ハロウィンと死者の月11月

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

立川教会で「死者の日」のミサ
 11月2日日曜日。妻は立川カトリック教会で8時のミサのオルガンを弾くので、練習のために早く家を出ていった。僕の場合、日曜日は地方のアマチュア団体の指導に行くことが多いので、なかなか家にいないのであるが、今日はオフなので、7時半過ぎに家を出て立川教会をめざした。
 考えてみれば久し振りだ。今日は「死者の日」。カトリック教会は、ミサの手引きとして「聖書と典礼」というパンフレットを使う。内容は主に、その日朗読される聖書の中の個所が記されているが、最後のページには、ちょっとしたエッセイが載っている。

 その日は、カルメル修道会の九里彰(くのり あきら)司祭が書いた「死者の日」にちなんだ文章が載っていたが、最後に引用されたヘンリー・ナーウェン(オランダ出身のカトリック司祭、元ハーバード大学教授)の文章に心を動かされた。

「私たちは、歳を取れば取るほど、思い出す人々が、つまり、私たちより先に死んでいった人々が、ますます多くなります。
 私たちを愛してくれた人々を思い出すこと、私たちが愛した人々を思い出すことは、きわめて重要です。彼らを思い出すということは、私たちの毎日の生活の中に、彼らの霊を吹き込むことです。
 彼らは私たちの霊の共同体の一部となり、私たちが人生の旅路で決断しなくてはならない時に、優しく助けてくれるのです。・・・死者を思い出すことは、引き続き彼らとの交わりを選択することなのです」

 僕もいつの間にか70歳になっているからね。自分の前に、亡くなった親族や知り合いたちがどんどん積み重なってきている。ミサの間、僕の頭の中を、それらの人たちの顔が走馬灯のように現れては消えていった。
 今年の4月7日に亡くなった母親はもちろん、2年前に亡くなった僕のすぐ上の姉のことや、我が家でめっちゃ可愛がっていたミニチュア・ダックスフントのタンタンや、ごく最近死んで我が家の庭に埋めたカメなど・・・。

お世話になった先人達
 それから、久し振りにあらためて、僕が二期会や新国立劇場などでお世話になった指揮者や演出家達の事に想いを馳せた。たとえば、僕をびわ湖ホールの専任指揮者として呼んでくれた若杉弘さん。本当にいろいろお世話になった。また、「曰く言い難し」という感じの動きで、最終的には良い音楽になるのだが、最後まで「これ、たまたま良くなった?」という疑問が抜けなかった飯守泰次郎さん。あるいは真逆で、テンポどころか、全ての音まで振っているのではないか?と思わせるほど緻密なバトンテクニックを持っていた秋山和慶さんは、東響コーラスで頻繁に合唱指揮者として関わっていた時に、とってもお世話になった。
 演出家でも、髪の毛をかきむしって「分かんねー!」と言いながら、最後には必ず説得力のある演出を導き出していった鈴木敬介さん・・・と思えば、真っ赤な顔でみんなを叱り飛ばし、立ち位置どころか歩数まで規定するくらい厳密な演出を行っていた栗山昌良さん。
 僕が二期会で副指揮者としてデビューしたばかりの頃、自分が「夕鶴」の指揮を東京でも地方でもするために、好んで僕をアシスタントとして使ってくれた団伊玖磨さん。
 いやあ、あの頃の巨匠達は、みんな個性的だったなあ!今って、みんな優秀だけれど小粒になってしまったって思うのは、当時僕が若かったせいかなあ?

ミサの合間にそんなことをとりとめなく考えているのって不謹慎だよね。

我が家のハロウィン~避難
 巷では、10月31日金曜日から11月1日土曜日にかけては、ハロウィンで盛り上がっていた。我が家では、小学校6年生の孫の杏樹が、なんと我が家に5人のクラスメートを呼んで、泊まりがけでハロウィンのパーティーをしていた。家の中はハロウィンの飾り付けがされていて、次女の杏奈はメイクアップ・アーティストなので呼び出され、杏樹とひとりの友達に昼間メイクをしてやった。
 僕と妻は、その晩は、妻がロウソク作りに使っているすぐ近くの作業部屋のアパートに布団を持ち込んで避難した。

 11月2日日曜日早朝。妻は、カトリック立川教会の8時のミサでオルガンの弾く番なので、練習をするために早めに出ていった。僕はゆっくりと自転車で立川に向かった。
 荒川博行神父は、ミサ中の説教で、
「今日は『死者の日』で昨日の11月1日は『諸聖人の日』なので、ハロウィンはそこから来たと思われるでしょうけれど、あれはアイルランドの風習が世界に広がったものなので、カトリック教会とは本来何の関係もありません」
と言っていた。
 しかしながら、そもそも11月は、カトリック教会でも「死者の月」と呼ばれている。年間の典礼暦が終わり、次の年度の待降節が始まる前なので、なんとなく終わりの時期という感じが漂っており、やはりそうした11月に突入する午前0時からの深夜というのは、宗教をも超えた特別な何かがあるのかもしれない。

 話は変わるが、ちなみに10月31日は、プロテスタント教会では「宗教改革記念日」であった。1517年のこの日に、マルティン・ルターは、ヴェッテンベルク城教会の扉に「95ヶ条の論題」を公示した。現在でも、ルター派教会では、ルターが作詩作曲した「神はわがやぐらEin feste Burg ist unser Gott 」が必ず歌われるという。

今日から「ファウストの劫罰」稽古
 この原稿を書き上がったら、二期会に行って、ベルリオーズ作曲「ファウストの劫罰」の稽古をしてくる。今回は、僕が自分で志願して、
「合唱指揮だけでなくて、必要とあらばソリスト音楽稽古の面倒を見てもいいですよ」
と言ったので、練習初日が合唱練習ではなくて、ソリスト達のアンサンブル稽古となった。

 僕は、勿論肩書きは指揮者であり、ベルリン芸術大学指揮科を首席で卒業しているし、これまでにも公演指揮者として活動もしてきたが、その一方で、国立音楽大学声楽科を卒業している僕は、ソロ歌手達のコーチングをすることも本当は大好きなのだ。最近まで新国立劇場合唱団で忙しくてできなかった事を、これからは機会ある毎に行っていこうと思っている。

 ベルリオーズの音楽は、和声進行も時々理論からハズれているし、メロディーも不自然だったりして、「ファウストの劫罰」のスコアも、最初見た時は、
「なんだこれは?ヘンテコだなあ」
と思ったけれど、勉強していく内に、
「おっ!なかなかこの展開は独創的だなあ!」
と思い始め、その後、どんどんハマってきて、
「いやあ、かなり面白いね」
という風に、この歳になって新しい魅力に取り憑かれている。
 って、ゆーか、昔一度やっているんだけどね。その証拠に、フランス語の発音が何故か薄く頭に入っていたので、準備がやりやすかった。

 あの頃は、ベルリオーズの音楽なんて、きっとなんにも分かっていなかったし、お仕事として片付けていただけだったんだろうな。

 「ファウストの劫罰」は、今週中に合唱練習も始まる。同時進行して二期会では「ダフニスとクロエ」の練習もある。また、今度ゆっくり話すけれど、六本木男声合唱団のバルセロナ公演の練習も水曜日に入っている。その間にNHKのバイロイト音楽祭のスピーチ録音の準備もこなさなければ・・・ああ、忙しい!

2025. 11.3



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