志木駅での出会いとロ短調ミサ曲の謎

三澤洋史 

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一日3コマの土曜日
聖フランシスコ800合唱団

 現在は、新国立劇場とかに行っていないので、仕事が週末に集中している。特に先週の土曜日は、一日3コマでなかなか忙しかった。午前中は南北線東大前駅から1分のところにある練習場で聖フランシスコ800合唱団の練習。それから池袋に出て、日本ワーグナー協会の理事・評議員会に出席。そして、池袋から東武東上線に乗って志木で降りて、夜は志木第九の会の練習であった。

 聖フランシスコ800合唱団では、特にFesta di Credoに時間を割いた。この曲は2年前の2024年、イタリアのアッシジにおける聖フランシスコ聖堂での演奏会ではやらなかったのだ。Credo(信仰宣言)の最後に、これまで歌っていたCredoの全ての歌詞を、各パートに割り振って同時進行で歌わせ、サンバのリズムでノリノリで演奏する曲。
 いろいろ迷ったのだけれど、やっぱりなあ・・・いくらなんでも、聖フランシスコ聖堂で踊りながら、Yei,Yei,Yei!なんて腕を振り上げながら歌うのって、どーよ?・・・って思って、Et in Spiritum本体のAmenが終わったら、そのままFesta di CredoのAmenに飛んで演奏したのだ。
 でも、予想に反して(というか、イタリアなので、もしかしたら予想通り・・・)、飛んだ後のAmenでもリズムはサンバだったから、聖フランシスコ聖堂の聴衆もノリノリだったので、ああ、全体をやっても良かったかも知れないなあ、と心残りだった。

 合唱団員には練習中に必ず言う事柄であるが、ミサ曲の中で唯一Credoは「お祈り」ではない。信仰宣言と日本語で言うように、これは宣言なのだ。ミサの進行の中では、聖書朗読があり、司祭の説教が終わると、Ego credo!「私は信じます!」と自分自身に対して、また同時に隣りや聖堂内全員の会衆に向かっても、大きな声で自分の信仰を表明しながら宣言する行為なのである。
 どうせ会衆全員の前で宣言するなら、高らかに宣言した方が良い・・・って、ゆーか、どうせならリズムをつけてノリノリで宣言したらもっと良くないか?って、ゆー感じで、けっしてふざけているわけではなく、大真面目で書きました・・・すいません!
 でも、みんな良い感じで楽しそうに歌っていたので、僕も嬉しくなりながら練習場を離れて、池袋に向かった。

 池袋駅では、行きつけの駅前の「イタリア食堂ミラネーゼ」に行った。ランチセットはサラダとドリンクバー付きで、とってもお得です。僕は、ありきたりかも知れないけれど、ボローニャ風ミートソース・スパゲティを頼み、オレンジ・ジュースと、最後にホット・コーヒーをいただいた。

財団法人になった日本ワーグナー協会
 その後、自由学園明日館において日本ワーグナー協会理事・評議員会に出席。日本ワーグナー協会は、今度、一般財団法人になったので、今日は、第47回日本ワーグナー協会としての会合であると共に、同時に第1回一般財団法人日本ワーグナー協会の会合でもある。

 その数日前、三宅泰子さんからメールが入った。僕に、司会進行をやってください、という依頼であった。僕は、人前でしゃべるのは全然嫌ではないのだけれど、ああいうフォーマルな会議で司会進行なんて、とてもとても無理!と思って、即お断りした。もっとくだけた会ならば、いっくらでもしゃべれるけどね。結局、東条碩夫さんが引き受けてくれたのでホッとした。三宅さんは、
「来年以降、またお願いすると思います」
と書いてきたんだけれど、当日、東条さんの司会ぶりを見ていて、
「いやいやいや・・・来年はおろか・・・10年後だって、あんな風にはとってもできないや!」
と、変な話、これだけは自信を持って言える。とにかく東条さんが元気な内は是非続けていただきたいな!会議は、2025年度の決算報告や2026年度の活動計画及び予算案など、どうみても僕に司会がぴったりとはいえないものだけれど、その一方で、一評議員としての義務はしっかり果たしてきましたよ。
 部屋に沿って真四角に並べられた机の、僕の向かい側には舩木篤也さんがいるし、左横に座っていたのは、なんと壇ふみさんだし、その他、鈴木伸行さんや五百蔵洋一さんなど、ワーグナー関係の錚々たる面々で成り立っている会合だ。
 実は、会合の後は、いつも打ち上げがあって、こちらの方は皆さんも、会合の最中とは打って変わってなごやかで結構楽しいのであるが、残念ながら僕はその後、志木第九の会に向かわなければいけないため、失礼して、東武東上線に乗り込んだ。

志木駅での出会いと「ロ短調ミサ曲」の謎
 志木駅で、まだ第九の会の練習まで時間があるので、改札階の一階上にある本屋に向かおうとしたら、東大アカデミカ・コールの団員である宮本昭彦さんにばったり会った。ほんの3分くらいの立ち話であったが、宮本さんはバッハの「ロ短調ミサ曲」の研究をしていて、こう僕に言ってきた。
「ミサ曲の中でGloriaの中のGratias agimus tibiと、Agnus deiのDona nobis pacem(つまり終曲)は、同じテーマを使い、展開も同じですよね」
「ああ、そうだね」
「でも、それぞれの31小節目における(2分音符を1拍と数えて)3拍目のテノールの声部の音は、違うんですよ。自分でテノールを歌っているから分かるんです」
「ああ、そうかな?手元に譜面がないから分からないや」
「それについて私なりに理由づけの仮説を立てたのですが、先生にメールで私の見解を送っていいですか?」
「いいですよ。自分も興味があるから」

 それで別れたが、夜、志木第九の会の練習を終わって帰宅してメールを開けたら、早速宮本さんからのメールが届いていた。以下、本人の了承を得てメールの内容を公開する。

バッハがこの違いに込めた意図ですが、『Gratias ではゆるぎない信仰に基づく主への感謝の心を表わすために長調のどっしりした音形を構成しているのに対して、Dona nobis では主に対してただただ平安を与えたまえと請い願う高揚感の高まりを表現するためにバッハは短調にしている』のです。
実を言いますと、上の『・・・』部分の解釈は私の勝手な解釈なのです(と言うと、急に有難味がなくなりますが^^;)。
いろいろ文献や解説文など当たってみましたが、この違いについて触れられたものは見当たりません。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたらご教示くださると幸いです。

他の3パートの方々はこのテノールの動きを知らずに歌っている方が多いようです。
この部分では是非テノールに耳を傾けてこの和音の変化を味わっていただけたら幸いです。
もっとも、テノールの中でもうっかり混同して歌っている人もけっこういますので、要注意です。
                              テノール 宮本

 本棚からスコアを取りだして、両方の曲を見比べてみた。う~ん・・・本当にささやかな違いだが、几帳面なバッハのことだから、書き間違いなどはあり得ないだろう。終曲については、恐らくGratiasの譜面を見ながら書き移しただろうからGratiasのAが先で、Dona nobis PacemのHが後だね。


Gratias

Dona nobis Pacem


 和声学と作曲を勉強した僕の立場からの見解を述べると、こう言う事ができる。この個所においては、メロディーを受け持つソプラノが、Aから上行の順次進行をしていて、D-durの導音Cisを通過してDに到達する。対するテノールは、Dから下降してたまたまCisが重なるわけであるが、このタイミングでCisが重なるのは、あまり理想的展開とはいえない。さらにこの場合、進行上、テノールは順次進行の方が望ましいが、D-durを維持するという観点から見ると、Aでも駄目というわけではない。

 宮本氏のGratiasへの見解、すなわち、
「ゆるぎない信仰に基づく主への感謝の心を表わすために長調のどっしりした音形を構成」には僕も100パーセント賛成である。
 ただ、逆にDona nobisのHについては、「バッハは短調にしている」という言葉が、僕にはやや引っ掛かる。つまり、すぐ上に僕は「順次進行の方が望ましい」と書いているように、作曲学的に言うとソプラノのA-H-Cis-Dと反行してテノールはD-Cis-Hと進行する方がベターなのだ。
 Hがあることによって瞬間的にロ短調の和音ができたのは事実だし、その瞬間の短調の色合いも無視できないかも知れない。その意味では「主に対してただただ平安を与えたまえと請い願う高揚感の高まりを表現する」という宮本さんの意見そのものには賛成だが、和声連結的には瞬間的にロ短調の和音がたまたま鳴るだけなので、「短調」だからとあえて言わない方が無難かも知れない。すでにその裏拍で跳躍してFisに上がった時点で、ロ短調は影もない。4拍目の頭のEもソプラノのCisもG-Dur(D-Durの4度)に向かう倚音だからね。そして4度から5度のドミナントに行ってD-Durトニカ(主和音)に進むのだ。
 一方、GratiasのAの方が、D-Durを保つという意味では和声的に良いのだけれど、DからCisに下降して、さらにそこから3度下降するという進行は、本来あまり望ましくない。その意味では、僕には宮本さんの
「ゆるぎない信仰に基づく主への感謝の心を表わすために長調のどっしりした音形を構成」するために、無理やりテノールが下降跳躍したことを裏付けるのかも知れない。

 あはは・・・理屈っぽいね。でも僕は、実はこうしたアナリーゼは大好きなんだ。自分で作曲をするから余計なんだけど、バッハのこうした些細ともいえる所へのこだわりは、自分も見習わなければいけない。こうしたことが色彩感の相違を生むので、バッハには「たまたま」ということは、これっぽっちもないとあらためて驚嘆するね。

2026. 6.22



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