イラン情勢とかぶる戦争末期の日本
「トランプ大統領は、イランに手を焼いているなあ」
と思う。合理的なアメリカ人にはイラン人の考えていることは理解できないだろう。
「なんで降伏しないんだ?もう勝てるみこみなんて1パーセントもないのに?」
こうした状況を見て、僕が最近良く思うことがある。それは、太平洋戦争末期の日本のことである。
母親は、僕が子供の頃、よく言っていた。
「あたしたちみんな、日本がもう戦争に勝てない事を知っていた。でも、教えられていたのは、敵が攻めてきたら、竹やりを持って最後のひとりまで戦え!ということで、あたしたちもそのつもりでいたよ」
常識的に見たら、今回のイランだって、万が一にも勝つ見込みがないと分かった時点で、国の最高責任者は、これ以上無益な犠牲者を出さないよう降伏に踏み切るべきだろう。アメリカもそれを望んでいるし、逆にトランプ大統領は、
「何故、降伏しないんだ?」
といら立ちすら覚えているだろう。
太平洋戦争末期の日本。アメリカ軍は、東京空襲で首都を壊滅的な状態に追い込んだ時点で、
「これでもう日本はおしまいだね、いずれ降伏してくるだろう。だって百にひとつも今後勝ち目はないから・・・・。」
と確信したに違いない。
米軍は、南の島をひとつずつ取って行って、やっとB29が首都東京まで往復できる距離に基地を建設することができた。これで、いつでも爆弾を積んで日本に行って帰って来れるんだ。
ところが、軍部の中にも政府にも、あの状況にまでなっても、誰も「降伏」を言いだす者はいなかったし、無論、国民の中にも言えるような雰囲気はなかった。独裁国家というのはそういうものなんだね。常識は通用しないんだ。
もしその時点で日本が降伏していたら、合理的な西洋人は、それでも空襲を続けたり、ましてや広島や長崎に原爆を落とすことなど決してしなかったに違いない。原爆だって、落としたくて落としたんじゃない。それでも、まだ日本は降伏しないのか?!なんで?馬鹿じゃないの?
その絶望的な状態を変えたのが、昭和天皇であった。というか、あの状態でそれをできる人は昭和天皇以外いなかった、というわけだ。
イランにも、昭和天皇のような人がいればいいのに・・・。最後のひとりまで滅ぼされる前に・・・。
浜松の「ヨハネ受難曲」無事終了
もう終わってしまう!
イエスが十字架上で息を引き取ることでクライマックスは過ぎ去って、いよいよ「ヨハネ受難曲」も終演に近づいてきた。谷口洋介さんの福音史家の歌い方も、もう激高することもなく、むしろイエスの遺体を墓に納めるまでの記述を淡々と語る。
Es war aber an der Stätte, da er gekreuziget ward,
ein Garte, und im Garten ein neu Grab, in welches niemend je geleget war.
「イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。」
ドミナント(属和音)から穏やかにヘ長調に入って、Es war aber・・・をチェンバロで支える。こんな全曲の終り近くになっても、驚くことにバッハは創作の筆を緩めない。というか最後まで挑戦的!
すぐにStätte「園」の高いEb音を、F#音を根音とした減7和音で支える。そのままCを根音としたD7の第3転回gekreuziget「十字架につけられた」となる。gekreuzigetは次のwardで最高音Aまで上がり、GarteのG音で、ト短調の主和音第1転回に入る。
それから、次のein neu Grab「新しい墓」の低いEb音に向かって急激に下降。即座にniemandでわざとらしく高いDb音に上がってから、je geleget war「誰もまだ葬られたことのない」で、Cというテノールとしては最低音に下降し落ち着く。
Daselbst hin legten sie Jesum, um des Rüstags willen der Jüden, dieweil das Grab nahe war.
「その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。」 その後、福音史家の歌唱が終わるまでのわずか3小節間に、ヘ短調からwillen derとJüdenの間の強引な長6度の跳躍を経てハ短調の属7和音に強引に入り、そのまま穏やかな終止形で、チェロとしては最低音の開放弦のハ音で、ハ短調に落ち着いてレシタティーヴォを全て終了する。チェンバロを弾いていた僕は、この複雑な和声進行のせいで、最後の和音まで少しも気が抜けなかった。
僕はチェンバロの鍵盤からゆっくりと手を離し、立ちあがりながら指揮棒を手に持って合唱団の方を向き、両手を大きく上げて合唱曲Ruht wohl「憩え」合唱曲を開始した。たっぷりとしたテンポで芳醇に響き渡る前奏を指揮しながら、
「ああ、もう終わってしまう!」
という甘酸っぱい気持ちが、僕の胸を満たした。
浜松バッハ研にもう35年以上!
浜松だけでも今回は3回目の「ヨハネ受難曲」だ。その他、東京や名古屋などでも何度もやっている。しかしながら、これだけの大曲を準備するのは、技術的には勿論のこと、曲の様々な表情を描き分けることは簡単ではない。つくづく浜松バッハ研究会の皆さんの情熱と努力には頭が下がる。
勿論、長い年月の蓄積というものもある。なんといっても、この地に来て最初に指揮した「ミサ曲ロ短調」の演奏会は、1990年10月7日だというから、なんと35年前の事だ!現在僕は3月に71歳になったばかりだから、すでに人生の約半分の年月、浜松に通っていることになる。
その間に「ミサ曲ロ短調」だけでも、すでに浜松で4回演奏しているし、2回目の2000年の演奏会の後、その年の終わりから2001年にかけてのドイツ演奏旅行でも演奏しているので、合計5回。その一方で「マタイ受難曲」は3回行っている。ヘンデル作曲「メサイア」も3回。
もちろん、そうした大曲だけではなく、年によってカンタータや「マニフィカート」やモテットや、いろんなものを演奏しているから、僕のバッハに対するアプローチを、バッハ研は、どこの団体よりも深く理解していると思われる。
特に、受難曲の福音史家のレシタティーヴォにおいて、僕のチェンバロを支えているチェロの神農清志(しんのう きよし)さんは、僕が浜松に来た当初からのメンバーなので、福音史家のメロディーも言葉も全て頭に入っているから、途中何が起こっても平気!僕はどんな時も彼を全面的に信頼しているし、それが裏切られたことは、ただの一度もない。
代役であることを乗り越えて
先週の「今日この頃」ですでに書いたけれど、期待の星のテノールである澤武紀行(さわぶ のりゆき)さんが音声障害のため、急遽代役を探さなくてはならなかったので、一時はかなり焦ったけれど、当初テノール・ソロを歌う予定だった谷口洋介さんがいてくれて本当に助かった!
しかも、国立駅近くのスタジオで急いで合わせをしてみたら、彼はすでに何度も福音史家を歌っていたこともあり、僕の解釈にもしっかり答えてくれて、本番の仕上がりも素晴らしかった。
また、谷口さんの紹介で、これまた急遽お願いした石川洋人さんも、事前の稽古は出来なくて、前日の浜松でのオケ付き稽古で初めて合わせたが、すでに安定した歌唱を披露してくれたので、ギリギリながらホッと胸をなでおろした。
谷口さんは、
「いざとなったらテノール・ソロも歌います」
と言ってくれたし、実際歌えたのだろうが、福音史家を歌い通すだけでも大変なのに、そこに加えて、バッハのテノール・ソロの難しさったら、ちょっと常識外だからね。高い音をずっと伸ばさせるし、テノール歌手の喉のことなんか全く考えてないからね。だから石川さんのお陰で、谷口さんも福音史家に専念することができて、本当に助かった。
一方、他のソリスト達はみんなベテラン揃い。僕とも何度も共演している。ソプラノの飯田みち代さん、アルトの三輪陽子さん、バスの初鹿野剛さんも、全員安定した歌唱を繰り広げてくれ、僕もますますひとりひとりへの信頼度を増した。この人たちは僕の宝だ。 さらに、僕とすると割と近年に出遭い、注目している加藤宏隆さんの演じるイエスの深いバスの声がますます気に入った!変に小細工しないけれど、必要な表情はすべてそこにある。素晴らしい歌手である。浜松から遠くない袋井市出身ということもあり、特に浜松バッハ研究会に呼ばれることは嬉しいようだ。
美しい音のチェンバロでドラマに踏み込む
僕の弾いていたチェンバロであるが、浜松駅から天竜川寄りの町はずれにある三創楽器製作所の「ヨハネスクーシェ1段 特別仕様」というモデルで、とても美しい音色を持っていて大好きなのであるが、ひとつだけちょっと残念なことがあった。
それは、たとえば2段鍵盤ならば、フォルテとピアノを使い分けるときに、ちょっと前後に手をずらせばいいのだが、このチェンバロは1段鍵盤なため、強弱だけでもいちいち鍵盤の右上にあるストップを変えないといけないこと。
勿論、レシタティーヴォの内容に応じて、
「この場面は音も重ねて16フィートでガッツリ行こう」
とか、
「ここは8フィートでゆったりと」
とか、計画を練って、あらかじめ場面ごとにストップも決めているのだが、福音史家の谷口さんだって、本番で微妙に表情が変わったりするではないですか。そんな瞬間には、僕も無意識のうちに対応したいところなのだけど、間に合わないので、そのままのダイナミックや音色で行くしかなかった事が何度もあった。
また、
「どうしよっかな?」
と、想い迷っている内に、和音をちょっと間違えたりしたことさえ(内緒だけど)あった。
まあ、
「指揮者なんだから、福音史家の伴奏はチェンバリストに任せて指揮に専念したら?」
という意見も分かるが、受難曲の中で、もっとも深くドラマに踏み込めるレシタティーヴォを他人任せにしてしまったら、破たんはないかも知れないが、指揮者って、ただオーケストラを合わせるだけの第三者になってしまうだろう。
「リスクを恐れずに、きめ細かい表現に踏み込んで、受難劇の真実に迫りたい!」
と思わなかったら、指揮者じゃないよ。
帰りの新幹線
打ち上げをちょっと早く切り上げて、7時台の新幹線ひかり号に乗り、眠るつもりもないが目をつむっていたら、さっきの演奏が今本番の最中のように意識の中から聞こえてくる。
それはイエスが十字架上で亡くなる直前の30番アルト・アリアEs ist vollbracht「成し遂げられた」であった。三輪陽子さんの歌唱も切実で良かったけれど、ヴィオラ・ダ・ガンバの羽川恵子(はがわ けいこ)さんの演奏が光っていた。それが耳の中で勝手に響き渡っていた。
「やっぱり、あの雰囲気を出すのはチェロでは駄目なので、どうしてもヴィオラ・ダ・ガンバが必要だったんだなあ・・・」
と思っている内に、次の瞬間気が付いたらチャイムが鳴り、ひかり号もスピードを落とし始めて、新横浜駅が近くに迫っていた。
東京バロック・スコラーズのオケ合わせ
浜松での本番が終わって一息つく暇もなく、昨日4月19日日曜日は、東京バロック・スコラーズのオーケストラ練習及びオケ合わせであった。本番の4月26日がもう次の日曜日に迫っているのだ。昨日は14時にオーケストラ練習(実は各楽器1本ずつのアンサンブル)で始まり、15時からソリストが入ってきて、さらに夜の時間帯で合唱との合わせであった。
こちらはヴィオラが2つに分かれていて6人の弦楽器。それにフルート、オーボエ、ファゴット。そして浅井美紀さんのオルガンという、わずか10人の編成であるが、音を出してみて驚いた。昨日の浜松のオーケストラと同じくらいの音量と豊かさで練習会場いっぱいに響き渡っているのだ!さすがプロ!
それからソリストたちが入ってきて、順番に合わせをしていった。ここでもテノールは、澤武さんが降板したため、寺田宗永さんが急遽担当することとなったので、すぐ東京バロック・スコラーズの方から譜面を送ってもらい、よく分からないまま、先日、国立駅前のスタジオにやって来た。彼は昼間に用事があったので、合わせは午後7時からであった。
寺田さんは、普段はオペラを中心に歌っているので、まず声の出し方をコントロールするよう指導し、それから曲の解釈や具体的な歌い方に踏み込んでいった。昨日の合わせを聞く限り、短期間の内によく方向転換できたと感心する。
一方、高橋ちはるさんも寺田さんと同じ日の午後に合わせをしたが、こうしたレパートリーを得意とする彼女は、すでに様式感も発声も心得ているので、合わせは問題なく進んだ。
大森いちえいさんは、僕もよく自転車でお参りに行く高幡不動の近くに家があるので、バイクで僕の家まで来て合わせをした。自分がバリトンであることも関係しているが、僕にはバスの声にこだわりがあって、宗教曲だけ歌っているような芯のない声は好まないのだ。むしろ大森さんのような、しっかり無理なく響く声の人に、健全なバッハを響かせて欲しいと思っているし、素直な彼は僕の言わんとすることも良く理解してくれるため、練習は問題なくはかどった。そして昨日も豊かな響きで歌ってくれた。
最後に、他の奏者たちを帰してから、チェロの西沢央子さんとコントラバスの髙山健児さん、それにオルガンの浅井美紀の3人だけを残して、モテットのSinget dem Herrn ein neues Lied BWV225を練習した。
西沢さんが譜面のことで何やら髙山さんと相談していたと思ったら、次に演奏した時に、ふたりの低音の響きがガラリと変わったのでびっくりした。
どうも髙山さんの通奏低音の譜面には、弾かないで休んでる個所があったので、西沢さんが自分の譜面を強引に一緒に見させて、
「一度全部弾いてみようよ!」
と促したようなのだ。
それにしても、西沢さんが自分の高さの譜面台を高山さんに見せて、無理やり弾かせようとしたのを、高山さんが背をかがめて西沢さんの譜面台を覗きながら、やや猫背になってコントラバスを弾いている姿がユーモラスで笑ってしまった。その後で、ふたりはあらためて譜面をコピーして高山さんは新しい譜面を家に持って帰ったらしい。
凄い!二人ともやる気満々!僕は、こんな素晴らしい奏者たちと一緒に音楽を奏でることができて、本当に誇らしい!・・・というか、なんて幸運な人生を過ごせているのか、とただただ神様に感謝です!
2026. 4.20
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