漢字に囲まれた神戸への冒険旅行
以前このページで、イタリア語のレッスンに僕が通っていて、新しいテキストに入ったことを述べた。それは日本人の男性と結婚したことで日本にやって来て住み着いたイタリア人女性の日本滞在記だ。タイトルはLeggero il passo sui tatami(畳の上では足取りは軽い)だ。その最初の章では、一歩家を出ると、自分を取り巻く漢字に街中で遭遇する様子が描かれていた。
至る所で看板やポスターなどに描かれた漢字は、まるで美しい模様のようで彼女を魅了したという。それは「漢字に対する純粋な賛美」のように思われたが、読み進めていく内に、実はこの描写には裏があったことに気付いていく。実は、彼女はその美しい漢字のせいで大変な目に遭うのである。
神戸へ
彼女は日本で働いている夫の留守に、伊丹市の自宅から散歩の範囲をしだいに広げていった。東洋の異国の地にあっては、それは散歩というよりむしろ探検のようでもあった。そんな彼女は、ある日決心して神戸に行ってみようと思い立った。
阪急電車に乗って、行きは何の問題もなく着いた。彼女はひとつの目的であった神戸の旧市街にある輸入食料品店を探し当て、買い物をした後、散歩をしてから伊丹に向かっての帰途についた。
彼女の手には、頼りになる鉄道路線も含む小さい地図帳があったが、そこにはアルファベットしか書いていなかった。その反面、70年代の日本では、まだ駅の掲示板をはじめとして、ほとんど全ての看板は、日本語でしか書いていなかったので、帰途は、彼女の予想をはるかに越えて厳しい状況となってしまった。
つまり最初のページの、漢字に対する彼女の賛美は意図的で、続く話の中で、いかに彼女が、日本の漢字に囲まれた世界の中で苦しめられたのかという、我々日本人が思ってもみなかった悲劇の伏線が描写されていたのである。それでは読んでみよう。
Ora, dopo aver fatto una passeggiata per il centro, mi accingo a tornare a Itami.
Seduta in un vagone che lascia la stazione di Kobe, tengo den stretta la preziosa cartina.
さて、中心街の散歩を行った後、伊丹に帰る準備をした。
神戸駅を離れる列車に乗って座り、尊い小地図をしっかり握りしめた。
小地図を盗まれた!
神戸への行きの道のりは、大都市に行くのであるから何の心配もなかった。しかし帰りでは、伊丹に帰るために塚口で乗り換えないと行けない。だが、もうすぐ西宮に着くという時に、彼女に10歳くらいの男の子が近づいてきて、あろうことか、彼女の手から小地図をもぎ取り、乗客と乗客の間を縫って逃げてしまった。
彼女はパニックになりながらも、とりあえず西宮で降りて後続列車を待つ。西宮は大きな街なので、もしかしたら看板などに英語表記があるかなと期待していたが、残念ながら漢字のみであった。気が動転していた彼女は、ホームで振り返ったりしている内に方向そのものさえ分からなくなってしまった。
Come sapere se sto andando verso est?
Perche Osaka, diceva la mia cartina, e est rispetto a Kobe.
私が東に行こうとしていることがどうやって分かるだろう?
大阪は私の小地図によれば、神戸に比べて東にあるのだ。
Il Sole !,
太陽だ!
mi viene in mente tutt'a un tratto. Basta guardare dove si trova il Sole, che in questo momento sta tramontando.E alla mia destra, mente i treni che si fermano su questo binario vanno verso Osaka.
いきなり私の頭に浮かんだ。何処に太陽があるのか見るだけで充分だ。
この瞬間、太陽は沈みゆく時だ。
私の左側だ。ということは、このホームに停まる電車は大阪に向かっているということだ。
Caro, vecchio Sole...
おお、いとしい老いた太陽よ!
Una decina di minuti dopo, quando il treno arriva, salgo sul vagone di testa in modo da avere piu tempo pere leggere i cartelli ad ogni fermata. Ci sono molti posti liberi, ma non sapendo quando devo scendere preferisco restare in piedi e tenermi devo scendere preferisco restare in piedi e tenermi pronta.
10分くらい経って列車が着いた時、私は先頭車両に乗った。列車が各駅に着いた時、少しでも掲示板を読む時間が増えるように。沢山の空席があったが、いつ降りないといけないか分からなかったので、いつでも準備できるように立っていることを選んだ。
E adesso come faccio a sapere quando sono a Tsukaguchi? Mi ricordo soltanto che la parola tsuka-guchi e formata da due ideogrammi - ma molti nomi di localita lo sono - e che il primo sembra un po' una casetta, mentre il secondo e semplice quadrato. Un quadrato che significa bocca, e serve anche a formare le parole entrata e ushita,questo lo rammento bene, anche se al momento non mi e di nessuna utilita.
さて、これから塚口に着いた事をどうやって知ろう?私が覚えているのは、塚口という字は“地名に関する沢山の漢字がそうであるように”ふたつの漢字から成り立っている。最初の字は(右側が)“家”という字に似ていて、ふたつめの字は単純な四角。
この四角は口(くち)を意味するのだ。この字は、入口や出口という意味でも使われているのだ。このことを良く覚えていたが、その時には何の役にもたたなかった。
Intanto arriviamo alla prima fermata. Cerco di capire cosa dica l'altoparlante, ma delle quatro sillabe pronunciate da una voce nasale soltanto l'ultima un soo allungato. Incredibile come possa suonare diverso il giapponese quando esce da uno di quegli arnesi.
Comunque sono sicura che non devo scendere qui, e troppo presto. Il treno riparte.
そうしている間に最初の駅に着いた。スピーカーが何て言っているか分かろうとした。しかし4つのシラブルを発音する鼻声の最後の言葉だけが「そーーー」 と引き延ばされていた。(この場合は武庫之荘の「そーーー」だけが伸ばされていた)。どうして日本語ってスピーカーを通して発音する場合、あんな風になってしまうのかワケが分からない。とにかく、ここで降りてはいけないことだけは確かだ。まだだ。列車は再び出発した。
Ed ecco che nel flusso monotono di parole che esce dall'altoparlante mi pare di ricoonoscere il suono tsukaguchi. E la prossima fermata, mi dico, un po' sorpresa perche credevo che fosse la quarta o la quinta dopo Nishinomiya. Tante ansie per due fermate!
そして今(出発する時)、スピーカーから単調な言葉が流れたが、そのツカグチという響きを知っているような気がした。
次の駅だったか。私は驚いた。西宮から4つ目か5つ目かと思っていたが、2つの停車駅だけだったか。心配して損した。
Tsukaguchi, Tsukaguchi, recita di nuovo l'altoparlante quando il treno entra in stazione. Prima di scendere controllo la scritta: due ideogrammi, una specie di casetta seguita dal quadrato che significa bocca.
Traggo un sospiro di sollievo, ormai sono praticamente a casa, conoscono bene questa stazione dove sono gia passata piu volte. Ce l'ho fatta.
「つかぐち~~~、つかぐち~~~」。列車が駅に入って行った時、もう一度スピーカーから放送が流れた。降りる前に看板を確認した。ふたつの漢字で、ひとつは家のような字。それに続いて口を表す四角。安心のため息をついた。やっと家に着く。何度も通った、勝手知ったる駅。やった~~~!
思いがけないハッピーエンド
Fiera di essere riuscita a cavarmela, mi avvio verso il binario della linea Tsukaguchi - Itami, quando vengo raggiuta e fermata da due giovani sui vent'anni, entrambi visibilmente imbarazzati.
Con mio immenso stupore, uno di loro mi tende una cartina, la mia, quella che mi e stata rubata.
危機を脱出したことを誇りに思いながら、私は塚口~伊丹線のホームに向かった。するとその時、2人の二十歳以上の若者と一緒になって私を止めた。二人とも明らかに困惑(びっくり)している様子だ。
とても驚いている私に、その内のひとりが小地図を指し出した。それは例の盗まれた私の地図だった。
湖を前に集中練習~進化しているマーラー第6番
台風にも負けないぞ!
6月27日土曜日と28日日曜日には、愛知MFオーケストラの2日間の通い合宿(集中練習)があった。しかし、その週末には、なんとふたつの台風が日本に接近し、東海地方沿岸に沿って進んで関東を直撃しそうであった。
6月26日の金曜日になると、事態がもう少し分かってきた。名古屋は東京よりも西なので、27日土曜日午後からの名古屋での練習がなくなる可能性は薄くなってきたが、僕が名古屋に向かう午前中の新幹線は運休になる可能性があった。
そこで僕は、金曜日中に名古屋に向かおうと決心した。いざとなったら自腹で金曜日のホテルは負担してもいいと思っていたら、団から正式に許可が降りて、6月26日の夜には、すでに金山にいた。
結果的にいうと、土曜日午前中に新幹線は止りはしなかったようだし、通い合宿は幸運な事に全行程無事に終わって、今回の8月1日という早い公演に対して、一ヶ月前の最も大事な時期に大きな成果を挙げる事ができた。
練習場所は、名鉄常滑線の聚楽園(しゅうらくえん)駅を最寄りとする聚楽園公園の中の東海市しあわせ村であった。練習場の目の前にはガラス張りで湖が広がり、僕は湖を背中に指揮しているので分からないのだけれど、楽員たちにとっては、湖の景色がとても広々として気持ち良く演奏できたそうである。って、ゆーか、時々みんなが僕の方をあんまり見てないんじゃないかと思う時があったのだが、気のせいかな・・・・?

愛知MFオーケストラ 集中練習
闘争する者の交響曲
さて、マーラーの交響曲第6番は、勉強していくにつれて、どんどん僕の心を捕えてくる。それに比例してこの作品の神髄が僕に迫って来る。とにかくこれは驚くべき作品だ!冒頭の低音によるラの連打からして溢れるような闘争心を感じる。
僕の高崎高校からの大親友であるプロ・スキーヤーの角皆優人(つのかい まさひと)君は、昔からこの曲が大好きであったが、実はその頃、僕には全然ピンとこなかった。僕が好きなのは、徹底的にポジティブな第5番。それは今でもそうだし、昨年の演奏会では、演奏している最中、こんなに幸せで楽しいひとときはないなあ、と思いながらひとつひとつのタクトを振っていたからね。
それにひきかえ、この作品は「悲劇的」と呼ばれる。それを否定しはしないが、スコアリーディングをあらためて始めてから、ちょっと意味がはずれているように感じられるようになってきた。
それはつまり、外部から見ると「悲劇的」と感じられるのかも知れないが、“この音楽を生きている者”にとっては、むしろどんなものが自分に立ちはだかってこようが、決して歩みを止めることや挫折することなく、どこまでも人生を貫徹していこうとする姿勢そのものが表現されているのだ。
親友の角皆君は、高崎高校時代水泳部にいた。僕なんか一回泳ぎに行って1000メートルも泳げば、もうハアハアいって充分かなと思うが、彼なんか高校時代一万メートルとか平気で泳いでいたからね。そうすると常に体力の限界で勝負している感じじゃないか。彼はよく泳ぎ過ぎて腕の炎症を起こしたりしていたし、これは卒業後だが、彼は高いところから飛び込んだ時、眼球が飛び出して死ぬかもしれなかった経験しているし、それだけではなく何度もいろんなことに自分の身をかえりみずチャレンジして危機を乗り越えて来た。
それに対して、僕はそもそもそうした危機には一度も近づいた事がなかった。あるとすればピアノを弾き過ぎて2度ほど腱鞘炎になったくらい。でも、ちょっと休んだらすぐ治った。だから、先ほども触れたマーラーの第6交響曲の冒頭のラの連打は、当時の僕には「なくてもよかった」ものだったのかも知れない。より平和を欲していた僕には、そもそも要らぬ闘争心であった。
一方、当時の角皆君にとっては、なくてはならなかった。たとえそれが第4楽章でのハンマーでさえぎられるとしても、ラの連打がなかったら、角皆君は角皆君でなかったのだ。
そして今回、あらためてこの曲と向かい合ってみて、発見した事がある。終楽章では2度のハンマーに打たれた後、静かに終わっていくように見えるけれど、その一方で最後の3小節のあのフォルティッシモはいったい何なのか?まさにそこについて、今回、スコアを読み込んでいて、あるいは練習していて、100パーセント「分かったぞ!」と言い切れる状態に到達したのである。
そのフォルティッシモの後、終りまでのディミヌエンドと最後の小節の大太鼓と弦楽器のピッツィカートのピアノは、勿論、現時点での勝利を物語ってはいない。けれども、それで終わりというわけでもない。
いやむしろ、
「お前たちはこれで俺が終わったと思っているだろう。ハハハ・・・甘いね。今に見ていろ・・・今に・・・」
これが、第6シンフォニーを生きる者の人生観である。
70歳を過ぎて、マーラーの交響曲をそのまま自分の人生に重ねて、自分に合うとか合わないとかと思う状態を乗り越えて、全てをもっと客観的に眺めることができてきた今、こうした生き方もあることを何の偏見もなく受け入れられるようになってきた。
自分が幸せでいられるのは、たまたまそういう境遇にあったからであって、そうではない境遇にもし自分が生まれ落ちたとしても、みんなその状態からしあわせ、あるいは成功を求めて努力しチャレンジしていくのだろう。あるいは自分の前世が第6番のようなものであった可能性だってある。そう考えていったら、誰も第6番のような人生を理解できないということはないのだ。
さらにこの交響曲には、あの夢のように美しいAndante moderatoの第2楽章があることが救いだ。これを第3楽章として演奏することも多いが、やはり第1楽章と第3楽章Scherzoの間に置くべきだと思う。
今自分がやっている音楽に対しては、いつも「この曲こそが最高だ!」と思う僕であるが、客観的に見ても、この第2楽章はけっして派手ではないが、なんと繊細で美しい曲だろう!そして曲想は全然違うが、モーツァルトに通じるような透明感と、そこはかとない悲しさが漂っている。これも演奏会に向かって丁寧に仕上げていこうと思う。
土曜日の夜には懇親会があったが、一緒にかつてウィーンの楽友協会ホールでマーラーの第2番交響曲を演奏したメンバーが、
「三澤先生ともう一度ヨーロッパに行きたい!」
と言ってきた。
それと、来年は第7番をやろうね、ということには団員全員異論はないのだけれど、再来年の話になったら、おっとっとっと・・・大変だ、ということになって、
「第8番の千人の交響曲の準備を始めるとしたら、合唱を手配しなければいけない。今からでも遅いくらいだね」
という話で盛り上がった。
ただ、よく話を聞くと、名古屋のそれぞれの合唱団は、再来年くらいまでの演目を決めているかもしれない一方で、名古屋の場合、ホールの予約が1年前にしかできないところが多いのでまだ大丈夫かもという話になって、とにかく7番と並行して8番の準備に向かって動くべきだということで意見が一致した。
場合によっては第9番を先にやって、その間に周到に合唱団の準備をしないといけないという意見も無視できなかったが、僕は、大好きな一方、これまで一度も指揮した事ない第9番は、最後の最後に取っておきたいので・・・・8番よりも先にやってしまうのはあまり乗り気ではない。
さて懇親会も楽しく盛り上がり、日曜日の練習も充実していて、特に午後の通し練習では、本番の仕上がり状態のイメージが、地平線の彼方に蜃気楼のように見えて来た。帰りの新幹線では、寝ていこうと思っていたが、そんな練習の影響で、疲れるどころかまだ興奮状態だったので、この「今日この頃の」最初の記事、すなわちイタリア語の本Leggero il passo sui tatami(畳の上では歩みが軽い)が気になって、翻訳はともかく、少なくともイタリア語の原文だけは写しておこうと、新横浜に着く直前までノートパソコンでアルファベットを打ち込んでいたら、あっという間に新横浜に着いた。
2026. 6.29
![]()