SF800という現象

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

Wedgeの記事
 モーツァルト200合唱団の練習が5月3日日曜日の午後にあることは勿論事前に知っていたけれど、連休の初めという意識が特になかったので、ぼんやりしていて新幹線の予約を取るのを怠っていた。数日前にハッ!と思って、急いでEXアプリで予約しようと思ったら、あらら、一般車両の指定席はどこも満席。そりゃあそうだよな。仕方なくグリーン席を予約した。
 勿論グリーン車は居心地がよい。おしぼりが配られるし、座席の前には雑誌が置かれている。ちょっとした特権階級気分。それで新横浜から走り出して少し経ってから、何気なくWedgeといわれる雑誌を取り出して読み始めた。


(写真: Wedge MAY 2026)


読み進んで行ってかなり後ろの方の記事を開いた途端、
「あれっ!」
と思った。85ページまである本の75ページ。
 この人知ってるし、このチェンバロはもっと知っている。すぐさま記憶が蘇ってきた。先日の4月18日土曜日に浜松アクトシティ中ホールで「ヨハネ受難曲」の演奏会を行ったが、そこで僕が指揮をしながら弾いたチェンバロではないか。その三創楽器製作所には、僕も事前にチェンバロを試し弾きに行ったし、勿論社長の岩上勝氏ともいろいろ話をして、この機種に決めた。まさにその楽器の写真が本に載っていた。




(写真: Wedge MAY 2026)


 なかなかこういう偶然には出遭わないでしょう。このグリーン席の本の表紙には「ご自由にお持ち帰りください」と書いてあったので、お言葉に甘えてご自由に家に持ち帰ってきて妻に見せた。彼女も浜松バッハ研究会の「ヨハネ受難曲」を聴きに来ていたので、驚いていた。

自分の書斎
 孫の杏樹が中学生になり、自分だけの部屋が欲しいというので、僕のデスクのあった2階の一室を彼女に渡した。その部屋を彼女は壁ごと真っ白に塗り替え、白いベッドに白いデスクでゴキゲンである。
 一方、新しく変わった僕の部屋は、これまで杏樹が母親の志保と一緒に寝ていた、より大きな部屋だ。僕はその部屋の窓側にデスクを置き、パソコンやプリンター、電話を置いて事務所らしくした。志保には階下にピアノの部屋があるので、彼女はそこを根拠地としているが、寝る時だけ窓側の僕とは反対側に布団を敷く。
 僕は、よっぽど忙しい時以外は、自分のデスクでの仕事は夜10時までと決めていて、それからお風呂に入り、ビールから始まってウィスキーか焼酎のソーダ割り、あるいはワインなどを飲み、その後自分のベッドの部屋で寝るため、志保と抵触することはない。

 目の前の壁には、聖フランシスコのPreghiera SempliceとCantico delle Creatureのプリントが貼ってあり、デスクの上には、「マタイ受難曲」のイエスが亡くなって地震が起きた場面のバッハの直筆のスコアが額に入って置いてある。


マタイ受難曲

Und siehe da, der Vorhang im Tempel zerriß in zwei Stück von oben an bis unten aus. Und die Erde erbebete, und die Felsen zerrissen, und die そのとき、神殿の垂れ幕が
上から下まで真っ二つに裂け、
地震が起こり、岩が裂け、
Gräber täten sich auf und stunden auf viel Leiber der Heiligen, die da schliefen, und 墓が開いて、
眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
gingen aus den Gräbern nach seiner Auferstehung そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、
und kamen in die heilige Stadt und erschienen vielen. 聖なる都に入り、
多くの人々に現れた。
Aber der Hauptmann und die bei ihm waren und bewahreten Jesum, da sie sahen das 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、
Erdbeben und was da geschah. erschraken sie 地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、
sehr und sprachen: 言った。

Nr.63b Chor 第 63b 曲 合唱
Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen. 本当に、この人は神の子だった。

 バッハは福音書の文字を赤いインクで書き入れている。その一方でコラールには歌詞を書き入れていない。音符そのものは、ベートーヴェンなどと違って、とても丁寧で読みやすい。それを見ているだけで、なんだかワクワクする。
 デスクにはサモトラケのニケや悪魔を退治する聖ミカエルの像が置かれているが、反対側には瞑想するお釈迦様の像もある。僕はお釈迦さまも大好きなのだ。


新しいデスク

SF800という現象
 僕は自分のことを宗教的な人間だとは思うけれど、別に霊能者でもないし、自分の周りに何か超常現象が起きるような事はほとんどない。“ほとんど”という言葉をわざと使うのは、「不思議だな」とか「これって偶然の一致?」と思えるような事は時々起るのだけれど、いつも別の理由づけができる“逃げ道”が用意されているので、その意味ではただの一般人である。

 その中で唯一、逃げ道を探すのが難しい事件が最近起こった。すでに書いた例の夢の話だ。なぜかというと、それは単に夢にとどまらずに、その後話が勝手にどんどん進んでいるからだ。何のことか分からない方のために、話しておくと、忘れもしない1月30日金曜日の明け方、夢の中にある人物が現れた。そして僕に向かってこう言った。
「今年こそアッシジの聖フランシスコの没後800年の年なのに、何故お前は、命日(10月3日)にちなんだ演奏会をやらないのだ?」
そのまま目が覚めた。
 僕は気が動転し、いろいろ試行錯誤の果てに、新たに聖フランシスコ800合唱団(以下SF800と表記する)を立ち上げることにし、4月4日に発声式と初練習に漕ぎつけた。
 
 ただ僕自身は、4月18日土曜日に浜松バッハ研究会の「ヨハネ受難曲」演奏会を控え、4月26日日曜日に東京バロックスコラーズの演奏会を控えていたので、4月中はその新しい合唱団の練習を一度もつけることができなかった。
 初練習の日だって、10時前からお話を手短にしただけで練習場を飛び出し、浜松の午後からの集中練習に向かったし、その後も4月の週末は全て練習及び本番に費やされたので、想いは募ってもSF800の練習は団内指揮者であるSさんに任せっきりだった。

 ようやく先週末、すなわち5月2日土曜日にやっとその念願が叶って!僕は朝10時に地下鉄南北線東大前の練習所に行くことができた。あらためてメンバーを見ると、いろんな合唱団から集まってきている人たちで構成されている。
 まず、演奏会の演目の内、Missa pro Pace「平和のためのミサ曲」及びTre Preghiere in Italiano「イタリア語の3つの祈り」の2曲は、元来、東京大学コールアカデミーのOB合唱団であるアカデミカ・コールからの委嘱によって、男声合唱のために書かれたものだ。そのために、今回もアカデミカ・コールのメンバーから何人かが参加している。
 その後、この2曲は、2024年7月20日のイタリア演奏旅行で、新しく作曲したCantico delle Creature「被造物の賛歌」と共にアッシジの聖フランシスコ聖堂でのプログラムとなった。それ故、アッシジに行ったメンバーも参加している。
 さらに、バッハを演奏する東京バロック・スコラーズからや、志木第九の会などの顔ぶれも少なからず見える。中には、僕が通っているイタリア語のレッスンの先生の家で、レッスンの前後によく遭う生徒さんなど、本当にいろんな方たちがいて嬉しい。

 早速練習をつけてみた。おおっ!なんというエネルギー!この合唱団はこれまで僕が指導してきたどの合唱団とも違う。そもそも目的が違うし、参加してしている団員達のモチベーションも違うし、何ていうかな・・・僕の夢から突然始まったこのプロジェクトと、それに共鳴してここに集まってきている人たちを動かしている見えない力を、彼らの歌声からひしひしと感じるのだ!
 みなさん!今からでも遅くないです。新しく参加して9月27日日曜日の演奏会に一緒に乗りませんか?オーディションは特にありません。この団体はただの合唱団ではありません。断言しますが、必ずひとりひとりに特別な恵みが与えられます!

モーツァルト200合唱団の練習と聖フランシスコとの縁
 翌5月3日日曜日(つまり、この原稿を書いている時から見ると昨日)は、名古屋に行って、モーツァルト200合唱団の練習をした。実は、モーツァルト200合唱団では、2024年の定期演奏会でMissa pro Paceを演奏し、2025年にはメインのモーツァルト作曲クレド・ミサなどと共にCantico delle Creatureを演奏している。さらに今年の9月、まさにSF800合唱団演奏会の数日前の9月22日火曜日(国民の休日)の定期演奏会で残りのTre preghiere in Italianoを演奏すると、ここの団員はSF800合唱団の演目を全部歌えるわけなので、自分たちの本番の後、かなりの人数が東京に出てきてSF800のメンバーとして参加してくれることになっている。昨日も練習の合間に、東京参加のメンバーが集まって一緒に写真を撮ったが、こ、こんなにいるんか?と僕自身驚いている。


聖フランシスコ800合唱団参加のみなさんと

 だから、1月末の夢から覚めた時に、
「そんなん言うたかて、実際にできるんかいな?」
と思ったけれど、この事実を見るだけでも、あちらの世界では、すでに周到に準備されていたとしか思えない。
 最初に書いたように、僕は昔から、超常現象が起きる人をうらやましく思うところがあったけれど、自分の身にはほとんど起こらなかった。でも今回だけは、自分の意志とは無関係に、事がどんどん進んで、何が何でもやらなければならないように追い込まれているような気がする・・・いや、別に「追い込まれている」と言っても、全然嫌なんじゃないけれど、何でしょうね?これは?いったい!

 思い返してみると聖フランシスコと僕との関係も、今となっては僕の人生をずっと貫いている。僕は高校2年生の秋に初めて地元群馬のカトリック教会の門を叩いたが、その頃「ブラザーサン・シスタームーン」という聖フランシスコの映画が大流行していたので、沢山の聖人たちの中でも特に聖フランシスコを意識しないではいられなかった。
 また、群馬県西のはずれの桐生市にある聖フランシスコ修道院との関係も運命的で、僕は春休みなどを利用して数日間修道院に泊まりに行き、朝のミサに始まり、黙想会宿泊客のベッドメイキングをしながら、修道士たちと共に暮らしてみたりもしていた。
 さらにその中の佐藤達郎修道士は特別に僕を導いてくれた。情熱的な彼は、修道院の中の生活だけにとどまらず、付近の様々な家庭を訪れては、お話をし、共に祈った。中には、明らかに迷惑そうな顔をする人もいたが、彼はひるまず根気よく訪問を続けた。その後佐藤修道士はアフリカなどに伝道活動に行き、共産主義国の中国では、いろいろ危ない目に遭いながら果敢にも布教を行って来たという。最後は追い出されて帰国したというが・・・。
 その原動力はいったいどこから来るのだろうかとずっと不思議に思っていたが、少なくとも彼も聖フランシスコの生き方に習っていたのは間違いない。そんなこともあり、聖フランシスコは当初から自分にとって特別な存在であり、それは今日に至るまで変わることはない。だから洗礼名も、何の疑問もなく聖フランシスコ。
 さらに2年前のアッシジおいての自作のみでの演奏旅行も含めて、もしかしたら全ては今年の聖フランシスコ没後800年に向かって動いているのでは?とすら思われるのである。だってジャスト800年の記念なんて、僕の人生でたった一度しか訪れないものね!

 話がモーツァルト200合唱団から大きく脱線したが、元来モーツァルトのミサ曲をやるのがある意味目的であったこの団体は、今年、俗に「オルガンソロ・ミサ曲」と呼ばれるKV259のハ長調ミサ曲で、モーツアルトの全てのミサ曲演奏が完了することになるそうだ。モーツァルトもバッハと同じく、駄作というものは存在しないが、すごくこだわった作品とそうでもない作品というものはある。その意味ではこのミサ曲も、そんなにこだわらない部類に入るかもしれないが、その反面、まるで一筆書きで書いたように、全てが有機的につながっていて、やっぱり天才って違うなあ、と別な意味で関心してしまう。

これからのこと
 さて大型連休に入っても、僕の身辺はあまり変わらないが、僕は早く「イタリア語の3つの祈り」の終曲Ave Mariaのフルオーケストラ・バージョンを完成させてしまおう。

 それから次女の杏奈が、最近、僕のYoutubeを整理して、
「もっとみんなが見易いようにしたら」
と、いろいろサジェスチョンをしているし、自分でも編集してくれている。
 彼女が言うには、Youtubeを観る人は、ひとつひとつの映像に対して、もっと短くて分かりやすいものを望んでいるし、タイトルもキャッチ―なものを出すといいよ、と言っている。これからは、僕も彼女の話を聞いて、少し時間もあるし、新しいものも発信しようかな、と思い始めている「今日この頃」です。

2026. 5.4



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