交響曲第6番について

三澤洋史 

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図書館に通う日々
 新国立劇場に通わなくなってから、平日の、特に午後が暇な日が多いため、立川の北口にある市立中央図書館によく通っている。お昼を食べて一休みすると、雨が降っていなければ自転車で、まず駅の南側のカトリック立川教会に行って、聖堂でだいたい20分くらい黙想してから、立川駅南口無料駐輪場に自転車を止め、駅を越えて北側の図書館に行く。あるいは中央線の地下道を渡って北口に出て、図書館のある建物の地下駐輪場に自転車を停める。こちらは3時間まで無料。月曜日は休館なので、そういう日は、より近い「くにたち中央図書館」に行ったりもする。

 午前中はだいたい家にいる。パソコンで作業したり、あるいはデスクの向かい側の電子ピアノを弾きながらスコアの勉強をしたり、Zoomの生徒にレッスンをしたりしているが、午後は気分転換に外に出るのだ。

 立川の中央図書館では主として語学関係の勉強をしている。楽譜のドイツ語を訳したり、ドイツ語の本を読んだり、様々な資料を調べたり。その一方で、イタリア語のレッスンのある金曜日が近付いてきたら、イタリア語のテキストを読んで訳している。3階のレファレンス室では、各種の辞書が置いてあるので、窓側にある2時間制のデスクを借りる。


立川市中央図書館

 手元には、何カ国語もの辞書が入っているひとつの電子辞書があるが、本の辞書を引く練習を怠るとどんどん億劫になってしまうため、あえて紙の辞書を書庫から引っ張り出してきて使う。
 紙の辞書では、たとえばSの帯だけ見ても結構厚いが、その中からSchmerz(苦痛、苦悩etc.)という単語を探すのは勘も必要だし面倒くさい。しかしながらSの帯を見ながら「Sの次はCだからこの帯の最初の方」というように勘が働いてきて、かなり早く探し当てることができるようになってきた。自己満足かも知れないが、本の辞書の方が勉強している気分になるし、もっと速く目当ての単語を探し当てられるようになりたい。
 図書館通いをするまでは、よくカフェ、特に家の近くに最近できたスターバックスなどで勉強していたが、あたりがザワザワしているし、第一図書館はお金がかからなくて良い。まあ、その後であらためてコーヒーを飲みにカフェに行ったりするけどね。でも、カフェではゆったりした方がいいから、“勉強は集中、カフェはリラックス”と、住み分けた方が精神的にメリハリがついて双方良い。

聖フランシスコに思いをはせる日々
 さて、のんびりしていたら、たとえば聖フランシスコ帰天800年演奏会のための講演会が8月30日と、だんだん迫って来る。今年の4月から聖フランシスコ800合唱団を立ち上げ、演奏会を9月27日に第一生命ホールで行う事に決め、それから聖心女子大学での宮代ホールでの講演会の話がトントンと決まり、こんなに呑気な僕でさえ、聖フランシスコに守られている・・・というより、むしろ聖フランシスコから、
「何ぼんやりしてるんだお前!」
と背中を押されている感じで、自分の守護聖人の帰天800年という記念の年を心して生きなければ、という想いを新たにしている僕であるが、実際には日常に追われてグズグズしている。

 そもそも僕が、自分の洗礼名を聖フランシスコにした背景は、今考えてみると運命としか思えない。僕が通っていた群馬の南のはずれの小さい新町カトリック教会に桐生市の聖フランシスコ修道院から佐藤修道士がよく来ていて、僕と遭い、僕は修道院に泊まりがけで行って、彼ら修道士たちと一緒に生活した。
 さらにその頃、巷では「ブラザーサン・シスタームーン」という映画が流行っていて観に行って感動したりと、まるで僕が洗礼を受ける時には、洗礼名を聖フランシスコにするしか選択肢が残されていなかったようであった。
 その一方で、聖フランシスコという聖人は勿論有名ではあるけれど、実際に聖フランシスコを洗礼名に持っている人は、自分の周りでも決して多くはない。

 そして、よりによって今年の10月3日は、百年にたった一度しか訪れない、帰天800周年なのだ。799年でもなく801年でもないのだ。その年に、自分の曲だけで演奏会を開けるんだぜ。こんな恵まれた人なんて世の中に一体何人いる?だから、もっと自覚を持ちなさいよね!

 まあ、それでも、こんな呑気な僕だって、これからあらためて準備をしっかりして、悔いのない講演会と演奏会をこなそうと決意を新たにしている今日この頃です!アッシジには、これまで3回行っているので、写真だけはいっぱいあるし、特にきれいな大自然の写真が多い。講演会の中でもそれらを披露しながら、分かりやすくて楽しいひとときにしようと思っているが、同時に聖フランシスコの素晴らしさを余すことなく伝えてみたい。

第6番との孤独な戦い
 8月1日土曜日に、愛知芸術劇場コンサートホールで「愛知MFオーケストラ演奏会」が行われる。これまでの当オーケストラの演奏会で最も早い時期だ。曲目は、先週も触れていた通り、交響曲第6番。そのためのプログラム原稿をやっと昨日担当者に送った。もう一ヶ月を切っているので担当者はしびれを切らしていたに違いない。
 でも僕の方も、どういう切り口で書き始めていいか、長い間悩んだ末、この曲に向かうまでの先入観と、それを克服するプロセスを中心に文章にしたためた。この原稿も、表現の仕方は違うが、ある部分、演奏会プログラムの中で皆さんが読むであろうコラムの内容とダブっている。

 さて、「今日この頃」を辿って行ったら、昨年のマーラー作曲第5交響曲の演奏会は10月13日だったんだね。もう忘れているけれど、思ったより遅かった。そのあたりの文章には、第5番に対する僕の気持などが随所に読める。大好きな曲だったので、練習からもそうだったけれど、指揮台で振っていて、楽しくて、
「ああ、永久にこのまま終わらないでほしい・・・」
と思っていたのが、昨日のような事に思われる。

 その一方で、今年の1月12日の「今日この頃」を開けてみたら、「昨年の暮れからぼちぼち第6交響曲の準備を始めている」と書いてある。何故その頃の原稿を開けたかというと、一体どんな気持ちで第6交響曲を始めたのかということを振り返ってみたかったから。「今年の3月にMFオーケストラの僕による初練習があるので、そろそろスコアを見なければ・・・」と重い腰をあげたのを思い出した。
 僕は昨年、第5交響曲の本番が終わった後、ある種の虚脱状態になってしまって、とても第6交響曲をあのレベルで演奏することは無理なんじゃないの?という先入観に陥ってしまった。だから6番に手を付けるのをグズグズしていたのだ。

 僕はポジティブ指向の人間なので、ネガティブなままで終わる曲は本来好きではない。たとえばチャイコフスキーの悲愴交響曲の、あの闇の中にしだいに消えていくような終わり方は大嫌いで、決して好んであの曲を演奏したいと思わないし、もし、これまでに「悲愴交響曲の依頼を断ったら、あなたの出世はないよ」と脅されても絶対にやらなかった。もうこの歳になったら脅される可能性もないし、第一、出世のピークもすでにとっくに終わっているし(笑)。

 でも誤解しないで欲しいんだけど、チャイコフスキーは決して嫌いではないんだよ。むしろ大好きだ。現に、1984年にHochschule der Künste Berlin(西ベルリン芸術大学)指揮科を卒業した時、卒業試験の演目にチャイコフスキーの交響曲第5番を自ら選んだ。ベルリン交響楽団の公開演奏会での指揮で、オケ練習のやり方から本番までの過程全てが審査の対象となる。
 その選曲に関しては、零下25度くらいが普通で、昼が極端に短い「ベルリンの冬」を三度も経験したことが大きい。午前9時から始まる指揮法の授業のために8時過ぎにバス停に立ってバスを待つ。その数分間に体が完全に凍ってしまう。夏の白夜と反対に、冬の北ドイツの朝は、まだあたりが薄闇に包まれている。
 さらに留学中、一度だけ冬休みの授業がない時に、日本に一時帰国したことがある。お金がなかったので、東ベルリン発アエロ・フロート便で、モスクワでのトランジットを経るフライト。そのモスクワのトランジットの際に一度だけ外に出させられたが、その時の外気は零下40度だった。出たのは一瞬だけだったが、その外気に体が凍った。もし10分いたら、それだけで命の危険にさらされるな、とオーバーではなく思ったよ。

 その時初めて想像した。そうした環境の中で生活しなければならない人たちの精神構造って、どうなってしまうのだろうか?ということ。だからというわけではないけれど、その短い体験を通して、僕は、日本にいては分からなかったが、チャイコフスキーをより理解できたと思ったので、それをベルリン留学の総決算として卒業試験で表現してみたのだ。
 ただ、第5交響曲は、独特のメランコリーに満ちているものの、終楽章は苦難を克服した勝利の歌だ。悲愴交響曲とは全く違う。モスクワの冬を経験しても、僕の人生においては、悲愴交響曲の“絶望の内に消えゆくワールド”には共感できないし、自分として「決して共感してはいけない」という内なる声が聞こえるのだ。
 自分は神の存在を絶対的に信じているし、その神は「愛」であることを、ひとつひとつの呼吸の中に感じているからだ。

 ええと・・・話が随分逸れた・・・何を話していたっけ?おっと、そうだ。マーラーだ。マーラーに戻って・・・マーラーを順番に演奏してきた。第1番はやっていないけれど、これは青春の詩みたいな曲だから、70歳を過ぎた僕が何が何でもやらないければならない曲でもないだろう。
 第2番「復活」をウィーンの楽友会ホールで演奏してスタンディング・オベイションを得た。それから、第3番、第4番、第5番とやり続けてきた。マーラーという作曲家に対して僕のスタンスはこうだ。マーラーのもつ問題意識は、ほとんど僕が人生で抱えている問題意識とかぶっている。だからマーラーの曲と向かい合う、あるいはマーラーの曲の練習をつけるという行為、ましてや演奏会で聴衆の面前で指揮をする行為は、マーラーが個人的に抱いていた人生への疑問から始まり、それへのアプローチ、実際に彼が自分の生き方で提示してきたものに対して、自分が自分なりに答えを出し、自分なりの結論を提示していく、とってもとっても重い行為なのである。

 ところで、ここに「悲劇的」と呼ばれているネガティブな第6交響曲が自分の前に立ちはだかって来た。しかしながら、今これを避けて第7番に飛ぶという選択肢は、僕の中にはなかった。第6番だけ避けて7番に飛んでしまったら、僕は大切なものに気付かずに人生を終わってしまう気がしたのだ。
 第1番に関しては「青春の歌」だから70歳過ぎた自分がどうしてもやらなければならないというわけでもない。第10番に関しては未だクエスチョン。でも第5番と第6番は、ある意味ペアであると思っていたので、あえて第6番に取り組むことで第5番についても、より理解が深まる気がした。

 その僕の予感は当たった(って、ゆーか、僕だけが大発見したわけでもないが)!結果的に言うと、この交響曲を「悲劇的」と呼ぶのはやめようぜ!と言いたい!もうこれまでにも何度も言ったと思うが、この曲はねえ、冒頭のラの連打がすでに物語っているように、徹頭徹尾「闘争の歌」なのだ。何が自分の前に立ちはだかって来ても、けっして驚かずひるまず、躊躇せずに突き進むのみ!

 さて、最初に言ったように、あと一ヶ月を切った・・・というか、すでに25日後には本番!この交響曲が「闘争の歌」であることは分かったが、具体的にどのような個所をどのように処理し、どのような説得力を持つ作品に仕上げていくのかは、もうマーラーの責任ではない。音楽は“再現芸術”なのだ。ということは、スコアが実際に音と成って聴衆の耳に届く時、その責任は演奏する者に100パーセント託されているのだ。
 指揮台に立つ指揮者は、一見華やかに見えるかもしれない。しかし、今の僕にとっては、まるで死刑台に上がるに等しい。もっと深く掘り下げなくては!もっと核心に迫らなければ!この時期の指揮者は、孤独で危機感のかたまりである。

2026. 7.6



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