男声合唱組曲『地平線のかなたへ』
男声合唱の醍醐味
昨日、すなわち2月22日日曜日は、国立オリンピック記念青少年総合センターのカルチャー棟・小ホールにて、第71回東京大学音楽部合唱団コールアカデミー定期演奏会であった。71回というのは凄いな!
4つあるステージの内、第1ステージと第3ステージは学生指揮者が指揮をしているが、実際には、第4ステージを指揮した奥村泰憲さんが全体をまとめている。その中で僕は何をしたかというと、第2ステージの“現役とOB合同演奏”で、男声合唱組曲『地平線のかなたへ』を指揮した。
OB合唱団は、コールアカデミーの名前を反対にして、アカデミカコールと名乗っている。この合唱団とは90年代から関わっているので、団員達もそれなりの年齢となっている。それで現役との合同ということもあり、おじさん(おじいさん)合唱団としては若々しい『地平線のかなたへ』という曲に挑戦した。

第71回東京大学音楽部合唱団コールアカデミー定期演奏会
合唱組曲「地平線のかなたへ」について
この合唱組曲は、詩人谷川俊太郎氏による処女詩集「二十億光年の孤独」(1952年創元社)から2篇と、少年詩集「どきん」(1983年理論社)から3篇が、作曲家木下牧子さんによって選ばれ、5曲からなる混声合唱版として構成及び作曲された。初版は1992年。次いで女声合唱版が1996年、男声合唱版は2006年に出版された。
詩そのものが、中学校の国語教科書に採用されているように親しみやすい内容であることに加えて、音楽も心にスーッと入ってくるので、すでに長い間に渡って、学生達を含めて沢山の合唱団によって歌われ続けている人気作品である。
1.春に(どきん)
谷川氏によれば、この詩は歌われることを想定して書いたものではないというが、「この気持ちはなんだろう」という冒頭のポツンとした言葉が作曲家によって2回繰り返され、高められ、クレッシェンドを伴う時、「次なにを言うのだろう?」という待ちきれない気持ちに聴衆を誘う。むしろ、こんな音楽的な詩はなかなかあるものではない。木下さんの音楽も、その流れに従って自然で説得力がある。名曲だと思う。
2.サッカーによせて(どきん)
「けっとばされてきたものは、けり返せばいいのだ」と笑ってしまう歌詞だが、木下さんが自分の楽しみのために作曲した。初演は1988年、男声合唱団「甍」演奏会のアンコールとして関屋晋指揮により行われ、木下さん自身がピアノを弾いている。サッカーというスポーツになぞらえて、人生に対する挑戦を鼓舞している曲。
3.二十億光年の孤独(二十億光年の孤独)
詩集自体のタイトルでもあるが、孤独という言葉を使いながら悲壮感は全くない。火星人の事がでてきたり、
「或はネリリし キルルし ハララしているか」
などという。意味不明な言葉が飛び交い、音楽もそれに対応して変拍子を使ったり、合唱は長いグリッサンドで下降したり、遊び心満載の曲である。
4.卒業式(どきん)
いきなり、
「ひろげたままじゃ持ちにくいから きみはそれをまるめてしまう」
という歌詞に戸惑うが、卒業式というタイトルなので、すぐに、
「ああ、卒業証書のことか!」
と気が付く。
丸めた紙で望遠鏡のようにのぞいて、何が見えてくるのかな?
「あ、先生のはげあたま!」
という馬鹿馬鹿しい詩であるが、
「それらのもっとむこう きみは見る」
に続いて、最後の、
「卒業証書の望遠鏡でのぞく きみの未来」
という言葉に、谷川氏のエスプリが光っている。
5.ネロ-愛された小さな犬に(二十億光年の孤独)
もう随分前になるけれど、我が家でも犬を飼っていて亡くなってしまったので、この曲には、練習をしながらも、どうしても感情移入してしまう。
谷川氏の凄いところは、飼い犬が亡くなった悲しみを、夏と関連付けて語ること。
「ネロ、もうじき又夏がやってくる」
という書き始めで注意を誘い、
「お前の舌、お前の眼、お前の昼寝姿が、今はっきりと僕の前によみがえる」
と体温をも感じさせる具体的描写が見られ、さらに、
「お前はたった二回程夏を知っただけだった」
と続ける。そして新しい夏がやってくる。
一見、距離をおいたような記述が続くが、根底にはネロを失った悲しみが流れていて、それを木下さんが丁寧に音楽で描写していく。終曲にふさわしい音楽である。
カラオケで打ち上げ!
演奏会が4時前に終わって、6時からの打ち上げまで時間があったので、僕はひとりで、元東京オリンピックの代々木選手村を離れて、のんびりと散歩しながら、新宿駅近くの打ち上げ会場に向かって歩いた。それなりの距離であった。途中で会場近くのドトールに寄って演奏会の余韻に浸り、そこから近くの打ち上げ会場に着いたら、みんなが1階に集まっている。
「まだ入れないの?」
と訊いたら、どうも予約が取れていなかったらしい。
現役の学生がネットで予約した後、確認を怠ったらしいのだ。でも、そんな時のOBのおじさま達の反応は優しい。かつて自分もボーッとした現役学生だったからだろうか?
でも、とにかく30人以上集まった人たちを、このまま「では、さようなら!」と解散させるわけにもいかず、何人かが手分けして新宿西口界隈の店を探し回ったあげく、あるカラオケ店のパーティー用の部屋をふたつ確保したというので、みんなでそこに行った。残念ながら全員一部屋に入るほど大きくないので、半数ずつ分けて入って、僕はふたつの部屋を行ったり来たりした。
なかなかこんな経験はない。もうみんな演奏会でたっぷり歌ったので、当然カラオケはしなかった。OB達は、
「もう何十年も、こういう店に来ていないなあ!」
と口々に言う。一方、現役達は、
「よく来ますよ」
と言う。
グラスが各々に配られ、ビールがピッチャーで来た。その後、ハイボールもピッチャーで来て、同じグラスで飲んだ。カラオケ店なので、食べ物だってそもそも期待できるわけもない。ポテトチップ、唐揚げみたいなものばかり。後でピザが来ただけでみんな大喜び!
ということで、普段なかなか出来ない体験をしましたが、打ち上げ自体はとても楽しかった。3年生で学生指揮者の原圭人君が群馬出身だということで、打ち上げで話してみたら、なんと高崎高校の出身だった。でも今は合唱部はないみたいだ。
僕の現役の頃の話をしたら、他の団員達も興味深そうに聞いていた。あの当時の高崎高校はバンカラで、真冬でも素足に下駄を履いて白い布のカバンを肩から掛けながら、榛名山から吹き付ける空っ風を耐え、毎朝烏川(からすがわ)に掛かる和田橋を自転車で渡って学校に行ったのだ。夏休みになると、合唱部はすぐ近くの護国神社で合宿をし、夕飯後はみんなで布団蒸しなどして大騒ぎしていた。
そういえば、カラオケに来たというのに、いつもならば「いざ立て戦人(いくさびと)よ)などをみんなで大声で歌うのに、歌もなくお開きになってしまったね。どんなに大声で歌っても良い環境にも関わらず、逆に調子が狂ったんだろうね。誰も言い出さなかったよ。あはははは!
聖フランシスコ没後800年を心して生きよう!
聖フランシスコ800合唱団を立ち上げ、演奏会をするという事を宣言した時から、水面下ではあるが、僕の近辺において思った以上の反応が起きている。今の時点では、まだはっきり言うことができないけれど、その中には、ある学校から講演の依頼が来たり、聖フランシスコ没後800年に関する記事を書いて出版しませんか、と言う人がいたり、様々だ。
全く何も考えていなかったけれど、夢の中でのお告げによって目覚めてみたら、聖フランシスコの洗礼名を持つ僕が、2年前にアッシジにまで行っていながら、当の没後800年という記念の年に、何もアクションを起こさないことなど考えられなかっただろう。
だから9月27日に演奏会を行うだけではなく、僕の生涯において、もう二度とないだろうこの聖フランシスコに関する特別な年に、僕としたら、もっともっと積極的なアクションを起こすべきなのだと、信じられないほどボーッとしていた僕ですら、やっと気付いてきたんだよ。
差し当たって、暇を見つけて、様々な資料にも当たってみようと思うし、同時に、何か思いつくまま書いてみようと思う。高校2年の時に、胸の中から突然込み上げてきた信仰への希求を胸に、誰も知り合いがいないまま、当てずっぽうに家の近くのカトリック教会を初めて訪ねたこと。その週の日曜日に、今の妻と出遭ったこと。当時聖フランシスコを主人公とした「ブラザーサン・シスタームーン」という映画が流行していて、その映画に激しく感動したこと。
それからすぐに桐生市にある聖フランシスコ修道院のブラザーと知り合いになり、しばしば修道院をたずね、ブラザーと様々な対話をしたこと。その頃、自分も修道士になりたいなと思ったけれど、それを引き留めたのが音楽への情熱であったこと。洗礼する時の洗礼名は聖フランシスコ以外考えられなかったこと。
とにかく、この特別な年を自分は心して生きようと、新たな決心をしている僕の今日この頃です!
2026. 2.23
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