バルセロナから自宅に帰ってきました

三澤洋史 

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バルセロナから自宅に帰ってきました
 バルセロナから、アブダビ経由で成田空港に11時40分に着いて、外に出たら妻が待っていた。そのまま車で自宅に着いた。バルセロナ滞在中や機内で書いたこの原稿を書き上げたら、現在、自宅で午後3時半過ぎ。まだまだ、いろいろ書きたいけれど、今日はこれから二期会の「ファウストの劫罰」のマエストロ、マキシム・パスカル氏によるマエストロ稽古が18時からあるので、そろそろ出掛ける用意をします。

 バルセロナは、世界の中でも大好きな街となった。街のあり方が実に好ましいのだ。とても活気に満ちている一方で、大都会にありがちなゴミゴミしてる感じがなく、街全体がゆったりとしている。
 泊まっているホテルが海岸に近いため、波の高い海岸に出ると、地中海の雄大な眺めに心が晴れ晴れとするし、反対を向くとサグラダ・ファミリアの塔が遠くにそびえていて、さらに別の機会に丘に上がったが、それはそれは圧倒的な景色に我を忘れた。
 勿論、住めば住んだで、良いところばかりではないのはどこも同じだろうが、
「ここが大好きでここに住み着いたんです」
とか、
「(スペイン人の)彼女を追いかけてここに来て住み着きました」
とかいう日本人とも会って、う~ん・・・ここはやっぱり特別な地ではないかという感を新たにした。

 とはいえ、演奏会を控えていたし、2日間のオケ練習と、その後、六本木男声合唱団と合流して、オケ合わせを行ったため、もっとあちこち散歩もしたかったのだが、そうも叶わなかった。

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 さて、時は戻って、11月30日土曜日の昼過ぎの記事を紹介する。
今日は午後4時からゲネプロがあり、午後8時からオーディトリウムというホールで演奏会。演目は、1時間40分もかかる三枝成彰作曲、組曲「最後の手紙」。休憩なしで一気に上演。それを、さっきまでスコア・リーディングしていた。ゆっくりで叙情的な部分も多いけれど、超速いテンポの変拍子の音楽が随所に突然現れて、少しも気が抜けない。


コンサート案内

 昨日の合わせでは、せっかっくオケ練習でいい感じになったのに、合唱が入ったらタイミングがズレまくり、どうしようかと思った。合唱は合唱で、僕も練習に通ったし、ピアノ伴奏ではうまくいっていたので、勿論合唱が悪いわけではない。
 しかしながら、まあ、こういうのは、合唱には合唱の生理があり、一方で、オケにもオケの生理というものがあるので、きちんと出遭わせてあげないと、ひとつのユニットになるまでには、ちょっと時間がかかるのだね。
 三枝さんの曲というのは、ベートヴェンやマーラーみたいなものとは違って、本当に演奏不可能ギリギリの箇所が何カ所もあるからね。それでも、特に変拍子の難しいところは、何度も何度も練習を繰り返す間に、だんだんお互いの感覚が分かってきて、最後にはいい感じになってきたので、まあ、初日を迎えられるかな、という感じになってきました。

 オケ練習を何語で行おうか、というのが疑問であった。2007年の六本木男声合唱団モナコ公演では、なんとか苦労してフランス語で稽古を付けたし、昨年のアッシジ祝祭合唱団の聖フランシスコ聖堂ではイタリア語で練習を付けたが、今回、ちょっとスペイン語を勉強し直したけれど(昔、新国立劇場合唱団でスペイン人の演出家が来るというので、勉強を始めたが、イタリア語と混じってしまうので挫折した)、やっぱりこんがらがってしまうので、やめてしまったのだ。

 で、オケ練習の始めにオケのメンバーに言った。
「皆さんこんにちは、私、残念ながらスペイン語は話せないので、とりあえず英語で練習を始めてみますが、ちなみにイタリア語も話せます」
 オケ練習自体は、始めてしまえば、どのオケであっても、ある意味似たようなものだし、特に今回は、このオケのメンバーの誰も知らない曲だから、僕の方が基本的に優位に立っていた。事実、みんなも素直に言うことを聞いてくれてスムースに運んだが、最初の休憩に入った時に、スペイン語の通訳の日本女性が僕のところに来て、
「やっぱり英語は良く分からない人が多いみたいで、試しにイタリア語で稽古付けてみていただいていいですか?」
と言った。
 なんだ、分かったフリしてたのか?でも、あれかな?僕の言ってる事は良く分からないけれど、この場所を繰り返して注意しているんだから、きっとこういう事だろうという勘で対応しているのかもな。って、ゆーか、こういう状態に慣れているのかも知れない。

 さて休憩後、イタリア語で稽古を付け始めてみて驚いた。みんなの反応がまるで違う。それに雰囲気から違ってきた。僕が止めて注意をするだけでみんなが笑顔になるし、ちょっと冗談なんか言うものなら、オケ中が大爆笑になったりする。な、な、な、なんだこの反応は!アマチュア・オケ的なノリだな。ここは愛知祝祭管弦楽団か?
 ただ、僕がイタリア語で言うことに対して、イタリア語で返してくる団員もいるけれど、大部分はスペイン語で返してくる。う~ん・・・今度は僕の方が分かるような分かんないような・・・でもね、雰囲気で理解しようとすると、全く分からないわけでもない。ま、とにかく、僕の言う小節数や拍数、あるいはバランスの事などは、全員ほぼ完璧に分かるようになったので、急に練習がスムーズに運び出した。

 特に、マケドニア人だという、ちょっと太ったコンサートマスターがとても良心的で、僕の言うことが分からない団員がいそうだったら、気を回してスペイン語で説明してくれるのでとても助かった。あまり嬉しかったので、
「僕のことヒロって呼んでいいよ!」
と言ったら、
「嬉しいよ、ヒロ!僕はアレクサンダーさ!」
と即座に同意をしてくれて、僕たちはすぐにTuで呼び合う仲になった。

 彼は、僕の話すイタリア語は100パーセント分かるのだが、彼にしても、返ってくる言葉は、半分くらいスペイン語が混じっている。ただ、それでも僕には、アレク(サンダー)の話す「インチキミックス言語」は(学習の結果かな)よく分かるようになってきた。
 彼は、なんとドイツ語も出来るのだが、僕達はあえてイタリア語で会話を続けた。だって、オケ練習の時に、二人だけでドイツ語でわかり合っていたって、他の楽員には感じ悪いだけで何の役にも立たないからね。

 これまで僕は、ドイツに行ったら勿論ドイツ語で・・・2007年の六本木男声合唱団モナコ公演の時は、モナコ公用語のフランス語で・・・昨年のアッシジの聖フランシスコ聖堂の公演ではイタリア語で・・・稽古を付けたが、(本当はスペイン語挫折体験故にという話もあるけれど)、こういう、良く分かんない状態での稽古というのを、初めて体験したけれど、逆にその状態を新鮮に感じ、むしろ楽しんでいる自分がいた。
 面白いね。こういう分からない状態だって、自分の思っていることを伝えたい意思さえブレなければ、みんなは必ず付いてくるのさ。これは僕にとって初体験だったけれど、世界を股にかけて活躍している指揮者って、もしかしたらみんなこんな感じだったりして・・・。

機内での記事
 さて、あれから一日経って・・・今、この記事を、帰りの飛行機の中で書いている。こうして数日前からの事を振り返ってみると、バルセロナの日々は本当に楽しかった。とはいってもあまりいろんな所には行っていない。演奏会の指揮をすることが目的だし、結果を出さなければならなかったので、旅行者の気分ではいられなかった。

 ただ、その中でも、二日目のオケ練習の後では、バルセロナ在住の方が、高台にあるグエル公園の入り口の所に事務所を持っていて、その見晴らしの良い事務所を自慢がてらに、グエル公園を案内してくれた。自慢するだけあって、ここからのサグラダ・ファミリアを含む眼下の街並みと、遠くに輝く地中海の美しさに圧倒された。


高台からの街の全景

 実は、夜もその方に食事をご馳走していただくことになっていたのだが、急に、元スペイン大使と、現バルセロナ総領事及び副領事からお呼ばれの晩餐会が入ってしまったので、食事会の方は、初谷君達に行ってもらって、僕と三枝さん夫婦の方は、その晩餐会に行くことになった。ゲッ!!どうしよう!演奏会の衣装の他はラフな物しか持ってきてないぞ!
 でも、事務局のKさんに聞いたら、
「気兼ねの要らない服装でいらしてください」
とおっしゃっているとのこと。フーッ!
結果的に言うと、そのレストランでの食事は超高級で、ワインも極上のものであった・・・って、ゆーか、勿論めちゃめちゃ美味いには違いないが、普段そこそこのものしか飲んでないので、形容ができない!
でも、お話は堅苦しいものでは全然なくて、楽しいひとときを過ごすことができました。

 さて、いよいよ本番の日になった。

 オーケストラとは、とても良い関係を維持したまま本番を迎えた。変拍子が続くところは、日本のオケと違って、最初はお手上げ状態だったが、諦めずにゆっくりから始めて、様子を見ながら丁寧に練習をつけていったら、本番では、一番難しい箇所が一番ピッタリと合って嬉しかった。
 それよりも、日本のオーケストラと全然違うところは、本番に向かうに連れて、また曲を理解していくにつれて、彼らのモチベーションがどんどん上がっていったこと。そして、本番を迎えたら、オケの豹変振りが凄かったのに、僕自身圧倒されて、感動しながら指揮していた。
 特に、叙情的なところが、テンポを引きずりながらも、濃厚な表現をしてくれていたので、テンポを直そうかなとも思ったが、
「いや、ここまで気持ちが入ってカンタービレしまくっているのなら、このまま行っちゃえ!」
と思って、僕も濃厚に指揮した。

 驚いたことに、本番終了後、聴衆は、ひとり、またひとりと立ち初めて、気が付いたら、会場中のスタンディング・オベイションになっていた。実は、僕は会場にいるはずの作曲家の三枝成彰さんを立たせようとしていたが、みんなが立ってしまったので、三枝さんが立っても誰も分からないだろうと思ってやめてしまった。
 打ち上げで、ちょっと三枝さんにも、
「立とうと思って待ってたんだけど・・・」
と言われたけれど、スタンディング・オベイションの話をしたら、納得してくれたし、それは、とりもなおさず自分の曲に対する賛辞でもあるので、不愉快な感じでは全然なかったので、ホッとした。

 団員に同行した家族、特に何人もの奥様達は、みんな口を揃えて、
「演奏中、何度も泣きました」
と言ってくださったのが何より嬉しかった。完璧に仕上げるとか、「上手」と言われるよりも、心を動かせるような演奏を目指している自分には、最も嬉しいお言葉であった。

 さて、もうすぐ出掛けないといけないので、今日はこの辺で筆を置きます。また来週、曲そのものについてとか、追加で書くと思います。

2025. 12.2



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