
という考えもネットに出回った。

 いや、僕はなんらかの意図を持って言っているわけではない。新型コロナウイルスとビル・ゲイツが関係あるという何の証拠もない。
 でも、僕のこの文章を読んでピンと感じる人はいるだろう。一般に、ワクチンの安全性が完全に証明されるためには少なくとも何年もかかるというのに、パンデミックを理由に、驚くべき早さでワクチンが出回り、同時に副作用も現実に報告されている。その中には死亡例も少なからずあるというのに、石破さんがゲイツと会談して、その場でポンと810億円を差し出す約束してしまうって、空気読めないのか、何なのか?ここにもディープステートの匂いがするのは、僕だけなのかなあ?


本屋で見つけた一冊の本


 その中で本屋で見つけた一冊の本。ここには、いろいろ驚くべき事が書いてあります。
何かあるとすぐに陰謀論で片付けられてしまうけれど、ディープステートというのはれっきと存在し、トランプ大統領はそれと戦っていている一方、敵も必死で、攻防が続いています。この本は、読むに値します。前半はややこしいので飛ばして読んで、読み終わってから前半に戻ってもいいよ。

秋です・・・が・・・暑い!
名古屋で協奏曲と自作「被造物の賛歌」の演奏会

 今日から9月だ。でも秋というにはまだまだ今年は暑いねえ。とはいえ、演奏会シーズンは暑さに関係なく到来です。桂冠合唱指揮者という称号をいただいて、新国立劇場に定期的に通わなくなった4月あたりは、手帳が真っ白だったけれど、今はさすがにいろいろが埋まっているし、これから演奏会も多い。
 目下の所、合唱指揮をしている二期会「さまよえるオランダ人」が今日は最後の通し稽古で、あさってから黒川の読売日本交響楽団の練習場でオケ合わせ。

 早いところでは、9月7日日曜日に名古屋のモーツァルト200合唱団演奏会が、刈谷市総合文化センターで行われる。盛りだくさんのプログラムで、第一部がモーツァルト作曲ピアノ協奏曲第17番KV453と「クレード・ミサ」と呼ばれるミサ曲KV257。第二部は、やはりモーツァルト作曲ヴァイオリン協奏曲第5番KV219と、僕の作曲したCantico delle Creature「被造物の賛歌」。アンコールはAve Verum Corpusを予定している。協奏曲のソロを弾くのは、刈谷国際コンクールの受賞者だ。

 おとといは名古屋に行って、合唱練習とピアノ協奏曲の合わせをしてきた。ヴァイオリン協奏曲に関しては、以前東京音大中目黒キャンバスで合わせをしたが、今の若い子達のテクニックは素晴らしいね。いや、テクニックだけでなく感性も抜群で、僕のサジェスチョンをきちんと咀嚼して自分の表現として生かしている。

 「被造物の賛歌」では、昨年のMissa pro Pace同様、フル編成のオーケストラ・バージョンなので、オーケストラ練習が今から楽しみで仕方ない。昨年のアッシジでの演奏会のために一昨年の4月に作曲したので、自作の中では最も新しい曲だ。
 テキストも、アッシジの聖フランシスコが亡くなる前に作った最後の詩なので、本当に素晴らしい内容だ。僕もずっとイタリア語の勉強を続けているし、毎週レッスンに通っているので、今はイタリア語に作曲するのが最も自然になっている。

マーラー交響曲第5番とリュッケルト歌曲集
 さて、この原稿を書く前に、朝食を取ってからさっきまでは別の原稿を書いていた。10月13日月曜日(スポーツの日)に催される、愛知MFオーケストラ「マーラー交響曲第5番」演奏会のプログラム原稿だ。なんにも考えないで、書きたいだけ書いていたら、結構長くなってしまった。本当は8月いっぱいの締め切りだけど、気が付いたら9月に入ってしまった。
 ちょっとだけネタバレしてみますね。僕はマーラーという作曲家にだけは、自分の人生において傾倒した時期に明確な区分がある。たとえば高校生の頃は、交響曲第1番ばかり聴いていた。同時に聴いていたのが「さすらう若人の歌」。同じ音楽で作られた兄弟のような作品だ。青春時代の真っ只中に生きて苦悩に満ちた(あるいは苦悩に酔っている?)自分にピッタリだと思って、毎日ステレオの前で酔い痴れていた。

 大学時代は交響曲第2番「復活」に傾倒していた。高校2年生の秋にカトリック教会の門を叩き、通っていたのに、洗礼を受けたのは20歳の時という疑り深い僕は、「神はいるのか?」「人生には意味があるのか?」「死の向こうに復活はあるのか?」という人生最大の問題に、真っ正面から答えてくれる作品として「復活」ばかり聴いていたのだ。

 という風に、それぞれの作品に対して「出遭った!」という時期があるのだが、実は反対に「まだ本当には出遭ってない」という作品が、いくつもあるのだ。たとえば交響曲第9番。勿論、何度か聴いているし、良さもある程度分かっている。
 でもねえ、マーラーの場合、「ある程度分かる」じゃ駄目なんだ。「出遭った!」と感じられる時は、必ず全身が震えるくらいの衝撃を伴うのだ。でないと出遭ったことにはならないのだ。
 だから、今はあえて第9番は聴かない。分かる時は必ず来ると思うんだけれど・・・その前に死んじゃったりしたら残念だな・・・でも、第9番が分からないまま死んじゃったとしても、だからといって地獄に行くというものでもないし・・・出遭う、出遭わないも運命だね。

 で、何が言いたいかというと、そうした「出遭った!」とか「まだ出遭っていない!」とかというのを全く感じない曲がひとつだけあって、それが第5番なのだ。

 その理由として僕が考えられるのは、恐らく第4番までは、マーラー自身が負いきれないほどの宗教的あるいは哲学的なテーマに押しつぶされそうになりながら作品を産み出していったので、音楽に表しきれない部分を、聴衆が自分の想像力で補わなければならないからなのだろう。

 その意味では、第5番を作った時のマーラーは、背伸びするのを一度やめて、身の丈に合った曲を創ろうと思ったのではないかな。だから、「分かる」とか「分からない」とかいう疑問はなくて、初めて聴いたときから僕の心にスーッと入ってきて、聴く毎にごく自然に理解度が深まっている。
 作品の音楽的完成度は全ての曲の中でもダントツに高いし、作曲家本人がリラックスしていて、背伸びもしていなければ迷いもなく、エネルギッシュで遊びの精神に満ちている。だから傑作にならないはずがない。

 ただね、これをアマチュアのオーケストラで演奏するとなると、結構大変で、途方に暮れてしまうくらい難しいのだが、まあ、なんとか本番に辿り着くまでには頑張って良いものに仕上げるつもりだから、皆さんも是非いらしてください。

 また、交響曲第5番の前曲として、リュッケルトの詩による5つの歌曲が素晴らしい曲なので、これも是非皆さんに聴いていただきたい。三輪陽子さんのメゾ・ソプラノが音域もぴったしだし、しみじみとした彼女の歌に酔い痴れると思います。
 プログラムに載せる対訳も、自分で訳した。最初、普通の言葉で書いたけれど、
「もっと可愛い『女言葉』にしたほうがいいかな?」
などと思って、いろいろ工夫している。リュッケルトの詩が本当にいいねえ。ひとつだけ例を載せておきます。

詩:フリードリヒ・リュッケルト 日本語訳:三澤洋史
Um Mitternacht   真夜中に
Um Mitternacht, hab' ich gewacht  真夜中に私は目覚めた
Und aufgeblickt zum Himmel;  そして空を見上げた
Kein Stern vom Sterngewimmel  星の群れの中のどれも
Hat mir gelacht, um Mitternacht.  私に微笑みかけはしなかった、真夜中に
Um Mitternacht, hab ich gedacht  真夜中に私は物思いに耽った
hinaus in dunkle Schranken.  暗いところを見つめながら
Es hat kein Lichtgedanken  何の明るい考えも
mir Trost gebracht, um Mitternacht  私を慰めはしなかった、真夜中に
Um Mitternacht, nahm ich in acht  真夜中に私は注意した
die Schläge meines Herzens;  自分の心臓の鼓動に
ein einz'ger Puls des Schmerzens  ただ苦悩の脈拍だけが
war angefacht, um Mitternacht.  煽りたてていた、真夜中に
Um Mitternacht, kämpft' ich die Schlacht,  真夜中に私は戦った
o Menschheit, deiner Leiden;  おお人間よ、お前の悩みよ
nicht konnt' ich sie entscheiden  それに決着をつけることはできなかった
mit meiner Macht, um Mitternacht.  私の力では、真夜中に
Um Mitternacht, hab' ich die Macht  真夜中に私は自分の力を
in deine Hand gegeben!  あなたの手に委ねた
Herr! Über Tod und Leben  主よ!死と命とをあなたは
du hältst die Wacht, um Mitternacht!  見守ってくれているのですね、真夜中に!

2025. 9.1



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