ああ、もう終わってしまう!
9月28日。ミューザ川崎の1階左側の扉近くの席。終曲Wir setzen uns mit Tränen nieder「我ら涙と共に座し」の前奏が始まった時、
「ああ、もう終わってしまう!」
と思った。
そして最後の合唱と管弦楽による低いハ短調の和音の上に、4本のフルートによるH-Cという下方からの倚音メロディーが入ってフェルマータとなる。それからジョナサン・ノット氏の手が静かに和音を切る。彼の腕は上がったまま・・・長い沈黙の時間。やがて彼が腕をゆっくりと降ろすと、やや躊躇を伴って拍手が始まったが、直ちにそれは怒濤のように会場全体を覆った。
それを聞きながら、扉の側に席を取っていた僕は、スッと目立たないように立ち上がり、ドアを開けて舞台袖に急いで向かった。合唱指揮者として登場するためである。もう何十年もコンサートの終わりにこの事を繰り返している。

「マタイ受難曲」終演 (写真提供:平永玲子様)
マタイ漬けが果てしなく続いた
思い返してみると、3月30日に東京バロック・スコラーズ(TBS)で「マタイ受難曲」を自分で指揮した後、あらためて5月から東響コーラスの練習が始まり、数ヶ月かけてこの日に備えた。TBSの練習期間を考えると、果てしなく「マタイ受難曲」と関わっている気がする。でも、ちっとも飽きない!汲めどもつきぬ永遠の泉だ!
ヨハン・セバスチャン・バッハは、僕が全ての作曲家達の中でも最も尊敬する人で、そのバッハの中でも最も高く評価し、かつ最も愛している作品が「マタイ受難曲」だ。この作品の中には、作曲技法の円熟、テキストと音楽の融合性の模範、高いドラマ性と宗教性など、作曲家バッハの持つあらゆる要素が比類なき次元で結晶している。
最も好きな音楽は、気軽に聴いたりしないで取っておく、とよく言われるが、これだけの傑作であるが、近寄りがたいどころか毎日聴いてもいい。だから、この最後の一週間は本当に幸せだった。
| 9月20日土曜日 18:30-21:30 | 3時間練習 東響コーラスで、マエストロの注意書きに沿って、音楽的指示を伝える。 | |||||||||||||
| 9月22日月曜日 19:00-21:00 | ジョナサン・ノット氏による東響コーラスのマエストロ稽古 | |||||||||||||
| 9月24日水曜日 19:00-21:00 | オーケストラ合わせ(第1部のみ) | |||||||||||||
| 9月25日木曜日 19:00-21:00 | オーケストラ合わせ(第2部のみ) | |||||||||||||
| 9月26日金曜日 18:00-21:30 | オーケストラ・ランスルー | |||||||||||||
| 9月27日土曜日 14:30-16:30 | ゲネプロ(部分練習) | |||||||||||||
| 9月27日土曜日 18:00- | サントリー・ホール公演 | |||||||||||||
| 9月28日日曜日 14:00- | ミューザ川崎シンフォニーホール公演 | |||||||||||||
ジョナサン・ノット・・・迷指揮者?
マエストロ・ジョナサン・ノットの指揮ぶりは、はっきり言って宙を舞うようでよく分からない。しかしながら東京交響楽団は慣れたもので、「この辺かな」という感じで自分たちでタイミングを掴んで、オケ中で見事に合わせている。
オケはそういうわけだから中で辻褄が合っているのだが、「読み込む為に」遅れて入ってくるオケに対して、当然もっと離れている合唱団は、オケより飛び出したり遅れたりして、なかなか慣れるまで時間が掛かった。
セッコ・レチタティーヴォ(福音史家の歌に対してチェロとオルガンだけで伴奏する個所)をマエストロは全く指揮しない。それ自体は合唱にとっては構わないのだが、福音史家からそのまま受け渡される群衆合唱の入りに関しては、通常は指揮者が少し前からテンポを速めていって、ギャップなく入って行くのに、何もしない。つまり突然合唱が新しいテンポで入るので、オケ合わせの最初の頃はズレズレでどうしようかと思った。
ところがね、練習が進んでくるに連れて、合唱団とオケとの間に、微妙なタイミングのやり取りが発達し「密になって」きた。つまり何ともいえないユニット感が生まれていた。そうなると「指揮者がはっきりビートを出して演奏者がそれに従う」という受け身的な関係よりも、みんなで音楽を作り出すという能動的な関わりが発達してきて、生きた音楽が奏でられてきた。で、でも・・・本当にこのままコンサートまでいくんか?
熟達したソリスト群
一方、独唱者達は、みんな百戦錬磨という感じで、自由に音楽を奏でている。福音史家のテノール、ヴェルナー・ギューラーの自由自在な語り口は素晴らしいのひと言に尽きるし、ミヒャエル・ナジのイエスも説得力に溢れている。通常、もっとバスっぽい声の人がイエスを演じることが多いが、彼はむしろ明るいバリトンだ。しかし、下の音域も充分鳴っているし、神様というよりも人間味溢れるイエスに好感を持った。
アリアのソリスト達の中では、特にアルトのアンナ・ルチア・リヒターに惹かれた。透明な声でノンビブラートから歌唱に入り、バロックの様式感を完全に身につけていて、身軽なコロラトゥーラから幅広いフレーズまで自由自在。それでいて情緒に溢れていて、有名なErbarme dich, Mein Gott「憐れんで下さい」では、胸が熱くなった。
ソプラノのカタリナ・コンラディは、「フィガロの結婚」のスザンナや「薔薇の騎士」のゾフィーを得意とする輝かしい美声のレッジェーロ・ソプラノ。装飾音がキラリと光って魅力的だった。
それからテノールの桜田亮さん、バリトンの萩原潤さん、バスの加藤宏隆さん達日本勢も、決して外国勢に負けていない。特に萩原さんと加藤さんの二人は3月の僕の「マタイ」でもお願いしたが、加藤さんにはその時はイエスを歌ってもらった。
チラシやプログラムには「バリトン萩原、バス加藤」と書いてある。バスパートだけ二人を使ったことに関しては、謎の部分がある。
で萩原さんに尋ねたら、彼は言う。
「誰がどの曲を歌うんですか?って訊いたら、二人で好きに決めて下さいって言われたんですよ。それでね結局1コア、2コアで分けたんですよ」
なので、必ずしもバリトンっぽいアリアが萩原さんで、バスっぽい曲が加藤さんによって歌われたわけではなかった。ただそのお陰で、通常バリトンっぽい声の人が歌う、2コアの第42番Gebt mir meinen Jesum wieder「私のイエスを返せ!」で、加藤さんが、バスでありながら卓越したコロラトゥーラの技術を持っていることを発見することができた。イエスでは味わえなかったので、大きな収穫だ。
勿論、萩原さんもこの曲を見事に歌えることは3月に証明されている。僕だったら、せっかくバリトン歌手とバス歌手の二人を雇ったのなら、絶対人任せにしないで自分で選曲するけどな・・・。せっかくだから加藤さんのKomm, süßes Kreuz「来たれ、甘き十字架よ」を聴いてみたかった!
合唱バランス
東響コーラスでは、ソプラノ・パートが音量的に飛び出さないよう配慮した。ソプラノは、どの合唱団でも“出たがり屋”が多いのだが、
「アルトまでで創りあげた音像に軽く乗る程度で歌って下さい。通常は、ソプラノが飛び出た響きがよく聞かれるのですが、合唱団自体がひとつの響きのユニットになるためには、ソプラノが抑えめであることが必要なのです。物足りないくらいで歌って下さい」
合唱団のメンバーは、ダイナミックにおいても僕の言うことをよく守ってくれた。特に児童合唱が入る第一部の冒頭の曲と終曲では、僕は前から児童合唱に配慮して押さえて練習をしていた。マエストロは特に押さえなくても聞こえるからいい、と言ってくれたのであるが、僕はみんなに、
「やっぱりマエストロに内緒で押さえよう。バレない程度にね。第一部終曲はソプラノも児童合唱も同じメロディだけれど、やはり児童合唱の響きが聞こえたい」
と言った。
本番では、やはり児童合唱が良い感じで浮き立って聞こえて、僕と隣り合わせの席で聴いていた東京少年少女合唱隊の指導者である長谷川久恵さんがとても喜んで下さった。
やっぱり名指揮者だ!
最初の話に戻るけれど、指揮者のビートがよく分からない中、みんなで手探りな感じで進んでいった今回の「マタイ受難曲」演奏会であるが、オーケストラの楽員達が自分たちでアンサンブルを創りあげてきたので、僕は東響コーラスのメンバーに、
「分からなくなったら、コンサートマスターの弓の動きにアインザッツやテンポを合わせなさい」
とサジェスチョンをしていたら、だんだんソリスト達も含めて、みんながマエストロに頼らずに自分たちで音楽を創りあげてきた。
マエストロジョナサン・ノット氏は、すると、そんな一同を自由に泳がせておきながら、ところどころ粋な胡椒を振りかけていく、それが効いていて、どんどん良い音楽が自主的に生み出されてくる。
「あれれ?仕切らないけれど仕切っている!やっぱり、この人はタダ者ではない。素晴らしい指揮者だ!」
と客席で聴いていながら襟を正した。
ということで、今は「マタイ・ロス」で、「今日この頃」も頭がぼんやりしてあまり筆が進みません。次に迫っている愛知MFオーケストラの記事は書きますが、短い更新原稿であることをお許し下さい。

「マタイ受難曲」終演 (出典:東京交響楽団)
マーラー交響曲第5番
さて次は、名古屋の愛知MFオーケストラの第1回定期演奏会の話です。演奏会は10月13日月曜日(スポーツの日)愛知県芸術劇場コンサートホールで13時30分から行われる。募集をかけたら、弦楽器の人たちが沢山集まってくれて、第1ヴァイオリン16人から始まり、オンステ予定では、弦楽器総勢62人。管楽器は、もともとマーラーの指示が大人数なので34人。合わせて96人となる予定。
ただ今、スコアを勉強中。って、ゆーか、先週は「マタイ」の練習があったので、やや集中力を欠いたが、今週からラスト・スパートに突入する。マーラーの交響曲はどれもオーケストレーションが独創的であるが、この交響曲は、特に第4番までの宗教性や精神性といった重圧から解放されて、楽想もオーケストレーションも自由な遊び心に満ちあふれている。
トランペットは大活躍する。冒頭のソロからそうだけれど、途中でもソロやグループで大いに目立つ。その他、ホルンもトロンボーンも、グループで自己主張をする。弦楽器では、たとえば第1ヴァイオリンと一緒に、ヴィオラやチェロなどがメロディーを担当し、第2ヴァイオリンがチェロよりも低い音を弾くとか、いろいろ工夫というか冒険をしていて、実際にはどうなのかなあ?と思って、指揮しながら注意深く聴いてみると、なあるほど、と納得させられる。
彼が、あえて変わった書き方をしている効果は全て出ているのだ。自身が指揮者として活躍していて、現場のオケの音を知り尽くしているのだ。凄いなあ。
これからもっともっとスコアに首を突っ込んで・・・というかズブズブと首を下に半身突っ込んで、足を上でバタバタさせながらマラ5に浸りまくる日々を送ります。
2025. 9.29
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