聖フランシスコの講演会準備

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

いつまでもBiglobeが戻らない!
 僕がメインとしてこれまで使っていたBiglobeメールが、会社の方に不正ログインがあり、さらに大量のパスワードが流出したということで、Biglobeの方から「パスワードを変えてください」というお知らせが来た。しかしホームページを見て、従ってみたのだが、どうもうまくいかない。というか、普通ならば、
「あなたのIDの場合、これまでのパスワードはこうでしたね。ではこれから新しいパスワードを書き込んでください・・・はい、今からこのIDとパスワードの組み合わせで再出発します!」
という手順を経るのが普通だが、そのやり方ではないので、今後もパスワード変更がうまく成功する気がしない。

 そこでBiglobeの方に何度も電話をかけるのだが、全然出てくれない。ある時は、
「ようし!今日中に決着をつけるぞ!」
と約45分受話器を握りしめながら相手が出るのを待っていたが出てくれない・・・それから日を変えて、気を取り直して何度も電話かけても全然ダメ!そうこうしている内に一週間経ってしまった。
 ある意味、無理もない。会社そのものが不正ログインを被ったわけだから、全てのBiglobeに登録している顧客を相手に電話対応しているわけだもの・・・。でも、こっちもよう・・・こうしている間にも、大事なメールが沢山入っているかも知れないのに・・・どうしたらいいんだか分からない!

「Biglobeにメールしたら、戻ってきてしまいました」
と携帯メールで連絡してくれた人はまだいい。とりあえず連絡できたから。そうでない人で、Biglobe経由でしか僕にアクセスする方法がない方は、困っているだろうなあ・・・と思うと居ても立ってもいられない。
 もしこの「今日この頃」を見ている方で、僕に連絡を取りたい方は、とりあえず以下のメルアドにアクセスしてみてください。これはZoomレッスンの生徒用のアドレスで、普段から結構頻繁に開けていましたが、今回こういう状態なので、もしBiglobeがいつまでも戻らない場合、とりあえずこれをメインとして使おうと思っています。
maestro.takemeconducting@gmail.com
どうか、よろしく!

聖フランシスコの講演会の準備
 8月30日(日曜日)に聖心女子大学構内の宮代ホールで行われる講演会「聖フランシスコ帰天800周年に捧げる歌」の準備をゆっくりと始めた。まだ一ヶ月と3週間近くあるので、全然急がなくてもいいのであるが、そういうことを言っている内に他の用事にかまけていて、ハッと気が付いたらもう本番が迫って来て・・・という風になりがちなので、時間がある内に始めるだけ始めておこうという事である。
 それと、もうひとつの理由としては、何と言っても自分の洗礼名のアッシジの聖フランシスコの帰天800年の年だから、9月27日日曜日の演奏会もそうだけど、一生に一度しかない機会を悔いのないように過ごしたいと思うわけだ。
 講演会当日には、午前中に聖フランシスコ800合唱団の練習をさせていただいて、その代わり、午後の講演では9月の演奏会の曲を少し披露することになっている。僕の中では曲目はもう決まっていて、「イタリア語による3つの祈り」の中の「聖フランシスコの平和の祈り」とCantico delle Creature「被造物の讃歌」の2曲だ。つまり、直接聖フランシスコに関係する曲ということである。


聖フランシスコの講演会

 さて何から講演会の準備を始めたかというと、Power-pointのひとつひとつのファイルの中に、まず講演で使うであろう写真を挿入する作業から行った。アッシジの丘の上にきれいに並んだ街とか、サン・ダミアノに向かうのどかな田舎道などから入れ始めたが、
「ああっ、なつかしい!」
とつい見入ってしまって、寄り道の方ばっかりで作業自体が全然進まない。
 中腹にはオリーブの木が沢山あり、アッシジって本当に良い所なんだけど、そればっかり見せても聖フランシスコの本質には迫れない・・・と分かっているんだけどね・・・でもね、この自然なしでは聖フランシスコも生まれなかったような気もするんだ。小鳥やお魚を集めて説教する姿も含めてね。僕が高校生の頃に流行っていて観に行った映画「ブラザーサン・シスタームーン」でも、あの美しい大自然の中を聖フランシスコは駆け巡っていたしね。

 アッシジに行った時に、(サン・ダミアノだったと思うけれど)何気なく写真に撮った看板のイタリア語をあらためて日本語に訳してPower-pointに張り付けた。その内容も講演のときに詳しく説明するつもりだけれど、聖フランシスコがCantico「被造物の讃歌」を作った時は、この詩そのものが「太陽の賛歌」と呼ばれるように、まず太陽から、神が作った全ての被造物をひとつひとつ讃える歌だったので、大地とそれが産み出す果実や草花を讃える言葉で終わっていたという。つまり大自然の完璧さを讃えることで、その創造主の完璧さを賛美するという内容に限られていた。

 ところがその時、ちょっと事件が起こった。アッシジの教会の司教とアッシジ市長との間にいさかいが起こったのだ。それを聞くと、聖フランシスコはとても残念がり、ふたりが和解するまでは自分は絶対に死ねないと思って新しい詩句を作り、何人かの修道士たちにそれを持たせてふたりの元に遣わした。それを受け取ったふたりは、聖フランシスコの配慮に心動かされ、共に和解したそうである。
それは、このような詩であった。

讃えられてあれ
我が主よ
あなたの赦しによって
病と苦難を
耐え忍ぶ人達のために

さいわいなるかな
心静かに耐え忍ぶ者たち
彼らはいと高きお方から
報いられるであろう

 さらに自分に死が近づいたことを知ると、 「姉妹なる死よ」の一節を加え、それを修道士たちに歌わせながら、彼の最終の地であるポルツィウンクラまで来たという。

讃えられてあれ
我が主よ
私たちの姉妹である
肉体の死のために
死からはいかなる者も
逃れることはできない

災いあるかな
死に至る罪の内に亡くなる者よ
さいわいなるかな
あなたの望みを尊重しながら
死に向かうことができる者
その場合には、
死がその人達の魂に
いかなる災いももたらすことは
あり得ないのです

僕はあらためて、
「ふうん・・・そうだったんだ」
と思ったけれど、最後の方のイタリア語を訳してみて、初めて、
「あれっ?」
と思った。
そこにはこう書いてあったのだ。

Questi due brani non sono pero delle parti aggiunte. Il movimento di lode a Dio, che prende avvio con le opere della creazione, non poteva concludersi senza giungere all'uomo.

このふたつの詩句は、しかしながら(被造物の讃歌に正式に)「加えられた」わ けではありませんでした。
天地創造から始まる、この「神への賛美」の動機(モチベーション)は、
人間にまで及ぶことを含んではいなかったようです。

 ちなみに英訳もあるので、そちらも載せておきますね。

These two passages are not hawever“added”parts. The movement of praise to God which began with the works of creation could not conclude without finally reaching man.

 えっ?そうだったの?ちっとも知らなかった・・・って、ゆーか、今まで誰もそんなことを言ってくれる人いなかったぞ!さらにこのnon poteva concludersiあるいは英訳のcould not concludeを厳しめに訳すと、

天地創造から始まる「神への賛美」の動機(モチベーション)が、(不完全な)人間にまで及ぶことを含んではいけませんでした。

 ということになっちゃうぞ!確かに、人間以外の全ての被造物は、ある意味本能で生きているから、人間のように知っていて意図的に“悪”を行ったり、卑劣な策略を練ったりすることはないんだよね。罪深い人間の“罪”や不完全さは、確かに“完璧”で“善の象徴”である神様から出たものではない。だから無心で生きている被造物の中に罪深い人間は入れてもらえないのか?

 今さら言われても困ります!現在では、この「被造物の讃歌」はどれを見ても普通に最後まで書いてあるから、僕だって最後まで作曲しちゃったじゃないか!どーしてくれる?

 まあ、もしかしたらこういうことかも知れない。聖フランシスコとしては、最後のふたつの詩句については、それぞれの特殊なケースに遭遇してイレギュラーに作ったので、元来の“正式な讃歌”としては、神が作った完璧な被造物、すなわち大空や大地や果実及び草花への賛歌で終わっていたという意識はあったのかも知れないが、その一方で、後に、
「いや、やっぱり入れときましょう!」
と決めたのはむしろ教会の側ではないか。
「全能の神の作った被造物の完璧さを讃えるのに、人間を入れない方が良いのは分かっているけれど、だからこそ、罪深い信徒のためには、むしろ最後のふたつはあった方がいいのではないか?特に『災いあるかな。死に至る罪の内に亡くなる者よ』なんていう言葉などは、戒めのためにも最適ではないですか」
「それもそうだね・・・じゃあ、決定!」
と考えて、加えることに決めたのかも知れない。

 まあ、この事を通して、人間だけが、被造物の中で唯一、無心になりきれなくて、狡猾で意図的に悪い事をする存在だから、そんな人間である我々が「あえて自分たち人間を賛美することで神の完璧さを讃えること」だけはできないな、ということはよく分かりました(笑)。

2026. 7.13



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