名古屋での週末

三澤洋史 

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特別な合唱団
 7月25日土曜日は、午前中に聖フランシスコ800合唱団の練習に出る。その日は、モーツァルト200合唱団から10人くらいの団員達が、わざわざ名古屋から東京に出て来て、東京の団員達に交じって僕の練習を受けた。その中には団長の鬼頭茂成(きとう しげなり)さんとその奥様もいる。練習曲目は、Missa pro Pace「平和のためのミサ曲」のSanctus以降、終曲のDona nobis Pacemまで。

 思い返してみると、1月の終りに夢の中で、ある人から、聖フランシスコ帰天800年のための特別演奏会を行うことを半ば強制的に命令され、起きてすぐ、
「大変だあ!」
と慌てて、そのための新たな合唱団を結成した。
 しかし、その時は全く視野にも入れてなかったけれど、名古屋モーツァルト200合唱団のメンバーは、偶然にも、2年前の2024年の演奏会で、Missa pro Paceを演奏し、昨年はCantico delle Creature被造物の讃歌を演奏し、そして丁度今年の9月22日火曜日(国民の休日)に「イタリア語の3つの祈り」を演奏することで、ギリギリではあるが、聖フランシスコ800合唱団演奏会の全ての演目をレパートリーに入れることになるのだ。

 それで、奇跡のような話であるが、自分たちの名古屋での演奏会のわずか5日後の9月27日日曜日の第一生命ホールでの演奏会に、わざわざ名古屋から参加してくれるメンバーが、なんと30人にも登っているのだ!

 これも、あらかじめ神様の側には分かっていたことなのか、それどころかむしろ、こんなギリギリでも間に合う事で、神様は僕達に、
「それが決して偶然ではなく、あらかじめそう計画されていた」
ということを僕達に示そうとしているのではないか、とすら思える。
 聖フランシスコを洗礼名に持つ僕に対して、この演奏会こそが、神様から頂いた帰天800年の大きなお土産なのだ、と今頃になってから気付き始めた呑気な僕です!

 当の本人は、そういうことについて全然分かってはおらず、その後、周りがどんどん動いてくれるのを、まるで他人事のように指をくわえて見ているばかりであったが、さすがに鈍感な僕でも、だんだん日が迫って来るにつれて、これからはしっかり覚悟を決めて、聖フランシスコ800合唱団という特別な団体に対して、関わっていこうとあらためて腹を決めた。
 何度も言うが、聖フランシスコの洗礼名を持つ僕にとって、聖フランシスコ帰天800年ちょうどの年に当たるなんて、間違いなく一生に一度のことだったんだね!
心せよ!

名古屋での週末
ピアノ協奏曲の合わせ

 その午前中の練習の後、一度国立の自宅に帰って、あらためて支度をして名古屋に向かう。名古屋では、9月22日に行われるモーツァルト200合唱団の演奏会プログラムの内の、モーツァルト作曲ピアノ協奏曲第23番イ長調KV488でピアノを弾く江川智沙穂さんとの合わせ。
 K488は僕の最も好きなピアノ協奏曲だ。特に僕はモーツァルトのイ長調の曲はみんな好き。交響曲でも、あまり有名ではないかも知れないけれど、第21番、29番が好き。またクラリネット協奏曲を聴くと、いつも涙腺がゆるむ!
 イ長調の曲ってどこが違うのかな?と昔からよく思っていたんだけれど、明らかなのは、特に弦楽器の響きがいいのだ。ヴァイオリンって下の弦からGDAE(ソレラミ)だろう。全部イ長調の構成音だから、イ長調の音階のどの音を弾いても、その音に他の開放弦が共鳴して明るく鳴るのだ。

 話がちょっと脱線するが、昔ベルリン芸術大学指揮科に在籍していた時、シャルロッテンブルク弦楽合奏団というアマチュアのグループの指揮者をアルバイトでやっていた。その時練習していたのが、ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調と、同時に、誰かが、
「これ良い曲なので是非やりませんか?」
と強烈に推薦した、作曲家も曲目も忘れたけれど変ニ長調の弦楽合奏曲であった。
 でも練習を始めてみたら、ト長調のブランデンブルクと全く対照的に、その変ニ長調の曲は、開放弦が使えないのは勿論のこと、どの音を弾いても他の弦に共鳴することがないため、全然弦楽器が鳴らなくて形にならなかったため、その曲を採用するのをやめた経験がある。

 話は戻って、モーツァルトはイ長調という明るい響きの中に、彼の音に対する異常なほどの感性を働かせて、「明るいままで、同時にそこはかとない悲しみ」をあたりに漂わせるのである。いや、「悲しみ」という言葉はふさわしくないな。
「長調だから明るい、短調だから悲しい」
というステレオタイプの感じ方を越えた“曰く言い難し”の境地を天才は探し当てているのだ。
 僕には、
「どこからその響きを導き出してきたのだろうか?」
と不思議でしょうがないけれど、そこが分からないのが凡人の証なのだね。でもね、その響きの特異性を理解できる、ということは、僕だって本当にただの凡人だけでもないのかな、とうぬぼれてもいるただのアホです。

 名古屋駅から地下鉄東山線に乗って栄に出て、練習場に向かう。江川さんは、現在、モーツァルト200合唱団の専属ピアニストだ。テクニックは揺るぎなく、すでに完成度は高いのであるが、その完成度を犠牲にしてでも、もっとフレキシブルな音楽を自由自在に奏でて欲しいと思って、いろいろサジェスチョンを与えた。すると予想していたよりずっと柔軟な感性が見られて、僕はとても嬉しくなってきた。
 ピアノって、いろいろな楽器の中で、ある意味最も機械に近いじゃないですか。管楽器や弦楽器と違って一度音を出してしまうと、もう次の音を叩くまで何もできないのだ。クレッシェンドもビブラートもできなくて鳴りっぱなし。その鳴りっぱなしを、次の鳴りっぱなしとどうつないだらレガートができるのか、まさに至難の業なのだ。アゴーギクもやりすぎるとあざといけれど、全くやらないと機械っぽくて無味乾燥。
 だから、口で言っても、本人に感性がないと、全く伝わらないのだ。叩くとすぐ音が出るので、他の楽器よりはただちに譜面に近い音楽が響くのだが、そこからが大変なのだ。その点、彼女には僕が感じることを理解する能力があるので、練習していく内に、どんどん音楽的説得力が増してきて、僕はとても満足して練習場を後にした。

サイゼリアについて
 それから一度名古屋駅に戻って、今日は名鉄太田川駅前のホテルに泊まる。駅を降りてホテルに行こうとすると、駅の反対側にサイゼリアを発見した。東海市芸術劇場の外の二階にあるテラスから入る。まずホテルでチェックインしてから、駅を再び通り越して階段を登った。
 僕はねえ、別に貧乏症でもないし、たまにしか行かないけれど、気が向くとサイゼリアに行くことがある。

 初めて入ったのは、刈谷駅から総合文化センターに行く途中にあったお店。駅前のホテル名鉄インにチェックインしてから、
「どこ行こっかな?」
とフラリと出たら看板が見えた。
 最初は、そもそもどういうレストランかも分からず、値段もよく見ないで何気なく注文して、勘定を払おうと思って伝票を見たら、
「あれっ?何かの間違えではないか?」
って、思ったんだ。

 皆さんも知っているかも知れないけれど、サイゼリアって、めっちゃ安い!ところが、安いからマズいかというと、そうでもないのだ。

ちなみに今回の僕のメニュー。

バッファロー・モッツァレッラのカプレーゼ(税込み430円)
ほうれん草ソテー(税込み200円)
フォッカチオつまり小丸パン(税込み150円)
ペンネ・アラビアータ(税込430円)
飲み物
ジョッキのビール(税込400円)を二杯(つまり800円)
250mlのデカンタの赤ワイン(税込200円)

 これで、僕が払ったのは、たったの2210円。考えられる?勿論僕は、世の中にはもっともっとおいしい食事も、ビール、ワインもあるのは知っている。でも、そんな僕でも驚くのは、サイゼリアで出てくるワインは、250mlを税込み200円で飲める味じゃないんだってこと!
 料理も、別に高級料理だって言ってるわけではないし、多くは期待できない。でも、ペンネ・アラビアータを税込み430円で出す店って外にある?それでいながら、入って、後悔しながらお店を出てくる事は一度もない。
 もう一度言うが、安いから入るのではない。むしろ僕は、その創始者あるいはそれを受け継いでいる経営者のポリシーに敬意を払い、リスペクトを持っているので、別に自分ごときの注文した料理で経営を支えようというような傲慢な気持ちはこれっぽっちもないけれど、陰から応援しながら、味が落ちたりしてないだろうな、というチェックも兼ねて、あえて時々入るのだ。

 まあ難を言えば、安いから若者が多く、場内がちょっとうるさいこと。特に、時間が経って、僕がメインのペンネを食べながら赤ワインを飲み、ほろ酔い状態でいる時に、中学生(だと思われる)制服組の一群がドカドカと入って来て、僕の近くでいくつかのテーブルを合わせて注文を始めたが、やかましいのでちょっと酔いが醒めた。そうか。この値段だと中学生でも普通に入れるのか。

愛知MFオーケストラの練習
 翌朝、太田川のホテル前にお迎えの車が来て、最近よく練習する聚楽園公園の中にある東海市しあわせ村のホールで、10時からマーラー作曲交響曲第6番の練習を行った。

 まず午前中に10時から12時30分まで休憩を入れながらたっぷり取って、一番長くて難しい第4楽章を集中的にやった。今回のオーケストラは、第1ヴァイオリンが15名、第2ヴァイオリンが17名、ヴィオラが14名、チェロが12名、コントラバスが10名と、かなり大編成となっている。
 その一方で、管楽器の人数は、ほぼ記譜通りであるが、木管楽器のそれぞれ4人ずつはいいとしても、ホルンが8本、トランペットが6本と多いし、それに、二人のハープとグロッケンシュピールが加わる。また打楽器は、まずティンパニー奏者がふたり。それからシロフォン、グロッケンシュピールをはじめとして、舞台裏のカウベルなどもあるし、なんといっても終楽章で2発叩かれるハンマーなど、実に大人数を要する。これまでの練習では、なかなかみんなが揃う事は難しかったが、本番を一週間後に控えて、ようやく、本番でどんな音が実際に出るのかがイメージ出来てきた。

 結論から言うと、この交響曲を正しく演奏するためには、やはりひとりの奏者でも抜けてはいけないのだ。マーラーのスコアは緻密で、この6番に辿りつくまでに、彼がどれだけオーケストレーションを深く研究し学習し、その結果を余すことなくこの曲に投入してきたのかが良く分かる。
 たとえば終楽章で第1ヴァイオリンが3つの声部に分かれてトレモロし、そこにチェレスタやハープなどが絡んでくる響きや、ある場所では、あえて低いチェロが3つに分かれ、チェレスタのヘ音記号の3声が同時進行する独特のサウンドなど、これまでにない様々な効果を試しているし、それはみんな成功している。
 和声的にも、場所によっては従来の和声進行をかなりハズれているけれども、シェーンベルクなどと決定的に袂を分かつのは、どの瞬間でも決して“無調”には聴こえないで、あくまで色彩感を失わない調性音楽の響きと表現力を貫いていること。
 家でスコア・リーディングを行っている内に、あるいはオーケストラで実際に音を出していく内に、僕はどんどんこの交響曲を好きになっていって、昔どうしてこの曲を敬遠していたのかが分からない。
 確かに、第5番から見ると、ひとひねりもふたひねりもしているけれど、あくまでマーラーはマーラーで、彼の内面は少しも変わっていないし、むしろこの作品の中でマーラーは、意図的にある種の逆境を創りだし、その中で、第5番以上にポジティヴに運命と向かい合おうとする主人公を構築しているのだ。

 そうした僕の想いが団員達にどんどん伝わっていくのが指揮していて分かる。練習していても、
「ああ、いつまでもこの曲に浸っていたい!」
と、時の過ぎ行くのを惜しむ気持ちがある。

 ここまでくればしめたもんだ!
本番が楽しみ!


愛知MFオーケストラ マーラー交響曲第6番


2026. 7.27



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